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34. 保険

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「それじゃ、アレク。よろしくお願いするよ」

 ヨシュアはそう店主に言い残すと、エリィを置いて店を出て行った。ここは魔法具を売る専門の店で、ミレイユ先生の祖父にあたるアレクが店を経営している。伯爵位を息子であるミレイユの父親に譲った後、魔道具屋を経営する為に市井に下った変わり者だ。だが、顔見知りの店だけあって、ヨシュアもシャロムも安心してエリィに頼まれた買い物を済ませに出て行ったのだ。

 アレクはカウンターの前に質素な椅子を一つ持ってくると、エリィに座るように促した。そうして一旦奥に引っ込むと、白磁のティーカップに良い香りをさせてお茶を入れて戻ってくる。それをエリィの前に静かに置くと、己もカウンター内の椅子に難儀そうに腰を掛け、口を開いた。

「それで、お嬢様。何をお探しですかね。物によって出来上がるまで時間がかかるものがございますが」

 エリィが町に来たのにはもちろん理由があった。端的に言えば、保険を掛けに来たのである。犯人捜しはもちろんやるつもりでは居たが、エリィには健康な体が無い。その分自分で動き回るという事が出来ないため、どうしても人任せになってしまうのは否めない。それ以外でも、単純に非力である事がエリィの役立たず感をエスカレートさせているような気さえする。それは、単純に体の力、という部分だけではなく、人脈や権力といった社交の力もエリィにはないのだ。まぁ、引きこもり気味の箱入り娘が突然何かをしようとしても他人の協力なしで無理なのは誰が見ても当然の事だった。

「あまり詳しくないので、アドバイスを貰えると嬉しいのだけど」
「ええ、ええ。何でもお聞き下され」
「人を飛ばす事って可能かしら?」

 思い切ってエリィが身を乗り出す様にして聞けば、アレクは反対に目を丸くしてたじろいだように体を後ろに少し引いた。

「そ、それは、空を飛びたいとか、そう言う事ですかな?」

 幾分どもりながらもアレクはエリィの質問を繰り返す様にして聞く。それにエリィは力強く頷いた。

「それは無理ですな。魔法が直接人に関与することは出来ませんからの」
「でも、怪我したり、病気になったら魔法で診てもらうじゃない」
「確かにそうです。が、お嬢様は今まで怪我が瞬時に治ったり、突然病気が無くなったりしたのを見たことがありますかな?」
「……ないわ」

 もしそんなことが出来るのならば、エリィだとて既に健康な体を手に入れているはずだ。それをすっかり失念して、エリィは尋ねてしまったのだ。

「治癒術とは主に薬の効力を上げたり、あとはほんの少し気の流れを整えてあげることなのですよ。折れた骨をくっつけたり、切り傷を瞬時に治したり、そんなのは物語の中だけの話なのですよ」

 ここも物語の中だけどね!とか思わずエリィは心の中でツッコミを入れるも、取りあえず目的を果たすために次々に質問を重ねていくことにした。そのなかで何か解決方法を見つければいいと思ったのだ。もちろんその解決方法とは”ヴィスタが落ちた場合”の保険になる方法だ。

「じゃあ、箒に乗るとか。絵本では箒に乗った魔女、いるわよね?」
「はっはっは。それこそ本の中だけの話ですな。でも……そうですな、テーブルならば赤子位は乗せて飛べそうですな」
「……どう言う事?」
「物の質量の関係ですな。箒ほど軽い物でと言えば無理ですが、テーブル位の質量があれば、赤子をのせたままでも数秒飛ぶことは可能でしょうな」
「よく分からないわ」
「魔法で出来ることは限られておりますのじゃ。生命のない物を飛ばしたり、弾いたり、燃やしたり、壊したりは得意とするところではありますが、それにも一定の法則があるのです。特に飛ばすと言う事に関しては、正確には飛ばすというのとはちょっと違うのです」

 そう言ってアレクはノートの上に虫眼鏡をポンと乗せた。そして、見てて下され、と言った後そのノートに手をかざす。すると一瞬だけノートが揺れた様にエリィには見えた。しかし、その後全く何事もなかったようにそのノートは微動だにしない。それを見ながら首を傾げていると、今度はその虫眼鏡を分厚くて大きな本の上に置いて手をかざした。

 先程と同じようにその本は一瞬だけ揺れると、今度は静かに浮かび上がった。それに合わせてアレクがゆっくり手を横へと動かせば、本も同じように横へスッと移動した。反対側に手を移動すれば、本もそれについて行くように移動する。大きく円を描くように回せば、本は同じように円を描くように移動した。そしてその本はだんだんと高度を落としてカウンターの上まで戻ると、力尽きた様に下へ落ちた。

「と、まぁ、こんな具合ですじゃ」
「うん、全然わかりません」
「……まぁ、簡単に言いますとな。地面に物体と同じだけの質量を何度も反発させて浮かせているのですよ。ですから、質量が大きくなればなるほど、上に乗せられるものの質量が大きくなる。その分、高度が出せなくなりますが」
「じゃあ、人間を飛ばせるぐらいの質量ってどのぐらいなの」
「そうですなぁ……荷車ぐらいあれば」
「に、荷車……」
「しかもその重さですと、5秒~10秒ほど飛ばすことが出来れば御の字と言う程度でして」

 荷車を引いて城に入るか、などと悩んでみるも、どうも現実的ではない気がしてならない。大体において、荷車飛ばして塔から落下したヴィスタを瞬時に助けられるかと言ったら疑問が残る。というか、残りまくりだ。エリィは頭を抱えたがどうもいい案が思い浮かばなかった。それでも、取りあえずはその手も考えておくべきだと気を取り直して顔を上げる。

「じゃあ、荷車ぐらい飛ばせる魔道具を作ってほしいの」
「ふむ、まぁ出来なくもないですが。少しお時間をいただきたいですな」
「どれぐらいあればできる?」
「そうですな……5日、6日ほどあればなんとか」

 今日は2月21日、そこから1週間かからないとなればぎりぎり間に合う。そう計算してエリィは頷き、発注を決めた。危ない時にとっさに使えるかどうかはその時の状況次第だが、これも保険の一つとして持っておくべきだと思ったのだ。荷車をどうするかは後でじっくり考えればいい事で、製作に時間がかかるのならば、使うにしろ使わないにしろ、見切り発車と言われようが手を打っておくことに越した事は無いのである。

「それじゃ、そのあたりには取りに来るわ。そうね……2月26日。もしくは3月1日ね」

 考え込んで日付を決めた様に見えて、実の所あの茶会の日の前で今から5日、6日後と言ったらその2日しか空いていない。残りの日数の少なさを考えると、知らず知らずの内にため息が零れた。

「おや、降り出したようですな」

 アレクがフンっと声を漏らしながら椅子から立ち上がり、窓辺に近づく。すると窓ガラスを打つ大きな雨粒が見えた。それはだんだんと窓ガラスを打つ音を高め、五月蠅いぐらいに室内に響く。微かに遠くの方でゴゴゴと低い音がして、それが地面に響いたような気がした。

 エリィが雷らしき音に眉をひそめて集中していると、不意に店のドアが開いた。そして店に飛び込んできた者を見れば、それはエリィが先刻学校で別れを告げてきたはずの人物だった。

「酷い雨だな」
「何してるんですか、殿下」
「ああ、リズ。偶然だな」

 白々しくもニッコリ笑って言うヴィスタに、エリィは半眼で睨む。だがヴィスタはそんなエリィの視線を全く意にも介さない風体で手で肩や腕を叩いて雨を払う。

「何をしてるんですか、殿下」
 
 再びエリィが睨みながら言えば、ヴィスタは眉尻を下げて情けなく笑った。

「モノを教室に連れて帰ったらな、ウィリーにペットの持ち込みは困ると言われたから帰って来た」
「そうですか。モノを私が頼んでしまったからですね。申し訳ありま……いや、帰ってませんよね?ここ、城じゃありませんし」

 一瞬だけ罪悪感に囚われて謝罪しようとして、ふと気が付く。なんかおかしくね?と。

「というか、何でここに私が居るのがわかったんですか」
「勘、というか愛の力?」
「で、本当は?」
「つけてきたから?」
「そもそも、殿下が教室に一旦帰って居たらつけてこれませんよね?」
「……まぁ、そう言う事もあるかもしれないな」
「最初からつけて来たんじゃないですか!」
「まぁまぁ。ほら、馬車を見送ってたら公爵邸とは逆方向に行くから気になって」
「でも、馬車の音がしませんでしたけど……」
「馬で来た。で、離れたところで出てくるの待ってたらこの雨でね。ああ、アレク。馬をどこかに雨宿りさせてくれないか」

 ヴィスタがそう言えばアレクは丁寧にお辞儀をするといそいそと外へ出て行った。それを見送りながらエリィはため息を一つ吐き、自分の座っていた席を立ち、ヴィスタに座る様にすすめる。が、ヴィスタは首を振ってそれを断ると窓際の壁に寄りかかった。そしてコートの内側から気持ちよさそうに寝ているモノをそっと取り出すと腕に抱いてその背を一撫でした。エリィはモノを見ればすぐに相好を崩して足早にヴィスタに近づく。そして物の背を優しく撫でる。

「こんな所に何しに来たんだ?」
「もちろん魔道具を買いにですわ」
「リズが魔道具を?何かあったのか、聞いてもいいか?」
「身を守るための保険に何かいいものが無いかと思いまして」
「そうか」

 適度に濁したエリィの言葉に、ヴィスタは何やら考え込むような表情で一言だけ返して黙り込んだ。そのヴィスタの表情に、エリィは少しだけ胸騒ぎを覚える。今のヴィスタは塔から落ちて死ぬことも知らず、本性をエリィに明かしてもいない昔のヴィスタのままだ。その彼が考え込むような表情をするなど、余りなかった。いや、本性をエリィに明かしてからも飄々としていて考え込んでしまうことなどあっただろうか。その異質さに、ふと居心地の悪さを感じたのだ。

「どうかなさいましたか?」

 モノを撫でる手を止めて、ヴィスタの瞳を覗くように視線を合わせれば、ヴィスタの瞳が一瞬だけ不安げに揺れた。が、すぐに気を取り直したように柔らかく笑うと手を伸ばしてエリィの頬にそっと手を当てた。

「いや、なんでもないさ。……顔色はずいぶんよくなったようだな」
「ええ、おかげさまで。ストーブで温まった教室と言うのはどうも空気が悪くていけませんわ」
「それこそ、室温調節の魔道具を使うべきなのにな。どうも学園は金が出るのを渋っていけない」
「まぁ、そう言う物ですわ。財布のひもが固い分、他の事はゆるゆるですし、バランスはとっているのかも」
「そうだな。授業を早退して町で買い物だものな」
「あら、それは殿下も同じでしょう?」

 揶揄して言ったヴィスタにやんわりと同罪ですとエリィが返せば、彼はそうだなと言って笑った。

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