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41. 喧嘩上等?

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――ああ、失敗した。

 気分的にはしゃがみ込んで頭を抱えたいぐらいの状況で、エリィはにっこりと微笑んでいる。表情筋を総動員させてだ。



 城について早々、随伴してきたシャロムにお使いを頼んだ。セシルとヨハンへの差し入れにシュークリームを持たせて届ける様にと。もちろんシャロムはエリィの側を離れることに少々渋ってはいたが、城内だからと言い含めれば渋々引き受けて去って行った。

 案内の兵士の先導の元に王族の居住区の方へと向かっていけば、執務エリアの方から見知った女性がこれまた先導の兵士とともに現れた。通常の時間の流れで言うならば、つい一昨日揉めたばかりの侯爵令嬢アニ―ニャだ。

「あら、木の棒が歩いているなんて不思議だわって思ってましたら、あなたなの。相変わらず貧相なお体ね」

 で、のっけからこれである。

「ごきげんよう、アニ―ニャ様。いくら食べても中々太れなくて……苦労してますの。アニ―ニャ様のその豊満な腰回りに憧れますわ」

 懲りない人だなぁと感心しつつ、片手を頬に添えながらニコニコと笑いながら言葉を返せば、ギロリと効果音が付きそうなほどの勢いで睨まれる。言ったら言い返される位はもう覚悟できていても良い筈なのに、なぜこう無駄に絡むのかとエリィは不思議でならなかった。特段アニ―ニャと対立するようなことはしてこなかったつもりだし、そもそもクラスが違うから交流もほぼ無い。無意味に絡まれるのは釈然としないし、ごめんこうむりたい所だ。

「嫌だわ、私の方こそ憧れていますのよ。たかが侯爵家の娘の分際で、城内を我が物顔で歩くなんて、ほんと面の皮が厚くて羨ましいですわ。でも、少々度が過ぎますし、少し削いで薄くなさった方がよくってよ?」
「申し訳ありません、アニ―ニャ様。わたくし、肌が弱いので元々薄化粧なんですの。アニ―ニャ様程厚く塗っていれば、多少削ぐことも出来たのでしょうけれど……ご期待に沿えず残念ですわ」

 ブフォッ。っとエリィのすぐ横の兵士と、アニ―ニャの後ろに控えた兵士が奇妙な声を上げて、すぐに横を向いた。そのままわざとらしくむせる様にして咳き込んでいる。

「わっ、私を厚化粧だと侮辱していますの? あなたこそ貴族令嬢としてのまともな化粧の仕方一つ知らないくせに。元々路頭に迷いかけてた貞操観念の薄い賤しい方の娘ですものね?下品さがにじみ出ているお化粧ね」
「おっしゃる通りですわ。お顔を作り変えてしまうほどの化粧の技術、是非お教えいただきたいですわ。アニ―ニャ様の瞳は元々とても小さく可愛らしくていらっしゃるのに、今は2倍ぐらいに見えますもの。素敵ですわね?」

 まるで世間話でもしているかのように、スラスラと言葉を返せば、アニ―ニャは扇を両手で握りしめながら、怒りの為かブルブルと震えている。

――ああ、またつい言いすぎてしまった。

 どうやってこの場を収めようかと、エリィは思案に暮れる。チロリと横の兵士を見れば、我関せずと言った様子で、仲裁に入るつもりはこれっぽちもないらしい。もっとも、兵士は平民出身の者も多いために、貴族の争い事なんて手痛いしっぺ返しを食らう恐れもあるのに、おいそれと口が出せるわけが無い。

 そうやって誰か他力本願にも仲裁を買ってくれる人がいないかと辺りを見渡せば、こちらにのっそりと近づいてくる人物がいた。

「アニ―ニャ」

 大分恰幅の良い体を少し揺らしながら近づいた男は、アニ―ニャを親し気に呼んだ。その声を聞いた途端、アニ―ニャは目にいっぱいの涙を浮かべて、その男の元へ小走りで近づく。

「お父様!わたくしディレスタ侯爵令嬢にひどく侮辱されて……辛くて悲しくて心臓が張り裂けそうですわ」

 そう言ってアニ―ニャが両手で顔を覆って大げさに泣きだせば、その男、もといドリエン公爵は眉を吊り上げながらスッと目を細めた。

「分をわきまえぬか、小娘が」

――子供の喧嘩に親が出るとか……

 なんて心の中で悪態をつきつつも、エリィはさも訳が分からないと言った様子で首を傾げてみせる。そもそも喧嘩を吹っかけてきたのはアニ―ニャの方である。口喧嘩に勝てないからと言って親を盾にするってのも、もうすぐ成人しようって年なのにお粗末すぎる。

「お待ちくださいませ。大変申し訳ないのですけれども、アニ―ニャ様は何か誤解なさっておいでなのですわ」
「黙れ。我が娘がこのように泣いているのは貴様の仕業だろう。死にぞこないがいい気になるでない」

 高圧的にエリィを威嚇するドリエン公爵を見ながら、心の中でそっとため息を吐く。子が子なら、親も親だ。不愉快この上ない。が、元をただせばエリィが煽りまくってるせいでもあるので、何とも言えないのも確かだが。

「流石はディレスタの青二才の娘だな。小賢しい上に分をわきまえぬ愚か者の父にそっくりだ」
「……父は立派な方です」
「黙れ。公爵の言に口を挟むなど、己の子にまともな躾けも出来ぬ愚か者ではないか。王家にしっぽを振って迎合しているだけの能無しが立派などと、片腹痛いわ」
「父は立派な方です! 少なくとも、子供の喧嘩に口を出すような――」

 ヨハンを侮辱されて腹を立てたエリィは、ドリエン公爵を睨みながら反論しようとした。だが、それを最後まで言い終らぬうちに、鈍い打音と衝撃で、エリィはバランスを崩して床に倒れ込んだ。
 とっさに少し身を引いたものの、完全には避けられず、ドリエン公爵の手の甲がエリィの左頬を打ち、堪えきれずにバランスを崩したのだ。手にしていたお菓子の包みも床の上に転がり、それにエリィが手を伸ばそうとすれば、ドリエン公爵は嗜虐的な笑みを浮かべてその包みを踏みつけた。

「爵位も持たぬ小娘の分際で、無礼にもほどがある」
「……申し訳、ございません。ですが、わたくしは父を尊敬しております。父は立派な方で――」
「まだ言うか!」

 エリィが体を起こしながら懲りずに言葉を重ねようとすれば、ドリエン公爵は逆上した様に再び手を振り上げた。再び襲ってくるだろう痛みに怯えて、エリィは体を強張らせぎゅっと目を閉じて歯を食いしばる。

「――なにをしている」

 聞きなれた声の、今までにない程低く冷たい声が頭の上から降って来た。恐る恐る固く閉じた目を開けて見上げれば、振り上げたドリエン公爵の腕を鷲掴みにして立つ、ヴィスタの姿があった。その少し離れた場所には、控えるようにしてヨハンが立っている。

「で、殿下……」
「なにを、している」

 口調は酷くゆっくりで、感情の高ぶりは見えない。が、ヴィスタの瞳は明らかに怒りの色で縁取られていた。

「身分もわきまえぬ娘を躾けていただけで……」
「そこに伏しているのは、私の娘ですが。躾け?はて、いつから我が娘はドリエン公爵の娘になったのでしょうな」

 しどろもどろに言い訳をするドリエン公爵に、ヨハンのどこか楽し気な言葉が投げられる。そうすれば、ドリエン公爵は先程までのアニ―ニャの様にヨハンを憤怒の瞳で睨んだ。

「お、お父様はわたくしを助けて下さっただけですわ!」
「ほう、それで?」

 そう言ってヴィスタは必死に言い募るアニ―ニャに視線を投げる。その視線にアニ―ニャは怯えた様にビクリと体を震わせた。ドリエン公爵はと言えば、腕を未だ掴まれたまま、端からわかる程額に脂汗を浮かべてヴィスタを凝視している。

「殿下、ドリエン公爵の腕をお離しください。女同士のいさかいに割って入るのは無粋と言う物」
「だがヨハン。それでいいのか?」
「子供の喧嘩に親や外野が騒ぐなど、恥晒しも甚だしい」

 表情を変えることなくヨハンが言えば、ヴィスタはその様子をチラリと見て、ニヤリと口の端を上げて笑った。

「そうだな。私は分をわきまえぬ、と言う言葉の意味が知りたい所だったのだが……」
「ですが、殿下。爵位も持たぬ小娘風情に王家とも繋がり深い我が公爵家が侮られるなど、王家に唾を吐くと同等の行為ですぞ!」
「ほう?」
「これぐらいと許せば王家の威光が地に落ちますぞ」
「……隣国の次期王が賓客として来ているこの時期に、爵位ある男が無抵抗の婦女子に乱暴を働くなどと言う、我が国の品位を貶めるような国賊行為。此度こたびの話の中でこれ以上の威光の落とし方を、私は知らん」

 そう言うとヴィスタはドリエン公爵の腕を放して、ヨハンの所まで下がるとそのまま立ち止まる。そしてくるりと向きを変え、ドリエン公爵を侮蔑するような瞳で見た。

「さぁ、続けるがいい。己が公爵家が侮られたからと、国に唾吐く行為を、な」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながらヴィスタが腕を組んでそう言えば、ドリエン公爵はどうしてよいかわからないと言った面持ちで、ガタガタ震え出した。
 しかし、王子であるヴィスタと宰相であるヨハンの手前踵を返して逃げるわけにもいかない。と言われてしまっている以上、ここで逃げたら捕まらないとも限らない。そう思って震えが来るほどヴィスタの瞳は笑っていなかった。アニ―ニャもこの話の流れに恐れおののき、カタカタと震えている。

 一方エリィは、前回の夜会と同じように大事になりかけているのを目の前にして、頭を抱えるような思いだった。アニ―ニャのツッコむ隙が満載の言葉に、調子に乗ってツッコんで追いつめたのは、前回も今回もエリィである。

 今回ばかりは、無駄に負けず嫌いな自分の性格を反省すべきだとエリィは強く思った。売られた喧嘩をポンポン買っていたら、どう考えてもトラブルが絶えないのは目に見えている。イラついていたとしても、怒らず騒がず、淡々と対処すべきだったのだ。
 流石にナチュラルに性格が悪いというか、キツイ自分にため息が出る。

 エリィは少し汚れたドレスの裾をパンパンと軽く叩いて立ち上がると、ドリエン公爵の前に立って深く頭を下げた。

「ご不快にさせてしまって申し訳ございませんでした」

 エリィがそう言えば、ヴィスタは笑みを消した。アニ―ニャはあからさまにホッとした表情を作り、ドリエン公爵はあたふたと視線を落ち着きなく彷徨わせた後「わかればいいんだ」と吐き捨てる様に言う。ヨハンは、と言えば。未だ無表情のままじっと事の成り行きを見守っている。

「で、殿下。本人も反省しておるようですし、子供のしたことですから大目に見てやるという事でよろしいですかな」

 青ざめたままこわばった表情でドリエン公爵が言う。あくまでも自分に非は無いが、寛大な心で子供のすることを許してやったという体裁を整えたいようだった。もちろんこの場に居た者全員、そうでないことはわかり切ってはいたが、それが一番の落としどころであることもわかっている。

 それにいくらドリエン公爵がエリィに不当な扱いをしたと言えども、高位の貴族に対して怒らせるような真似をしたことは事実だった。アニ―ニャはエリィよりも上位の貴族令嬢であるし、ここが城内である以上、アニ―ニャの父であるドリエン公爵が通りがかるのも何ら不思議はない。そんな場所で後先も考えずに、腹が立ったという理由だけで喧嘩を買ったのはエリィなのだ。

「リズ」

 ヴィスタの目が、本当にこれでいいのか?と問いかけるようにエリィを見た。それにエリィは短く頷く。

「ドリエン公爵の寛大なお心に感謝いたします」

 そう言ってエリィが再び頭を下げれば、ドリエン公爵は小さく舌打ちをしてアニ―ニャを引き連れてバツが悪そうに足早に去って行ったのだった。



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