心臓にかかる息

西湖 鳴

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傲慢・憤怒・嫉妬・怠惰・強欲・暴食・色欲

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 芹沢君とはお互いにぎこちなくなってしまい、そのままその後の縁はなく、この出来事を忘れようとしているかのように卒業してからは音信不通だった。
 私は未だに辻祐子が私と芹沢君を襲った理由が分からなかった。
 そしてあの時一言だけ言った「どうして……」という言葉の真意も分からない。何も分からない……。
 理解すべきかどうなのかも分からないのだ。

 「……寒い?」
 「えっ?」

 当時のことを考えていた私は芹沢君の言葉で我に返った。電車がくるまであと十五分。ほんの五分ほどの間に私はすべてを思い出していた。

 「ううん、大丈夫」

 彼も私と同じように当時のことを考えていたらしく、ため息をついて缶コーヒーを買いに立ち上がった。話でも、と待合室の長椅子に座っていた私たちだったが、結局話らしい話は進まない。元々私たちは辻祐子と過去の因縁が共通の話題でしかない関係なのだ。
 芹沢君の後ろ姿を見ていたら、ふと視界に何か人影が映ったような気がした。
 辻祐子の影に怯えている私がいる……。
 忘れようと思っても、闇はいつも私に辻祐子を忘れることを許さない。幻影はたまにふと現れて私を悩ませる。しかし今日の幻影はいやに存在感があった。
 それは今日が高校の同窓会だったからかもしれない。アルコールも入ってるし……。
 
 「……あのさ」
 「……ん?」
 「今さ、なんか誰かに見られてるような気がしたんだけど……気のせいかな」
 「……」
 
 芹沢君もこの件の被害者である。彼も幻影を見たりするのだろうか。彼の場合、辻祐子のことをよく知らない分、彼女のイメージも私とは全く違っているのかもしれない。

 「辻さんかな……? なんだかあの時とちょっとダブるね……」
 「もうやめてよ……!」

 正体不明の影を口では否定しても、その恐怖は忘れることが出来ない。

 「ご、ごめん……」

 私が大きな声を出したからか、芹沢君は少しうつむいて謝ってきた。

 「家まで送るよ。今日みたいな日の一人は怖いだろ……」

 彼が降りるはずの駅は私が降りる駅のずっと先で、そこで乗り換えてさらに他県へと向かうらしい。
 彼がどんな仕事をしているのかは分からないけれど、明日仕事だから、という理由で同窓会を途中で抜けてきたというのに、私を送る為に同じ駅で降りたらそもそも仕事に間に合わないのではないだろうか。
 私がそんな心配をしているとも知らず、彼は私のアパートまで付いてきた。駅からアパートまではそんなに遠いわけではなく、もちろん……というか、当然妙な影に追われるようなこともなかった。
 しかし自分の乗る電車を見送ってまで送ってくれた人をそのまま帰すわけにもいかず、私は芹沢君を部屋に招き入れることにした。
 
 「さ、ちょっと狭いけどどうぞ。お茶でも飲んで行って」
 「なんだか悪いね」

 女の子らしさに欠ける殺風景な私の部屋。
 エアコンを入れて部屋を暖め、コンロでお湯を沸かし、芹沢君にはこたつで暖まるよう促した。遠慮気味に部屋に入ってきた彼にお茶を差し出し私もこたつに入ってみると……急に妙な雰囲気になってしまった。私はテレビをつけてごまかしてみたけど、なんだかぎこちない。
 高校生の当時、彼を異性として意識しなかったわけではない。当時彼は学校一のイケメンとして有名だったし、実際モテていた。ただ、だから余計に私とは縁遠い存在だった。私は特別綺麗でもないし、芹沢君に言い寄るほど自分に自信があるわけでもない。
 それに何より、私の気持ちが憧れ以上にならなかったのだ。彼と妙な噂が広がっていた時も、恥ずかしくて迷惑だったという記憶しかない。
 お茶を啜りながら彼をのぞき見ると、いつの間にかテレビを見て少し笑っている。その横顔は高校生の時の芹沢君よりもずっと柔らかい雰囲気を漂わせている。
 十年という時間の経過があったのだ、彼にも私にも。
 今この瞬間彼と一緒にいるなんて、本当に不思議な縁である。不思議な縁だけに、当時の自分の気持ちと今現在の気持ちの整理が付かなくて、私は内心混乱していた。
 芹沢君はずっと黙って一緒にテレビを見ていたのだけれど、私が隠しているイライラを見透かしているかのように横目で私をチラチラ見ていることに、私自身も気づいていて。
 そうしていると湯飲みを手に持ったままの私の背後に音もなく近づいて、彼は私の頬に手を当てた。そのまま促されるように目を閉じ、芹沢君と私は静かに唇を合わせたのだった。
 一連の行動が一瞬すべて彼の計算だったのではないかと思った。でもそんなこと今はどうでも良かった。


 その日の深夜、私は目が覚めた。
 自分の部屋なのになぜか空気が重く、ひどく居心地が悪く感じられたのだ。誰かの視線が感じられて辺りを見回すのだが、カーテンも閉まって外からは覗けないというのに部屋の中から誰かに見つめられているような気持ちの悪さを感じて仕方がなく、言い知れぬ恐怖を感じた私は、隣で気持ち良さそうに寝ている芹沢君を揺り起こした。
 先程までの甘い余韻に彼はまだ浸っているようで、薄っすらと目を開けた彼は私の腕を掴んで布団の中へと招き入れようとした。でも動けない私。
 
 「……どうしたの?」
 
 私の異変に気づいた芹沢君は起きあがって私を見た。

 「視線を感じるの……。誰かが私を見てる」
 「そんなわけないだろ、ここ部屋の中なのに」

 信じられない様子で芹沢君も辺りを見回す。しかし彼は何も感じないようで、不安そうな私をただ見守るしかない。
 
 「……どうしても心配なら警察呼ぼうか?」

 彼は部屋の照明を点けてズボンを穿くと、携帯に手を伸ばした。

 「うん……ごめん、このままじゃ私眠れそうにないからそうしてもらえる……?」

 芹沢君が警察に電話している間、私は服を着て部屋の暖房を入れた。

 「十五分くらいで来てくれるって」
 「そっか……」
 「まだ視線感じる?」
 「分からない……」
 「……テレビでも見ようか」

 彼がテレビのリモコンを握ってスイッチを入れる。
 夜の一時半。深夜のバラエティ番組がやっていた。
 すると突然画面が切り替わったかと思うと、ニュースキャスターが臨時ニュースを読み上げた。
 地域で警戒中の正体不明の連続殺人事件の犯人が、現在この近隣を逃走中であることが分かったというのだ。それはここ最近話題の事件で、被害者に関係性がなく、無差別殺人の見方の強い事件ということで注目されていた。
 いずれも家着や寝巻きなどの服装で、外で殺されている。謎が謎を呼ぶ事件。
 キャスターは、犯人潜伏の可能性が高い為、住民の皆に外出を控えるよう警告していた。
 私と一緒にニュースを食い入るように見てしまった芹沢君は嫌気が差したのか、急にチャンネルを変えた。

 「こんなニュース縁起でもない。お笑いでも見よう」

 番組が変わり、急に部屋がテレビから流れる乾いた笑い声に包まれる。しかし先程のニュースを見た後では、こんな番組をいくら見ようと気持ちはどんよりしたままである。
 芹沢君はそれを隠すようにわざとテレビを見て笑っていた。私はとてもそんな気持ちにはなれない……。
 と、急に部屋の電気が消えた。テレビもエアコンも電源が落ちてしまった。芹沢君の舌打ちが聞こえる。

 「ブレーカーでも落ちた……?」

 芹沢君はブレーカーを見に行こうと立ち上がった。キッチンにあるブレーカーが落ちているのを確認した彼は、ため息を付いて私に報告してきた。

 「やっぱりブレーカー落ちてたよ」

 そう言って彼がブレーカーを入れなおす。部屋はすぐに明るくなったのだが、しかしその時、彼が声を上げて足を止めてしまった。

 「ヒャアッ!」
 
 彼の視線の先を確認して、私も身体が凍りつく思いがした。
 私の部屋には建付けのクローゼットがあるのだが、そのわずかに開いた扉の隙間から、誰かが覗いている。狭い部屋で、そんなに距離の遠い場所にいるわけでもない。
 しかもその雰囲気には覚えがあった。隙間から、わずかながら視線だけでなく姿も確認できる。黒い髪を長く前に垂らし、黒い瞳だけがいやに印象的で、表情が読み取れず…。
 (辻祐子……!)
 芹沢君も同じことを考えたのだろう、蛇に睨まれたカエルのように私たち二人はしばらく身動き出来なかったのだが、やがて身を奮い立たせた芹沢君が私の手を握って部屋を飛び出そうと走り出した。
 靴を履いている余裕もなく裸足で、しかも真冬の外を防寒着もなく飛び出した私たち。謎だらけだけど、考える余裕もなく、ただ必死で走った。
 気づくと、しんと静まり返った住宅街の狭い道を二人で走っていた。

 「ちょっと待って! これって……」

 私は気づいて足を止めた。
 十年前のあの状況と似ているのだ。彼も気づいたようで、すごい冷や汗だ。

 「ど、どうなってんだ! まったくもう、俺らが何したってんだよ!」
 
 街灯の頼りない光の下で二人動けずにいると、暗闇のどこかからひたひたと足音が聞こえてきた。
 その足音はだんだんと大きくなる。……近づいているのだ。
 街灯の光を前に、その姿が少しずつ浮かび上がってきた。その姿は……当時の彼女そのままであった。ただ制服がぼろぼろで靴を履いていないのが違う点だろうか。
 私と芹沢君は言葉もなく近寄ってくる辻祐子をただ眺めているしかなかった。恐怖ですっかり足が竦んでしまったのだ。
 ある一定の距離まで近づいてきた時、辻祐子がゆっくり顔を上げた。いつも長い前髪に隠れて見えなかったその表情。
 その顔は……何もなかった。
 空白だった。
 ブラックホールのように暗くて何もない空間。
 その顔で、包丁を持ったままゆらゆらと近づいてくる彼女。
 まったく生気というものが感じられなかった。ただ汚れた靴下やぼろぼろの制服が年月を感じさせた。
 十年という月日でいったい彼女に何が……。
 そんなことを冷静に考えられたのはずっと後のことで、その時の私たちは彼女の顔をみ見て鉄砲玉のようにただひたすら悲鳴を上げて逃げるしかなかった。
 どこをどう逃げたのか分からない。ただいくら逃げても人気のない住宅街を脱出することが出来ず、とうとう私たちは袋小路へとたどり着いてしまった。
 私たちがこれだけ息を切らせて走って逃げているのに、辻祐子はどこからでも現れた。人間離れしている。
 ……人間なの?
 袋小路に追い込まれ、それでも尚ひたひたと近づいてくる足音に芹沢君は唇を噛んだ。

 「深雪さん、辻祐子が現れたら俺が引きつけるからその間に逃げろ!」
 「そんな、それじゃ芹沢君が……!」
 「もうそんなこと言える状況じゃない。このままじゃ二人ともやられちまう……!」

 辻祐子が姿を現した。芹沢君は私にアイコンタクトすると、雄叫びを上げて辻祐子に向かっていった。

 「早く……!」

 彼は包丁を持つ手を掴んで必死に辻祐子と力比べをしている。私はそれを見送って、半泣き状態になりながらその場を去った。
 泣きながら必死に走った。目的地なんて分からない。
 そうしてしばらく走ると、先程とは違った景色になってきた。高層アパートの小道と、その脇に夜の公園。
 息も絶え絶えにだったが、私は少々明るくなった風景に少し安心したのか、公園のベンチに座って息を整える。
(そうだ、こんなことしてる場合じゃ……早く警察に!)
 そう思った時だ。私は背筋が凍りつく音を聞いた。
 ひた、ひた、ひた……。
 辻祐子の足音が聞こえるのだ。

 「なんでよ!」

 私は叫んでいた。

 「どうして今なのっ?」
 
 足音は次第に大きくなる。
 
 「なんで私たちなのっ!」
 
 彼女はじわじわと私に近づいてきていた。

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