6 / 9
6 蜜月
しおりを挟む「俺、スガから一週間出てくるな、って言われちゃったんです。だから、ずっと、部屋にいます。大杉さんの好きな時に来てください」
そう言って、比良木から部屋の合鍵を大杉は貰った。
こんな風に始まりたくない。
これではまるで発情を解消するだけの相手のようじゃないか。
部屋に篭ってるということは、比良木が他の誰かと関係を持ってしまう心配はない。
ならばこの鍵を何も今使わずとも、一週間後、発情期が収まった頃に改めて部屋へ訪ねていけばいい。
でもその時に、なんで来たんだ、と思われないだろうか。
この鍵は明らかに比良木からのお誘いだ。
ただ部屋へ訪問するだけではなく、性行為を求められている。
発情期だから。
発情期を一緒に過ごす相手として大杉は選ばれたのに、発情期後に訪ねて嫌がられはしないだろうか。
一日中鍵を握りしめ悩んだ挙句、大杉は比良木の部屋の前まで来た。
鍵を使おうとして、思い直し、呼び鈴を押した。
暫くしてドアが開き、大杉を見つけて驚いた比良木が、次の瞬間には大笑いしていた。
「鍵を渡したのに」
「ごめん」
なんとなく、戸惑われた。
比良木ががこの訪問をどんな風に受け止めているのかはわからない。
けれど自分にとっては酷く大切な、重要な一歩なのだから。
きちんと礼儀を通したい。
鍵を使うのはそれからでいい。
「入って」
「お邪魔します」
比良木に促され入った室内で、大杉は息を止めた。
充満するΩの匂い。
「あー、比良木さんが俺の車嫌がったの、今ならわかる…」
「え?」
昨日はこの部屋に辿り着いた時は大杉も興奮していたし、比良木からはすでに発情時のΩの匂いがしていたから気付かなかった。情事の後も、そうだ。
今は比良木からは発情時の匂いがしないのに、部屋の中は比良木の匂いで充満してる。
普段の比良木の匂いに発情時の匂いが混じって。
くらくらしてくる。
「もしかして、今日抑制剤使ってないんですか?」
「え?ううん、使ってますよ。でもどうせ部屋に篭ってるんだし、ちょっと激しい衝動が抑えられればいいかなと思って、持続性の高いいつもの奴じゃなくて、効果の薄い短期間の奴、ですけど」
「あー、どうりで…」
鼻を少し擦って纏わり付いてきた匂いを払う。
そういう意味で誘われているのはわかっているけれど、もう少し、普段の比良木に関わりたい。
「え?!なに、匂う?」
大杉の様子に、比良木が青くなってきょろきょろ辺りを見渡した。
「あ、大丈夫。気にしないで下さい」
「で、でもっ」
真っ赤になって、ぱたぱたと窓まで走り寄ると、一気に開け放した。
少し冷たい風が入ってくる。
「すいません、気付かなくて」
真っ赤なまま俯き加減ですっかり畏まってしまった比良木に、申し訳なくて体の前で腕を振った。
「いえ、俺こそ、来て早々不躾な…」
「いえ…」
二人して体を縮こませて向かい合う。
どうしよう、すっかり雰囲気が悪くなってしまった。
ふと別の匂いに気が付いて、そちらを向いた。
それに気付いた比良木がまた慌てて戻ってくる。
ぱたぱた小さな足音を立てて、走ってくる姿が可愛い。
「俺、何か作ろうと思って…」
「え、料理してくれるんですか?」
小さなキッチンに向かった比良木の後を追う。
真っ赤になって大杉を振り向いた比良木はカウンターに広げたまな板の上を見下ろした。
「うん、ほら、食べに出たりとかできないし…」
大杉も近付いて覗き込むと、恥ずかしそうに更に赤くなる。
「で、でも、あんまり上手くいかなくて、大杉さんがくる前に出気上がってる予定だったんだけど」
まな板の上には切ってる途中の野菜の、無残な姿。
思わず大杉は吹き出してしまった。
大杉に笑われたことでますます比良木は赤くなった。
「あ、ごめん、ごめん」
慣れてないのは一目瞭然。
でも自分のために慣れてないことをしようとしてくれたことが嬉しくて。
「なに作ろうとしてたんですか?」
「や、野菜炒め?」
逆に聞き返されて、更に大杉は笑い出す。
さすがに比良木は拗ねたように唇を尖らせた。
「もてなそうとしてくれたんですよね、ありがとうございます」
大杉が言うと、尖らせた唇を戻して視線を落とした。
「…でも…」
簡単な料理も出来ない、と小さく呟いたので、その肩を軽く押した。
「うん、大丈夫。変わります」
「え?」
スーツの上着を脱いで比良木に渡した。
きょとんと見つめる比良木ににっこり笑いかけると、袖をまくって包丁を持つ。
「わぁ…」
慣れた手つきで野菜を切り始めると、肩口から覗き込んだ比良木が溜息のような感嘆の声を出した。
ざくざくと荒く切った野菜をまな板を傾けて包丁でボウルに移すと、比良木からきらきらした視線が飛んで来た。
そんな難しい事をしているわけではないのに。
面白くて、つい口元が笑う。
「もしかして、慣れてる?」
「たまに自分で作るんですよ。外に食べに行くのが面倒な時とか、食べたいものを置いてる店までが遠かったりとかした時に」
「…えー…、俺、そう言う時コンビニ弁当だよ」
ささっときった野菜を洗って、網に移して豪快に振って水を切る。
「それだと飽きるでしょ?」
「飽きるね」
比良木が吹き出すように笑うと、大杉も笑った。
「だから、作るんですよ。…他には?」
「え?あ、え?」
比良木はいつの間にか大杉の服を掴んでまで見入っていて、声をかけられて慌てて離した。それからあたふたと冷蔵庫を開ける。
「何か、入れるの?」
聞いたのは大杉だったのだが。
大杉は笑いながら、比良木と一緒に冷蔵庫を覗き込む。
「う、わぁ、随分買い込んでますね」
「ん、だって、一週間分のつもりだったし」
菅野の言いつけをきっちり守るつもりだったんだな、と大杉はふ、と息を漏らした。
買い物ぐらいは出てもいいだろうに。
比良木が自分をじっと見ているのに気付いて、冷蔵庫の中を物色した。
「あ、肉、入れましょう?」
「うん!」
比良木の目の前でパック入りの肉を取り出すと、嬉しそうな顔で比良木は冷蔵庫を閉めた。
調理器具はきちんと準備されていたので、あとは作るだけ。
肉を炒めて野菜を入れて。
大杉が手際よく料理する間、比良木は楽しそうにその手元を覗き込んでいた。
途中から比良木の手が自分の腰を掴んでいることに気付いたが、大杉は素知らぬふりで料理を続けた。
皿に盛って、小さなテーブルに広げて。
茶碗にご飯を注いで来た比良木と向かい合って座ると、二人で手を合わせて「頂きます」と言い合った。
「おいしい」
ただの野菜炒めを美味しそうに頬張る比良木に、大杉は嬉しくなる。
「胡椒とか効きすぎてないですか?」
「全然!ちょうどいいよ」
「それは良かった」
大杉も後を追って箸をつける。
人に作ってやったことなんかないので少々不安だったけれど、比良木の笑顔を見ると安心した。
ふと比良木は逆にこの笑顔を見たかったんだろうなと思うと、申し訳ない反面嬉しかった。
「あ、ビールあるんだった、飲む?」
「じゃあ、ちょっとだけ」
比良木が嬉しそうに立ち上がって、冷蔵庫からビールの缶を二つ抱えて戻って来た。
そのうちの一つを手渡してくれる。
「あ、どうも」
比良木が口元を緩めたままで大杉を見ながら缶を開ける。
大杉もそれに習う。
一口飲むと、ぷはーっと息を吹き出した。
その大杉を見て比良木が笑う。
「お疲れ様。忙しかった、今日?」
「まあ、それなりに」
「営業だもんね。外回りばっかりじゃない?」
「うん。でもずっと会社に篭ってるよりは気晴らしもできるし」
「そっか」
「でも気疲れは半端ないけど」
「だろうね。俺たちも営業みたいなことするんだけど、スガと外回りの営業が別に欲しい、っていつも言ってるんだ」
「はは、菅野さんも比良木さんも営業向かなそうですもんね」
食事をしながら軽くアルコールを摂取し、軽い話をしながら笑いあって。
散々往訪を迷っていたけれど、来て良かった、と大杉は心から思った。
13
あなたにおすすめの小説
「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。
キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ!
あらすじ
「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」
貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。
冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。
彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。
「旦那様は俺に無関心」
そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。
バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!?
「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」
怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。
えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの?
実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった!
「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」
「過保護すぎて冒険になりません!!」
Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。
すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
俺が番になりたくない理由
春瀬湖子
BL
大好きだから、進みたくて
大切だから、進めないー⋯
オメガの中岡蓮は、大学時代からアルファの大河内彰と付き合っていた。
穏やかに育み、もう8年目。
彰から何度も番になろうと言われているのだが、蓮はある不安からどうしても素直に頷く事が出来なくてー⋯?
※ゆるふわオメガバースです
※番になるとオメガは番のアルファしか受け付けなくなりますが、アルファにその縛りはない世界線です
※大島Q太様主催のTwitter企画「#溺愛アルファの巣作り」に参加している作品になります。
※他サイト様にも投稿しております
事故つがいの夫は僕を愛さない ~15歳で番になった、オメガとアルファのすれちがい婚~【本編完結】
カミヤルイ
BL
2023.9.19~完結一日目までBL1位、全ジャンル内でも20位以内継続。
2025.4.28にも1位に返り咲きました。
ありがとうございます!
美形アルファと平凡オメガのすれ違い結婚生活
(登場人物)
高梨天音:オメガ性の20歳。15歳の時、電車内で初めてのヒートを起こした。
高梨理人:アルファ性の20歳。天音の憧れの同級生だったが、天音のヒートに抗えずに番となってしまい、罪悪感と責任感から結婚を申し出た。
(あらすじ)*自己設定ありオメガバース
「事故番を対象とした番解消の投与薬がいよいよ完成しました」
ある朝流れたニュースに、オメガの天音の番で、夫でもあるアルファの理人は釘付けになった。
天音は理人が薬を欲しいのではと不安になる。二人は五年前、天音の突発的なヒートにより番となった事故番だからだ。
理人は夫として誠実で優しいが、番になってからの五年間、一度も愛を囁いてくれたこともなければ、発情期以外の性交は無く寝室も別。さらにはキスも、顔を見ながらの性交もしてくれたことがない。
天音は理人が罪悪感だけで結婚してくれたと思っており、嫌われたくないと苦手な家事も頑張ってきた。どうか理人が薬のことを考えないでいてくれるようにと願う。最近は理人の帰りが遅く、ますます距離ができているからなおさらだった。
しかしその夜、別のオメガの匂いを纏わりつけて帰宅した理人に乱暴に抱かれ、翌日には理人が他のオメガと抱き合ってキスする場面を見てしまう。天音ははっきりと感じた、彼は理人の「運命の番」だと。
ショックを受けた天音だが、理人の為には別れるしかないと考え、番解消薬について調べることにするが……。
表紙は天宮叶さん@amamiyakyo0217
βな俺は王太子に愛されてΩとなる
ふき
BL
王太子ユリウスの“運命”として幼い時から共にいるルカ。
けれど彼は、Ωではなくβだった。
それを知るのは、ユリウスただ一人。
真実を知りながら二人は、穏やかで、誰にも触れられない日々を過ごす。
だが、王太子としての責務が二人の運命を軋ませていく。
偽りとも言える関係の中で、それでも手を離さなかったのは――
愛か、執着か。
※性描写あり
※独自オメガバース設定あり
※ビッチングあり
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる