石の王冠は誰のもの

阿山ナガレ

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第1話

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 突然の大雨に、サーシャベイン=クリストフは舌打ちした。

 あいにくと、傘を持ってきてはいない。約束の時間に間に合うよう、三十分ほどの時間の余裕を持って自宅を出たものの、これは完全に想定外だ。降り注ぐ多量の水滴をカバンで遮りながら、彼女は駆け足で手近な軒先へと避難した。
 軽くウェーブのかかった、肩まである栗色の髪は、すっかりぐしょ濡れになってしまった。水滴が髪を伝い、サーシャの額へと流れ出る。彼女はその水滴を指先で払いながら、一つ溜息を吐いた。
 
「もう、突然降りだすなんて……。面接まで時間が無いのに、どうしよう……」

 今日のために新調した淡いベージュのレザーコートも、すっかり様子が変わってしまった。濡れた手でその吟面に付いた水滴を払い落としてみたものの、まだら様に水の染みが残ってしまっている。彼女はそのコートを脱ぎ、肩口を持って水を振り落とした。その裾がばさりばさりと音を立て、水滴が勢いよく路面へと落ちていく。
 そしてもう一度そのコートを眺めてみたが、やはりまだら様の染みは隠せない。せっかく買ったコートだったが、これを着たままで今日の面接に挑むのは、あまりにみっともなさすぎる。彼女は、濡れた髪を掻きむしり、また溜息を吐いた。

 雨足はさらに強まっていく。空は完全に黒い雲に覆われてしまい、当分は晴れる様子がなさそうだ。彼女は恨めしそうに空を見上げ、そして思い出したようにカバンに手を突っ込んだ。
 カバンの中で、細いチェーンが人差し指に引っかかり、彼女はそれを手繰って勢いよく引き抜いた。そのチェーンの先端に繋がれた、金色の懐中時計が姿を現した。慌ててその時刻を確認する。

 面接の時間まで、あと十五分ほどになっていた。そして彼女は手帳を取り出し、そこへ書き込んだ面接場所の地図を確認した。現在地は、ワグナス商店街の中心部付近。そして面接場所は、商店街の端。魔法ギルド“プロミネンス魔法開発”の本部が会場である。走れば十分も掛からないだろう。だが、それには全身ずぶ濡れで面接に挑むことになってしまうというリスクも伴っている。“プロミネンス魔法開発”は、大陸に名を轟かせるほどの超一流ギルドだ。当然、その採用試験はとてつもない倍率で、面接の場に濡れネズミの様な格好で現れたとなれば、その結果は火を見るよりも明らかであろう。面接どころか、門前払いすらありうる。

 幸いにして、コートの下の紺のスーツはさほど濡れてはいなかった。膝から下は濡れてはいるものの、これまた黒のストッキング故に、濡れた個所は目立たない。あとは髪さえどうにかできれば、と考え、一度頭の後ろに髪を束ねてみた。丁度、その軒下にあったショーウインドのガラスに自身の姿を映しながら、客観的に己の外観を見つめてみる。
 うむ、悪くない。と思った。この姿であれば、濡れネズミとは思われないだろう。だが、問題はこの大雨である。さすがにこの中を十分も駆け抜ければ、ようやく取り繕ったこの姿も、容易く崩れてしまうに違いない。

 さて、この大雨の中を、いかにして切り抜けるべきか……。そう頭を悩ませていると、ふと気づいた。現在、軒を借りているこの建物、その入口に掲げられた看板の文字だ。


 『ロッシュ商店』


 そう書かれた文字に気付き、彼女はガラス戸から店内を覗き込んでみた。



「って、雑貨屋だ。ここ」

 どうやら、日用雑貨の店であるようだった。彼女の顔がパッと輝いた。渡りに船とはまさにこのこと。雑貨店ならば、傘の一本や二本くらい置いてあるのは当然のことだろう。
 彼女はすぐさまそのガラス戸を開け、店内へ足を踏み入れた。


* * *

 外の大雨のせいか、店内は薄暗かった。六坪ほどの店内には、至る所に無造作に雑貨が積まれており、店と言うよりはまるで倉庫であるかのような印象を受けた。その入口の脇には小さなカウンターが設けられており、そこに座っていた黒髪の若い女性店員が、気だるそうにサーシャの姿を一瞥した。 

 サーシャは店内を見渡すも、雨具売場がどこかは分からなかった。店内が薄暗いこともあったが、商品があまりにも雑然と置かれているので、すぐには目的のものを探すことが難しい状況だ。一刻を争うこの状況。彼女はカウンター越しに店員に声を掛けた。

「あのう、傘、売ってないですか?」

 声を掛けられ、店員がぼんやりとサーシャの顔を見つめた。

「あ? 傘?」

「傘です。傘が欲しいんです」

 店員が面倒くさそうに立ち上がり、頭をぽりぽりと掻いた。「あー、傘、傘はどこだったかなあ……」と呟きながら、ゆっくりと店の中ほどまで歩を進め、雑然に積まれた商品の一画を、ゴソゴソと探りだした。

 そして一、二分ほど店内を捜索したところで、「あれ?」と呟いて小首を傾げた。そして、店の奥に向かって、大声で呼びかけた。

「店長、傘が見つからないんだけどーー!?」

 店の奥には、両開きの扉があった。どうやら、従業員用のスペースがその先にあるようだった。店員がその扉に向かって呼びかけるも、応答は無かった。店員がもう一度、さらに語気を強めて叫んだ。その長い黒髪がふわりと揺れた。

「店長ーー!?」

 五秒ほどの沈黙を挟んで、扉の向こうから反応があった。

「はぁい?」

 男性の声がした。どうやら、この店の持ち主のようだ。ずいぶんとのんびりした口調で、店員とのやり取りが続く。

「傘、かーさー!! 傘、どこに置いたっけえ!?」

 店員が叫ぶと、またも五秒ほどの間を置いて、店長からの返事が聞こえてきた。店長と呼ばれる男の喋るテンポがどうにも遅く、今や一分一秒すら惜しいサーシャにとっては、少しやきもきさせられるやり取りが続いた。

「えー? 傘ですかあ?」

「傘だっつってんだろ! かさーー!!」

 その女性店員もまた、店長のテンポの遅さに苛立った様子で、声を荒げる。だが、店長の声のトーンもテンポも変わることなく、さらにやり取りは続いた。

「傘なら、こないだ売り切れたでしょう」

「無いのー!?」

「ありませんよ」

 そして、店員がサーシャに向かって口を開いた。

「ごめんね。無いってさ」

 店員は一応頭を下げているものの、悪びれた様子は一切無い。サーシャは僅かに落胆しながらも、「聞こえてましたから」と答えて、力なく笑った。

 窓から外を見るも、雨は止む気配が無い。彼女はもう一度、懐中時計の時刻を確認した。指定された時刻まで十分を切っていた。サーシャは今日三度目の溜息を吐き、一人ごちた。

「あーあ、どうしよう……」

「どしたん?」

 店員があくびを噛みしめながらも、怪訝そうにサーシャの顔を覗き込んだ。

「いえ、今日、2時から採用面接なんですよ」

「へえ」

「ずぶ濡れで行くわけにはいかないしなあ……」

「へえ」

 店員はあまり彼女の話に興味が無いようだった。今度は遠慮なく大あくびを披露した。
 相変わらず、雨は降りしきるばかりだ。傘が無いとなれば、もはやこの大雨の中を駆け抜けるしか方法は無い。だが、それを実践すれば、採用の可能性は万に一つも無くなるだろう。彼女はまた「あーあ」と落胆の声を上げた。

「ちょっとくらい、待たせとけばあ?」

 店員の突拍子もない提案に、サーシャは苦笑いを浮かべた。

「それができれば、どんなにいいことか……」

「弱気だねえ。雇ってあげるんだから、少しくらい待たせてもいいでしょ?」

「いえ、私が雇われる側なんですけど……」

 店員の目が丸くなった。「んん?」と呟き、宙を見上げると、やがて合点がいったように声を上げた。

「あーあーあー! そういうこと! あたし、てっきり、あんたが面接する側だとばかり!!」

 年相応よりも一回り以上高く見られるというのは、サーシャにとって珍しいことではなかった。大人っぽい凛々しい顔立ちと、地味な銀淵のメガネがそうさせるのだろう。また、彼女は暗い色の服を好んで着る傾向があり、それもまた年齢への誤解へ拍車を掛けていた。

「これでも学生ですから……。まあ、この服、ちょっと落ち着きすぎかなとは思いましたけど」

 紺のスーツの裾を摘まみ、彼女が苦々しく笑った。老けて見られることは、彼女にとってコンプレックスであり、それを払拭するために新調したベージュのコートだったのだが、ずぶ濡れになってしまった今、それも水の泡である。
 そんなサーシャの様子など気に留めることなく、店員が口を開いた。

「で、どこで面接なの? この辺ってことは、どこか大手でしょ?」

「え、ええ。プロミネンス魔法開発です。やっと最終面接まで行ったんですけど……」

「超大手じゃん!! もう! そういうことは早く言わなきゃダメでしょ!?」

 すると店員が、また扉に向かって声を掛けた。

「店長! 店長ー!」

 扉からは返事が無い。店員は小走りで扉に駆け寄り、その戸を僅かに開いて、中に顔を突っ込んだ。

「てーんーちょー!!」

「はぁい?」

 扉の向こうで店長が答えると、店員が扉の向こうに姿を消した。声だけがサーシャの耳へと届く。

「店長、当分外出しないでしょー?」

「出ませんよー。これ、もうすぐ完成するんでー」

「店長の傘、ちょっと借りてくよー!?」

「どうぞー」

 そして、店員が売場へと戻ってきた。手には、青色の男物の傘が握られている。

「いいってさ」

 そう言って、店員が傘を持つ手をぐいと突き出した。

「え?」

「ほれ、傘。貸したげる」

 戸惑うサーシャに、店員はまたぐぐいと傘を押し付けるように手渡した。思わぬ事態の好転に、サーシャは感動し、深々と頭を下げた。

「あ、ありがとうございます!!」

「いいのいいの、どうせ店長のだし」

 店員が微笑んだ。

 何度も何度も頭を下げ、礼の言葉を述べると、店員は手をひらひらとさせ、「頑張ってねえー」とあくび混じりに見送りの言葉を送った。

 そしてサーシャはすぐさま踵を返し、店の外へと駆け出した。走れば、まだ間に合う時間だ。この好機を逃してはならない。そんな決意を胸に、彼女は面接会場へと向かっていった。

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