石の王冠は誰のもの

阿山ナガレ

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第11話

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 ロッシュがカウンターの下を覗き込み、歓喜の声を上げた。

「おおー! ずいぶん一杯いますねえ。瓶に入れるのは、一番小さい奴を四、五匹程度でいいですからねえ」

 すると、店主の姿を認識したからなのか、これまで微動だにしなかったカウンター下の虫たちに動きがあった。最初に数匹が小さな羽根を広げて飛び上がると、それに追従するかのように、数百ものスパイ虫が一斉に飛び立ったのだ。その正面にいた三人の身体を、多量の虫の霞が覆いつくす。二人の女性の悲鳴が起こった。

 やがて、虫たちは黒い旋風のように連なりながら、部屋の中を飛び回り始めた。その羽音が重なり合い、店内はけたたましい音で包まれている。それらは新たな安住の地を探しているように見えたが、かつてのカウンター下を超えるような最上ランクの隠れ場所は見つけられない様子だ。困ったように店内を旋回する虫たちを見て、ロッシュが嬉しそうに口を開く。

「お! 飛びましたねえ! 凄いですねえ。壮観ですよ、これは!」

 単独行動を旨とするスパイ虫である。それがこれほど大量に飛び回る様子など、中々見れたものではない。それを目の当たりにして、子供のようにはしゃぐロッシュの気持ちは分からないでもないが、サーシャはそんな店主の様子に驚き呆れた様子で、不満の声を上げた。

「何で、そんなに楽しそうなんですか!?」

 そして、諸手を挙げて喜ぶ店主の傍らを抜け、彼女は黒い旋風の中に飛び込んだ。その中で、飛び回る虫を一匹ずつ捕らえては小瓶の中へ入れていく。だが、あまりの数に、その処理はまるで追い付かなかった。
 しばらく奮闘したサーシャだったが、やがてそれを諦め、全身虫だらけになりながら旋風の中から出てきた。

「数が多すぎる……! もう……!!」

 己の髪にしがみついた虫を煩わしそうに指先で跳ね飛ばし、一つ息を吐くサーシャ。ロッシュは腕組みし、満足そうに虫たちの飛び回る様子を眺めている。彼自身で虫を捕らえる気は全く無い様子だ。一方、アクサナは丸めた雑誌を片手に、床に落ちた虫を片っ端から潰して回っていた。捕らえるよりも壊した方が手っ取り早いと考えたようだ。

 一匹ずつ捕らえているのではあまりに効率が悪い。そういう意味では、アクサナの策もまた一つの解であろう。サーシャは、何か使えるものが無いかと店内を見回した。
 そして彼女の目に留まったのが、店の片隅に立て掛けられていた虫取り網だ。

「これ、借ります!」

 そう言って、その虫取り網を掴み取ったサーシャ。それを見たアクサナが、咄嗟に声を上げた。

「あー、それは――」

 その声がサーシャの耳に届く前に、それは起こった。

 虫取り網の口の輪の中から、突風が吹き出したのだ。それはあっという間に店内の空気をかき回し、飛び回る虫たちをその渦の中へと巻き込んでいく。
 突然の出来事に、サーシャが悲鳴を上げる。

「わあああああ!??」

「――風が出るよ、って、遅いか」

 アクサナのセリフが終わる前に、突風は店内を駆け巡り、棚に積もった大量のホコリを一斉に舞い上がらせた。店内は瞬く間に灰色の霞に覆われた。
 なおも悲鳴を上げるサーシャ。その強風は止むことなく、そのまま棚上にあった小物の商品を吹き飛ばし始めたので、アクサナが慌てて声を荒げた。

「ボタン押して、ボタン!」

 サーシャがようやく柄に付いた黒いボタンを探し出してそれを押すと、途端に風は止んだ。やがて宙に浮いたホコリが床へ舞い降り始める。かび臭い空気が充満する店内で、サーシャは呆然と立ち尽くした。

「な、何ですか、これ……?」

「風が出る虫取り網ですよ」

 ロッシュが答えた。強風吹き荒れた店内においても、彼は変わらずのほほんと過ごしていたようだ。

「いや、何で虫取り網から風を出す必要が……?」

 サーシャが疑問を口にするも、アクサナが横から口を挟んだことでその答えは返ってこなかった。

「つか、この網も長いこと売れてないんだよ。どうにかしてよ、店長」

「これも、売れたのは最初だけでしたねえ」

 そう言って、ぽりぽりと頭を掻くロッシュ。彼の頭から、小さなホコリがパラパラと床に落ちる。

「売れたんですか……? ていうか、誰がこんなの買っていくんですか?」

 サーシャは疲れ果てた様子で、がっくりと肩を落とした。


* * *

 突如店内を襲った暴風に耐えるため、先刻まで店内を飛び回っていた虫たちの大半は店の天井にしっかりとしがみついていた。虫取り網の柄を訝し気に見ていたサーシャだったが、そんな虫たちの様子に気付くと、ふと思いついた様子を見せた。

「あ、でも、これ使えるかも」

 そう呟くと、彼女は虫取り網の柄に付いたツマミを捻った。風量調節機能が付いていることに気付いたのだ。そしてボタンを押すと、またその円状の口から風が吹き出す。サーシャは片手でツマミを操作しながら、慎重にその口を天井へと向けた。
 その風に煽られ、また個体によってはその風を嫌い、虫たちはその行動範囲を狭められていった。吹き出す強風を使い、サーシャがそう誘導したのである。そして、天井にへばりついていた虫たちは、遂に天井の一画へと追いやられた。部屋を形作る三つの辺が交わる点に集まったその虫の集合体。まるで鈍色の球体の様になったその物体を、サーシャは虫取り網で一息にすくい取った。

「やった!」

 アクサナが歓声を上げる。もはや収拾不可能かと思われた多量のスパイ虫たちのほとんどが、サーシャの持つ虫取り網の中へと納まったのだ。だが、サーシャが網の口を閉じて一息ついたその時、異変は起こった。
 びりびり、と網が裂ける音がした。虫の一匹が網を食い破ったのである。そして次の瞬間、その裂け目から虫たちは一斉に逃げ出した。サーシャが「ああ!?」と悲鳴を上げる。店内は、再び虫たちによる旋風によって満たされてしまった。

「うーむ。鋭利な歯を持つタイプも居たんですねえ。ここまでくると、もはや盗聴盗撮用ではなく、破壊工作用とも言えますね。上手く使えば、暗殺にも使えるんじゃないですか?」

 などと、ロッシュが笑いながら言った。暴風と多量の虫たちで、店内は燦々たる有様なのだが、彼はまるで動じていないようだ。その足元で記念すべき百匹目の虫を破壊したところで、アクサナが顔を上げた。壊しても壊してもまるで減る様子の無い虫たちに、ほとほと疲れ果てた表情をしている。

「つーか、キリがないよ。店長、何か無いの?」

「ああ、じゃあ、こないだ作ったこれを使ってみようか」

 そして、彼は商品棚から一つの箱を取り出した。サーシャが興味深げに覗き込む。

「何ですか? その小さい家みたいなの……?」

 ロッシュが手に取ったのは、二十センチ四辺の金属製の箱だった。その上部には三角屋根の様に二枚の金属板が据え付けられており、それは小さな家であるかのような印象を与えた。
 彼はサーシャの問いに、笑顔で答える。

「これはねえ、僕の考えた、最強のネズミ捕りなんだけど、力魔法のゾルデー構築式を基本に、分母をカベンディシュ値、分子をマックスファルコム式で代入して――」

 滔々と魔法式について語り始めたロッシュ。すると、周囲を飛び回るスパイ虫たちが一斉にその動きを止め、じっと彼の話に聞き入るようなしぐさを見せた。サーシャが慌てて店主を制止する。

「わあーー!! だから、それ今言っちゃうと、また特許を誰かに横取りされるんですってば!! これ、明らかにロッシュさんの新魔法を狙ってますよ!」

「えー? でも、せっかく考えたんだから、説明したいんだよねえ」

 ようやく少し不満げな様子を見せたロッシュである。

「いや、それはあたしも聞きたいけど……! でも、それは、この虫を全部駆除してから、じっくり聞かせてもらいます!!」

 そうサーシャが言うと、ロッシュはにっこりと微笑んだ。そして、その“ネズミ捕り”のスイッチを入れると、その箱は青白くぼんやりと光を帯びて、その真価を発揮し始めた。
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