石の王冠は誰のもの

阿山ナガレ

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第12話

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 箱が作動した。

 箱の横に開けられた直径五センチほどの穴から、青白く光る触手が飛び出した。力魔法を使った拘束術式の一種である。それは無数に枝分かれし、店内を飛び回るスパイ虫を次々と捕らえていく。
 その触手の先端が標的に触れると、それは瞬く間にさらに細かい繊毛へと分かれて、標的の自由を奪っていった。鋭い金属製の歯牙を持つスパイ虫であっても、それに抗うことは適わない。そして標的を捕らえた触手は、すぐさま箱の中へと相手を引きずり込んでいく。

 光る触手が飛び回る虫たちを次々と捕えていく様子を見て、アクサナがぽかんと口を開けた。

「うっはぁ~~、すごいね、これ……」

「凄い……! どうやってるんですか、これ?」

 サーシャもまた驚きで開いた口が塞がらなかった。だが、その驚きの理由はアクサナのそれとは若干異なる。彼女は、ここまで細かい標的を同時に且つ正確に狙える拘束術式など、これまで見たことも聞いたこともなかったからだ。その箱に使われている技術にもまた、世間に知られていない未知の魔法式が使われていることは明らかだった。
 感動しきりのサーシャの胸中を知ってか知らずか、ロッシュが笑顔でその仕組みを語った。

「小動物の動きだけを検知して、捕獲しているんだよ」

 魔法式の構造を語りたくてうずうずする店主の口元だったが、そこはなんとか堪えた。

 幾本もの触手が驚くべき速度で虫たちを収監していく様子を見ていたアクサナだったが、ふとその根元の箱を覗き込んだ。思えば、もう百匹以上はその中へ取り込まれている。

「その箱、一杯にならないの?」

「内側で粉砕して圧縮してますから、まだまだ平気です」

「……ネズミが入っちゃったらどうなるの、それ」

「最後の処理だけが難点なんですよねえ。ナマモノだと、粉砕時に臭いも出ますし。時には音も」

 生のネズミが内部でされる様子を想像し、アクサナは背筋に寒気を感じた。彼が言うところのとは、つまり、悲鳴であろう。断末魔の。
 アクサナは忌々しいものを見るような目でその箱を見つめ、そして頬を引きつらせた。

「……あたしなら買わないわ」


* * *

 そして五分が経過した。

 なおも店内を飛び回るスパイ虫を箱の触手が次々と捕えていくものの、そもそもの数が多いせいか、まだまだ当初の半数以上が健在であった。中には商品や棚の影に隠れようとするものもあったが、触手はその隠れ家から見事に虫を探し出し、鮮やかに捕獲、収監していく。一体どういう魔法式を使っているのか、とサーシャはなおその興味をそそられた。

 と、ふと店の扉のきしむ音が聞こえ、彼女はそちらへ視線を移した。そして叫んだ。

「って、あれ見てくださいよ、ロッシュさん!」

 その声を耳にして、二人がサーシャの指の先を見る。そこには、店の扉のドアノブに群がるスパイ虫の一団があった。
 数十匹ものスパイ虫がドアノブに取り付き、一部はドアノブを回そうと、そして他の一部はドアを押して扉を開けようと動いていた。一体一体が独立して動くスパイ虫であるが、それらはまるで全体で一つの生き物であるかのように、一つの意図を持って動いていた。その一団が共同して扉を開けるつもりであるのは一目瞭然だ。
 それを見たアクサナが感心して声を上げる。

「おお、ドアを開けようとしてるのか、こいつら」

 とはいえ、それは小さなコガネムシ程度の大きさしかないし、鋭い爪を持ってはいるものの、大した力があるわけではない。店の重い扉は、そう簡単には開けられるものではなかった。それでも、捕縛を逃れんとする虫たちは次々と扉に群がっていく。“塵も積もれば山となる”然り、小さなベクトルを積み重ね、扉は徐々に開きつつあった。

「逃げる気ですよ! その箱で捕まえられないんですか!?」

 焦るサーシャ。一方、ロッシュは箱の横にしゃがみ込み、両掌を上に向けた。

「近くにいる方から優先して標的指定しますからねえ。作動中に箱を動かしちゃうと座標指定が狂いますし、今すぐは無理ですねえ」

 箱は店の奥に設置されており、店内は未だ多くの虫が飛び交っている。その触手が扉に群がる一団へ届くには、まだまだ時間がかかりそうだ。ならば、とサーシャは傍らのモップを手に取った。

「……借ります!」

 そしてそのモップを頭上に掲げ、扉に群がる虫の一団目掛けて思い切り振り下ろした。そこに群がる虫たちを、少しでも払い落とそうとしたのだ。
 だが、そのモップの先は、不幸にもドアのレバーへと当たり、またその衝撃で扉が僅かに開いてしまった。

「ああっ! しまった……!!」

 と、後悔の言葉を口にするも、覆水盆に返らず。こういうが、彼女が時折見せる残念なところである。その過誤たる僅かな隙間は、虫たちにとってはすり抜けるのに十分な広さだった。

「ま、待てコラーーー!!!」

 せめて叫んでみるものの、待てと言われて待つ者が居ないのは明々白々。この好機を逃してなるものかと、店内に居た虫たちは、一斉に扉の隙間へと殺到した。
 慌てて店の外へ出て、その後を追おうとしたサーシャだったが、屋外へと出た虫たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまっており、その足取りを追うことすら不可能であった。遥か彼方へと消えていく黒い霞を見上げ、彼女はモップの柄を力いっぱい握りしめ、そして歯ぎしりした。

「ちぃ……! 逃した……!!」

* * *

 彼女が店に戻ると、“ネズミ捕り”の箱は静寂そのものだった。無数に飛び出していた触手は鳴りを潜め、箱は静かに青白く光っているのみである。それは捕らえるべき標的が近くに居なくなったことを示していた。

「もう、店内には居ないみたいですねえ」

 ロッシュがひとつ息を吐いて、そう呟いた。彼がそっと箱に触れると、その青白い光は収まり、触手の出ていた穴からは黒い金属球がころりと転げ出た。恐らくは、これが粉砕、圧縮されたスパイ虫たちの成れの果てなのだろう。

「モップ返して~~」

 サーシャの手元にあるモップを、アクサナが要求する。店の床には、彼女が破壊したスパイ虫の残骸や、虫取り網によってもたらされた強風で散らかった商品、綿埃などが四散していた。これを片付けるのが、店員たる彼女の正しい業務なのである。サーシャが「どうぞ」とモップを差し出すと、アクサナはそれを大事そうに受け取り、はにかんだ。

「これ、あたしの私物だからさ」

「え? 備品じゃないんですか?」

「この店に、まともなモップがあると思う?」

 そう意地悪く笑い、アクサナは店内の掃除を開始した。サーシャはその言葉に苦笑いを浮かべ、「まあ……」と相槌を打った。すると、ロッシュがうんうんと頷いて口を開いた。

「まともなモップなんて、作っても楽しくないですからねえ」

 その言を聞き、二人の女性は顔を見合わせた。
 モップはモップであることが要求されるものであり、まともでないモップなど、誰も求めてはおるまい。だが、この店主はそれをまるで理解しておらず、揶揄されたことにすら気付いていないのだ。二人は言葉こそ交わさなかったものの、その心中に抱く思いは一致していた。互いの視線で共にそれを理解した二人は、ゆっくりと頷く。その様子を見たロッシュが、怪訝な顔をして問いかけた。

「……どうしました?」

 二人は同時に口を開いた。
 共に呆れた様子で、「「別に……」」と。


* * *

 ふう、と一つ息を吐き、アクサナが一度ぐんと伸びをした。やがて気だるそうに口を開く。

「さーてと、片付けしなきゃあ……」

 そして「あーあ」と欠伸をするアクサナに、サーシャが言った。

「あ、手伝いますよ」

「お、悪いねえ?」

 サーシャの申し出に、アクサナがにやりと笑って応える。
 一方、ロッシュはニコニコと笑みを湛えたまま、先刻捕らえたスパイ虫の入った小瓶を満足げに眺めていた。そんな彼に、サーシャが声を掛ける。

「ロッシュさんも、片付け手伝ってくださいよ」

「いえ、僕は店の奥ラボでこの虫たちを分解してみたいんですけどねえ」

「そんなの、後でもできるじゃないですか。お店が滅茶苦茶なままでいいんですか?」

 片付けなどそっちのけで、己の知的欲求を満たすことを最優先させる店主に、サーシャが非難の声を上げた。すると、アクサナがまた諦めたような態度で口を開いた。

「あー、無理無理。店長は一度興味持っちゃうと、他のことには一切関わらないという人だから。たとえ店が火事になっても、多分ラボに籠ったままだよ、この人」

 皮肉を言ったつもりのアクサナだったが、それを皮肉とは捉えていないロッシュがにっこりと微笑んで答えた。

「そうそう。今の僕は、この虫の構造が気になって気になって仕方がないのですよ~~」

 そう言って、彼は小瓶を片手に踵を返した。楽しそうな様子で店の奥の扉へと向かっていく。だが、その肩を背後からサーシャがぐいと引っ張った。肩越しに「ロッシュさん――」と声を掛ける。彼が振り向くと、そこには夜叉の如き表情のサーシャの顔があった。

「そういうの後でいいから、手伝いましょうか……?」

 そう言って、夜叉が微笑む。その迫力に気圧され、ロッシュは小さく「……はい」と呟くように答えた。
 それを見たアクサナが、目を丸くして口を開く。

「スゲェ……、店長が従った……」
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