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5年生 3学期 3月

標本

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彩歌あやか……さん?』

 彩歌が……!

『……え? 達也さん?』

 生きて……いた?
 生きていた!
 生きていたぞ!

『達也さん、どうしたの? なんで泣いてるの?』

 いつの間にか、涙が溢れていた。止まらない。
 というか、これが泣かずにいられるか。

「何だ? あいつ急にズタボロじゃね?」

「スゲーし! 何が起きたか分かんなかったし!」

 そりゃそうだ。みんな止まってたんだから。

「……お前、時間を戻したのか?!」

 モース・ギョネは、完全に彩歌を無視して、僕に向けて怒鳴っている。
 勘違いだ。僕には、時間を進めたり戻したりする力はない。
 たぶんだけど、アイツは〝時神クロノスの休日〟を知らないんだな?

「最近は、特に頻繁ひんぱんに時間停止や巻戻りが起きると思っていたが、お前の仕業だったのか! 一体、どんな魔道具を使っているんだ?」

 その時間操作は、魔道具じゃなくてガジェットによる物だ。ユーリや異星人が、ちょくちょく時間を止めているからな。
 ……でも折角だから、ハッタリに使わせてもらおうかな。

『大ちゃん、聞こえる? ユーリにさ……』

 ……念のため、保険を掛けておく事にした。

『……ああ。了解したぜー!』

 これでよし、と。
 さて、それじゃ口八丁くちはっちょうで参りますか。コホン……

「ふふふ! やっと気付いたか……僕の魔道具は、お前の能力の上を行く。終わりだな!」

 とか言ってみた。
 苦虫を噛み潰したような表情と、何だかよく解らない表情を同時に見せるモース・ギョネ。
 顔が2つあるけど、博己ひろき氏の方の表情が正解だろう。

「お……おのれ……!」

 アイツは僕に殴られてボロボロだ。それに、空間操作を使っての攻撃をしない所をみると、エネルギー切れなのだろう。となると、そろそろ……

「チカヅクナ! コノニンゲンガ、ドウナッテモイイノカ?!」

 モース・ギョネは、博己ひろき氏をベリベリと引き剥がし、盾にした。
 ほらやった! 思った通りだ。何が〝共生〟だ。笑わせるな。

「いやああ! お父さん!」

 モース・ギョネに頭と腰をつかまれ、手足を力なくブラブラさせる博己ひろき氏を見て、悲鳴のような声を上げる紗和さわさん。

『大ちゃん、今だ!』

 僕の合図と共に、時間の流れが止まった。
 モース・ギョネは異変に気づいて後ずさる。

「好きにしていいぞ。僕は、お前以外を巻き戻せるんだ」

 もちろん、僕の力じゃない。ユーリに時間を止めてもらったのだ。
 こうすれば、僕とモース・ギョネ以外は、怪我をしようが首をようが、元通りに戻る。

「マ、マテ! ヤメロ! ヤメテクレ!」

「イヤだね。お前は許さない」

 コイツは、久々にあの技でケリをつけてやる。

「食らえ! アース・インパクト!!」

 次の瞬間、モース・ギョネの頭部は、粉々に吹き飛んだ。

「ただのパンチなんだけどね」

 頭部を無くしたモース・ギョネは、博己ひろき氏を手放してグニャグニャと床を這い回り、ひっくり返ってしばらく痙攣けいれんした後、動かなくなった。

『大ちゃん、ユーリ、ありがとう』

 僕は、止まっていた時間の流れを定期時券パスの力で正常に戻してから、大ちゃんとユーリにお礼を言った。

『やー! どういたしまして!』

『っていうか、たっちゃんさー? さっきも気になったんだけど、ガジェットの〝時間停止〟を自分で解除してないか?』

 さすが大ちゃん。気付いたか。

『詳しくは後で話すよ』

 それより先に、ギョッとしているみんなに、説明しなきゃ。

『あー、了解! こっちも色々と準備があるから、また後でなー!』

 通信が切れた。はて? 何の準備だろう。
 ……まあいいか。

「お父さん! しっかりして!」

 博己ひろき氏に駆け寄り、揺さぶっている紗和さん。僕は〝治癒連鎖ちゆれんさ〟の呪文を……唱える前に、織田さんが〝畜魔石ちくませき〟を使ったようだ。みるみる顔色が良くなっていく。

「良かった! 生きていた!」

 満面の笑みを浮かべる織田さん。
 あんた本当にいい人だな。畜魔石には、後で忘れずに補充しておいてあげよう。

「お父さん、大丈夫? お父さん!」

「…………紗和? わ、私は?」

 大丈夫。さっきまでとは全然違う、これが正常な博己ひろき氏だ。

「そうだ。私はモース・ギョネと共に……ああ! 何て事を!」

 記憶が残っているのか?
 辛いかもしれないけど、何があったのか詳しい話を聞かなければならないな。

『タツヤ、その前に、あの奥の部屋に……』

『おっと、そうだった。まだ悪魔が居たか!』 





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 5年前、西門が破られて、中央ブロックに悪魔がなだれ込んで来た日、博己ひろき氏は5名の部下と共に、この地下室に居た。

「偶然だったんです。この下の物置まで逃げた時に、悪魔が放った魔法で床が崩れて……あ、気をつけて下さい! その奥の部屋に3匹居ます。それで最後です」

 偶然、〝更に下層へと通じる通路〟を見つけた博己ひろき氏は、命からがら逃げ込んだその先に、ヤツを見つけた。

「直感でした……コイツは間違いなく、モース・ギョネだ、と」

 理由はわからない。
 もしかしたらそれこそ、モース・ギョネの罠だったのかもしれない。
 背後からは悪魔。仲間は既に皆殺しにされ、自分の魔力もゼロ。

「私は、あの言葉を叫びました。このままでは、どちらにせよ命はない。それならば……と」

 博己ひろき氏は、イチかバチか叫んだ。〝モース・ギョネを得たり〟と。

「そこからは、アイツの言いなりでした。言い訳をするつもりはありません。私の心のどこかに、付け込まれる弱い部分が有ったのでしょう」

「お父さん……」

 ここに攻め込んだ悪魔を、圧倒的な力で捻じ伏せ、支配したモース・ギョネは、博己ひろき氏を操って、自分の目的を遂げようとしていた。

「その目的というのが、この〝標本〟です」

 博己ひろき氏がモース・ギョネを発見した場所の奥。
 天井が低い、やけに奥行きのある空間があり、ピクリとも動かない、老若男女、様々な人間が収められた透明の容器がズラリと並べられていた。
 ……恐ろしいほどの数だ。

「おい、何だこりゃあ?」

「怖いし! これ、生きてるの?」

 僕には分かる。この人たちの時間は、き止められているだけだ。

「〝1000人集めれば、真の力を手に入れる事が出来る〟……アイツはそう言っていました。ここにはもう、737人もの人が居ます。ほとんどが今までに、モース・ギョネの居ない場所で、あの言葉を言った人たちです」

 はるか昔、この砦ができる、もっとずっと前。
 邪悪な魔道士モース・ギョネは、魔法ではなく、自分の体を変化させて、直接、時間と空間を操る術を編み出した。
 しかし、特定の言葉を喋っただけで、ここに強制的に連れてこられるなんて、そんな大掛かりな仕掛けを、どうやって作ったんだ?

「嘘か真か……〝魔界の軸石〟を使ったのだそうです。」

「魔界の軸石?! 伝説のオンパレードですね……本当に存在するなんて信じられません」

 織田さん、そんな大層なものじゃないよ。
 今じゃ変顔へんがおが得意なウサギさんだから。

「軸石を所持していた〝その時代の王〟に多くの貢ぎ物をして、モース・ギョネは軸石を借り、罠とエサを用意します」

 知っての通り、その罠とは〝モース・ギョネを得たり〟と唱えた人間を、自分の研究室に用意した標本箱に捕らえる事。

「効果は魔界全土……軸石でなければ、不可能でしょう」

『ルナ、知っていたの?』

『まっさかー! 僕の記憶は、100年ぐらい前からで、それより昔の事は、全然わかんないよ』

 自分の目の前に現れた者が〝モース・ギョネを得たり〟と唱えれば、時間と空間を支配する力を与える……それがエサ。食いつけば、確かに時間と空間を自由に操れるようになるが、その者自身は、モース・ギョネに自由に操られる人形となる。

「そしてアイツは眠りについた。伝説は独り歩きして標本箱を埋めていく。もし自分を見つけた者が居れば、その者の寿命を使って、さらに標本箱を埋める」

 自分は老いる事なく、やがて1000人の〝犠牲者〟が揃えば、アイツは真の力を手に入れるという寸法だ。気の長い話だが。

「私と一体になったモース・ギョネは、悪魔に指示を出しました。〝魔力の大きい魔道士を集めろ〟と。残った標本箱を、出来る限り有能な魔道士で満たそうと考えたのでしょう」

 西門で倒した5体の悪魔は、侵入者を襲い、強い者だけをモース・ギョネに引き渡していた。

紗和さわも、アイツのお眼鏡に適ったのです。だから、多数の悪魔を使って、迎えに行かせた」

 紗和さわさんは危うく、この標本箱に入れられる所だったんだ。
 ……あれ? でも確か、アイツ紗和さわさんや僕たちを〝食う〟って言っていたような……?

「標本箱はアイツの胃袋です。入れられた人間は、1000人揃った時点で消化されるところでした」

 だから〝食う〟なのか。

「魔力の低い者や死んだ人間を……あと、空腹時には、直接、自分の口で食べていました。今思えば、おぞましい事この上ないです」

 そっちの〝食う〟も有り得たのか?! 嫌すぎる。

「うぇえ……俺、あの気持ち悪い口で食われる所だったのか!」

「そんな死に方、絶対ヤだし! ふざけるなし!」

 ……お前ら、ちゃんと〝魔力の低い者〟って自覚しているな。

「皆さん、すみませんでした。なんとお詫びしたらいいか……」

「鈴木さん、あなたは悪くない。そんなに自分を責めてはいけない」

「エーコさん、ありがとう……」

 涙ぐむ紗和さわさん。

「しかし、私がアイツを見つけなければ、こんな事には……」

「いいえ。むしろこの場所を見つけて下さったから、1000人の標本が完成する前に、モース・ギョネを倒せたんですよ」

 織田さんの言う通りだ。消化されてからでは遅かったからな。

「しかし、私は取り返しの付かない事を……何人もの、罪もない人たちを標本に追加してしまいました」

「いえ、1000人集まって、消化されてしまう前だから良かったんです」

 僕の言葉に、首を傾げる博己ひろき氏。
 ……よし。それじゃ、この〝胃袋〟をさばいて、中の人を助けなきゃな!
 僕は、定期時券パスの力で、き止められた737人の時間を、正常に戻した。

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