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第一章 氷の魔女

1-15 魔法談義と敵地突入

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 いよいよイーチ辺境国の首都であるセントイーチまであと二十キロメードという地点まで進軍してきたセルアンデ王国軍。

 『無人の野を行くが如し』という言葉があるが、それは実際に敵がいるにも関わらず余りにも強い武人が敵の中を進んでいく様を評して『まるで誰もいない場所を進んでいるようだ』という表現をしているのであり、現在のセルアンデ王国軍にしてみると本当に誰も居ない街道をただ進んできただけである。

 兵たちの感じる不気味さは度を増していき、彼らの間で囁かれる噂も様々に派生している。

 曰く、既にイーチの民は丸ごと魔女の眷属にされてしまっている。
 曰く、イーチの民は魔女の生贄となりセントイーチには魔物しかいない。
 曰く、これは自分たちを魔女のテリトリーに誘い込む罠である。

 などなど枚挙に暇がない。

 実際には魔女についてわかっていることは余りにも少なく、どうやら頻繁に出没するようになった魔物は魔女の仕業らしい、ということぐらいで他については全て噂の域を出ない。
 そういった意味では魔女についての知識を有するミュウが所属する傭兵部隊は他の軍よりも一歩予備知識という点で抜きん出ているが、それを広く知らしめようものならまたもや魔女に対しての先鋒にされてしまいかねないのでマレーダーも黙っている。



「気温が下がってきました。ダイアの魔力の影響なのか、それとも北に進んできたからなのか、まだ何とも言えませんね」

 無人の街で夜営することとなり、例によって外壁の上で見張りに立っているアイルの横に座って足をプラプラさせながらミュウが独り言を呟く。

「魔女ダイアの魔力とはそれほどですか」

 この間の見張りの時と違うのは、一緒にマレーダーがいることだ。

「まあ、仮にも魔女ですからね。どれだけの魔力を持っているのかはちょっと想像がつきません。それよりもマレーダーさん、今宵わざわざ来ていただいたのはその魔女と対峙した時のための確認です」

 今夜の見張りにマレーダーを呼んだのは他ならぬミュウだった。
 マレーダーに用があるなら二人で話せばよさそうなものだが、魔女との対峙という点で実際にその場にはアイルがいる可能性が高い。ならばアイルにも聞かせたほうがいいだろうというミュウの判断だ。

「マレーダーさんはこの前、炎の魔法を使用していましたがそれ以外の属性は扱えるのですか?」

 ミュウはマレーダーの魔法について確認しておきたかったらしい。

「ええ、まあ一番得意なのは炎系ですが、他に土系と風系も使うことは出来ます」

 大別すると魔法の系統は、地水火風の四系統に分類される。
 さらにそれを細かく分類する学派もあるが、一番大きな分類が四系統である。

「やはり弱点属性は使えませんよね。それでダイアはその名の通り氷系の魔法を得意としているのですが、私の主属性は風です。相性が悪いとまでは言えませんが、氷に対して風をぶつけても氷がますます固くなるばかりで、効果は薄いのです」

 マレーダーも頷く。

「ええ、それは私の炎もそうでしょう。私の魔力、或いは産み出す炎の温度が魔女の氷を上回っていれば溶かすことも出来るでしょうが、その可能性に賭けるのは危険ですね」

 火系の魔法は水系の魔法に弱い、というのは魔法学における通説である。

 マレーダーの言うように、魔力差によっては敵が放った水を意に介さず蒸発させるような炎というのもありうるが、通常は火は水に弱いものである。

「水・氷に対しては土系がもっとも効果的ですよね。特に今回の相手は氷なので、岩塊をぶつけて氷を砕くといった戦術がもっとも効果的でしょうし、ダイアの攻撃を防ぐにも岩壁を作って防ぐのが一番いいと思います」

 四つの属性はそれぞれが火→風→土→水→火といったように相性のよい、優位に立てる属性を持っていて、それが今回は土が必要とされているというわけである。

「しかし、多少の岩塊をぶつけた所で効果があるでしょうかね」

「そこで、マレーダーさんには岩塊を産み出していただいて、それを私の風で飛ばすという戦術を基本にしたいのです」

「な……」

 マレーダーは絶句した。
 
 ミュウは事もなげに言い放ったが、これは王国魔道士達にとって革命的な発想だった。
 言われてみれば本当に何でもない事なのだが、魔法を使える者の絶対数が少なく、各部隊に魔術師が一人か二人配置されればよいという今の編成のあり方では二人が属性の異なる魔法を使って合わせて攻撃するという発想が浮かばなかった。

 これが広まれば、魔法を使用した戦術が一気に広がりを見せる。

「ああ、例えばですけど敵の足元を水魔法で水浸しにしておけば……」

「……! 雷撃の魔法で!」

「さすがはマレーダーさんです。頭がいい人は好きですよ」

 ミュウが何を言わんとしたのかを察知して、水魔法と、風魔法の一部である雷撃の魔法との合わせ技を想像して震えるマレーダー。

「なんと、そんなことが、いや確かに、考えてみれば我々が起こしているのは自然現象のような物……自然の摂理で起こることを組み込んでいく、なるほど」

 マレーダーの思考はどこまでも深く沈んでいきそうであった。

「まあ、それはともかくマレーダーさんの魔力を持たせるためにも土魔法自体はそれほど強力な物は使用せずに私の風で効果を最大限に上げるという戦術で行きます。ダイアが使用してくる低温攻撃に対してはあらかじめ低温対策を施したローブを全員に着てもらえばある程度は防げるでしょう。いざ攻撃となったら用意します」

 マレーダーはこの行軍にミュウが同道していることに心から感謝した。


 一方のアイルだが、専門外の話すぎてほぼ内容を聞いていなかった。

 眼の前に氷の壁なり塊なりが現れたら、剣で砕けばいい、そう思っている。

「アイルさんは……ええ、それでよいです」

 ミュウも思わずそう呟いてしまった。


 マレーダーが去っていった後は、この前と同じように二人きりとなる。


 しばらく無言で夜空を見つめていたミュウだったが、唐突にアイルの顔を覗き込む。目を閉じているミュウに覗き込まれる、というのも妙な表現だがミュウは目を閉じていても強い視線を送ってくることがあるのは事実だ。

「アイルさんは魔女を倒して言葉を取り戻したら、どうしたいですか?」

 行動も唐突だったが質問も唐突だ。

 実際アイルはエレノアとの約束を守るためにミュウの魔女を倒しに行こうという提案に乗ったのであり、自らの言葉を取り戻すということにはあまり関心はなかった。

「私は眼を取り戻したら、この世界を見たいのです。魔女に瞳を譲り渡すまで私は自分の村から一歩も出たことがなくて、こうして世界を旅するようになった時には既に目は見えなくて。あの街はどんな建物が並んでいるんだろう、あの花は何色なのだろう、アイルさんはどんな顔をしているんだろう、と考えると今からワクワクするのです」

 魔法で周囲を感知することは出来ても、映像化されない世界。

 それはどんな世界なのだろう。
 思わずアイルは眼を閉じてみる。
 真っ暗な世界。
 それでも眼を閉じるまでに見た様々な映像が記憶にある限り、サミュエルの顔を思い浮かべることも出来るし、街の様子だって想像できる。
 だが、最初からそれを知らなければ想像することだって出来ないのだ。

 思わず寒気を覚えて眼を開く。
 そこには変わらずニコニコとアイルの顔を除くミュウの顔があった。

「ありがとうございます。アイルさんは優しいのですね」

 自分が優しい、などと思ったことは一度もない。

 そもそも感情に乏しい種族であるし、余りにも長い寿命を生きるには感情などはないほうがいいとさえ思える。
 ヘレンとの契約で人間となってから、少しずつ感情というものを学び、今ではだいぶ人間らしい感情を持つに至ったがそれでも周囲の人間に比べればまだまだ希薄であると自覚している。

「他人の立場に立って物を考えることの出来る人は優しいのです。いまアイルさんは眼が見えないというのはどういうことだろうと想像してくれました。そうしてみようとしてくれるだけで充分に優しいのです」

 ミュウはようやく元の位置に座り直してまた足をプラプラさせ始め、

「私なんかとは違います」

 そう、ポツリとこぼした。

 アイルはただ黙って見張りを続けていた。



 夜が明けて、いよいよ王国軍はセントイーチに向けて最後の進軍を開始する。

 今日中にはセントイーチに到着するとあって、様々な憶測で弱気になっていた兵達の顔も心なしか元気そうに見える。

「変な噂ごと敵を葬り去ればよいのだ」

 という、カール中将にしては珍しく的を射た発言があり、兵達もその通りだと気合を入れ直したのだ。


 今までと同じくまったく抵抗に合わないままセントイーチの城壁が見える位置まで軍が進んできたところで一旦停止。

 城壁の前に軍が展開している様子もなく、斥候の報告では城内にも慌ただしい動きも見えないという。

「では当初の予定通り、正面からは主力が城門を攻め、左右五百ずつの部隊でそれぞれの門を攻めよ。誰が一番乗りで我軍の旗を上げるか競争だ」

 誰がどう考えても倍の数を擁する主力軍が一番乗りになるのは明白だったが、敵の抵抗次第では両翼にもチャンスはある。

 ダナンからの遠征軍を除いて、兵達も士気を上げていく。
 
 何故ダナン軍の士気が上がらないのかと言えば、左右五百などと言いつつ、実際にダナン軍が配置された左翼はダナン軍のみであり、その数は三百に満たない。
 残りのセルアンデ正規兵は主力が千人、右翼に五百人となっていて、実際アンバランスな配置なのだがカール中将が何も言わない以上は苦言を呈することも出来ない。

「まったくやってらんねえな」

 落ち込むプランター少将を遠目に見ながらサミュエルもぼやく。

「ここまで無抵抗だったことを考えると、街の中に罠が仕掛けてある可能性もあります。むしろ彼らに勢いよく飛び込んでもらったほうがいいかも知れません」

 あくまで冷静なマレーダーが眼鏡を直しながら呟く。

「おいおい、それはそれでひでえ考え方だな」

 サミュエルはマレーダーを批難するが、顔は笑っている。
 いっそ盛大に罠に嵌ってしまえと思っている顔だ。

「全軍、前へ!」

 進軍を知らせる合図が鳴り響き、セルアンデ王国軍千八百は徐々に三方に別れつつ前進してゆく。

 これに対して、セントイーチには全く反応が見られない。

 不気味ではあるが、この不安を払拭するにはカール中将の言う通り一刻も早くセントイーチを制圧して『なにもなかった。我らの勝利だ』と確認する以外にないと誰もが恐怖を押し殺している。

 やがて主力が正門に取り付く。
 城門は固く閉じられていて、門を破壊するための工作部隊が前に出る。
 
 通常ならば城壁の上から攻城部隊を阻害するために弓矢で攻撃されたりするはずなのだが、それも一切無かった。

 籠城戦の要は城壁と城門である。
 
 ここを突破されるかどうかで勝敗は決すると言ってもいい。

 硬い城壁と城門によって敵を食い止めながら有利な高所からの攻撃によって防御側の少なさを補うのが当然の戦法である。

 やがて左右の部隊もそれぞれの標的である門に取り付くが、こちらでも一切の抵抗が無かった。

「やはり妙です。城門は破壊しておくとしても、突入するのは様子を見たほうがいいかも知れませんね」

 マレーダーはプランター少将に進言して、攻撃自体を適当にしておきつつ、城門の破壊に成功しても決して突入しないようにと念を押しておいた。
 同時に本隊にも同じ内容の伝令を送る。



 正門方面で喚声が上がった。城門の破壊に成功したのだろう。

「門内から攻撃が来る気配はありません! 恐らく敵は中央にある城に籠もっていると思われます!」

 斥候の報告を聞いたカール中将はニヤリと笑って、今日も綺麗にセットされた髪を一撫でした。

「ふん、所詮は田舎に左遷された青二才よ。この程度の状況でビビりおって。全軍に伝えよ! 一番乗りは我ら主力部隊がいただくのだ!」

 マレーダーからの忠告も受け取ってはいたが、斥候部隊が罠や待ち伏せもないと報告してくるに至っては躊躇している場合ではない。
 モタモタしていて、右翼の部隊に遅れをとって笑い者になるのは避けたかった。

 実際カール中将も馬鹿ではない。

 斥候に念入りに調べさせただけ、慎重な一面も持ち合わせていたのだ。
 だから、この後に起こることで彼の無能を責めるべきではないとマレーダーは述懐している。

 主力部隊がセントイーチに突入したのとほぼ同時に、右翼の部隊も城門の破壊に成功し、同じようになだれ込んできた。
 こうなればどちらが中心にある敵城に旗を立てるか、の勝負である。
 残念ながらまだ破壊されていない左翼側の門をチラリと見てカールは鼻で笑った。

「ふん、突入を見合わせるどころか門さえ破壊できていないではないか」


 街の中も無人であった。
 民家も商店も、兵達が念入りに調べても誰も見つからなかった。

 だがその様子を見るに、恐らく何日か前までは普通に生活を営んでいた形跡が見られたため、やはりセルアンデ軍の接近を察知してから慌てて住民も含めて城に籠もったという判断に至った。

 そうなると城に至ってからの敵の抵抗が激しいと予想されるために、右翼の軍と連携を取りながらジワジワと進んでいった。もちろん、抜け駆けを防止するという側面もあったが。

「ふん、あれがイーチ城か」

 街の中央にあるいかつい城。

 その周囲には水をたたえた堀が張り巡らされていて、そこを渡るための跳ね橋は既に上げられている。
 これはますますもって、敵は城内に籠もっていると考えるのが正しい。

「籠城というものは、どこからか救援が来る望みがあってこそ意味があるのだ。このまま包囲を続けているだけでも餓死するであろうに」

 カール中将は、イーチ辺境国の無能さに溜息を吐いてしまった。

 こんな程度の戦力で、セルアンデ王国に攻め入ったのかと。
 こんな程度の知略しかないのに、勝てると思っていたのかと。

 まさか魔物の軍勢さえいれば、勝利は間違いないとでも思っていたのであろうか。

「これでは半数を王都に返しても良さそうだな」

 下手に攻城に躍起になって兵を減らすよりは、半数でこのまま街を占拠しつつ敵を城に閉じ込めて飢え死にさせるほうがよいかと考え始めた。

 ここに至ってのカール中将の考えも全くもって正しい。

 兵法としても間違いではないし、ここで功を焦って城を無理攻めすることもなく半数で持久戦に持ち込もうというのも別段おかしな戦法ではなく、むしろ冷静な判断と言える。

 彼が間違っていたとすれば、それは相手が魔女であるという点を考慮に入れなかったことと、田舎者と蔑んでダナンの傭兵部隊を冷遇したこと。ただこの二点に尽きる。

「ん……?」

 その、たったそれだけの間違いの報いが静かにやってきた。
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