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第二章 火と土の魔女

2-7 謁見と旅のお供

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 アイルとミュウは王都への道のりをゆっくりと一週間ほどかけて移動した。

 彼らにしてみれば別段急ぐ理由などなかったからである。

 途中アイルが見たものを、アイルを通して読み取っているミュウ。

 心を読むということが、果たして視覚の映像化になっているのかどうかは分からないがアイルが見た風景を感じることは出来ているようである。

「そうですねえ。アイルさんぐらいになると、最早心を読むとかじゃなくて勝手に流れ込んでくる感じですね。私もここまで無防備な人を見たことがありません」

 褒められているのか、貶されているのかよくわからないが、細かいことは気にしないのがアイルである。

「そういうところがいいんですよ。アイルさんは邪悪なことや姑息なことは考えないし、何かを隠そうとか、騙そうとかそういうつもりもない。自分を人に良く見せようとか、ライバルを蹴落とそうとかいう欲もない。私にとっては、涼やかで心地良い風が心を撫でていく感じがして、とてもよいのです」

 そう言われると、一応は褒められているのだろうかと思う。

「そういえばリンジーさんが私にとってのアイルさんのことを想い人なんて言ってましたけど、とりあえずはそんなつもりはないですからね?」

 わざわざそんな事を言うミュウを見て、分かっているとばかりに頭をポンポンと叩く。

「それ、それです。おでこを突付いたりポンポン叩いたり、時には拳骨とか。確かに身長差でちょうどいい位置に私の頭があるのはわかりますけど、気安く叩かないでください。馬鹿になってしまいます」

 そんな抗議をするミュウを見ていると、アイルも心なしか笑顔になる。

 こんな平穏で何もない日々を、ミュウと一緒に旅してみてもいいかも知れない、そんなことを思った。

「良いですね。私の眼が見えるようになったら世界中を見て回りましょう。もしかしたら私は心を読む力を失うかも知れませんし、アイルさんは、その、元の姿に戻ることになるのかも知れませんが、その頃にはアイルさんも話せるようになってるわけですし、まあ見た目はローブでも被ってればなんとかなります」

 魔女との契約を無かったことにするとはそういうことかと改めて気付く。

 元の姿に戻ってしまうならば、なおさら人間の社会にはいられない。

 人目を避けるようにミュウの『世界を見て回る旅』にくっついていくほうが、平和に暮らせるのかも知れない。
 それは同時に、元の寿命に戻るということも意味していて、人間としての寿命で死ねるどころではないということでもあった。

「まあ、それはその時考えましょう。大丈夫です、アイルさんを見捨てて一人で旅に出るなんてことはいたしませんので」

 二人仲良く並んで座っている御者台の上で足をプラプラさせながら楽しそうに笑うミュウ。アイルもその提案に従い、先のことは後で考えることにした。



 王都に着いてからはマレーダーの用意してくれた書状のおかげで、特に問題なく城まで案内され、今日は謁見の間に通された。

 やはり心なしか王都の兵たちの表情は暗く、戦に勝ったとはいえ被害の大きさに皆ショックを受けているのは間違いなかった。


「王の剣アイルと、その従者ミュウ、ここに」

 ガイゼーの宣言に、アイルの横で一緒に跪いていたミュウがプッと吹き出した。

「いつの間に従者に……」

 王の前でミュウが自称しているだけの『女神(信者一名)』呼ばわりするわけにもいかないし、じゃあなんと紹介すればいいのか迷った末の従者なのだろう。

「うむ、顔を上げよ」

 その言葉に二人が顔を上げれば、やや豪奢すぎる金色の装飾に彩られた真っ赤な玉座に、まだ若いニコル王が座っていた。
 アイルの記憶が確かならば、まだ二十五歳を過ぎた辺りだろうか。

「先の戦いは見事な活躍で魔女の一人を葬ったそうだな。生憎我が正規兵たちは魔女の奸計によって壊滅状態に追い込まれたそうだが」

 ニコル王の声はやや甲高く、顔立ちは端正なのにどこか何かに苛立っているような神経質な一面が窺えた。

「兵達の中には、ダナン兵はわざと進撃を遅らせて魔女の手の内を見るために正規兵達を囮に使ったという見方もあるが、この際それは置いておこう」

 宰相ガイゼーが、王の言葉を引き継いだ。

 置いておくなら言わなくてもよさそうなものだが、恐らくこれはこの後にアイル達に押し付ける命令に否と言わせないための揺さぶりなのかも知れない。

「このたび両名を呼び出したのは、先の戦勝を労う意味と同時に、次の王の剣の使命について言い渡すためだ」

 早速本題に入るガイゼー。
 
 ガイゼーの配下らしき男性が前に出る。

「先日来、南の山岳地帯を治める一族との連絡が途絶えました。取引品の定期便が来なくなった事から調査団を送ったところ、その調査団が途中の山道で魔物に襲われ、数名が逃げ帰ってきたことから既に山岳地帯は魔物の巣窟になっているという結論に至りました。山岳民族の安否は一切が不明です」

 セルアンデ王国の南方は肥沃な農耕地帯が広がっていて、王国の食を支えている。

 その更に南方にそれほど標高は高くない良質な鉱山が連なっている地帯があり、その一帯を山岳民族が支配していた。
 山岳民族の初代の王は英雄王と共に大陸統一の戦いに身を投じていた人物で、鍛冶が趣味だったことから南方の鉱山一帯を王に任されて以来、そこで産出した金属と食糧などを取引することで王国との良好な関係を維持していた。

 万が一この一帯が魔女の手に堕ちたとなれば、セルアンデ王国の鉱物資源の入手量が激減することとなり、今はともかく王国の将来を考えると放置していい問題ではない。

 ミュウはセルアンデ王国がどうなろうが知ったことではないのだが、魔女が絡んでいるとなれば話は別である。

「南方の山岳地帯、ですか。ということは土の魔女の仕業である確率が高いかも知れませんね」

 つい、そんなことを言ってしまった。

「ほう? そなた随分と魔女について詳しいようだな。イーチ戦の時も対魔女について活躍したと報告を受けている。出来れば、何故我々が噂程度しか知らないような魔女について知っているのかを教えてもらえるかな」

 ガイゼーにしてみれば、報告を受けた時からミュウの存在は『クサい』と感じていた。宰相としてエレノアの治世の時代から、国の政治を取り仕切ってきた人物である。
 

「秘密ですね」

 ガイゼーの眉がピクっと吊り上がる。

 だが、ガイゼーが何かを言う前に口を開いた人物がいた。

「ほう、余の前で秘密だと! いますぐこの場で魔女の仲間として処刑してもいいのだぞ!」

 ニコル王が苛ついた顔で叫んだ。

「どうぞご自由に。私はこの国の民ではありません。別の場所から旅をしてきてアイルさんと偶然出会い、魔女を討つという共通の目的を見出したので行動を共にしているだけです。そこのジジイが勝手に従者などと紹介していましたけど、私はアイルさんの従者ではなくパートナーです。自称でよろしければ、私は風の女神です。なんなら魔女ダイアを討った時に使った魔法でもお見せしましょうか? 恐らくこの部屋どころか、城にいらっしゃる方は一人も残らず死んでしまうと思いますが」

 正に、歌であった。

 よく通る声、涼やかなトーン、清涼な風が吹くようなリズム、聞く者の心に直接響くような言魂。

 だが、その内容は実に辛辣であった。

「な……な……」

 ニコル王の顔は真っ青だった。

 もちろん恐怖からではない。
 ミュウの使う魔法というものがどの程度のものか、知っているのはこの場においてアイルだけなのだから。

 王は怒りで真っ青になっていた。

 即位以来、いや、生まれてこの方、これほどの侮辱を受けたことはなかった。
 例え自国の民ではなくとも、客人として隣国から城を訪れた者はみな一様に自分に跪いて礼を失することなど無かった。

 だがこの小娘はどうだ。

 何故だか知らないが眼を閉じたまま、ニヤついた顔で、いまこの場にいる全員を殺してみせると言ったのだ。

 正に、万死に値する。いますぐこの場で首を刎ねても飽き足らない。
 王都の民の前で、魔女の一人として火刑にでも処さねば収まらなかった。

「へえ、私を火刑に? 出来ますかね? 王国兵が千人いても私を止めることなど出来ませんよ? ましてやいまここにいる飾りだけの衛兵さんだけでは無理無理無理です。試しにそこのジジイの首を手を使わずに刎ね……あいたあ!!」

 ゴツン!と鈍い音が謁見の間に響き渡り、歌は途中で中断を余儀なくされた。

 アイルがいつもよりもやや力を込めた拳骨をミュウの頭に落としたのである。

 そのままニコル王とガイゼーに敬礼すると、そのまま猫の首を持つようにミュウの首根っこをつまんで持ち上げたまま謁見の間からスタスタと出ていった。


「…………」

 誰もが呆気にとられて、それをただ黙って見ていた。

「な、何をしている! あいつらを捕縛して……!」

 ようやく我に返ったニコル王が喚き立てる。

「我が王、僭越ながらあの両名の件、私にお任せ願えないでしょうか」

 そのニコル王の眼前に、素早く跪いた人物がいた。

「エリックか。何か策でもあるのか」

「はい、我が王よ。南方に魔女の脅威がある可能性が高いのは事実。また先程あの娘は土の魔女の仕業に違いないと言っておりました。ならば、まずはあの両名にその魔女を討たせるのが先決。私が同行して、魔女討伐の後に二人を捕縛する、というのはいかがでしょうか?」

 エリックと呼ばれた若者の提案に、しばし思案顔になるニコル王。
 宰相ガイゼーは苦い顔で黙っていた。

「ふむ、利用するだけ利用してから処刑するというわけか。気に入った!その件はそちに任せるぞ」

「ありがとうございます。では早速に」

 そう、礼を言って立ち上がった若者は、ニコル王と同じ金色の髪を首の辺りまで伸ばし、青い切れ長の眼をした美男子だった。
 身長もアイルほどではないがスラッと高く、王都の貴婦人達が放っておかないのではないかと思えるほどの立ち姿だ。

 何よりもその表情がいい。

 顔立ちは同じようなものなのに、常に苛立ちを前面に押し出しているニコル王とは違い、常に微笑をたたえ、周囲の者に優しさと労りを振りまくような、そんな表情なのである。
 もしかしたら女性でなくとも、彼に見つめられたら恋に堕ちてしまうのではないかと疑ってしまうほどだ。

 いま王の前に出てくる所から立ち上がるまでの一連の所作も、一歩間違えればただ気障なだけに感じそうだが、不思議とこの青年が演じると周囲の衛兵たちでさえほうっと溜息を吐いてしまう魅力があった。


「よろしいのですか?」

 エリックが謁見の間を辞した後、ガイゼーはニコル王にお伺いを立てる。

「よい、あの無能な穀潰しが何かの役に立つのかも知れんのだ。それに、万が一役に立たなければ、それを理由にあの二人と一緒に処刑してしまえばよかろう」

 そう言い放つニコル王の顔には、底意地の悪そうな笑みが浮かんでいる。

「かしこまりました。して、我が軍からもいくばくかの兵を同行させようと思うのですがご認可をいただけますでしょうか?」

「は? お前は何を言っておるのだ。先の戦いで、軍が壊滅的な打撃を受けたと報告してきたのはお前ではないか。ましてや、あの女は魔女の手先かも知れんのだぞ。そうだ、わかったぞ! 先の戦いでまんまと我が軍を罠に陥れ、壊滅させたのもあの女に違いない。その後で、氷の魔女と何かの理由で、恐らくは領土の取り分などについて口論となって殺害したのだ。そんな危険な女にこれ以上我が軍の兵力を割く理由はない!」

「さすがは陛下、その通りでございます!」

 すかさず、周囲の太鼓持ち達から王への賛辞の声があがる。

 ガイゼーは深く頭を下げ、これ以上ここにいるのは耐えられないといった様子で、自身の執務室へと戻った。

「何故、神はエリック様を兄としてこの世に送り出して下さらなんだか」

 執務用の椅子に、脱力するように座ったガイゼーは独り言を吐く。

 王の馬鹿さ加減も大概だが、それに追従する側近どもがいけない。

 もし王の言う通り領土の取り分で魔女とミュウが揉めたのなら、何故魔女に勝利したミュウはその手に入れたイーチという領土をそっくりそのまま放棄して帰ってきたのか。
 それほどまでにおかしいならば、あの切れ者のマレーダーやサミュエルがいつまでも騙されるわけもないし、グルならば報告書に偽りを書いてよこすはずだ。

 そんな簡単なこともわからない者が、いまや政治の中枢を握ってしまっている。

 ガイゼーを中心とする旧エレノア派も日に日に人数が減っていき、恐らくはガイゼーがいなくなれば崩壊するであろう。


「書記官、至急この手紙をダナンのロンダール中将宛に送れ。内密にな」

 ガイゼーは急いで手紙を書くと、側近の書記官に渡した。

「エレノア様。この国はもう……」

 自身の年齢と日々暗愚さを増していくニコル王の姿を思い、三百年続いたセルアンデ王国の終焉を予感するガイゼーは、孤独な憂鬱を抱えながら、ただ天のエレノアに届けと想いを空に放つばかりであった。


──────────────────


 ミュウをぶら下げたまま王城を早足で出たアイルは、そのまま王都の門へと向かう。
 出ていくまでは呆然としていてくれたが、我に返れば追っ手がかかるはずだ。

 それまでに出来れば城門を出て、さっさとダナンに向かいたい所だ。


 だが、門に着いた所で兵達に止められてしまった。

「切り抜けますか? なんならこの兵隊さん達を私が一網打尽に……あいたあ!」

 またゴツンという音が響く。

「もうダメです。私は馬鹿になってしまいます。もうアイルさんの参謀として大活躍できません。今までありがとうございました」

 ブツブツとぶら下がったまま呟いているミュウを無視して、アイルは兵の間から出てきた美男子をじっと見ていた。

「やあ、さっきは大変だったね。僕はエル。王都の親衛隊をまとめる立場にいるんだ。ああ、君たちへの追手はかかってないから安心していい。いま兵達も退かせるから」

 エルと名乗った美男子が合図をすると、たちまち兵達は散っていき、いつもの門兵だけが定位置に立っていた。

「その人は嘘はついてないみたいです。追手は本当に来ないみたいですね」

 死んだようにぶら下がるミュウが解説した。

「凄い! 僕の考えていることがわかるのかい? 本当に風の女神様なのかも知れないね!」

 エルは目を輝かせて感動している。

 その表情はまるで子供のようだった。

「それで、追っ手ではないとしたら何のご用でしょうか。さっきは大変だったということは謁見の間にもいらっしゃったのでしょうか。あと、そろそろ降ろしてください」

 アイルは今更気がついたように、ミュウを地面にヒョイと下ろす。

 が、ミュウはそのままアイルの身体をよじ登って、指定席となった左肩の上に座る。

「あはは、面白い! 面白いよ! ええっと、君たちが疑われているっていうのは残念ながら変わらないんだ。だから親衛隊長の僕が君たちの監視役として同行することになった。申し訳ないけど、それは我慢して受け入れて欲しい」

 ミュウはしばらくじっとエルを見つめていたあと、少し考えてから答えた。

「いいですよ。ある意味では王国に対しての人質にもなりますね。少しでも変な事を考えたり妙な動きをしたらすぐに殺します。私、アイルさん以外の人間はどうでもいいので」

 その言葉に目を丸くするエル。

「愛されてるねえ! アイルさんて、親衛隊の間で伝説として語り継がれてるあのアイルさんだよね? お……エレノア様の暗殺を未然に防いだとか全く年を取らないとか色々と噂だけは聞いていたんだ。ずっと会いたかったけど、本当に年を取らないんだね!」

 当のアイルは、よく喋る男だな、と思っただけであった。

「ミュウさん、でいいんだよね? 僕はいま二十歳なんだけどミュウさんは何歳なのかな? 目をずっと閉じているのはなんで? どうしてアイルさんのことはそんなに信用しているの?」

「あと三秒で黙らないとこの場で首を刎ねます」

「ごめん」

 ようやく静かになったので、アイルは再び車上の人となり、ミュウとおかしな男を連れてまずはダナンを目指すのだった。
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