無口な傭兵さんは断れない

彩多魔爺(さいたまや)

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第三章 水の魔女

3-7 八号の秘密と出港準備

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 穏やかなうねりを繰り返しながら、海はどこまでもどこまでも続いている。

 実際にはそんなことはないのだが、その広さに対してあまりにも人間はちっぽけすぎてそう錯覚させられてしまう。

 たとえ今この海の上から船が一隻、人が数人消えてしまおうとも、太古の昔からただ繰り返される水の営みにとってはささいな事でしか無い。

 人間とはなんと矮小な存在なのであろうか。

 そんなことを考えざるを得ないほどに、海とは雄大なものであるのだ。

「凄いです。感動です。海は凄いです」

 半ば哲学的なアイルの感傷も、船べりから落ちそうになりながら海を覗き込む八号の素直過ぎる感動によって打ち消されてしまう。
 落ちないように、いや、たとえ落ちても大丈夫なように八号の腰には紐をくくりつけてアイルの右腕に結びつけてある。

「ははは、ハチゴーちゃんは可愛いね」

 漁船を巧みに操りながら、その様子を眺めて穏やかな笑みを見せるテオ。

 昨日の約束どおり、今日は早朝からテオの船で近海に漁に出ているのだ。

「本当に海とは凄いものだね。昨日は遠目に見ていただけだったけど、こうして船に乗って海の上に出てみると言葉では表現できないほどの感動に包まれるよ」

 昨日宿に戻ってきたエルも同行している。

 エルは昨晩アイルに、ミュウはそのまま領主の屋敷に滞在することや三日後の魔女討伐に同行するつもりであること、アイルの助勢は必要ないと言っていたことなどを伝えた。

 それについて思う所は多々あるが、まずは八号との約束を守るほうが先決だとそのまま漁に出ることにした。

「それにしても僕は詳しいことは分からないんだけど、八号の情緒が豊かすぎる気がしないかい? いくらゴーレムに言語能力を持たせたと言ってもここまで感情を表現するものなのかな」

 それはアイルも感じていたことである。

 食事に挑戦しようとしたり、褒めてもらおうとしたり、魚を獲りたがったり。

 他にゴーレムというものを知っているわけではないので『ゴーレムとはこういうものだ』と言われてしまえばそれきりなのだが、どうにも腑に落ちない。

 と、そのエルの言葉が耳に入ったのか、八号はトテトテとアイル達の元へと歩いてきてそのまま胡座をかいているアイルの足の上に座った。

「私はゴーレムでもありますが、同時にモデルであるトルマ様と精神的にリンクしております」

 と、そんなことを言い出した。

「精神的にリンク? どういうことだろう」

「私にインプットされている『まにゅある』を元にご説明いたします」

 八号が妙に畏まった口調に変わった。

「本来であれば私が見聞きしたものを記録として残し、あとでトルマ様にお見せすることでどんな旅であったかを教えるという予定でした。ですが、そこまでの機能を実装できなかったために、代替え機能としてマレーダー様が私の中に元々あったトルマ様の魔力と御本人の魔力を繋いだのです。トルマ様は魔女でなくなっても元々魔力を豊富にお持ちの方でしたのでそれは容易でした」

「そんなことが可能なのか……魔法の世界は分からないことだらけだね」

 アイルもそこは深く頷く。

「結果として、私が見聞きしたものはイメージとしてトルマ様に伝わり、それを感じたトルマ様がこうしたいと思ったことが私に伝わります。私はそれを行動の基準としているということになります。もちろん、戦闘状態などに入った場合は強制的にリンクを切って自律戦闘モードに入ります」

 聞けば聞くほど、何故そんなことが可能なのか全く理解できなかった。

 というよりも、ミュウが魔法について語りだした時も難しいのですべて聞き流していたアイルである。今の八号の説明も八割は聞いていなかった。
 ただ一つだけ思ったことは、八号が何かを望んだ時に邪険にせずにすべてちゃんと応えて上げてよかったということだった。

「つまりは、八号が感じたことはトルマちゃんも感じるし、トルマちゃんが望むことを八号は感じることが出来るってことか。本当にトルマちゃんが一緒に旅をしているみたいだね」

「それが、私が改装を受けたそもそもの理由でもありますから」

「ああ、なるほど」

 そういえばマレーダーが二日連続で徹夜するはめになったのも全てはトルマのお悩み解決のためであった。

「余談ですが、いまこうしてマスターの足の上に座っているのもトルマ様のご希望によるものです」

 それを聞いてはアイルもエルもほっこりとするしかない。

「そろそろ漁をするポイントにつくよ」

 テオの声に八号はピョコンと立ち上がり、アイルもエルも立ち上がる。

 錨を降ろし、網を準備するテオを手伝い、それから数時間にわたって三人は漁の醍醐味を堪能した。



 街に戻った四人は改めてエルの情報を元に今後の方針を話し合う。

 ロゼッタの配下が自分たちを探っているかもしれないということで、急遽話し合いの場は食堂ではなくテオの家で行うことにした。

「出来ればデインが魔女討伐に乗り出す前に魔女に会いたい所ですね」

 話を聞いたテオはそう言った。

 もしかしたら生き別れたマリアが魔女かも知れないのだ。それを確かめもせずにデインに討たれてしまっては、結局一生後悔することになってしまう。

 そしてそれについてはアイルも同意見だった。
 ミュウは今回の魔女を人間に害をなす存在としているようだが、アイルにはどうしてもそう思えなかった。
 討つのはそれを実際に確かめてからでも遅くはない、そう思っている。

 エルは。

 彼はデインにこの半島の覇権を握らせてはいけないと考える。

 彼の野望の通りに事が進んでしまえば、ニコル王の東の大陸への侵攻が始まることとなり、東の大陸にそれなりの国があった場合は海を挟んだ泥沼の戦争が始まってしまうかも知れない。
 そうなれば国力は疲弊し、結果として民が苦しむことになる。

「では、彼らよりも一日先んじて明日、遠洋を目指すしかありませんね」

 最終的にはそれしかないということで、明朝魔女のいる海域を目指して出港することになった。
 デイン達が討伐しようとする前に穏便に魔女を無力化して魔物がいなくなれば、遠洋漁業は再開されて街に活気が戻る。

 その場合に海に危険がなくなったことでデインが手柄を横取りして半島の支配を推し進める懸念は残るが、それは市民が一致団結して抵抗運動をするしかない。
 遠洋漁業を中心に経済活動を再開できるとなれば、今のような重税や圧政は一切必要なくなるはずなのだ。

 魔女さえいなくなれば、ミュウがデインに協力する理由も無くなる。

 その後のティーバの街の問題についてアイル達が関わることは無いかも知れないが、テオもそこまでアイル達に頼ろうとは思っていない。

 全ては魔女に会ってから、そう確認しあうのだった。


──────────────────


「そうですか、やはりアイルさん達は魔女に会いに行くのですね」

 領主デインの屋敷の一室。

 ミュウに割り当てられた客室で、先程から赤茶けたローブを来た男がミュウに報告を行っていた。
 エルがアイル達の所に戻る時点で領主側の動きが筒抜けになることはわかっていたし、それを知ったアイルがどう動くかもなんとなく予想はついていた。

「にしても、実際に魔女討伐の場に来られて邪魔をされては困りますね」

 アイルが本気で自分の邪魔をしようとしたらどうなるのか予想がつかない。
 ましてや向こうには厄介なあのゴーレムもいるのだ。

 こんなことなら魔鉱の魔法に対する耐性を検証しておけばよかったと後悔しつつ、ミュウはジニアに指示を出す。

「引き続き彼らの行動の監視を。私はすぐに領主に進言して明朝の彼らの出発を妨害するように働きかけます」

 アイル達が出発できなければそれが一番である。

 早速ミュウは領主の元に進言のために赴いた。

 その後ろ姿を見送るジニアは、

「だから最初に、あの男を味方にしようとするのはやめたほうがいいと申し上げましたものを……」

 ただそう呟いて姿を消した。



 ミュウの進言を聞いたデインは非常に不機嫌になった。

「あの男め! 何かと私の政策を邪魔してきおって、気が狂ったような格好をして街をうろついているだけなら見逃してきたが、魔女討伐を邪魔するとなるともう許すわけにはいかん。お前、明日の夜明け前に私兵を一部隊漁港に向かわせろ! 奴の漁船を破壊しても構わん。あとで漁業組合から苦情が来るかも知れんが、この街を誰が支配しているのか思い知らせるいい機会だ!」

「はっ」

 デインの指示で、重武装の私兵十人が早速準備をして漁港へと向かった。

 そのやり取りを見ていたロゼッタであったが、誰にも気づかれないうちにそっと部屋を出ていくのだった。


──────────────────


 翌朝、まだ空も明るくなっていないほどの早い時間にアイル達は漁港にあるテオの船の前に集まっていた。
 昨日のうちに必要な物は買い揃え、船に積み込んである。

 一度海に出たら、途中で何かを補充するということが出来ないために慎重に最後の確認をしているところだ。
 特に水は大切で、海水を飲むわけにはいかないので真水は充分に積んで行かねばならない。
 このメンバーの場合、八号は食事や水分補給の必要がないのがとても有利だ。

 まだ実質夜中であるためトルマは寝ているらしく、八号は無表情で傍らに突っ立っているだけだ。


 その八号が何の前触れもなく振り向いた。

「早期警戒。こちらに近づいてくる人間らしき気配を探知しました。推定で十体。街路を真っ直ぐ向かってきます」

 八号の警告を聞いたアイルとエルが立ち上がる。

「テオさんはそのまま出港の準備を続けて下さい。僕らが対応します」

 既にアイルは船から十メートルほどの位置まで進んで、剣を大地に杖のようについてどっしりと構えて待ち構えている。
 八号もその左側で、静かに構えに入った。
 着せられている水色の可愛らしいワンピースにあまりにもそぐわないが仕方ない。

 エルもアイルの右に位置取りして剣を抜いた。

「できれば穏便に話し合える相手だといいけどね。あ、八号ちゃん、なるべくなら相手を殺さないように手加減してね」

「かしこまりました。ただし、私の基準はリンジー様ですので、どの程度手加減すればよいかが掴めません。万が一の場合はご容赦ください」

 そういえば結局八号の戦闘データはリンジーとの組手のみだったと思い出しつつ、いま迫っている相手がリンジーと比較して強いのか弱いのかも判断できないのでエルもそれ以上は八号に要求しなかった。

 沿岸でしか漁を行なっていないために、まだ他の漁師達は港にやってきておらず街は静かに寝静まっている。

 そのせいで、ガシャガシャと金属音を響かせながらこちらを目指している一団が立てる音が妙によく聞こえてくる。

「あの音は金属鎧、つまりは領主の私兵達だね。こりゃあ平和裏に話し合いで解決というわけにはいかないか。探られないように気をつけてたつもりだけど、こちらの行動がバレてしまったみたいだね」

 エルは仕方ないとばかりに改めて剣を構え直した。

 陽が昇らないうちに漁船を破壊するために向かっていた兵達は、ろくに斥候を放つことさえしていなかったためにアイル達が待ち構えていることを知らない。

 街の一つの路地から十人が一斉に出てくるという有様だ。

「なんていうかこう、部隊を分けるとか、後詰めを残しておくとか、そういう発想はないのかな」

 エルも呆れるばかりだが、普段エルが見ている正規兵や親衛隊と比べるのは彼らが可哀想というものである。

「隊長! 漁船の傍に何者かがおります! 武装しているようです。男が二人と少女が一人!」

 まだ暗いせいで、だいぶ近づいてからようやくアイル達に気がついた先頭の兵が後ろを振り返りながら叫ぶ。

「くそ、漁船を破壊すれば諦めるだろうと思ったが、既にいやがったか」

 隊長らしき男は悪態をつきながら部下たちに陣形を組むように指示を始める。
 重い金属鎧を着ているせいか、その動きは鈍重である。

「隊長さん、一応聞くけど僕らを素直に出港させてくれる余地はないのかい?」

 エルは暗闇の人影に向かって声をかけてみる。

「貴様らの出港を阻止せよとの女神様のお告げである。素直に降伏して出港を取りやめるならば船も破壊しないし、お前たちに危害も加えない。出港しようとするならば、実力行使をもって船を破壊する。お前たちの無事も保証できない」

 隊長は聞く耳を持たなかった。

 いや、それよりもアイルとしては『女神様のお告げ』という言葉が非常に気になっていた。それはエルも同じだ。

「女神様って……。まあ一人しか思い当たる節はないけど。魔女を討つのにアイルさんに邪魔をされたくないみたいだね」

「むう……」

 何故ルビィとトルマのように穏便に契約解除をさせる道を選ばないのか。
 アイルにはミュウの思考が理解不能だった。

 テオが過去を引き摺っているのを見て、なんとかしてあげたいと思うのはおかしいのだろうか?

 自分とて、エレノアという過去に引き摺られて魔女を討つ旅に出ている。
 ヘレンという過去と対峙することで、何かを見出そうとしている。
 エルも、虐げられてきた王弟という己の過去と訣別しようともがいている。

 そしてミュウだって、かつて浅はかにヘレンと契約したことを後悔し、その過去を取り戻そうとしているのではないのか。

 ルビィとトルマが、家族を失って魔女になり二人きりでずっと生きてきた過去を捨てて、普通の女の子としての人生を歩み始めたように、人が過去を乗り越えて新しい一歩を踏み出す手伝いをすることはそんなにいけないことだろうか。


 アイルは、自分とミュウの差異が、人の中で生きてきたアイルと、人とは距離を置いて生きてきたミュウとの差であるとは理解できていない。

 だが、ミュウが人間の営みにあまり関心を持っていないというのはわかるので、出来れば人間というものに対して慈しみを持って欲しいと願っている。


 ならば、今回のミュウの魔女討伐を失敗に終わらせてあげることこそがミュウのためであると決めた。


 周囲を取り囲む兵達に向けて構えられたアイルの剣には、そんな想いが込められていた。
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