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第三章 水の魔女
3-9 すれ違う想いと届かぬ想い
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船上はなんとも言えない空気になっていた。
いや、具体的に言うと若干二名が気まずい空気を醸し出していた。
アイルはあまり興味がない分野のことなので無心にオールを漕いでいて、八号はもちろんアイルが漕ぐならそれに合わせて漕ぐ。
となれば、若干二名というのは船長のテオと出港間際に飛び込んできたロゼッタの事を指している。
「あ、えっと、先程はありがとうございました。おかげで火矢を射掛けられずに済みました」
「い、いいえ。私こそ突然乱暴にお邪魔して申し訳ありません。そのまま乗船を許していただいて感謝いたしますわ」
許すも何も、見目麗しい若い女性を海に放り出すわけにはいかないではないかと思うテオであったが、女性に対して上手い言葉を告げる術など一切持っていない。
「まあ、仕方ないです」
結局そんな野暮な事しか言えない。
恐らくエルならばもっとロゼッタが気分を良くするような賛辞を織り交ぜて、この船にこのままいることは何の問題もないことを告げるだろう。
「そ、そうですわよね。恐らくあなたなら強引に乗ってしまえば嫌とは言えないだろうと思いましたのよ」
ロゼッタも大概である。
だがここには、そんな二人を取りなして上手く話をつけるような人物は存在しない。
「マスター、なにか大きな魚が遠くで跳ねています。凄いです」
「ああ」
「風が出てきました。そろそろオールで漕がなくても、風を推進力にできそうです」
「ああ」
完全に役立たずである。
そのまま無言になってしまったテオは無心に舵を取っているし、ロゼッタは居場所を見つけられずに最終的にアイルと八号の相手をすることにしたようだ。
「ミュウさんとエルさんには色々とお話を伺ったのですけれど、あなた達とこうしてお話するのは初めてでしたわね。私は……」
「存じております。小領主連合の一角、ティーバの街を治める領主デインの一人娘ロゼッタ様ですね。エル様より情報を得ました」
「そ、そうですの。小さい割にしっかりとした話し方をされるのですわね。あなたのお名前を伺ってもよろしくて?」
無表情で胡座をかいているアイルの股ぐらにすっぽりと収まる形で、同じく無表情で座っている八号のテキパキとした受け答えに若干たじろぐロゼッタ。
「私の正式名称は『らぶりぃトルマちゃん八号改』と申します。通称は『八号』または『トルマ』です。余談ですが『改』は勝手に私がつけました」
「らぶ……なんですって?」
「八号でいいです」
「ハチゴーさん、ですの。また珍しいお名前ですわね。そちらの方は?」
「アイル」
八号とは逆にぶっきらぼうに答えるアイルに、これまた面食らうロゼッタだったが、当のアイルは内心『とうとう自分の名前を聞かれた時に、自分で答える事ができた』と悦に入っている。無表情だが。
「アイルさん、ですのね。ミュウさん達からは魔女のお話をいくつか伺いましたが、あなた達も魔女と戦ったりした経験がありますの?」
「ああ」
「いえ」
だんだん頭痛がしてくるロゼッタだが、他の話し相手と言えばテオしかいない。
そのテオも、しばらくは大きな舵の調整は必要ないと見えて、舵を固定してこちらに向かって歩いてくる。
「つまりアイルさんは経験がおありでハチゴーちゃんはまだ、ということですね」
そのロゼッタの発言を耳にしたテオが顔面蒼白になる。
「ちょ、ロゼッタさん! 当たり前じゃないか! ハチゴーちゃんはアイルさんの娘でまだ幼い子供なんだよ? アイルさんは子供がいるってことは経験済みに決まっているじゃないか。初対面の人に何を聞いてるんだ!」
言われたロゼッタはしばし首を傾げていたが、徐々に首から上が真っ赤になってくる。
「そんなことは聞いてませんわよ! なぜあなたはわざわざ破廉恥な方面に話を持っていくのですか!」
「破廉恥とはなんだ!」
眼の前でケンカが始まってしまったので困惑の表情になるアイルと、いまいち何の話だったのかわからずに無反応の八号。
「だいたいあなたのあれは何ですか。毎回外から人が来るたびに変な着ぐるみを着て、その上でお父様のやり方の悪口を吹き込んで!」
とうとうロゼッタが日頃の鬱憤をぶちまけ始めた。
「変な着ぐるみとは失礼な! あれはティーバの未来を背負って立つ大事なマスコットじゃないか!」
よりにもよってティーバさんを侮辱されたテオも頭に血がのぼる。
売り言葉に買い言葉、このままでは口論はエスカレートするばかり。
いまこの口論を止めることが出来るのはアイルしかいない。
アイルは八号を優しく足の上から降ろし、のっそりと立ち上がるといがみ合う二人に歩み寄った。
「アイルさん! 聞いてくださいよ! この女がティーバさんが気味が悪いっていうんです」
「あなたも初めてティーバを訪れた時にびっくりしたでしょう? 旅人を脅すばかりで街のために何の役にも立っていないんですわ!」
双方の意見を聞き、論点を明確にした上で二人の妥協点を探っていく。
などということをアイルがするはずもなかった。
「あいた!」
「きゃあ!」
アイル達の船以外には他に何者とていない大海原に鈍い音が二つ響いて、ロゼッタとテオはそれぞれ頭頂部を両手で押さえてその場に蹲っていた。アイルはそのまま黙って八号の元へと戻る。
「なるほど。反発しあう二つの勢力に遭遇した際に、その仲裁方法として圧倒的な武力で双方を沈黙させる、という手段が有効なのですね。私は一つ学びました」
八号は感心したように、頷いていたが突然数秒沈黙した。
やがて元のアイルの脚の上にちょこんと座り直してから、顔だけをアイルに向けてこう言った。
「マスター、暴力はいけません。すぐにぶつのはいけません」
「すまん」
「わかればいいのです」
これは間違いなくトルマの想いであろうと、アイルは素直に反省した。
船は進む。
折よく吹いてきた追い風を帆にはらんで、かつて外洋船が沈められた地点を目指して海の上を滑るように南東に進んでいた。
潮の匂いを含んだ風が、ロゼッタの金色のウェーブの髪をそよがせる。
「僕は、ティーバの街を昔みたいに活気のある開かれた街に戻したいんですよ」
痛みが引いてきたのか、ぽつりとテオが呟いた。
「ロゼッタさんの父上を悪く言うようで申し訳ないけど、このまま民を苦しめて旅人を閉じ込めて軍備を増強したところで、その先に未来はないと思うんだ」
「どういうことですの?」
ロゼッタはテオの言葉を聞き咎めて顔をしかめた。
父を批判されたからではない。
「街の人の暮らしは変わっていないし、旅で訪れた人も街が気に入って長期滞在していると聞きましたわ。ただ、隣接する街が不穏な動きを見せているから街の防備を固めているのだと」
今度はテオが顔をしかめる番だった。
「そうか、ロゼッタさんはそのように聞かされているのか。まあ、そんなものかも知れないな。街の人だってロゼッタさんに何か苦情を言えば領主に筒抜けになると思えば口を噤んでしまうものな」
ため息混じりにそう言うテオを見て、ロゼッタは急速に不安になってきた。
「なんですの? 私が誰かに騙されているとでも?」
「僕がこれ以上言っても信じないだろう。無事に街に帰ることが出来たら、もう一度心を開いて、領主の娘としてではなく貴女個人として街の人達に話を聞いてみるといいさ」
父が半島支配の野望を抱いているのは知っているし、魔女を倒したら王国と連携して東の大陸に手を伸ばそうとしているのも理解している。
だが、その全ては民のためであり、遠洋漁業という希望を失った人々に新たな希望を与えるための行動だと信じていた。
そのためには自分は王都に嫁入りすることになっても構わないと覚悟まで決めていたのだ。
「ところでロゼッタさんは、何故この船に? 明日には父上が魔女討伐のために出港するはずです。その船に同乗してくればよかったのではありませんか?」
またもやロゼッタの首から上が真っ赤に染まる。元々の肌が白いために、その色の変化は顕著に分かる。
「そそそそそそそそそそ、それはあれですわよ。あれ。えっと、あなたが一日早く魔女の元に向かうという情報が入ったので、またお父様の邪魔をするために何かをするのではないかと思い、監視のために来たのですわ!!」
何故かロゼッタは立ち上がり、テオの前に仁王立ちになってビシッとテオを指さした。
「あはは、まああながち間違ってないですけどね。実は、僕には幼い頃に生き別れた幼馴染の女の子がいたんです。ほぼ生存は絶望的だと思ってはいるんですが、遺体が見つかったりしてない以上、心のどこかで諦めきれなかったんです」
ポツポツと寂しそうに語りだしたテオを見るロゼッタの顔は悲しそうだった。
「あのティーバさんだって、その子の持っていたぬいぐるみをモチーフに作ったんですよ。あなたの言う通り、不細工だし気味が悪いかも知れないですけど」
「そ……」
そんなことはない、と言いかけてロゼッタは口を噤んだ。変な着ぐるみと罵ったのは他ならぬ自分なのだ。たとえそれが本心から出た言葉ではないにせよ。
「でもあのミュウさんが、海の魔物を操る魔女がその子かも知れないって言った時から、もう確かめずにはいられなかったんです。デインさんが魔女討伐に乗り出さなかったとしても僕はこうして海に出ていたでしょう。だから、それを確かめる前に討伐されてしまっては困るんですよ、ははは」
力なく笑うテオ。
「も……もしもその魔女があなたの言う幼馴染だったらどうするおつもりですの」
ロゼッタは答えを聞きたいような聞きたくないような気持ちで尋ねる。
「どうするか決めてないんです。でも、とにかく話をしてみようと思っています。僕があの時一緒にいたテオだよって。出来ればもう魔物を使って船を沈めるのをやめてくれないかって。それでも聞いてくれなかったら、やっぱり殺すしかないのかなあ」
ぼんやりと船が進む先を見つめながら言うテオをこれ以上見ていられなくなったロゼッタは、そのままアイル達の元へと移動した。
「少し、横で考え事をしてもよろしいかしら」
一人になるには海の上のちっぽけな船の上では心細く、だからといって今のテオをこれ以上見ていられない。
そんな時に、無口に無表情に海を眺めているアイルと八号の横は、とても居心地のいい場所だった。
「凄いです。また魚が跳ねました。さっきのより大きいです」
「ああ」
ぼんやりと頭を整理しながらそんな二人の様子を見ていると、思わずくすりと笑いがこぼれて、自分のくだらない悩みなど海に捨ててしまえばいいかなどと思えてくるのだった。
──────────────────
「では、私達が戻るまではここで大人しくしていてください。衛兵たちにも粗雑に扱うことのないようにきつく言い含めておきましたので」
エルを客室の一室に軟禁状態にしたミュウは、部屋を出る際にそう言い残した。
「やはり、行くのかい? アイルさんの首尾を見届けてからでもいいんじゃないのかな、と僕は思うんだけど」
「いまさら延期しましょうとか様子を見ましょうと言って、あの領主が止まるわけがないでしょう。それに、アイルさんが上手く行かなかったらちょうどそこに私が颯爽と現れるわけですから、私という存在の有難みを再認識していただくためにも早めに追いかけたほうがいいでしょう」
結局。
アイルに否定されたことにショックを受け、アイルに自分を認めさせるために焦っていたのかと分かりエルは微笑んでしまう。
それを見たミュウは口を尖らせる。
「失礼な人ですね。どちらが上か分からせてやるというのです。パートナーではありますが、上下関係をはっきりさせるのを忘れていました」
「どちらが上なんだい?」
「私に決まっているじゃないですか。女神なんですから」
その言葉を最後に扉は閉まり、ミュウは去っていった。
「素直じゃないなあ。みんな」
だが、あの港の一件以来、ミュウの声は再び涼やかな風のようになっていた。だから、悪い流れではないとエルは感じた。
「どうせいまここで暴れたって何も得なことはないし、拾った命でしばし休みを満喫させてもらおうかな」
そう言って、ベッドに横になるとうたた寝を始めるエルだった。
一方のミュウは軍港に向かうべく廊下を進みながら独り言を呟いていた。
「せっかく早めに目的地に着けるように正しい方角に進ませてあげてるんですから、私が行くまでになにかしら成果をあげておいてくださいよ」
そんな彼女の呟きは果たして、海原を進む風となってアイル達の船に届いたであろうか。
いや、具体的に言うと若干二名が気まずい空気を醸し出していた。
アイルはあまり興味がない分野のことなので無心にオールを漕いでいて、八号はもちろんアイルが漕ぐならそれに合わせて漕ぐ。
となれば、若干二名というのは船長のテオと出港間際に飛び込んできたロゼッタの事を指している。
「あ、えっと、先程はありがとうございました。おかげで火矢を射掛けられずに済みました」
「い、いいえ。私こそ突然乱暴にお邪魔して申し訳ありません。そのまま乗船を許していただいて感謝いたしますわ」
許すも何も、見目麗しい若い女性を海に放り出すわけにはいかないではないかと思うテオであったが、女性に対して上手い言葉を告げる術など一切持っていない。
「まあ、仕方ないです」
結局そんな野暮な事しか言えない。
恐らくエルならばもっとロゼッタが気分を良くするような賛辞を織り交ぜて、この船にこのままいることは何の問題もないことを告げるだろう。
「そ、そうですわよね。恐らくあなたなら強引に乗ってしまえば嫌とは言えないだろうと思いましたのよ」
ロゼッタも大概である。
だがここには、そんな二人を取りなして上手く話をつけるような人物は存在しない。
「マスター、なにか大きな魚が遠くで跳ねています。凄いです」
「ああ」
「風が出てきました。そろそろオールで漕がなくても、風を推進力にできそうです」
「ああ」
完全に役立たずである。
そのまま無言になってしまったテオは無心に舵を取っているし、ロゼッタは居場所を見つけられずに最終的にアイルと八号の相手をすることにしたようだ。
「ミュウさんとエルさんには色々とお話を伺ったのですけれど、あなた達とこうしてお話するのは初めてでしたわね。私は……」
「存じております。小領主連合の一角、ティーバの街を治める領主デインの一人娘ロゼッタ様ですね。エル様より情報を得ました」
「そ、そうですの。小さい割にしっかりとした話し方をされるのですわね。あなたのお名前を伺ってもよろしくて?」
無表情で胡座をかいているアイルの股ぐらにすっぽりと収まる形で、同じく無表情で座っている八号のテキパキとした受け答えに若干たじろぐロゼッタ。
「私の正式名称は『らぶりぃトルマちゃん八号改』と申します。通称は『八号』または『トルマ』です。余談ですが『改』は勝手に私がつけました」
「らぶ……なんですって?」
「八号でいいです」
「ハチゴーさん、ですの。また珍しいお名前ですわね。そちらの方は?」
「アイル」
八号とは逆にぶっきらぼうに答えるアイルに、これまた面食らうロゼッタだったが、当のアイルは内心『とうとう自分の名前を聞かれた時に、自分で答える事ができた』と悦に入っている。無表情だが。
「アイルさん、ですのね。ミュウさん達からは魔女のお話をいくつか伺いましたが、あなた達も魔女と戦ったりした経験がありますの?」
「ああ」
「いえ」
だんだん頭痛がしてくるロゼッタだが、他の話し相手と言えばテオしかいない。
そのテオも、しばらくは大きな舵の調整は必要ないと見えて、舵を固定してこちらに向かって歩いてくる。
「つまりアイルさんは経験がおありでハチゴーちゃんはまだ、ということですね」
そのロゼッタの発言を耳にしたテオが顔面蒼白になる。
「ちょ、ロゼッタさん! 当たり前じゃないか! ハチゴーちゃんはアイルさんの娘でまだ幼い子供なんだよ? アイルさんは子供がいるってことは経験済みに決まっているじゃないか。初対面の人に何を聞いてるんだ!」
言われたロゼッタはしばし首を傾げていたが、徐々に首から上が真っ赤になってくる。
「そんなことは聞いてませんわよ! なぜあなたはわざわざ破廉恥な方面に話を持っていくのですか!」
「破廉恥とはなんだ!」
眼の前でケンカが始まってしまったので困惑の表情になるアイルと、いまいち何の話だったのかわからずに無反応の八号。
「だいたいあなたのあれは何ですか。毎回外から人が来るたびに変な着ぐるみを着て、その上でお父様のやり方の悪口を吹き込んで!」
とうとうロゼッタが日頃の鬱憤をぶちまけ始めた。
「変な着ぐるみとは失礼な! あれはティーバの未来を背負って立つ大事なマスコットじゃないか!」
よりにもよってティーバさんを侮辱されたテオも頭に血がのぼる。
売り言葉に買い言葉、このままでは口論はエスカレートするばかり。
いまこの口論を止めることが出来るのはアイルしかいない。
アイルは八号を優しく足の上から降ろし、のっそりと立ち上がるといがみ合う二人に歩み寄った。
「アイルさん! 聞いてくださいよ! この女がティーバさんが気味が悪いっていうんです」
「あなたも初めてティーバを訪れた時にびっくりしたでしょう? 旅人を脅すばかりで街のために何の役にも立っていないんですわ!」
双方の意見を聞き、論点を明確にした上で二人の妥協点を探っていく。
などということをアイルがするはずもなかった。
「あいた!」
「きゃあ!」
アイル達の船以外には他に何者とていない大海原に鈍い音が二つ響いて、ロゼッタとテオはそれぞれ頭頂部を両手で押さえてその場に蹲っていた。アイルはそのまま黙って八号の元へと戻る。
「なるほど。反発しあう二つの勢力に遭遇した際に、その仲裁方法として圧倒的な武力で双方を沈黙させる、という手段が有効なのですね。私は一つ学びました」
八号は感心したように、頷いていたが突然数秒沈黙した。
やがて元のアイルの脚の上にちょこんと座り直してから、顔だけをアイルに向けてこう言った。
「マスター、暴力はいけません。すぐにぶつのはいけません」
「すまん」
「わかればいいのです」
これは間違いなくトルマの想いであろうと、アイルは素直に反省した。
船は進む。
折よく吹いてきた追い風を帆にはらんで、かつて外洋船が沈められた地点を目指して海の上を滑るように南東に進んでいた。
潮の匂いを含んだ風が、ロゼッタの金色のウェーブの髪をそよがせる。
「僕は、ティーバの街を昔みたいに活気のある開かれた街に戻したいんですよ」
痛みが引いてきたのか、ぽつりとテオが呟いた。
「ロゼッタさんの父上を悪く言うようで申し訳ないけど、このまま民を苦しめて旅人を閉じ込めて軍備を増強したところで、その先に未来はないと思うんだ」
「どういうことですの?」
ロゼッタはテオの言葉を聞き咎めて顔をしかめた。
父を批判されたからではない。
「街の人の暮らしは変わっていないし、旅で訪れた人も街が気に入って長期滞在していると聞きましたわ。ただ、隣接する街が不穏な動きを見せているから街の防備を固めているのだと」
今度はテオが顔をしかめる番だった。
「そうか、ロゼッタさんはそのように聞かされているのか。まあ、そんなものかも知れないな。街の人だってロゼッタさんに何か苦情を言えば領主に筒抜けになると思えば口を噤んでしまうものな」
ため息混じりにそう言うテオを見て、ロゼッタは急速に不安になってきた。
「なんですの? 私が誰かに騙されているとでも?」
「僕がこれ以上言っても信じないだろう。無事に街に帰ることが出来たら、もう一度心を開いて、領主の娘としてではなく貴女個人として街の人達に話を聞いてみるといいさ」
父が半島支配の野望を抱いているのは知っているし、魔女を倒したら王国と連携して東の大陸に手を伸ばそうとしているのも理解している。
だが、その全ては民のためであり、遠洋漁業という希望を失った人々に新たな希望を与えるための行動だと信じていた。
そのためには自分は王都に嫁入りすることになっても構わないと覚悟まで決めていたのだ。
「ところでロゼッタさんは、何故この船に? 明日には父上が魔女討伐のために出港するはずです。その船に同乗してくればよかったのではありませんか?」
またもやロゼッタの首から上が真っ赤に染まる。元々の肌が白いために、その色の変化は顕著に分かる。
「そそそそそそそそそそ、それはあれですわよ。あれ。えっと、あなたが一日早く魔女の元に向かうという情報が入ったので、またお父様の邪魔をするために何かをするのではないかと思い、監視のために来たのですわ!!」
何故かロゼッタは立ち上がり、テオの前に仁王立ちになってビシッとテオを指さした。
「あはは、まああながち間違ってないですけどね。実は、僕には幼い頃に生き別れた幼馴染の女の子がいたんです。ほぼ生存は絶望的だと思ってはいるんですが、遺体が見つかったりしてない以上、心のどこかで諦めきれなかったんです」
ポツポツと寂しそうに語りだしたテオを見るロゼッタの顔は悲しそうだった。
「あのティーバさんだって、その子の持っていたぬいぐるみをモチーフに作ったんですよ。あなたの言う通り、不細工だし気味が悪いかも知れないですけど」
「そ……」
そんなことはない、と言いかけてロゼッタは口を噤んだ。変な着ぐるみと罵ったのは他ならぬ自分なのだ。たとえそれが本心から出た言葉ではないにせよ。
「でもあのミュウさんが、海の魔物を操る魔女がその子かも知れないって言った時から、もう確かめずにはいられなかったんです。デインさんが魔女討伐に乗り出さなかったとしても僕はこうして海に出ていたでしょう。だから、それを確かめる前に討伐されてしまっては困るんですよ、ははは」
力なく笑うテオ。
「も……もしもその魔女があなたの言う幼馴染だったらどうするおつもりですの」
ロゼッタは答えを聞きたいような聞きたくないような気持ちで尋ねる。
「どうするか決めてないんです。でも、とにかく話をしてみようと思っています。僕があの時一緒にいたテオだよって。出来ればもう魔物を使って船を沈めるのをやめてくれないかって。それでも聞いてくれなかったら、やっぱり殺すしかないのかなあ」
ぼんやりと船が進む先を見つめながら言うテオをこれ以上見ていられなくなったロゼッタは、そのままアイル達の元へと移動した。
「少し、横で考え事をしてもよろしいかしら」
一人になるには海の上のちっぽけな船の上では心細く、だからといって今のテオをこれ以上見ていられない。
そんな時に、無口に無表情に海を眺めているアイルと八号の横は、とても居心地のいい場所だった。
「凄いです。また魚が跳ねました。さっきのより大きいです」
「ああ」
ぼんやりと頭を整理しながらそんな二人の様子を見ていると、思わずくすりと笑いがこぼれて、自分のくだらない悩みなど海に捨ててしまえばいいかなどと思えてくるのだった。
──────────────────
「では、私達が戻るまではここで大人しくしていてください。衛兵たちにも粗雑に扱うことのないようにきつく言い含めておきましたので」
エルを客室の一室に軟禁状態にしたミュウは、部屋を出る際にそう言い残した。
「やはり、行くのかい? アイルさんの首尾を見届けてからでもいいんじゃないのかな、と僕は思うんだけど」
「いまさら延期しましょうとか様子を見ましょうと言って、あの領主が止まるわけがないでしょう。それに、アイルさんが上手く行かなかったらちょうどそこに私が颯爽と現れるわけですから、私という存在の有難みを再認識していただくためにも早めに追いかけたほうがいいでしょう」
結局。
アイルに否定されたことにショックを受け、アイルに自分を認めさせるために焦っていたのかと分かりエルは微笑んでしまう。
それを見たミュウは口を尖らせる。
「失礼な人ですね。どちらが上か分からせてやるというのです。パートナーではありますが、上下関係をはっきりさせるのを忘れていました」
「どちらが上なんだい?」
「私に決まっているじゃないですか。女神なんですから」
その言葉を最後に扉は閉まり、ミュウは去っていった。
「素直じゃないなあ。みんな」
だが、あの港の一件以来、ミュウの声は再び涼やかな風のようになっていた。だから、悪い流れではないとエルは感じた。
「どうせいまここで暴れたって何も得なことはないし、拾った命でしばし休みを満喫させてもらおうかな」
そう言って、ベッドに横になるとうたた寝を始めるエルだった。
一方のミュウは軍港に向かうべく廊下を進みながら独り言を呟いていた。
「せっかく早めに目的地に着けるように正しい方角に進ませてあげてるんですから、私が行くまでになにかしら成果をあげておいてくださいよ」
そんな彼女の呟きは果たして、海原を進む風となってアイル達の船に届いたであろうか。
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