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第三章 水の魔女
3-12 最後の一撃とティーバへの帰還
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己の人外の力に慄き、ティーバの街に帰ることを拒否する魔女マリアに対して救いの手を差し伸べたのはゴーレムの八号だった。
「私はかつて魔女であった少女二人が、今は普通の人間の少女として生活を送っているのを知っています。それは可能なのです」
八号は創造主であるルビィとトルマの事例を挙げた。
「本当?」
「本当ですとも。会いに行くには少し遠いですが、二人は今も西の街で生活しています。もちろんマスターもご存知です」
アイルも深く頷きつつ、八号が予想外の語彙でルビィ達の事を説明してくれて非常に助かったと安堵していた。
「ですから、一旦皆で街に戻ってからその手続きをしましょう」
「う、うん」
マリアは半信半疑のようであったが、とにもかくにもこんな海の底にいつまでも四人をいさせるわけにはいかないことに気付いた。
「でも、どうやって街に戻りますの? 船は二隻とも粉々になってしまいました」
ロゼッタは思案顔で皆に問うが、そんな方法を知っている者はいない。
「それなら任せて!」
マリアが暗い海中に向かって何やら呟く。
しばらくは何が起きるかと身構えていた一同だったが、特に海に変化はない。
「ロゼッタさん、その、お父上の事は……」
哀れな遺体となって海底に沈んでいる領主デインの遺体に目を向けて、テオもついロゼッタの心情を気遣う。
「いいんですの。実の父が亡くなった事は悲しむべきことですが、野心に囚われて娘の乗った船ごとマリアさんを葬ろうとなさったのです。マリアさんはティーバの街に害など及ぼしていなかったことは分かりますわ。父だって攻撃せずに話し合えば充分に解決の余地はあったものを……」
悲しそうというよりは、哀れみの視線で父親の遺体に目を向けるロゼッタ。
その心中は複雑な想いが渦巻いているであろうが、今は悲しんでいる時ではないと判断しているようだった。
「もうすぐ迎えが来るから、待っててね」
何が迎えに来るのか若干不安を隠せないテオだったが、マリアが街に戻るつもりになってくれたのが何よりも嬉しかった。
その時。
船の残骸が沈んでいる辺りから一直線に、何かがマリアに向かって伸びてきた。
その白い何かはみるみるマリアに届く勢いで迫り、もうすぐ到達するという寸前でアイルの左腕がそれを受け止める。
それは氷だった。
ちょっとした氷のトンネルがマリアめがけて伸びてきたのだ。
そして。
そのトンネルを駆け抜けてきた何かが、アイルの左腕の肘から先を切り飛ばした。
──────────────────
(ふふ、ここまで来て水の魔女と相討ちというのは心外ですが、このままやられっぱなしで死ぬのは嫌ですからね)
意識を失う前に、海水に飲み込まれて死ぬ前に、残された魔力と身に纏った外気、それらを使って渾身の一撃を放ったのはミュウであった。
すぐに海水で溶けてしまうが、一瞬ならば風の通り道を作るぐらいは海水を凍らせることは出来る。
先に氷で弾道を形成して、そこに纏っていた外気をまとめて風の刃として放てばマリアの首ぐらいは取れるであろうと計算した最後の一撃だった。
だが。
(そんな……!)
風のバリアを失って海水に飲まれながら彼女が見たのは、マリアを庇って氷のトンネルを受け止め、彼女の放った刃で左腕を切り飛ばされたアイルの姿だった。
そしてそんな後悔の念にかられながら、ミュウは気を失った。
──────────────────
「マスター!」
海中で身を軽くするために、いつもなら左腕に装着している金属鎧を外していたのが仇となった。
生身の状態で鋭い風の刃を受け止めたアイルの左腕は綺麗に切断された。
「く……!」
氷、そして風、誰が放ったのかは一目瞭然であった。
だからこそアイルは己の左腕の事など構わずに海中にその人物を探そうと目を凝らした。
その直後、周囲の海水に流れが生じ、船の残骸も兵達の遺体もすべて押し流してしまった。
アイルは流れに持っていかれないように踏ん張るのが精一杯で、それらの行先を追うことが出来なかった。
「なにか、来ます」
八号の忠告に、三人は息を呑んで身構える。
「大丈夫、みんなを街まで乗せていってもらうの」
「な、なんですの」
暗い海の底をゆっくりと巨大な何かが進んでくるのがわかる。
多少は海面から差す光で薄っすらと様子がわかる海中の一部が真っ黒に塗りつぶされたようになっているのだ。
そしてその黒は徐々に大きくなってくる。その大きさは、デインの軍船など比べ物にならないほどの巨大さだ。
「海竜のシーなんとかちゃんだよ。私は時々乗せてもらうの」
「ひぃ」
ロゼッタはその場にへたり込んだ。自分でもこの一日で何回へたり込めばいいのかと思うぐらい今日は何度も脱力している。
「か、海竜?」
テオも絶句する。
海辺の街の漁師たちの間に伝わるおとぎ話にその名だけは出てくるのが海竜だ。
折しも海面から先程よりも明るい光が差し込み、その巨大な物体が四人の前に姿を露わにする。
全身を鱗に覆われている巨大な蛇とでも言おうか。
頭には硬質化した角のような物が二本生え、その口だけでもアイルの身体よりも大きな海竜はマリアのそばに顔を近づけると、甘えるように目を閉じた。
「私とみんなをティーバの街まで乗せていって欲しいの。私をかばって怪我をした人もいるわ。急いで」
マリアはそれだけいうと、海竜の頭の上にちょこんと乗っかる。
「みんなも来て。身体の上だとすごい動くから頭の上で角に隠れてるのが一番よ」
既に腰を抜かしつつあるロゼッタとテオ、そして負傷したアイルを八号が怪力で順次海竜の頭の上に乗せていき、最後にアイルの鎧と剣を拾っていつも通りアイルの膝の上にちょこんと座った。
四人はマリアに言われた通りに角らしき物の影に隠れるように座った。
「じゃあ出発」
海竜は嬉しそうに口を開けると、そのまま反転して泳ぎ始めた。
一同は何故角の後ろに、と言われたのかすぐに理解した。
海竜が泳ぐ速度が早すぎて、角の影にいないと海水の流れをもろに受けてしまうのだ。
「アイルさん、大丈夫ですか?」
テオは負傷したアイルが心配なようだったが、いつもどおりの無表情なのでなんとも計りかねる。
「いたい」
「あ、やっぱり痛いんですね。余りにも表情が変わらないので平気なのかと思ってしまいましたよ。それにしてもあれは何だったんでしょうね」
あれがミュウが放った魔法であるということは誰も気付いていないようだった。
幸いマリアも傷を塞ぐ程度の魔法は扱えたようですぐに血は止まったが、切断された腕は元には戻らない。
アイルとしては今後どうやって相手を殴ればいいかというのが最大の問題だった。
そして何よりも、魔法を放った後ミュウはどうしたのか。
それがもっとも気がかりであった。
──────────────────
ティーバの街の沿岸に突如として姿を現した海竜。
そしてそこから降りてきたテオとロゼッタと客人たち。
ティーバの街はしばらくの間、その話でもちきりとなった。
それはさておき、アイルはすぐに街の医者に担ぎ込まれて左腕の治療となる。
治療と言ってもマリアが止血したおかげで、消毒やら完全に傷が塞がるまでの間、包帯を巻いて動かさないように固定されたりしただけである。
そして一旦テオの家に全員が集まり、まずはマリアの契約解除となった。
「はいはい、お呼びでございましょうか」
アイルが、ミュウなしでどうやってマリアの契約解除をすればいいか思案した途端アイルとマリア以外の全ての動きが停止し、例の男が現れた。
今日の出で立ちは紺色の薄い布を身体の前で左右合わせるような作りの上着に、下も同じ色の布が膝ぐらいまでの丈になっているズボンだ。
ひと目で涼しそうとか、過ごしやすそうと感じるような服装である。
「これはジンベイと呼ばれる服でしてね。こういった海辺の街で夏の終わりを満喫するにはいいかと思いまして。ああ、こちらでは暑期というのでしたか。それでまたもや魔女の契約解除でございますね。いやあ、相変わらずアイル様の手腕には恐れいります。では早速」
相変わらず一方的にペラペラとよく喋る男だと思いながら、戸惑うマリアの頭を右手でポンポンと撫でてやる。
「マリア様、あなたが契約解除に同意なさいますと、その時からあなたは普通の人間の女の子に戻ります。普通に年を取ることになりますし、今までのように水を自在に操る力は無くなります。それでも契約の解除を望まれますか?」
男に問われたマリアは考えるまでもなく頷いた。
「私、またお父さんお母さんと暮らせるなら暮らしたい。またテオと一緒に遊びたいもの」
「かしこまりました。それは契約解除の手続きに入らせていただきます。マリア様の持つ水の力は……おや、今回はミュウ様は随分とまた遠くにおいでですな。まあいいでしょう。ミュウ様に受け継がれます。そしてアイル様はおめでとうございます。ついに四文字目の言葉を取り戻すことになります」
その言葉でミュウは生きているとわかったアイルは安堵の表情になる。
やがて眩い光がマリアを包み、その光の一つはアイルに、その他の二つの光は窓から出て空の彼方へと飛んでいった。
「それではこれにて。いいですねえ、いよいよクライマックスという雰囲気になってきましたよ。これほど楽しませていただけるとは思いもしませんでした。ここまで来たら、よりドラマチックにお願いしますよ。では、御機嫌よう」
気持ち悪いほどに丁寧な礼をした後、男はかき消すようにいなくなった。
途端に同じ部屋にいたテオやロゼッタが動き出す。
「たったいま、マリア様の魔女契約が解除されました。もうマリア様は普通の女の子になりました」
実は同じ空間で一部始終を見ていた八号が二人に説明する。
「え? いつの間に? え?」
状況が掴めない二人に構わず、マリアはテオに抱きついた。
「テオ、おじさんになっちゃったけど、また一緒に遊ぼうね。お父さんとお母さんはまだあのお家にいるのかな。早く会いたい!」
「あ、ああ。すぐに行こうな」
二十年前と姿の変わらないマリアを見たら、ご両親はきっと驚くだろうと思いつつ、テオと同じくマリアの生存を信じて疑わなかった二人の喜ぶ姿は早く見たいと思うテオだった。
「ところでロゼッタさんはこれからどうするんだい? むしろ君のほうがこれから大変だと思うんだけど」
まだ街の者たちは知らないが、領主であるデインが海の彼方で死んだのだ。
当然娘であるロゼッタはこれからその事後処理に奔走しなければならない。
「ええ、その事なのですけれど。今後この街はまた外洋に出て漁が出来ますわ。それを基軸に一から街を再建するにあたって……その……テオさんにもお手伝いいただけないかと思いまして」
ロゼッタはもじもじと今後の方針を語る。
「ええ? でもロゼッタさんは僕のやり方を嫌っていたし、ティーバさんだって変な着ぐるみと言っていたじゃないか。そんな僕が手伝うことなんて」
「もう! いいから手伝ってくださいませ! 今の私には他に頼る人がいないではありませんか!」
「テオ様、こういう時は素直に引き受けるのが男である、と考えます」
八号が鈍いテオにすかさずツッコミを入れた。
恐らくはトルマが感じていることなのであろうが。
もちろん、アイルはテオ側の部類に入る人間なので展開に全くついていけない。
「わ、わかりました。お引き受けします」
ロゼッタの顔が今日初めてパアっと明るくなった。
「では色々と落ち着いたら屋敷に来て下さいね。マリアさんもご両親との再会を楽しんでくださいませ。御機嫌よう」
そう言って弾むように出ていってしまった。
「何なんでしょうね……」
わけがわからず呆然と立っているテオが振り返っても、無表情の二人がいるだけである。
「テオ、早く私の家に行こう」
ぐいぐいと手を引っ張るマリアに急かされて、テオも出発する。
「ではアイルさん、この度は本当にありがとうございました。どれだけ感謝しても感謝しきれません。また後ほど」
そう挨拶して、三人は一旦分かれた。
「我々はどうしましょう。一度宿に戻るとして、今後の方針を決めねばなりません」
八号の提案に頷くアイル。
何はなくともミュウの行方を探さなければならない。
宿に向かって歩き出す二人。
「ミュウちゃんの行方が気になるぅ? 気になるわよねぇ?」
その背後から、アイルにとって忘れようにも忘れられない甘ったるい声がした。
ゆっくりと振り向いたアイルは、その名前を口にした。
「ヘレン」
「私はかつて魔女であった少女二人が、今は普通の人間の少女として生活を送っているのを知っています。それは可能なのです」
八号は創造主であるルビィとトルマの事例を挙げた。
「本当?」
「本当ですとも。会いに行くには少し遠いですが、二人は今も西の街で生活しています。もちろんマスターもご存知です」
アイルも深く頷きつつ、八号が予想外の語彙でルビィ達の事を説明してくれて非常に助かったと安堵していた。
「ですから、一旦皆で街に戻ってからその手続きをしましょう」
「う、うん」
マリアは半信半疑のようであったが、とにもかくにもこんな海の底にいつまでも四人をいさせるわけにはいかないことに気付いた。
「でも、どうやって街に戻りますの? 船は二隻とも粉々になってしまいました」
ロゼッタは思案顔で皆に問うが、そんな方法を知っている者はいない。
「それなら任せて!」
マリアが暗い海中に向かって何やら呟く。
しばらくは何が起きるかと身構えていた一同だったが、特に海に変化はない。
「ロゼッタさん、その、お父上の事は……」
哀れな遺体となって海底に沈んでいる領主デインの遺体に目を向けて、テオもついロゼッタの心情を気遣う。
「いいんですの。実の父が亡くなった事は悲しむべきことですが、野心に囚われて娘の乗った船ごとマリアさんを葬ろうとなさったのです。マリアさんはティーバの街に害など及ぼしていなかったことは分かりますわ。父だって攻撃せずに話し合えば充分に解決の余地はあったものを……」
悲しそうというよりは、哀れみの視線で父親の遺体に目を向けるロゼッタ。
その心中は複雑な想いが渦巻いているであろうが、今は悲しんでいる時ではないと判断しているようだった。
「もうすぐ迎えが来るから、待っててね」
何が迎えに来るのか若干不安を隠せないテオだったが、マリアが街に戻るつもりになってくれたのが何よりも嬉しかった。
その時。
船の残骸が沈んでいる辺りから一直線に、何かがマリアに向かって伸びてきた。
その白い何かはみるみるマリアに届く勢いで迫り、もうすぐ到達するという寸前でアイルの左腕がそれを受け止める。
それは氷だった。
ちょっとした氷のトンネルがマリアめがけて伸びてきたのだ。
そして。
そのトンネルを駆け抜けてきた何かが、アイルの左腕の肘から先を切り飛ばした。
──────────────────
(ふふ、ここまで来て水の魔女と相討ちというのは心外ですが、このままやられっぱなしで死ぬのは嫌ですからね)
意識を失う前に、海水に飲み込まれて死ぬ前に、残された魔力と身に纏った外気、それらを使って渾身の一撃を放ったのはミュウであった。
すぐに海水で溶けてしまうが、一瞬ならば風の通り道を作るぐらいは海水を凍らせることは出来る。
先に氷で弾道を形成して、そこに纏っていた外気をまとめて風の刃として放てばマリアの首ぐらいは取れるであろうと計算した最後の一撃だった。
だが。
(そんな……!)
風のバリアを失って海水に飲まれながら彼女が見たのは、マリアを庇って氷のトンネルを受け止め、彼女の放った刃で左腕を切り飛ばされたアイルの姿だった。
そしてそんな後悔の念にかられながら、ミュウは気を失った。
──────────────────
「マスター!」
海中で身を軽くするために、いつもなら左腕に装着している金属鎧を外していたのが仇となった。
生身の状態で鋭い風の刃を受け止めたアイルの左腕は綺麗に切断された。
「く……!」
氷、そして風、誰が放ったのかは一目瞭然であった。
だからこそアイルは己の左腕の事など構わずに海中にその人物を探そうと目を凝らした。
その直後、周囲の海水に流れが生じ、船の残骸も兵達の遺体もすべて押し流してしまった。
アイルは流れに持っていかれないように踏ん張るのが精一杯で、それらの行先を追うことが出来なかった。
「なにか、来ます」
八号の忠告に、三人は息を呑んで身構える。
「大丈夫、みんなを街まで乗せていってもらうの」
「な、なんですの」
暗い海の底をゆっくりと巨大な何かが進んでくるのがわかる。
多少は海面から差す光で薄っすらと様子がわかる海中の一部が真っ黒に塗りつぶされたようになっているのだ。
そしてその黒は徐々に大きくなってくる。その大きさは、デインの軍船など比べ物にならないほどの巨大さだ。
「海竜のシーなんとかちゃんだよ。私は時々乗せてもらうの」
「ひぃ」
ロゼッタはその場にへたり込んだ。自分でもこの一日で何回へたり込めばいいのかと思うぐらい今日は何度も脱力している。
「か、海竜?」
テオも絶句する。
海辺の街の漁師たちの間に伝わるおとぎ話にその名だけは出てくるのが海竜だ。
折しも海面から先程よりも明るい光が差し込み、その巨大な物体が四人の前に姿を露わにする。
全身を鱗に覆われている巨大な蛇とでも言おうか。
頭には硬質化した角のような物が二本生え、その口だけでもアイルの身体よりも大きな海竜はマリアのそばに顔を近づけると、甘えるように目を閉じた。
「私とみんなをティーバの街まで乗せていって欲しいの。私をかばって怪我をした人もいるわ。急いで」
マリアはそれだけいうと、海竜の頭の上にちょこんと乗っかる。
「みんなも来て。身体の上だとすごい動くから頭の上で角に隠れてるのが一番よ」
既に腰を抜かしつつあるロゼッタとテオ、そして負傷したアイルを八号が怪力で順次海竜の頭の上に乗せていき、最後にアイルの鎧と剣を拾っていつも通りアイルの膝の上にちょこんと座った。
四人はマリアに言われた通りに角らしき物の影に隠れるように座った。
「じゃあ出発」
海竜は嬉しそうに口を開けると、そのまま反転して泳ぎ始めた。
一同は何故角の後ろに、と言われたのかすぐに理解した。
海竜が泳ぐ速度が早すぎて、角の影にいないと海水の流れをもろに受けてしまうのだ。
「アイルさん、大丈夫ですか?」
テオは負傷したアイルが心配なようだったが、いつもどおりの無表情なのでなんとも計りかねる。
「いたい」
「あ、やっぱり痛いんですね。余りにも表情が変わらないので平気なのかと思ってしまいましたよ。それにしてもあれは何だったんでしょうね」
あれがミュウが放った魔法であるということは誰も気付いていないようだった。
幸いマリアも傷を塞ぐ程度の魔法は扱えたようですぐに血は止まったが、切断された腕は元には戻らない。
アイルとしては今後どうやって相手を殴ればいいかというのが最大の問題だった。
そして何よりも、魔法を放った後ミュウはどうしたのか。
それがもっとも気がかりであった。
──────────────────
ティーバの街の沿岸に突如として姿を現した海竜。
そしてそこから降りてきたテオとロゼッタと客人たち。
ティーバの街はしばらくの間、その話でもちきりとなった。
それはさておき、アイルはすぐに街の医者に担ぎ込まれて左腕の治療となる。
治療と言ってもマリアが止血したおかげで、消毒やら完全に傷が塞がるまでの間、包帯を巻いて動かさないように固定されたりしただけである。
そして一旦テオの家に全員が集まり、まずはマリアの契約解除となった。
「はいはい、お呼びでございましょうか」
アイルが、ミュウなしでどうやってマリアの契約解除をすればいいか思案した途端アイルとマリア以外の全ての動きが停止し、例の男が現れた。
今日の出で立ちは紺色の薄い布を身体の前で左右合わせるような作りの上着に、下も同じ色の布が膝ぐらいまでの丈になっているズボンだ。
ひと目で涼しそうとか、過ごしやすそうと感じるような服装である。
「これはジンベイと呼ばれる服でしてね。こういった海辺の街で夏の終わりを満喫するにはいいかと思いまして。ああ、こちらでは暑期というのでしたか。それでまたもや魔女の契約解除でございますね。いやあ、相変わらずアイル様の手腕には恐れいります。では早速」
相変わらず一方的にペラペラとよく喋る男だと思いながら、戸惑うマリアの頭を右手でポンポンと撫でてやる。
「マリア様、あなたが契約解除に同意なさいますと、その時からあなたは普通の人間の女の子に戻ります。普通に年を取ることになりますし、今までのように水を自在に操る力は無くなります。それでも契約の解除を望まれますか?」
男に問われたマリアは考えるまでもなく頷いた。
「私、またお父さんお母さんと暮らせるなら暮らしたい。またテオと一緒に遊びたいもの」
「かしこまりました。それは契約解除の手続きに入らせていただきます。マリア様の持つ水の力は……おや、今回はミュウ様は随分とまた遠くにおいでですな。まあいいでしょう。ミュウ様に受け継がれます。そしてアイル様はおめでとうございます。ついに四文字目の言葉を取り戻すことになります」
その言葉でミュウは生きているとわかったアイルは安堵の表情になる。
やがて眩い光がマリアを包み、その光の一つはアイルに、その他の二つの光は窓から出て空の彼方へと飛んでいった。
「それではこれにて。いいですねえ、いよいよクライマックスという雰囲気になってきましたよ。これほど楽しませていただけるとは思いもしませんでした。ここまで来たら、よりドラマチックにお願いしますよ。では、御機嫌よう」
気持ち悪いほどに丁寧な礼をした後、男はかき消すようにいなくなった。
途端に同じ部屋にいたテオやロゼッタが動き出す。
「たったいま、マリア様の魔女契約が解除されました。もうマリア様は普通の女の子になりました」
実は同じ空間で一部始終を見ていた八号が二人に説明する。
「え? いつの間に? え?」
状況が掴めない二人に構わず、マリアはテオに抱きついた。
「テオ、おじさんになっちゃったけど、また一緒に遊ぼうね。お父さんとお母さんはまだあのお家にいるのかな。早く会いたい!」
「あ、ああ。すぐに行こうな」
二十年前と姿の変わらないマリアを見たら、ご両親はきっと驚くだろうと思いつつ、テオと同じくマリアの生存を信じて疑わなかった二人の喜ぶ姿は早く見たいと思うテオだった。
「ところでロゼッタさんはこれからどうするんだい? むしろ君のほうがこれから大変だと思うんだけど」
まだ街の者たちは知らないが、領主であるデインが海の彼方で死んだのだ。
当然娘であるロゼッタはこれからその事後処理に奔走しなければならない。
「ええ、その事なのですけれど。今後この街はまた外洋に出て漁が出来ますわ。それを基軸に一から街を再建するにあたって……その……テオさんにもお手伝いいただけないかと思いまして」
ロゼッタはもじもじと今後の方針を語る。
「ええ? でもロゼッタさんは僕のやり方を嫌っていたし、ティーバさんだって変な着ぐるみと言っていたじゃないか。そんな僕が手伝うことなんて」
「もう! いいから手伝ってくださいませ! 今の私には他に頼る人がいないではありませんか!」
「テオ様、こういう時は素直に引き受けるのが男である、と考えます」
八号が鈍いテオにすかさずツッコミを入れた。
恐らくはトルマが感じていることなのであろうが。
もちろん、アイルはテオ側の部類に入る人間なので展開に全くついていけない。
「わ、わかりました。お引き受けします」
ロゼッタの顔が今日初めてパアっと明るくなった。
「では色々と落ち着いたら屋敷に来て下さいね。マリアさんもご両親との再会を楽しんでくださいませ。御機嫌よう」
そう言って弾むように出ていってしまった。
「何なんでしょうね……」
わけがわからず呆然と立っているテオが振り返っても、無表情の二人がいるだけである。
「テオ、早く私の家に行こう」
ぐいぐいと手を引っ張るマリアに急かされて、テオも出発する。
「ではアイルさん、この度は本当にありがとうございました。どれだけ感謝しても感謝しきれません。また後ほど」
そう挨拶して、三人は一旦分かれた。
「我々はどうしましょう。一度宿に戻るとして、今後の方針を決めねばなりません」
八号の提案に頷くアイル。
何はなくともミュウの行方を探さなければならない。
宿に向かって歩き出す二人。
「ミュウちゃんの行方が気になるぅ? 気になるわよねぇ?」
その背後から、アイルにとって忘れようにも忘れられない甘ったるい声がした。
ゆっくりと振り向いたアイルは、その名前を口にした。
「ヘレン」
応援ありがとうございます!
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