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第四章 闇の女神

4-2 信者の街と参拝

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 アイル達四人が北に向かう道は、枯れかけの木々が立ち並ぶ森林を抜けるように北へと続いている。

 実際には枯れかけているわけではなく、元から葉の少ない木なのだそうだ。

【短い春には小さな花も咲くんですよ。今年ももうすぐ春になりますから、花が咲くのが楽しみです】

 クラリスは樹々を楽しそうに見回しながら語る。

【春とはなんでしょうか】

【春は春ですけど。寒い冬が段々暖かくなってきて春になって、それから短い夏が来ます】

【ふむ】

 しばし歩きながら考え込んだ八号は一つの結論を出した。

「マスター、恐らくこちらでは暖期を春、暑期を夏、寒期を冬、とそれぞれ呼称しているのだと思われます。とても興味深いです」

「へえ、確かに大陸も違えば色んな物の呼び方も違うのかも知れないね。言葉だってこんなに違うんだからね。確かに興味深いね」

 エルも八号の報告に興味津々に答える。

「うむ」

 アイルには正直どうでも良かったのは皆には内緒である。


【うう、私も皆さんの言葉を覚えたいです】

 三人が西の大陸の言葉で話し出すと一人蚊帳の外になってしまうのでクラリスはつまらなそうだ。

【そうですね。旅をしながら少しずつ勉強していきましょうか。向こうの人間の舌の構造ではこちらの言葉を発音するのは至難の技ですが、逆ならば可能でしょう】

 こうして八号はクラリスの語学の先生になることになった。


 その後も旅は順調に続く。

 途中で獣に襲われることは何度もあったが、アイルと八号の前には魔物ですらない獣など蝿がたかってきた程度の驚異にもならずに、むしろ旅の間の新鮮な食料の供給と教団への毛皮の土産を増やしてくれる存在でしかなかった。

「二人、つよい」

 クラリスは元々聡明な女性だったのか八号の教える言葉をスラスラと覚え、数日後には片言程度の会話が出来るようになっており、

「もう、クラリス様の言語習熟度はマスターを超えてしまい……いえ、なんでもありません」

 つい八号が口を滑らすほどの上達ぶりであった。

 無論、アイルは不機嫌そうである。
 自分が喋れない理由は、明確に知っているのはミュウぐらいで八号もエルもなんとなく魔女が絡んでいる程度の知識しかなかったし、説明するのも面倒なのでそのままにしている。
 そしてクラリスはアイルが本当にただ無口なのだと思っている。

【向こうに見えてきました、あれが境界の山です】

 まだ複雑な言葉は元の言葉で話すクラリス。

 やや木々が開けてきた所で彼女が指差す先には高くそびえる山脈が姿を表していた。

 まだかなり距離はあるはずなのに、木々の間にその姿を見せる山脈はイーチの北の北壁山脈を彷彿とさせる威容だ。或いはそれ以上かも知れない。

「あんな山を登って越えるのは無理だねえ、ましてやドラゴンがいるかも知れないとなれば山を越える案はないかな」

 エルは手をかざして山脈を見ながら言う。八号はやや不服そうであるが。

 元々八号はゴーレムのために疲れるという概念が分からない。
 そこに加えて無尽蔵の体力を持っているのではないかと思わせるアイルが一緒のために山を登るぐらいなんだというのか、と考えてしまいがちだ。
 そこに普通の人間であるエルとクラリスが一緒にいるのはある意味正解だったのか、それとも足手まといになっていると見るべきか。

 アイルとて山登りはともかく、ドラゴンを相手にするなど冗談ではないと考えているのでエルの提案になんとなく頷いておく。

 だいたいドラゴンなどという生物を見たことがある人間がいるのであろうか。

 記録や伝承に残っているということはかつて遭遇した者がいたのだろうが、その影さえも感じられない存在であるし何処にいるのかも今まで知らなかった。

 それがいるというのだから見てみたいという気もするが、死んでしまっては元も子もない。蹂躙された後に残っているのは八号だけかも知れない。

【この先に、教団の街の中では最も南となるカイルの街があります。そこが私たちみたいな外からの参拝者が身を清めて聖地に向かう準備をする所になります】

 いつの間にやらアイル達は参拝者となっていたようである。


 そのカイルの街は林を通る街道を塞ぐように造られた街で、かつてはこの地域に逃げてきた混血達を追い立てるための王国の砦だったそうだ。
 かつては閉ざされていた門も常時開け放たれていて、旅をする人を優しく迎え入れ、また送り出している。

【私もカイルの神殿にはよくお参りに来るんです。教団の本部と女神様を祀る本殿があるタイセの街には幼い頃に両親に連れられて行って以来、一度も行ってないんですけどね】

 カイルの門が見えてきたあたりでクラリスも嬉しそうに話し出す。

【カイルの神殿にある女神様の像も凄いんですよ。私の村と違ってもっと大きくて石造りなんです。絶対お参りに行きましょうね】

 ヘレンの石像にお参りするなど何の冗談かとアイルは思うが、クラリスの純粋な瞳の輝きを見ていると無碍に断るわけにもいかない。

「ああ」

 とだけ短く答えておいた。


 いざカイルの街に入ってみれば、ティーバの街よりも小規模な街であった。街と言うよりも村と言ってしまってもいいぐらいだ。

 元々が砦だったというのだから仕方ないのかも知れない。わざわざ城壁を取り壊して広げるほどの場所でもないし、城塞だった建物をそのまま神殿とした後はその周りにいくつかの店と参拝者のための宿が建てられていて、恐らくはここに住んでいるのは神殿関係者とそれらの店を営む者ぐらいなのであろう。

「セルアンデにはここまであからさまな宗教の街は無いから面白いね。食料なんかも信者の人の供物で賄っているのかな。ざっと見た限りは広い畑があるようにも見えないものね」

 エルは街の様子を分析するのに忙しい。やはり王族という観点から色んな街がどう成り立っているのかが気になるらしい。

【まずは神殿にお参りに行きましょう】

 クラリスは早速一同を街の中心部にある神殿へと案内する。

 これまた砦をそのまま使いました、とでも言うべき状態で神殿らしい装飾も特に施していないように見える。

 そのまま入り口を潜れば中は広々とした空間になっていて、一番奥に例の女神像が建てられているのが見えた。
 大きさは確かにメイムの村で見た物よりも更に大きく、石造りのその姿に天井近くの窓から差し込む光が当たって荘厳な雰囲気を醸し出している。

【素晴らしいでしょう! あの女神様の美しい姿! 神々しいですよねえ】

 もはや興奮を抑えきれないクラリスと、どうしてもヘレンの姿に一切感情が盛り上がらない三人。もっとも八号が盛り上がることは無いのだが。

【クラリスではありませんか、久しぶりですね。そちらの方々は?】

 背後から女性の声がして一同が振り返れば、そこには黒を基調としたローブを着た初老の女性がにこやかに立っていた。

【メアリ司祭様! お久しぶりです。今日は女神の思し召しによって私の命を救って下さった方々を、こうして女神様の神殿にお連れしたのですよ! あ、皆さんこの方はメアリ司祭様といってこの神殿の一番偉い方なのです。いつも私がお参りに来た時に色々と教えていただいている素晴らしい方なのです】

 どうやらクラリスと旧知らしいメアリは、神殿を預かる司祭らしかった。クラリスが誇らしげに紹介するところを見ると随分と世話になっているようだ。

【初めましてメアリ様。私は八号、こちらの剣士がアイル様、私のマスターです。そしてこちらがエル様、お二人はこちらの言葉があまり話せないために私が仲介して言葉を交わしております】

 八号が丁寧にお辞儀をすると、メアリが目を細めて笑う。

【あら、可愛くてしっかりしたお嬢さんね。よろしくお願いしますね】

 そのままメアリについて女神像の足元まで来ると、祈りを捧げることになる。

【闇の女神様。本日はあなたの思し召しでこうして新たな信者が訪れることになりました。この新しい出会いに感謝を】

 メアリが女神への感謝を述べながら胸に手を当てて頭を垂れた。

 見れば同じようにクラリスも頭を垂れていたので、三人も見よう見まねで頭を下げる。

『くすくす、アイルちゃんたら何してんの』

 思わずヘレンにそう笑われていそうな幻聴が聞こえて顔を顰めるアイル。
 実際こんなところを見られたら腹を抱えて笑い転げそうである。

 それにしても『闇の女神』とはまたヘレンにお似合いの名である。いっそのこと、『闇の魔女』にしてしまえばいいと思ったがそんなことを言ったら教団の信者すべてを敵に回しそうである。



 どうやら『闇の女神教団』の本拠地である聖地タイセーに詣でるには、このカイルの街で三日間女神像に祈りを捧げる必要があるそうで、しかも一日に朝昼晩の三回も行わなくてはならないらしい。

 『清め』の儀式のために神殿に詣でるには供物を教団に捧げなければならないらしいが、幸い持ち込んだ毛皮と食料が大変喜ばれたので問題はなかった。

 アイルは思わず襲ってきてくれた獣達に感謝の祈りを捧げてしまった。

「なるほどね、こうして信者がいる限りこの街の収入は安定するわけだ」

 エルは変な所で感心していた。

 セルアンデ王国の対魔女教団もお布施を要求するが、基本的な収入は王国自体から得ているので信者に対して法外な要求はしていないようだったが、この教団は信者の供物こそが主たる収入源になるためにそれなりの要求をしているようだ。
 クラリスの様子を見る限りでは信者たちは喜んで捧げているみたいなので、部外者が口を挟むことでもない。

 今回は街に着いた挨拶であってその『清め』には数えられないということで四人は明日から三日間、神殿以外は特に見る物もない街に滞在することとなった。
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