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第四章 闇の女神

4-21 従者の王とエルの機転

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「ここが、恐らくかつては城門があった場所ですかね」

 ボロボロに崩れた城壁と城門だったらしき残骸の前にアイル達は立っている。

 金属鎧の眷属が去った後は妨害らしい妨害もなく、日が暮れてからも夜通し歩いてきたために夜のうちに旧王都に無事に到着することが出来た。

 が、廃墟と化している上に完全に闇に飲まれてしまっている街に入ることは躊躇われた。
 隠れる場所が多すぎて、どこから不意打ちや包囲をされてしまうかわかったものではない。

「夜明けまでそれほどかからないだろうから、少し街から距離を取って夜営をして夜明けと共に入るほうがいいかな」

 エルはそう提案したが、アイルは街の方をじっと睨んだまま動かない。

 八号も街をじっと見つめていたが、そっと首を振った。

「残念ながらそうはいかないようです。今までに感じたことが無いほどの強大な気配が近づいてきます」

 八号の言葉を待つまでもなく、先程までは静けさに満ちていた夜の廃墟にズシンズシンという地響きと共に重い足音が聞こえてくる。

「これは……僕でもわかるよ。今までに感じたことのない物凄い威圧感だ。刺すような、冷たい、背筋が凍るような」

「……」

 アイルも今までにないほどに真剣な表情で背中の剣を抜く。

 洞窟での戦いと、クラリスの墓標として二本の剣は置いてきてしまったので現在はこの一本しか剣を所持していない。

 やがて、暗闇の中にボゥっと大きな影が見えてきた。

「これより先は、ヘレン様の一の従者であり、従者の王である我が守る領域である。先に進みたくば我を倒していくがいい」

 低く、太い声が闇に響き渡った。

 アイルもこれまでのような先制奇襲攻撃をかけない。いや、かけられないのだ。

「マスター。あのデカイのの相手はお任せします。エル様、私と共に『もう一人』の相手を。恐らく私一人では手に余るかも知れません」

 そう、アイルが動けなかった理由、そして八号が一対一で渡り合うのに疑問を感じる存在、それが闇の中に浮かぶ巨体の傍にいるもう一つの影の存在であった。

「わかった。クラリス、頼むよ」

 エルも八号の指示にしたがって、魔剣クラリスを抜く。

「その意気やよし! 我の相手はそこの大男か。ではリーザ、その他二名の相手は任せたぞ」
「かしこまりました。ですが、あまり無理はなさいませぬよう」

 アイルの事を大男と言うが、相手はアイルよりも一回りも大きな身体をしている。

 一方、その傍から離れた小さな影はすすっと前に出て闇に薄っすらと浮かんだ姿は細身の女性の姿であった。

「では、互いの戦いの邪魔になってはいけません。あちらへ参りましょう」

 リーザと呼ばれた女性はしずしずと八号とエルを誘導していった。


「ふむ、これで邪魔はいなくなったな。存分に死合おうぞ!!」

 残された男とアイルが二人きりになった所で、男は両手を広げて笑う。

「遂に我の力を見せる時が訪れたのだ! 喜びで全身が震えるわ!!」

 アイルは首を傾げる。

 先程まで感じていた凍るような威圧感を感じない。

 確かに男が両手を広げて叫んだ瞬間に、男が発する闘気のようなものが多少膨れ上がった気はするが、アイルが知っているその類の物の最たる傭兵ギルド長のサミュエルの物と比べても大した闘気ではない。

 とすれば、あの威圧感は先程の女性が放っていたものということになる。

「ゆくぞおおおおお!!」

 アイルがあれこれと考えている間に、男は襲いかかってきた。

 力任せに拳を振り下ろしてくるのを、一歩飛び退る形で躱すアイル。

 ドゴン!と大きな音と振動が響き、アイルのいた地点の地面が思い切り陥没する。とりあえず力で言えばあの洞窟で見たレオノワールと同等かも知れない。

「……っく、よ、よくぞ我の神速の一撃を躱した。だが、まぐれもここまでだ」

 再びアイルは首を傾げる。

 そう、威力こそ同じレベルだが、あの時八号に向かって繰り出したレオノワールの一撃のほうが疾かった。
 そして言葉こそ余裕を持っているような言い回しだが、どう見ても地面を打った右の拳が痛そうである。

 その証拠になかなか次の攻撃動作に入ってこない。

 結論として『こいつ結構弱いのかも知れない』という所に落ち着いた。ならば一刻も早く片付けて、八号達の加勢に回ったほうがいいだろう。

 アイルは剣を構え直して、とっととこの男との決着をつけることにした。

「次の一撃で貴様を完全に葬り去る。従者の王たる我の本気の一撃を」

 男が決め台詞を述べるのと、その頭が飛ぶのは同時だった。

 アイルの踏み込みざまの一撃を避けることさえ出来なかったのだ。

 転がった頭部に剣を突き立ててため息を吐くアイル。ここまでのところ、正直言って倒すのに苦労したと思う眷属がいない。
 逆に、まともに戦ってはいないがやり合ったら苦労しそうなのはレオノワールと金属鎧の騎士だろうか。

 男との決着がついた所で日が昇り始め、徐々に辺りが明るくなってくる。

 さて八号達の加勢に、と考えた所で脚を止めた。

「……」


 八号達がどこに案内されていったのか、全くわからなかったのである。


「アイルちゃーん」

 アイルがどうしたものかと途方に暮れていた所に何とも気の抜けた、だが聞き覚えのある甘ったるい声が遠くから聞こえた。

 声の方向に目を向ければ、街の中心部、かつては王城だったのだろう建造物の最上階に近いあたりで誰かが手を振っていた。

 誰かが、などと考える必要もない。

 ここは魔女ヘレンの本拠地、その王城の最上階から手を振る人物など一人しかいない。

 やれやれと首を振りながら、アイルは一人、その王城に向けて歩き出した。


──────────────────


「さて、ここらでいいでしょう」

 薄暗い中をかなりの距離を移動したリーザは、開けた場所に出た所で足を止めた。

「ここはかつてこの王国を治めていた王が、より優秀な兵を募るために作った闘技場だった場所の成れの果てです。今ではただ広いだけの場所ですが、それだけにお互いに遠慮なく戦えます」

「あなたの主と私のマスターとの戦いは心配ではないのですか?」

 八号も足を止めて尋ねる。

「主? 私の主はヘレン様お一人のみです。あの男は口ばかりで大した戦闘力もない大馬鹿者です。あなたのマスターがお強い方なら今頃もう決着がついているのではないですか?」

 昇り始めた朝陽に照らされたリーザの顔は冷笑に満ちていた。

「あの男の自尊心を持ち上げてやる気を維持するのに疲れていたところでしたので、ちょうどいいでしょう。私の目的は、ヘレン様がご所望のあの男と、あなた方を分断することでしたし、それはもう遂げられました」

「!」

 急いで踵を返して戻ろうとした八号の行く手を何かが遮った。慌ててそれを躱す八号。

「はは、どうやら簡単にここから戻らせてはくれないらしいね」

 見ていたエルも、どうやらこの女性は自分たちを逃してはくれないらしいと悟る。

「ええ、ヘレン様のご命令であの男を殺すことは厳禁であるとレオノワールから聞き及んでおります。途中でケルンの馬鹿が殺そうとしたようですので、主に代わりそれはお詫びいたします。ですが、あなた方お二人の処遇に関しては何も聞かされておりません。よってここで葬り去ってもよいかと考えます」

 八号を阻害したのは、触手だった。

 リドルが己の骨を武器として突出させたような物とは違い、まるで意志を持っているかのようにリーザから生えた四本の触手がウネウネと動いている。

「なるほど、髪の毛ですか。それに先程の攻撃を見るにその伸び方が尋常じゃないですね」

 リーザと八号の距離は二メード以上はある。

 その八号の行く手を一瞬で遮ることが出来たのだから、三メード以上伸びたということになる。

「これは闘技場の試合ではないので、お二人同時にお相手して差し上げます。遠慮なさらずに全力でどうぞ」

 リーザは腰に付けていた剣を抜いて右手に持つ。触手に加えて剣技を織り交ぜるようだ。

「エルさん、油断はしないでください。恐らく私たちが出会ってきた眷属の中でこの方が最も強いと思います」
「ああ、そのつもりだよ。まずはセオリー通り、左右から攻撃してみようか」

 待っていてもあの触手が自在に伸びてきて防戦一方になるのは目に見えている。ならば、こちらから攻撃するしかない。

「時間差で行きます、まずは私が飛び込んで攻撃を引きつけますので、タイミングをずらして攻撃してください」

 八号は小声で作戦を伝えると構えを取った。

「では、まいります。たっ!」

 重い踏み込みと共に、弾丸のようになった八号がリーザに肉迫する。

 それを迎え撃つ四本の触手。

 一拍遅れて逆サイドからエルが飛び込んでいく。

 八号のリーチの短い攻撃はリーザの本体に届かず、襲いかかる触手と打ち合う形になっている隙を突いた形でのエルの攻撃の間合いは完璧だった。

「ぐあっ」

 が、吹き飛ばされたのはエルだった。

 そして八号も四本の触手がまとまって鞭のように襲ってきたのをまともに両腕で受け、そのままエルと同じように跳ね飛ばされた。

「く、これほどとは」
「ああ、手強いね」

 見れば触手が五本になっていた。

「私の髪の毛がこのように変化している、と分析したにも関わらず……」

 リーザは触手化していない残っている髪の毛をかき上げる。

「まだこのように髪が残っているということは、まだ増える可能性がある、ということには思いが至らなかったようですね」

 そのままニヤリと冷たい笑いを顔に浮かべた。

「エル様、戦いながら私があれを分析します。防御力という面では私が優れておりますし、幸いにして痛覚というものがありません。エル様は援護をお願いします」

 倒れているエルの傍に来た八号は、エルを助け起こしつつ言う。

「ああ、どうやらハチゴーちゃんが頼りみたいだね。僕も今の攻撃くらいはクラリスのおかげで身体に当たる前に防ぐことが出来たけどね」

 エルも立ち上がって服の埃を払う。

「だけど、援護ぐらいなら出来ると思う。クラリス、ちょっと思いついたことがあるんだ。こんな風には出来るかい? ああ、そうだ。さすがクラリスだね、頭がいい」

 緊急時ゆえ、人目も憚らず独り言モードに入ったエルは何やら思いついたらしく満足そうな笑みを浮かべた。

「やはり見ていて不気味ではありますが、よろしくお願い申し上げます」

 宙空に向かってブツブツと笑顔で独り言を呟くエルを無表情で見つめながら、八号は再び構えを取った。

「ではまいります。たっ!」

 再び弾丸のようにリーザに向かって飛び込んでいく八号。今度は五本の触手と格闘を始めた。

「さあクラリス、やろうか」

 エルとリーザの距離は、吹き飛ばされたのもあって五メードほどになっている。恐らく先程のように死角から飛び込んでもまた触手が増えて同じような結果になるだろう。

「うん。こんな感じかな、コツがわかってきたよ」

 また独り言を言いながらもエルの持つ魔剣クラリスが輝きを帯び始める。

「ぶっつけ本番だから上手くいくかわからないけど、いくよ!」

 その場でエルが剣をリーザに向けて一振りすれば、剣閃から光の刃が発生してリーザに向かって飛んでいく。

「なに!」

 さすがのリーザもこれには少し驚いたようで、その刃に向かって一本の触手を振り向けつつ八号とも距離を取るように後ろへ跳んだ。

 光の刃を受け止めようとした触手は、そのまま刃に切断され、髪の毛の状態に戻りながら地面にハラハラと落ちた。

「やはり切断属性が有効ですね。私のような格闘主体では相性が悪いようです。エル様も素晴らしい技を思いつきましたね。それにしても……」

 八号も切断された触手を見て何やら分析する。


「ふむ、魔法が使えない二人相手だと嘗めていました。あなたもただの人間ではないようですね」

 リーザは少々驚いた顔でエルを睨んでいた。

「少々込み入った事情があってね。思いの外うまくいって自分でも驚いているのだけれど。ただ、それなりに魔力を消費するみたいだからそんなに何発も撃てないね」

 思いつきが予想以上に相手に打撃を与えることが出来たことに気分を良くしたのか、いつもより優雅な仕草で剣を構え直す。

「さあ、第二ラウンドといこうか」
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