無口な傭兵さんは断れない

彩多魔爺(さいたまや)

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第四章 闇の女神

4-25 始まりの魔女と契約終了

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「どう転んでも私の勝ちでしかないんだけど、考え直す気はなあい?」

 剣を抜いて構えたアイルに対して、ゆっくりと歩み寄りながらヘレンは尋ねる。

「ない」

 アイルは短く答える。

 最早ヘレンを討つことに迷いはなかった。

「そう、残念ねえ」

 優雅な仕草の中でヘレンが右腕をスッとあげた瞬間に、彼女の身体を黒い霧のようなものが覆っていった。見た感じはあの漆黒の短剣から出てきたものに似ている。
 同時に真っ黒に染められていた部屋の色彩が普通になる。

 つまりはこの部屋の内装を覆い尽くしていたのがあの霧だということか。

 闇の女神と言われるだけあって、闇の魔法なのだろうか。

「この霧はねえ、普通の人間が触れたらそれだけで心を侵食されて死んでしまうの。そして少し他の人よりも心が強い者は眷属になってしまうわ。そして遺体がこの霧に侵食されると分解されて私の魔力になるの。便利でしょ?」

 それを聞いたアイルは少し嫌な顔をする。

「そう、この国を滅ぼしたのもこの霧。その時に生き残ったのが、あの眷属たちっていうわけ。だから私が見込んで眷属にしたわけじゃないから質がいまいちなのよね」

 そう聞くと彼らが哀れになってくるが、競ってヘレンの一の従者の座を奪い合っているのを思い出すとそれほど可哀想でもないのかも知れない、と思い直した。


 にしても『どう転んでも勝ち』というのはどういう意味だろうか。

 ただでさえ普段から何を考えているのか掴めないヘレンが、戦いにおいてどんな策を巡らせているのかなどこの場で考えても仕方がない。

 そして、あの霧が魔力によって作り出されたものだというならばアイルに取れる手段はひとつしかない。
 あとはそれを使うタイミングだけだ。


 まずは小手調べとばかりに、明るくなった室内で身近にあった椅子を左手で持ち上げ、ヘレンに向かって無造作に投げつける。

「ふふっ」

 ヘレンはそれを避けるような動作もせずに、ただ笑っている。

 彼女めがけて正確に飛んでいった椅子は黒い霧に触れた瞬間に弾かれ、そのまま壁にぶつかって粉々に砕けてしまった。

 あの霧は物理的な攻撃に対しての防御となっていることがわかった。

 だとすれば、今の状態でヘレンに向かって剣で切りつけたところで弾かれてしまうのだろう。

「私からは攻撃しないでおいてあげるけど、あと数年待ってもこの霧は消えないわよお? 魔力を消耗せずに循環させてるからあ。どうする? このままずっとこの状態で対峙を続ける?」

 ヘレンは既に勝ち誇っている。これがどう転んでも勝ちということだろうか。

 アイルの脳裏に思いついた手があるにはあるが、成功するかどうかはわからない。だがこのままずっとにらみ合いを続けても仕方ないし、ミュウがどういう状態なのかによってはそんな悠長なことは言っていられないかも知れない。

 ならば、いちかばちかだ。

 覚悟を決める。ぶっつけ本番だし、失敗してもその後は動けなくなることは確定しているのだから負けが決まる。

 一度全身の力を抜いて、精神を落ち着かせる。


 そして剣を胸の前に構える。

「あら? それでも無駄なあがきをするというわけね? いいわよお」

 たとえこの身が砕けようと、最後の魔女はこの手で討ち取る。

 その決意を込めて、アイルは静かに口を開いた。

「ε・λ・ε・ν・ω・α」

 それを見たヘレンがくくっと笑う。

「やっぱりそれを使うわよねえ? それしかないわよねえ? あらゆる魔法を無効化するあなたの魔力。でも私が攻撃しなければ、宝の持ち腐れなのではなくて?」

 ヘレンがそう言って笑う間にも、アイルの見た目が変貌していく。

 眼は大きく切れ上がり、瞳は白目部分がなくなり全体が碧眼になる。そして耳は細く長く尖っていく。

「懐かしいわね。初めてあなたに出会った頃の容貌に近くなってきたわ。魔眼で見ていた時はぼんやりしていたけど、そういう風に変化するのね。ダイアちゃんはびっくりしていたみたいだけど」

 アイルの姿を見てもなお、ヘレンの余裕のある態度は変わらない。

「ヘレン……俺はずっとあなたを斬ることに迷いを感じていた。特別、人に害を及ぼさないならば放っておいてもいいかとさえ思った。だが、この国を滅ぼし、俺の同胞をも自らの寿命のために蹂躙し、いまなお、ミュウを捕えて俺を狙う。そんな己の欲望のためには人の命などなんとも思わないお前を斬ると決めた。それがエレノアとの約束だ」

 饒舌に喋るアイルにヘレンは目を瞠った。

「凄いわアイルちゃん! その状態だと普通に喋れるのね! 凄いわ! あの男との契約は絶対だと思っていたけど、どうやったのかしら」

「知らん。ミュウがやったことだ。今はお前を討つための力がある、それだけで充分だ。仕組みなど知ったことか」

 言いながらアイルは身体を沈める。

「その状態だと、私がどんな魔法攻撃を仕掛けても無効化されてしまうのでしょう? でもあなたの攻撃も私の霧が弾いてしまうわよ?」

「やってみなければわからん」

 アイルは左足に力を溜める。

「Λιγφτ βεσομε μν σφιελδ」

 かつて魔女ダイアを倒した時に使った魔法を再び詠唱する。

 アイルの全身を光が覆っていく。


 ここからだ。


 アイルは脚に溜めた力を解放して、一気にヘレンとの距離を縮める。

 ヘレンを守る黒い霧がアイルからの攻撃を弾くためにざわめきだす。


「Σνμμαρισε」

「あら?」


 アイルが真っ直ぐに突き出した剣の切っ先は、ヘレンが纏う霧に弾かれることなく、
そのままヘレンの柔らかい胸元を貫いた。


 この世界で魔法と呼ばれる現象、アイルの元々の種族であるハイマン族が言葉で自在に操る現象についてはイメージこそが重要だと知識を詰め込まれている。
 言葉だけで現象が発生してしまっては日常生活に支障をきたす。

 だからこそ、言葉を発すると同時にその現象をイメージしなければならない。

 いまアイルは、本来であれば己の身を守るために全身に張り巡らされる魔法無効化の光を、その手に持つ剣に集約するようにイメージした。
 自然に口をついて出た言葉は『集約』を意味する言葉だ。

 己に放たれた魔法攻撃を無効化するための防御結界に包まれた剣先は、ヘレンを守る霧の結界を無効化した。
 そしてあらゆる魔法防御を無視したままヘレンの身体を貫いたのだった。


「さ……すが……ね、アイル……ちゃん」

 自分に突き刺さった剣先を信じられないものを見るような目で見ながらも、既にヘレンの口からは赤い血が伝い始めた。

「いちかばちかだった」

 致命傷を負わされたというのに、愛おしそうな目で自分を見るヘレンに、アイルは喋れるうちに伝えておこうと口を開く。

「俺は最後まであなたを殺したくはなかった。エレノアにもう一度会いたいという願いを叶えてくれたのはあなただ。そして人間社会で生きるための常識や知識を三年もかけて教えてくれたのも全てあなただ。そこには恩しか感じていないし、言葉や寿命を差し出したことも欠片も後悔していない。ただ、エレノアとの約束だけがあった。それだけだ」

 事実、ヘレンに憎しみを抱いていたわけではない。

「そう……でも、不思議と最初からこうなる予感はしていたの。もっと色々と話したかったけど、お預けみたいね」

 ヘレンが苦しそうな笑顔でそう言った瞬間に、拍手の音が響く。


「いやはや、素晴らしい。とうとう始まりの魔女さえも下してしまいましたねえ」

 聞いているだけでも嫌な気分になる高めの声が頭上からしたかと思えば、例の男が天井付近に浮いていた。今日は最初に出会った時と同じような衣裳だ。

「記念すべき最後の魔女を倒した瞬間ですから、正装で来たのですよ」

 ふわふわと徐々に高度を下げつつ、男はニヤリと笑う。

「始まりの魔女ヘレン、これであなたの望みは全て叶いましたかな?」

 何を言い出したのかと驚いてアイルがヘレンを見れば、ヘレンはとても安らかな笑顔になった。

「ええ……本望だわ」

「ではまずは傷の治療を、このままでは満足に話もできませんからねえ」

 そう言って男が指先を振れば、アイルの剣はヘレンの身体から押し戻されるように抜けていき、その傷口はみるみる塞がっていった。

「ああ、ご心配なく。別に魔女ヘレンを回復して再戦などという野暮なことをしにきたわけではありません。遺言、というかヘレンが最後にあなたに伝えたいことがありそうなので喋りやすくしたまでです。私とて、死が確定した者の運命を回避させることなど出来ません」

 驚いているアイルに男は説明する。

「ありがとう……。ねえ、アイルちゃん、どう転んでも私の勝ちって言ったでしょ? あれはね、こうして私があなたに殺されても、私の望みが叶うからなの」

 今度はヘレンまでもわけのわからないことを言い出したと、アイルの表情は渋いものになる。

「あなたと契約を交わして長い寿命と、言葉で魔法を操る力を手に入れたはいいけれど……ここ最近はもう退屈で仕方なかったの。だってそうでしょ? 脆弱な人間たちがバタバタと死んでいくのに私は死ねない。戦っても国が一瞬で滅ぶほどの弱さなのよ? 魔物を作ったり眷属をけしかけたりして遊んでいるのにも飽きた。でも、自殺することはこの男との契約上許されなかったの。あなたから永遠に近い寿命を得ようなんて思ったのも遊びの一つでしかなくて、別に今以上に長生きしたかったわけでもないの」

 ヘレンの言葉をアイルはただ黙って聞いている。

「魔眼であなたとミュウちゃんの楽しそうな日々を見ているだけで、羨ましくなってきて、ちょっと意地悪したくなっちゃっただけなの」

 これのどこがちょっとなのかとツッコミを入れたくなったが黙っている。

「だけど、これを思いついたのはつい最近なのよ? ここに来る途中で、あのクラリスとかいう小娘が起こしたイレギュラー、あれで素敵なことを思いついたのよ」

 急に晴れやかな顔になったヘレンを見て、アイルにはもう嫌な予感しかしなくなる。

「でも、正面からお願いしても絶対アイルちゃんは断ると思って、ミュウちゃんを盾にした私を殺そうとしてくれればいけると思ったのよね」

 そう言って、ヘレンはまだ浮いている男へと視線を移す。

「これで魔女の契約は終わり。私が持っていた力は全てミュウちゃんに譲るわ。そして私はアイルちゃんと共に生きるの。それでいいわよね?」

「ええ、そういう契約ですから。あなたの死後、その全ての力はミュウ様へと引き継ぎます。そしてアイル様は晴れて五文字目を手に入れるというわけですね」

 男はニヤニヤと笑う。

「というわけで、これからはずっと一緒だからよろしくね、アイルちゃん」

 ヘレンがパチリと片目を瞑るのと、男が何やら羊皮紙のようなものを取り出し、それを指先で弾くのはほぼ同時だった。

 羊皮紙はそのまま空中で燃え始め、灰となって散っていく。同時にヘレンの身体は足元から徐々に粉のように分解していく。

 そして、ヘレンが纏っていた黒い霧と粉になったヘレンの身体だったものが混じり合い、その全てがアイルの持つ剣に吸い込まれていく。

 まさか、と思い剣を引こうとするがアイルの身体は動かない。

「契約更新完了まではじっとしていていただきますよ」

 男は楽しそうにその様子を見ている。

 ヘレンだったものはアイルの剣と、横たわったままのミュウの身体にも吸い込まれていく。

 黒い霧が全て吸い込まれたと思った時、ミュウがゆっくりと身体を起こした。

「ミュウ……」
「アイルさん……」

 身体の自由を取り戻したミュウの表情は実に複雑な色をたたえていた。

「感動の再会のところ申し訳ございませんが、そろそろアイル様の身体の限界が近いと思われますので手短に確認させていただきます。アイル様、にはこれといって切望するような案件がないのは存じておりますが、ミュウ様はいかがでしょうか? なにか強い望みを持つ事柄はありませんでしょうか?」

 男の唐突な質問に、首を傾げるミュウだったが、

「こうして魔眼も戻ってきましたし、これからアイルさんと二人で世界を見て回る旅に出ることが出来るというだけで他に望みとかはありませんね」

 そう、答えた。

「さようでございますか。それほどの力をヘレンから受け継いだのにもったいないことですが、強い望みを持たない方に契約を強要できる立場でもありませんもので、残念ですが私の出る幕は無さそうですねえ。他に相応しい方がいるかどうか探しに行くとします。それでは例によってアイル様には一時的な契約違反の反動が来るかと思いますが、ご自愛なされますよう」

 最後までニヤニヤと笑う顔を崩さずに男が消える。

 同時に、ダイアを倒した後と同じ、強烈な痛みが全身を襲う。

「アイルさん!」

 ミュウが駆け寄ってくるのが見えたが、アイルはそのままその場に崩れ落ち、意識を失った。
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