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最終章 風の魔女
5-3 上陸戦開始とミュウの計画
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戦端を開いたのは教団側だった。
座礁しない場所まで軍船で近づいた王国軍が上陸用の小舟に分乗して砂浜に近づいてきたところに一斉に矢を放ったのだ。
「撃て! 撃てええええ!」
雨のように降り注ぐ矢を盾で防ぎながら急いで小舟を漕ぐ王国軍。
「なんだ? よもやこれほどの抵抗を受けようとは。まるで我らが来るのを知っていたかのようではないか!」
上陸部隊の隊長は各部隊に指示を出しつつも、戸惑いを隠せないでいた。
そもそもこの大陸にどのような国があり、どの程度の戦力があるのかもわかっていない状態での上陸作戦である。
本来ならばこの海岸近くに橋頭堡を築いてまずは周辺を偵察するところから始めようとしていたところに、いきなりの矢による歓迎である。
王国兵はほとんどが重装の金属鎧を着用しているために上陸前に水に飛び込んで泳いで進むというわけにはいかないのだ。
幸い、迎撃している軍の中に魔術師はいないようで、攻撃魔法が飛んでくる様子はない。木製の小舟に魔法で火を放たれては被害が甚大になるところだった。
「冷静に矢を防ぎつつ急ぎ接岸せよ! 盾を前面にして押し切れ!」
声を涸らしつつ他の船の様子を窺えば、あの謎の兵士たちが棒立ちのまま進んでいるのが見えた。盾を構えようとさえしていない。
「あいつらは馬鹿か」
そう言いたかった隊長だったが、やがて息を呑んだ。
棒立ちのままの兵たちに実際矢が何本も突き立っているのだが、彼らはそれを意に介さずに立ったままなのだ。
痛がるわけでもなく声をあげるでもない。
「なんなのだ、奴らは……」
味方の兵ではあるが、その不気味さに隊長はこんな任務の指揮を取らされる己の不運を呪うしかなかった。
──────────────────
「始まりましたね」
大陸北西部の海岸線で戦いが始まった様子を魔眼で観察していたミュウは、集まった面々にその様子を告げた。
「奇襲という形で教団側が優勢のようですが、王国軍側の兵士の様子がおかしいですね。矢が刺さっても平気な兵が混ざっています」
一同はミュウが何を言っているのかわからないという顔で話を聞いている。
「まあそれはともかく。兵を降ろした大型船はしばらく上陸戦の様子を見ているようですね。今のうちに無力化してしまいましょう。それで彼らは西の大陸に帰ることが出来なくなります」
ミュウにしてみればその王国軍と自分たちが戦うわけではないのであまり興味がないようで、作戦をさっさと進めることにしたようだ。
「村長さんたち、大丈夫かなあ」
ルミとリミはアイル達についてこの南側に来たものの、残って村を守ると言った村の人たちがそんな不気味な軍隊を相手にしなければならないのか、と心配な様子だった。
「あの村には認識阻害の結界を三重に張りましたから大丈夫でしょう。一番外側の結界が破られた時点で防衛機構が作用するようにしてありますから」
その防衛機構とやらが一体何なのかは教えてくれないミュウだったが『三十アイルさんぐらいのレベルです』という、解りやすいのか疑問が残る表現でその信頼性を保障していた。
「船を無力化するっていうのは具体的にどうするんだい?」
エルが興味深そうに尋ねる。
「この海には、マリアが魔女ではなくなった時からそのままになっている魔物が無数にいるんですよ」
「え……?」
これにはマリアもテオも絶句した。
「でもここに来るまでに海に魔物の影なんて一切なかったよ?」
「そりゃあそうですよ。いまや全ての残存する魔物は私の支配下にあるんです。テオさん達の船を誘導している時点で、魔物たちにも襲わないように指示を出しました」
テオの疑問に即座に答えるミュウ。
「てことは……」
「はい、その魔物達の中でも中型以上の、船を沈める能力に長けたのを沖合に集結させてありますので。上陸が完了した時点で全て沈めます」
淡々と恐ろしいことを述べるミュウにロゼッタも呆れ顔だった。
「じゃあ……シーちゃんも元気……?」
テオの膝の上に座ったマリアはおずおずとミュウに尋ねた。
「もちろんですよ。今回テオさんの指導の下に建造していただいた大型輸送船、あれは外洋を航海するには向いてないですよね?」
ミュウはテオに視線を送る。ミュウに頼まれて、テオは周辺の村人たちを総動員して木造の大型船を建造していた。
「うん。外洋どころか沿岸を航行するのだって無理だよ。本当にただ浮かぶだけだ」
できるだけ多くの人と物資を積載できればあとは海にちゃんと浮かぶだけでいいという注文だったために、首を傾げながらもなんとか一年で造り上げ、今は西の海の近くに保管してある。
「そのとおりです。実際にあれを引っ張るのはシー・サーペントに任せるつもりです。既に彼女は海に待機していますから、船を海に降ろして繋ぐだけですね」
「はは……」
かつて一度、海竜に運ばれたことがあるとはいえ、あれに船を曳いてもらうという発想が既に常軌を逸しているために、テオはそれ以上の疑問を口にするのをやめた。
一方でマリアは、また海竜に会えると嬉しそうにはしゃいだ。
「向こうについてからは、この一年打ち合わせしてきた通り、全ての指揮はエルさんにお任せします。まずは向こうに気取られないように鉱山の街へ。そこからダナンの皆と合流して王国軍と対峙する戦力を結集します。ティーバの解放は後回しになってしまいますが、ご了承くださいロゼッタさん」
「仕方ないですわ。先にティーバに上陸すれば、王都に急報が入って更なる軍が街に押し寄せますもの。それは結果的に民のためにもなりません」
言葉ではそう言いつつも唇を噛み締めているあたり、本当は街が心配でたまらないに違いない。そんなロゼッタの肩をそっと抱き寄せるテオの仕草に、エルは微笑んでしまう。
「鉱山の街とダナンの軍を合わせても、王国軍と対峙するには心許ない気もするけどね。その辺りの対策は大丈夫かい? ミュウちゃんが任せてくれというから、心配はしていないけど」
エルの質問にミュウが得意げな顔を更に得意げにして胸をそらした。
「この一年、この周辺の民を困らせていた獣たちを全て魔物として手懐けました。あとは向こうの大陸にも実は魔物は残っているんですよ。ダナンの西の森にもまだまだいるんですよ? 隠れているだけで」
衝撃の事実にアイルは呆れ顔でミュウを見る。
「あとは確認したところ、旧イーチ領の北の山脈にもダイアが温存していた魔物がそのまま放置されてます。もちろん私がおとなしくさせているんですけど。それらを全て糾合して、魔物の軍勢を作ります。エルさんが率いる軍隊とは別行動させますので、どうかご安心を」
「アイルさんが嫌そうな顔をしてるから聞くんだけど、その魔物の軍勢を指揮する役目は決まってるのかい」
「言うまでもありませんが総指揮はアイルさんで。でもアイルさんは喋れませんし、魔物を操る役目もありますので私が一緒に。実際の戦闘の指揮は……」
ミュウがそこまで言って、現在会議が行われている部屋の扉に目をやる。
すると扉が勢いよく開かれた。
「ついに! ついに私たちの出番がやってまいりましーた!」
喜び勇んで部屋に飛び込んできたのは誰あろうレオノワールであった。その後ろから明るい紫色の長い髪をたなびかせた美女が入ってくる。
「あ、レオノワールさん……は判るけど、後ろの女の人はだれ?」
あの洞窟以来の再会となるレオノワールの姿にリミが思わず立ち上がり、見慣れぬ美女の姿に首を傾げる。
「ほら、自己紹介」
ミュウに促されて、美女はおずおずと前に出てきた。
「え、あー、私は騎士ヒルデガルド。かつては北の王国の近衛騎士隊長を努め、国が滅んだ後は魔女ヘレン様にお仕えしていた身だ。ヘレン様の力がそのままミュウ様に移譲されたことで、私はそこの筋肉ダルマ共々ミュウ様の眷属となった。此度は魔物の一軍を率いてミュウ様に仇なす輩を討つ名誉ある戦いに参じる運びとなった。よ、よろしく頼む」
言葉は威勢がいいのだが終始もじもじと落ち着かない様子で、その美しさとメリハリのあるスタイルの身体も手伝って、妙な色気を醸し出していた。
アイルはヒルデガルドの腰にぶら下がる剣を見て、ああ、あの時の甲冑騎士か、と確認することができた。
「ミュウ様のご命令で、全身鎧を着ることは許されない……のだが、あれを着ていないと妙に落ち着かなくてな……」
なるほど、常にあの鎧を纏っていることが日常だったヒルデガルドにとっては鎧の着用を禁止されていることが不安でたまらないらしい。
「あんな重い鎧をつけているから、ここ一番の時に力を発揮できないのです。城での顛末は私も知ってますからね?」
鎧を着けたまま長距離を全力疾走し、その疲れでアイルとまともに戦えなかったことを指摘されてヒルデガルドは真っ赤になって俯いた。
「ちなみにあなたがあの時救出した双子は眷属契約を解除してあります。一緒に向こうの大陸に連れて行きますから、戦いが終わったら三人でゆっくり暮らすといいと思いますよ」
びっくりした表情のヒルデガルドだったが、それ以上にアイルが驚愕の表情でミュウを見た。
「なんですかアイルさん、その目は」
ミュウが他人の今後の生活を心配したり、それに対して手回しをして配慮しているなどという凡そ考えられない事態に、思わず娘の成長を見守る顔になってしまう。
「あ、久々にその父親目線の失礼な思いに至りましたね? 相変わらずアイルさんが考えていることは湧き水のように自然に流れ込んでくるのですから、気をつけたほうがいいですよ」
などと文句を言いつつも、一度は途切れたアイルからの想いの伝達が再度構築されていることに嬉しさを隠せないミュウであった。
「既に長距離伝書鳥によって、ダナンのリンジーさんや鉱山の街のなんとかさんとも連絡は取れています。食料その他をしっかりと準備をお願いします」
ミュウの宣言によって、いよいよアイル達一行は西の大陸へと帰還することになった。
「レオノワールさん、落ち込まないで……」
勢いよく登場したのに話題をヒルデガルドにかっさらわれた上に、誰にもいじってもらえずに部屋の隅でいじけるレオノワールを、ルミが優しく慰めてあげていた。
──────────────────
数日後、晴れ渡った海の上を、楽しそうに泳ぐ海竜の姿があった。
その頭部の角の後ろには、どうしても乗りたがったマリアのために、ロゼッタとテオが付き添っていた。無論、ロゼッタの顔面は蒼白である。
「一度乗せられたことがあるとは言っても落ち着きませんわね……」
かつてマリアが魔女として自分の主だったことを覚えているらしく、海竜はマリアに懐いているものの、その巨大な竜の姿では人間にとっては恐怖でしかない。
その海竜に太い綱を取り付け、混血の民や魔物を満載した大型輸送船を曳いている。
ミュウの水の魔力によって船は極力揺れないようにコントロールされているために、気分が悪くなる者もないまま順調に航海は進んでいた。
大海原に出るのが初めてとなるリミやルミなどはおおはしゃぎで甲板を駆け回っている。
その間も、ダナンや鉱山の街から状況を伝えてくる伝書鳥がミュウの元へと飛んでくる。そしてまたミュウがそれに対して返信を飛ばす。
伝書鳥を操れるのはミュウだけなので、往復するように設定してあげた上でミュウが飛ばしてやらないと情報のやり取りが出来ないのだ。
「王国軍も流石にダナンや鉱山の街を武力で制圧しようとはしていないようです。早いうちに全面的な恭順の姿勢を示したことで、無駄な戦闘は避けたようですね。今は第二陣を東の大陸に送るために船が戻ってくるのをティーバで待っているらしいです。まあ、一生戻ってこないんですけどね」
ミュウは甲板で海風を受けながらクスっと笑う。既に王国軍の外洋船は全て沈没していた。上陸部隊は各地で抵抗に遭いながらもじわじわと王都に向けて進軍しているようだが、帰る手段がないとなれば占領などしたところでどうしようもない。
焦れた王国がティーバで新たな船を建造しだす前に片を付けたいところだ、とアイルは考える。
「それと、鉱山の街は密かに『エル・タウン』と名付けられているみたいです。王国非公認らしいですけど」
ミュウはそう付け加えて更にクスクス笑う。
「笑わないでくれよ……。でも、彼らが無事ならよかった」
名前の元となったエルは照れくさそうに笑った。
アイル達が目指しているのはエルタウンの東側、本来ならば船が近づくのには向いていない断崖絶壁と岩礁がある地域なのだが、そこはミュウが土の魔法で地形を造り変えてしまうことになっている。
王国軍が上陸した砂浜も、実はミュウが上陸しやすいようにわざわざ作ってあげたのである。
「でも、よく考えたら彼らが上陸する前に沖合で船ごと沈めてしまってもよかったんじゃないか?」
ふと、どこまでも続く海を見ながらエルが呟いた。
「………………」
黙り込むミュウ。
「もしかして、なにか言い難い理由でもあるのかい?」
珍しいミュウの反応に思わず心配そうになるエル。
「…………た……」
「え?」
「気づきませんでした……」
爽やかな海風が吹き抜ける甲板に、微妙な空気が流れたのは言うまでもなかった。
座礁しない場所まで軍船で近づいた王国軍が上陸用の小舟に分乗して砂浜に近づいてきたところに一斉に矢を放ったのだ。
「撃て! 撃てええええ!」
雨のように降り注ぐ矢を盾で防ぎながら急いで小舟を漕ぐ王国軍。
「なんだ? よもやこれほどの抵抗を受けようとは。まるで我らが来るのを知っていたかのようではないか!」
上陸部隊の隊長は各部隊に指示を出しつつも、戸惑いを隠せないでいた。
そもそもこの大陸にどのような国があり、どの程度の戦力があるのかもわかっていない状態での上陸作戦である。
本来ならばこの海岸近くに橋頭堡を築いてまずは周辺を偵察するところから始めようとしていたところに、いきなりの矢による歓迎である。
王国兵はほとんどが重装の金属鎧を着用しているために上陸前に水に飛び込んで泳いで進むというわけにはいかないのだ。
幸い、迎撃している軍の中に魔術師はいないようで、攻撃魔法が飛んでくる様子はない。木製の小舟に魔法で火を放たれては被害が甚大になるところだった。
「冷静に矢を防ぎつつ急ぎ接岸せよ! 盾を前面にして押し切れ!」
声を涸らしつつ他の船の様子を窺えば、あの謎の兵士たちが棒立ちのまま進んでいるのが見えた。盾を構えようとさえしていない。
「あいつらは馬鹿か」
そう言いたかった隊長だったが、やがて息を呑んだ。
棒立ちのままの兵たちに実際矢が何本も突き立っているのだが、彼らはそれを意に介さずに立ったままなのだ。
痛がるわけでもなく声をあげるでもない。
「なんなのだ、奴らは……」
味方の兵ではあるが、その不気味さに隊長はこんな任務の指揮を取らされる己の不運を呪うしかなかった。
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「始まりましたね」
大陸北西部の海岸線で戦いが始まった様子を魔眼で観察していたミュウは、集まった面々にその様子を告げた。
「奇襲という形で教団側が優勢のようですが、王国軍側の兵士の様子がおかしいですね。矢が刺さっても平気な兵が混ざっています」
一同はミュウが何を言っているのかわからないという顔で話を聞いている。
「まあそれはともかく。兵を降ろした大型船はしばらく上陸戦の様子を見ているようですね。今のうちに無力化してしまいましょう。それで彼らは西の大陸に帰ることが出来なくなります」
ミュウにしてみればその王国軍と自分たちが戦うわけではないのであまり興味がないようで、作戦をさっさと進めることにしたようだ。
「村長さんたち、大丈夫かなあ」
ルミとリミはアイル達についてこの南側に来たものの、残って村を守ると言った村の人たちがそんな不気味な軍隊を相手にしなければならないのか、と心配な様子だった。
「あの村には認識阻害の結界を三重に張りましたから大丈夫でしょう。一番外側の結界が破られた時点で防衛機構が作用するようにしてありますから」
その防衛機構とやらが一体何なのかは教えてくれないミュウだったが『三十アイルさんぐらいのレベルです』という、解りやすいのか疑問が残る表現でその信頼性を保障していた。
「船を無力化するっていうのは具体的にどうするんだい?」
エルが興味深そうに尋ねる。
「この海には、マリアが魔女ではなくなった時からそのままになっている魔物が無数にいるんですよ」
「え……?」
これにはマリアもテオも絶句した。
「でもここに来るまでに海に魔物の影なんて一切なかったよ?」
「そりゃあそうですよ。いまや全ての残存する魔物は私の支配下にあるんです。テオさん達の船を誘導している時点で、魔物たちにも襲わないように指示を出しました」
テオの疑問に即座に答えるミュウ。
「てことは……」
「はい、その魔物達の中でも中型以上の、船を沈める能力に長けたのを沖合に集結させてありますので。上陸が完了した時点で全て沈めます」
淡々と恐ろしいことを述べるミュウにロゼッタも呆れ顔だった。
「じゃあ……シーちゃんも元気……?」
テオの膝の上に座ったマリアはおずおずとミュウに尋ねた。
「もちろんですよ。今回テオさんの指導の下に建造していただいた大型輸送船、あれは外洋を航海するには向いてないですよね?」
ミュウはテオに視線を送る。ミュウに頼まれて、テオは周辺の村人たちを総動員して木造の大型船を建造していた。
「うん。外洋どころか沿岸を航行するのだって無理だよ。本当にただ浮かぶだけだ」
できるだけ多くの人と物資を積載できればあとは海にちゃんと浮かぶだけでいいという注文だったために、首を傾げながらもなんとか一年で造り上げ、今は西の海の近くに保管してある。
「そのとおりです。実際にあれを引っ張るのはシー・サーペントに任せるつもりです。既に彼女は海に待機していますから、船を海に降ろして繋ぐだけですね」
「はは……」
かつて一度、海竜に運ばれたことがあるとはいえ、あれに船を曳いてもらうという発想が既に常軌を逸しているために、テオはそれ以上の疑問を口にするのをやめた。
一方でマリアは、また海竜に会えると嬉しそうにはしゃいだ。
「向こうについてからは、この一年打ち合わせしてきた通り、全ての指揮はエルさんにお任せします。まずは向こうに気取られないように鉱山の街へ。そこからダナンの皆と合流して王国軍と対峙する戦力を結集します。ティーバの解放は後回しになってしまいますが、ご了承くださいロゼッタさん」
「仕方ないですわ。先にティーバに上陸すれば、王都に急報が入って更なる軍が街に押し寄せますもの。それは結果的に民のためにもなりません」
言葉ではそう言いつつも唇を噛み締めているあたり、本当は街が心配でたまらないに違いない。そんなロゼッタの肩をそっと抱き寄せるテオの仕草に、エルは微笑んでしまう。
「鉱山の街とダナンの軍を合わせても、王国軍と対峙するには心許ない気もするけどね。その辺りの対策は大丈夫かい? ミュウちゃんが任せてくれというから、心配はしていないけど」
エルの質問にミュウが得意げな顔を更に得意げにして胸をそらした。
「この一年、この周辺の民を困らせていた獣たちを全て魔物として手懐けました。あとは向こうの大陸にも実は魔物は残っているんですよ。ダナンの西の森にもまだまだいるんですよ? 隠れているだけで」
衝撃の事実にアイルは呆れ顔でミュウを見る。
「あとは確認したところ、旧イーチ領の北の山脈にもダイアが温存していた魔物がそのまま放置されてます。もちろん私がおとなしくさせているんですけど。それらを全て糾合して、魔物の軍勢を作ります。エルさんが率いる軍隊とは別行動させますので、どうかご安心を」
「アイルさんが嫌そうな顔をしてるから聞くんだけど、その魔物の軍勢を指揮する役目は決まってるのかい」
「言うまでもありませんが総指揮はアイルさんで。でもアイルさんは喋れませんし、魔物を操る役目もありますので私が一緒に。実際の戦闘の指揮は……」
ミュウがそこまで言って、現在会議が行われている部屋の扉に目をやる。
すると扉が勢いよく開かれた。
「ついに! ついに私たちの出番がやってまいりましーた!」
喜び勇んで部屋に飛び込んできたのは誰あろうレオノワールであった。その後ろから明るい紫色の長い髪をたなびかせた美女が入ってくる。
「あ、レオノワールさん……は判るけど、後ろの女の人はだれ?」
あの洞窟以来の再会となるレオノワールの姿にリミが思わず立ち上がり、見慣れぬ美女の姿に首を傾げる。
「ほら、自己紹介」
ミュウに促されて、美女はおずおずと前に出てきた。
「え、あー、私は騎士ヒルデガルド。かつては北の王国の近衛騎士隊長を努め、国が滅んだ後は魔女ヘレン様にお仕えしていた身だ。ヘレン様の力がそのままミュウ様に移譲されたことで、私はそこの筋肉ダルマ共々ミュウ様の眷属となった。此度は魔物の一軍を率いてミュウ様に仇なす輩を討つ名誉ある戦いに参じる運びとなった。よ、よろしく頼む」
言葉は威勢がいいのだが終始もじもじと落ち着かない様子で、その美しさとメリハリのあるスタイルの身体も手伝って、妙な色気を醸し出していた。
アイルはヒルデガルドの腰にぶら下がる剣を見て、ああ、あの時の甲冑騎士か、と確認することができた。
「ミュウ様のご命令で、全身鎧を着ることは許されない……のだが、あれを着ていないと妙に落ち着かなくてな……」
なるほど、常にあの鎧を纏っていることが日常だったヒルデガルドにとっては鎧の着用を禁止されていることが不安でたまらないらしい。
「あんな重い鎧をつけているから、ここ一番の時に力を発揮できないのです。城での顛末は私も知ってますからね?」
鎧を着けたまま長距離を全力疾走し、その疲れでアイルとまともに戦えなかったことを指摘されてヒルデガルドは真っ赤になって俯いた。
「ちなみにあなたがあの時救出した双子は眷属契約を解除してあります。一緒に向こうの大陸に連れて行きますから、戦いが終わったら三人でゆっくり暮らすといいと思いますよ」
びっくりした表情のヒルデガルドだったが、それ以上にアイルが驚愕の表情でミュウを見た。
「なんですかアイルさん、その目は」
ミュウが他人の今後の生活を心配したり、それに対して手回しをして配慮しているなどという凡そ考えられない事態に、思わず娘の成長を見守る顔になってしまう。
「あ、久々にその父親目線の失礼な思いに至りましたね? 相変わらずアイルさんが考えていることは湧き水のように自然に流れ込んでくるのですから、気をつけたほうがいいですよ」
などと文句を言いつつも、一度は途切れたアイルからの想いの伝達が再度構築されていることに嬉しさを隠せないミュウであった。
「既に長距離伝書鳥によって、ダナンのリンジーさんや鉱山の街のなんとかさんとも連絡は取れています。食料その他をしっかりと準備をお願いします」
ミュウの宣言によって、いよいよアイル達一行は西の大陸へと帰還することになった。
「レオノワールさん、落ち込まないで……」
勢いよく登場したのに話題をヒルデガルドにかっさらわれた上に、誰にもいじってもらえずに部屋の隅でいじけるレオノワールを、ルミが優しく慰めてあげていた。
──────────────────
数日後、晴れ渡った海の上を、楽しそうに泳ぐ海竜の姿があった。
その頭部の角の後ろには、どうしても乗りたがったマリアのために、ロゼッタとテオが付き添っていた。無論、ロゼッタの顔面は蒼白である。
「一度乗せられたことがあるとは言っても落ち着きませんわね……」
かつてマリアが魔女として自分の主だったことを覚えているらしく、海竜はマリアに懐いているものの、その巨大な竜の姿では人間にとっては恐怖でしかない。
その海竜に太い綱を取り付け、混血の民や魔物を満載した大型輸送船を曳いている。
ミュウの水の魔力によって船は極力揺れないようにコントロールされているために、気分が悪くなる者もないまま順調に航海は進んでいた。
大海原に出るのが初めてとなるリミやルミなどはおおはしゃぎで甲板を駆け回っている。
その間も、ダナンや鉱山の街から状況を伝えてくる伝書鳥がミュウの元へと飛んでくる。そしてまたミュウがそれに対して返信を飛ばす。
伝書鳥を操れるのはミュウだけなので、往復するように設定してあげた上でミュウが飛ばしてやらないと情報のやり取りが出来ないのだ。
「王国軍も流石にダナンや鉱山の街を武力で制圧しようとはしていないようです。早いうちに全面的な恭順の姿勢を示したことで、無駄な戦闘は避けたようですね。今は第二陣を東の大陸に送るために船が戻ってくるのをティーバで待っているらしいです。まあ、一生戻ってこないんですけどね」
ミュウは甲板で海風を受けながらクスっと笑う。既に王国軍の外洋船は全て沈没していた。上陸部隊は各地で抵抗に遭いながらもじわじわと王都に向けて進軍しているようだが、帰る手段がないとなれば占領などしたところでどうしようもない。
焦れた王国がティーバで新たな船を建造しだす前に片を付けたいところだ、とアイルは考える。
「それと、鉱山の街は密かに『エル・タウン』と名付けられているみたいです。王国非公認らしいですけど」
ミュウはそう付け加えて更にクスクス笑う。
「笑わないでくれよ……。でも、彼らが無事ならよかった」
名前の元となったエルは照れくさそうに笑った。
アイル達が目指しているのはエルタウンの東側、本来ならば船が近づくのには向いていない断崖絶壁と岩礁がある地域なのだが、そこはミュウが土の魔法で地形を造り変えてしまうことになっている。
王国軍が上陸した砂浜も、実はミュウが上陸しやすいようにわざわざ作ってあげたのである。
「でも、よく考えたら彼らが上陸する前に沖合で船ごと沈めてしまってもよかったんじゃないか?」
ふと、どこまでも続く海を見ながらエルが呟いた。
「………………」
黙り込むミュウ。
「もしかして、なにか言い難い理由でもあるのかい?」
珍しいミュウの反応に思わず心配そうになるエル。
「…………た……」
「え?」
「気づきませんでした……」
爽やかな海風が吹き抜ける甲板に、微妙な空気が流れたのは言うまでもなかった。
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