猫の喫茶店『ねこみや』

壬黎ハルキ

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29 怪しい人物?

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 午後にちょっとしたハプニングこそ起こったが、特に事が荒立つこともなく、それからもいつもの『ねこみや』の時間が緩やかに流れていった。
 マスターの可愛い妹さんが新しく従業員として入ってきたらしい――そんな噂を聞きつけて来店する、近所の人たちもいた。
 佐武江津子の口コミは伊達ではない――改めてそれを思い知った気がした。

「……よし、今日はもうボチボチ、店じまいといこうか」

 客も一通り帰り、残っているのは猫太朗と莉子、そしてめいと猫たちだけだ。あと十分足らずで閉店時間となり、外を覗いても他の客が来る様子はない。

「莉子はゴミの片づけの準備をしておいてくれ。一応まだ営業時間中だから、モップとかは後でな」
「りょーかいでっす♪」

 莉子が笑顔で敬礼し、店の奥へと消える。入れ替わる形でめいがやってきた。

「猫太朗さん、私は……」
「めいさんは従業員じゃないので、まだゆっくりしててください」
「分かりました。営業時間が終わったら手伝います」
「はい。お願いします」

 にこやかに頷き合い、めいはマシロとクロベエを連れてカウンター席へ戻る。そして猫太朗が、各テーブル席をチェックすべく見回り始めた。
 マシロたちと遊びながらも、めいは猫太朗の後ろ姿をジッと見つめる。
 そこに――カウンター越しに莉子が顔を出した。

「気になりますか、兄さんのこと?」
「うわぁっ?」
「シッ!」

 思わず声を上げてしまうめいに、莉子は慌てて人差し指を立てる。二人して視線を向けてみるが、猫太朗は気づいていない様子であった。

「めいさんもご存じかとは思いますが、明日は『ねこみや』の定休日です」
「え、えぇ、そうね……」
「つまり兄さんの休日でもあるワケですよ」
「そうなるわね」
「――ここは一つ、兄さんをデートにでも誘ってみたらどうですか?」

 ニンマリと笑う莉子に対し、めいは思わず呆気に取られる。

「デ、デートって、何をいきなり……」
「言い方が悪かったですかね? 折角のお休みなんですから、二人っきりでどこか遠くにでも遊びに行ってきたらどうですか、って聞いてるんですよ」
「いや、そんな急に……」
「猫ちゃんたちの面倒は私が見ておきますし、遠慮しないでくださいな」
「うぅ……」

 言葉だけ聞けば、気を利かせてくれる優しいそれではある。しかし莉子の目は、それはもうらんらんと輝いており、これは絶好のチャンスですよと表情全体で伝えてきているのがよく分かる。
 二人の男女が進展するところをこの目で見たい――そんな好奇心の表れであることは間違いない。
 しかしこれはこれで、満更悪いと言い切れないのも確かではあった。
 昨夜、莉子に指摘されたことを行動に移すには、まさにうってつけだろう。めいが猫太朗に一言声をかければ、それだけで事足りるはずなのだ。
 それはめい本人も分かってはいるのだが――

「みょ、猫太朗さんと……一緒に……」

 顔を赤らめ、チラチラと視線を向けるめい。そんな彼女に猫太朗が気づいて視線を向けたその瞬間、めいは素早く体ごと背中を向けてしまう。

「……?」

 猫太朗が首を傾げながらも、壁にかけられている時計に視線を向ける。

「あ、閉店時間になった。めいさん、莉子、作業お願いしまーす」
「はーい」

 返事をしたのは莉子だけだった。猫太朗は気にせず、扉の内側から外に見えるように吊るしてある表札の『OPEN』を『CLOSE』に変えた。
 そして、外に立てかけているメニューの黒板を下げるべく、扉を開ける。

「……はぁ」

 モップを手に取りながら、莉子はため息をつく。めいも二匹の猫たちを下ろし、そそくさとごみ出しの準備に取り掛かろうとしていた。
 まるで『助かった』と言わんばかりの動きであることを、莉子は見抜く。

(やれやれ、こりゃあ先は長くなりそうかもね……)

 人知れず肩をすくめ、莉子はモップで床を磨き始める。考えてみれば、あくまで他人の問題に過ぎないのだから、自分があれこれ言うものでもない――莉子はそう思っており、これ以上の介入はしないつもりだった。
 昨夜の時点で指摘するべきことはした。あとは当人次第だと。

(まぁ、そもそも……私もあまり、人のこと言えた義理じゃないしなぁ……)

 何でまた自分は偉そうなことを――そんな恥ずかしさが、今になって体の奥底からじわじわとこみ上げてくる。
 ちゃんと大学を出て就職しているめいに比べて、自分は高卒のフリーター。結果の度合いと経済的な安定では、かなりの差があると言えるだろう。
 しかしその一方で、小さな疑問も浮かぶ。
 カースト制度に例えれば、自分は圧倒的に下の立ち位置だ。そしてめいは上の立ち位置になる。
 しかし二人の表情は真逆だった。莉子はマイペースなその日暮らしながらも笑顔を浮かべ、めいは完全に疲弊している状態――これはどういうことだろうか。
 そんなことを、莉子が悶々と頭の中で浮かべていると――

「おーい、莉子さーん?」
「ひゃあっ!?」

 いつの間にか目の前にいた猫太朗に、至近距離で呼びかけられて驚いてしまう。

「手が止まってるぞ? ちゃんと働いてねー?」
「あ、えと、す、すみませんでした」
「うん。分かればよろしい」

 猫太朗の表情がにこやかな笑みに戻る。確かに今は閉店作業中――つまり立派な勤務時間中なのだ。そして今は雇ってもらうべく、研修させてもらっている立場であることを、莉子は改めて思い出す。

(いけないいけない。余計なことを考えている場合じゃなかった!)

 莉子は表情を引き締め直し、モップを握る手に力を込めた。
 しかし――

「そんなことよりも莉子。ちょっと……」

 動き出そうとしたその瞬間、猫太朗に呼び止められてしまう。また何かしでかしたのかと驚くが、彼の表情と視線の向いている先からして、どうやらそうではなさそうだと莉子は判断する。

「あそこにいる人……何やってるんだろうな?」

 猫太朗がちょいちょいと指をさすその方向に、莉子も視線を向けてみる。街灯の当たらない場所で見えにくいが、確かにコートを羽織った人物が、背を向けて立っているのが見えた。

「誰かとの待ち合わせとかじゃ……」
「こんな駅から離れている、住宅街の隅っこみたいな場所で?」
「……違うか」

 莉子が呟いた瞬間、その人物もチラリと視線を向けてくる。しかし猫太朗たちが見ていることに気づいたらしく、慌ててその場から立ち去ってしまった。
 いかにも怪しい動きを見てしまった莉子は、思わず背筋が震える。

「ね、ねぇ、兄さん? なんかヤバくない? 警察に通報したほうが……」
「うーん、特に実害もないし、行動だけで判断するのもなぁ」
「何かあってからじゃ遅いんだよ?」
「まぁ確かに……」

 莉子の指摘はもっともであるため、猫太朗も腕を組みながら考える。
 怪しさはあるものの、現時点で証拠が何もないのも確か――ここは注意して様子を見るしかないかと思ったその時、めいが戻ってきた。

「――猫太朗さん。ゴミ、まとめておきました」
「はい。ありがとうございます」

 一瞬にしていつものスマイルを見せる猫太朗。しかしめいは、二人の様子がいつもと少し違うことに気づき、首を傾げる。

「……どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありませんよ。気にしないでください」
「そうですか……ところで、クロベエちゃんの姿が見えなくないですか?」
「えっ?」

 言われて初めて気づき、猫太朗は慌てて店の中を見渡す。マシロがジッと、テーブル席の窓から外を見ていた。
 クロベエの姿はなく、店内に気配すらなかった。

「兄さん、外! 外見て!」

 すると莉子が慌てて促してくる。猫太朗もドアに近づいてみると、ガラス越しに黒猫に連れられて歩いてくるコートの人物が見えた。

「クロベエ……」

 いつの間に外に出たのか――少し思い返してみると、さっき外に立てかけていた黒板型のメニューを下げた時だろうと、猫太朗は予測する。
 猫太朗が扉を開けて中へ入るその一瞬の隙に、スッと出てしまったのだ。
 不覚にも気づかなかったと、猫太朗は悔しい気持ちに駆られつつ、すぐに扉を開けて外に飛び出す。

「――にゃあっ♪」

 クロベエが嬉しそうな鳴き声を上げ、猫太朗の元へ走ってくる。

「にゃあっ、にゃあっ!」
「もしかしなくても……あの人を?」
「にゃっ」

 そうだよと言わんばかりにクロベエが頷く。めいと初めて会った日をなんとなく思い出しながら、猫太朗はコートの人物に視線を向ける。
 五十代後半ぐらいの男性であった。背筋はしっかりと伸びており、革製のハットを被る姿は、まるで絵に描いたような紳士に見える。
 これで怪しげな行動さえなければと、そう思いたくなるほどに。

「――こんばんは。さっき、ウチの喫茶店をずっと見ていたようですが?」
「あっ、いや、その……」

 猫太朗に呼びかけられた男性は、思わずしどろもどろになる。そして店のほうに視線を向けると、ちょうどマシロを抱きかかえているエプロンを付けていない女性を捉えた。
 それを見た男性はハッとした反応を見せ、表情を引き締めつつ向き直る。

「私は宮原徹と申します。そちらにいる西園寺めいの――父親です」

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