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序章

#7 箝口令

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「書くことができなかった……? それは、何故だ?」
「……既に、話しておいて何なんだけど、さっきの魔法訓練の事件の話、実はその昔、完全に口外してはいけないことになってた話なんだ。えと、その……公式に……」
 ミグは誤魔化すように苦笑を浮かべた。
「(な……! か、箝口令……⁉︎)」
 リュシファーは青褪めた顔で、ガタッと席を立って身を引くと、自室のドアの元へと移動した。静かにドアを開き、廊下に誰もいないか確認してみるが、どうやら、誰にも聞かれていないことがわかり、リュシファーは安堵して息を吐いた。
「ど……どういうつもりだ……。予告もなしに、箝口令の敷かれた話を、事後報告で俺に聞かせるなんて……っ」
「あ……はは、そう言うなよ。完全に口外してはいけないことに、話ってだけだよ。ま、事実上は――ってだけで、公式にはまだ、一応、解除されたわけじゃないけどな……」
「な、何がだ。じゃあ、まだしっかり箝口令であることに変わりないってことじゃないのか」
 リュシファーは、冷めた目をミグに向けた。
「あ、あは☆バレた?」
「そんなもの破って……ミグ様は何を考えてる……箝口令を破ったと知られた者の末路を知っているのか? それ以上、その者から秘密が漏れることのないよう、聞かされた者も牢の中で生涯を終えると聞く……」
「……知ってるよ。だからこそ、念のため一国の王子様が、わざわざリュシファーの部屋に御足労してまで、内密にこの話をしに来てやったんじゃないか」
「ミグ様は王子だから、大目に見て貰えるとは思うが、話を聞かされてしまった一教育係でしかない俺は……」
「あは、まあそう言うなって。父上、リュシファーのこと相当気に入ってるし、大丈夫大丈夫。それに、リュシファーが口外しなきゃ、バレやしないって。それに俺も、誰にだって話そうと思うわけじゃない。お前を信頼して話したんだ。リュシファー」
「ったく、お前という奴は……。わかった……。俺も、生涯を獄中で終えるつもりはないからな、秘密は守ろう。……で、『なってた』とか『一応』とか、どういう意味なんだ。わかるように説明しろ」
「それ~? うーん。そこら辺、他にも色々と箝口令が敷かれているから、それを掻い潜って話すのが難しいんだけど、当たり障りなーく説明すると、その……さっき話した魔法訓練の事故に関しては、もうとっくに、箝口令なんて敷いてても無意味だから……かな?」
「ふーむ……大体の理解だが……じゃあ無意味なのに、未だに解除できない理由は?」
「うぅ~ん。他にある色々な問題との……兼ね合いがあるから解除するワケにはいかないというか……えと、これ以上は察してくれると……ね?」
「はぁ……。箝口令色々か……。では、質問を変える。魔法訓練の件に関して、何故、箝口令が敷かれた? 目的くらいは聞かせてくれないか?」
「そのくらいなら……いや、でも少し触れる部分があるから……一応避けられるよう努力して話すけど、目的を簡単に言うと……レティのためだよ」
「えと……?」
「レティが元通りに話せるようになった頃、俺、レティの記憶がおかしいことに気付いたんだ。魔法訓練の事故後、数ヶ月間の記憶がなかった。その事故の前後の辺りって――あーえーと……うはは。やっぱ話しにくいな……」
「箝口令に触れるか……」
「うん……とにかく、その数ヶ月間の間に、内容は言えないけど、せっかくレティが思い出さずにいてくれているなら、いっそこのまま思い出して貰いたくない出来事があって……。幾重にも箝口令を敷いて、この数ヶ月間のこと、全部封印するみたいにした――くらいは言えるかな。魔法訓練の事故の箝口令も、その中のひとつってわけ。……ひとつでも思い出したら、全部思い出しちゃうんじゃないかって。ちょっと皆でビクビクしてさ……馬鹿げてるだろう……?」
「ミグ様……」
 ミグが少し顔を曇らせて、浮かび上がっていた涙を拭った。自身で『馬鹿げてるだろう?』などと口にしながらも、それだけの理由が存在することが窺えた。
「ただ、さっきももう、箝口令なんて敷いていても無意味だって言ったけど、あの魔法訓練の事故に関しては、レティは思い出してるんだ」
「え……」
「――魔法訓練の事故の時の教育係は、レティが回復後もしばらく教育係を勤めてた。事故のこともあるから、父上は、火(炎)の授業は指示があるまではやるなと指示していた。他の魔法を使おうとするだけで拒否反応が出るんだ……当然といえば当然だよな。そのせいで俺も、火(炎)は授業では学べないから、自主的に魔法研究室に行って、研究員にこっそり教えて貰ってた。……でも、その教育係は、父上の指示に反して、火(炎)の授業を……よりにもよってあの魔法訓練場で行って、レティのあの記憶を思い出させたんだ」
「!」
「……その時レティが思い出したのは、言動から察するに魔法訓練の事故の光景を、断片的に思い出した程度かと思う。魔法を使おうとする時に、感じていた拒否反応の理由が、自身が起こしたその事故のせいだったということには気付けたと思う。ただ、その後、精神を壊してたことまでは思い出してなさそう……かな……? 多分……。推測だけどね。それがどこまでの範囲であるのか、誰にもわかんないんだ。箝口令により、『レティ本人が自分から、その時のことを口にした場合は構わないが、他の者がレティにそのことを口にすること』も、『他の者同士でそれを口にし合うこと』も、『その話を知らない――つまり、新しく入ってきた使用人などの者に、これを伝えること』も禁じる――ってなってる以上、それを知る術もない。俺達からは何も聞けないから……」
「そ……それでその時、バカ姫は大丈夫だったのか? ショックを――」
「――勿論。ま、軽度だけど……三日間くらい部屋から出てこなくて……その……今回は俺も……。『いやぁっ。誰も……誰も……部屋に来ないでぇ……! うえええん』って感じ? でも、前とは少し違う感じだったから、さすがに飲まず食わずで引きこもるのは、みんな心配するから食えって言って、飯とか水とかお茶とか、持ってったけどな。ほら、俺達の部屋、続き部屋だから♪」
「――そうか。それは何よりだな……えと、その教育係は……?」
「レティが部屋に閉じこもってる間は牢へ……。『貴様……一度ならず二度までも、わが愛しい娘を……! 何かあったら、どう責任を取るつもりだ!』とか怒鳴られてさ、レティの精神が壊れてはいなかったのを確認後、牢からは出されたけど、結局『何かあったらどう責任を取るつもりだったのか!』とどちらにしても怒鳴られ、これ以上は任せては置けないということになって、解雇されちゃった……。もし、精神が壊れてたら何年か、牢に入ってたか……最悪――」
「――そうか……。そんなことが……。しかし、何故、教育係はそんな事を……」
 リュシファーが訊ねると、ミグは溜め息を吐いた。
 ミグは、その教育係が投獄された地下にある牢へと話をしに行ったようだ。そして、何故、自分の身の振り方も考えずに、そんな危険な真似をしてまで、あんな事したのか訊ねた。
「――先生がああしたのは、レティを思ってのことだった。レティが、理由もわからず拒否反応に苦しんでいること。じいに呼ばれたとはいえ、授業中に自分が離れている間、自習させたことで、結果的にあの事故が起こってしまったこと……。そのせいで、レティの精神を壊してしまったこと……。それらは全て自分のせいだと、ずっと自分を責め続けていたみたいだった――」
「……確かに、そう思うだろうな」
 ミグは静かに頷いて、教育係の答えを口にし始めた。

『……身の振り方ですか……いえ、考えましたよ。こうなることは想定の上でした。理由のわからない拒否反応に苦しむ姫様に、今のまま理由を告げずに現状維持することは、得策ではないと……ミグ様もそう思われませんか? いずれ、姫様が思い出す時は必ずやって来ます……。それならば、教育係として……そのタイミングは、知識を吸収するのに最適な“今”が良いに決まっていると、そう思うのです。姫様が思い出す事は酷なことと、お思いになるかもしれません。ですが……この恐怖に打ち勝つ機会を、早くに与えてあげるべきだと思うのです……』
『そ、そうかもしれないけど……! もし、レティが今回のことで、またおかしくなっちゃったら……先生は……っ』
『……おやおや……こんな罪人の私のために、そんな顔をしてくださるなんて……あなたは本当にお優しいお方ですね。ですが、そんなミグ様だからこそ、私の気持ちも理解していただける筈です。貴方も同じように責任のようなものを感じていらっしゃるのだと、私は……気付いておりました……。しかし、あの一件は、私のせいなのです……。貴方のせいなどではない……。私が未熟者だったせいなのです……。私の意図を申し上げた所で、陛下にも……御理解を得ることはできないと思いますが、貴方にだけは御理解いただけるのではないかと思います。……私はできる限りのことを、姫様のためにしてあげたかった。きっと後は、私の後任の方が……姫様を導いてくださることと信じています……。後悔はしていません。責任を取る覚悟もできていますしね……。さあ、もう行きなさい。王子が牢などにいらっしゃってはなりません……』

 そうして、数日後、教育係は解雇され、城を去ることとなった――。
 ――……

「――先生の言う通り、痛い程、その気持ちが理解できたけど、それでも早すぎるタイミングだとあの時は思ったよ。でも、先生が身体を張ってまで、ああしてくれたこと……今は感謝してる……」
「そう……か……」
「……というわけで、レティは思い出すことにはなったものの、その事情も知らない奴が、後任だろう? まず、レティの魔法への拒否反応に、おかしいって思う。そして、本人を問い詰めたり、周りに何か知らないか聞き回ってみたり……。でも、当然のことながら、レティも、思い出したくもない事故の記憶を、新しく来たばかりの教育係に話そうとなんてするわけもない。周りも皆、シラを切るから、理由はわからずじまい……ただ、上手く隠しきれずに、明らかに動揺を見せる人なんかもいるから、『な、何かあるのか……?』とは、薄々気付き始めるよな……。でも、それが何なのかまでは、残念ながらわからない……」
「そう……だな。箝口令じゃ、誰も口を割らないよな……」
「ただ、教育係がずっと違和感を感じていたことはあった筈だ。もうレティが思い出してしまったから、火(炎)の授業を禁じても意味はないんだけど、レティが怖いと思うことには変わりないと、引き続き父上は授業することを禁じていた……。ある時、禁じていた火(炎)の授業が解禁されたんだけど、やっぱり無理だよなぁ……一番怖い属性の火(炎)を見て、予想通り、怯えて泣き出しちゃったレティは、城の外にまで逃げ出しちゃって……。俺も後から追ったけど、もう姿は見えなくなってて……。とりあえずは城の中を探し回ってたんだけど、まさかまっすぐに城の外に出るとは……」
「え……おいおい。兵は何をしていたんだ……?」
「……はぁ? お前知らないのか? 俺達が正門なんて、はいどうぞーなんて、通して貰える筈ないだろう? 使用人達が使う町への抜け道とかがあるんだよ。抜ける時は大体、そこ使うんだ。フードを被って抜けたものの、子供が泣きながら歩いているんだから、当然声かけられるよな……。そして見上げた顔を見て、すぐにただの子供じゃないことに気付かれた。その頃、その髪と瞳の色の珍しさからも、まるで森の妖精達のようだ――とか噂されていたくらい俺達双子は、本当に人間なのかとすら、疑いたくなる程の異彩を放つ美しさだとか町でも噂されてたから、皆、姿を見た事はなかったものの、明らかにその特徴を持つ片割れ本人が、目の前に普通の子供みたいに町に現れたんだから。町の人も驚いただろうね。『え……あ……あれ? お嬢ちゃん……い、いやあああもももしかして、そ、その瞳と髪のお色と、その人間離れした妖精のような美しいご容姿は――!』って、すぐにバレたらしい。そして、何でこんな所に、護衛もなしでおひとりで泣いておいでなのかと、ちょっとした騒ぎになると思った第一発見者である喫茶店の店主が、レティを保護してくれてね。すぐにお姫様が迷子にと、通報が入ってね。兵がレティを迎えにいった時、店主が機転をきかせて人目には付かない席で、ミルクティーを飲ませてレティを保護していたらしいけど……それなのに、通報を受けた兵士長が、まるでレティが誘拐でもされたかのように、ゾロゾロと十数名の兵達を率いて、喫茶店までレティを迎えに行ったものだから、結局、何事かと騒ぎになったらしい。後で、これしきのことで兵達を率いて迎えに行く奴があるかと、兵士長、父上に怒られたらしい。……ぷっはは、はぁ~……ま、誘拐とかされなくて良かったよな……」
「な、何と……そりゃあ大騒ぎだろうな」
「ちなみに、レティが保護されたという喫茶店は、今もあるよ。お姫様を保護したことがある喫茶店として、超繁盛してるらしいよ。レティを座らせた席や、飲んでいて貰ったミルクティーとかが話題になって――って、そんなことはどうでもいいか。とにかく、既にあった他の魔法でもあったレティの拒否反応とは、明らかに異なるその様子に、新しい教育係もついに少しずつ、これまで感じていた違和感の正体に、勘付き始めただろうね……」
「ふむ……」
「そして、レティのこれまでの拒否反応の原因が、“火(炎)”にあって、その授業を延期させられていた理由とも、何か関係があるに違いない――と、ようやく結び付いた教育係は、何か過去にあったという記録がないかと、書庫に足を運ぶ。あれこれ調べたら、いくつかヒントになる記述はあるからな……あとは、それをどう推測して探れるかだ」
「あぁ……そうか。いくら箝口令とはいえ、その法令を制定した年代等、記録には残されているんだな……? わざわざそんなこと振り返ろうとする者は、そうそういないだろうが……内容も記載されて……?」
「いいや。内容までは、そこは箝口令だ。短めに『〇〇に関して』って、一応の補足がある程度だったかな。確かこの件は、箝口令その三あたりに『魔法訓練場火災の件に関して』って書いてあったと思う。事故じゃなくて火災だから、一見、何のことなのかはわからない。でも、これで、どうやら魔法訓練場で火災があったようだ――くらいは把握できる。そこら辺の年代に、箝口令が複数集中していることも変だと思うだろうし、その火災の件も、その複数の箝口令の内のひとつだってことも知れる……」
「ほう。ミグ様もそれをよく調べたな……」
「ん? はは、どこまで、箝口令で知る事のできない情報を探れるのかと……見ておこうと思った時があってな……。それから、エンブレミア王国の建築関係や設備関係の記録に、魔法訓練場の植木の記載がある。『○○年の火災発生により全焼。特記事項により、その現状を維持すること』とある」
「燃えたけど、そのままにしておけ――か。確かに、おかしい。通常は植え替えるだろうし……」
「そう。ま、魔法訓練の事故の件については、そこまでのようだった」
「ふーむ。魔法訓練場の火災とバカ姫の拒否反応が、何か関係がある所まで探れれば、火災を起こしたのはバカ姫本人で、その時、強い恐怖を抱いたせいで、この拒否反応が出ている――というのは、仮定することができそうだな……。しかし、仮定した後のその課題にどう対処するか……教育係次第か」
「そういうこと。そして、匙を投げられて来たわけだ。ひとつの箝口令について調べようとして、偶然知った複数の箝口令の存在にも、きっと何をそんなに隠そうとしているのか……。知ってはいけないヤバい国家機密を探ろうとしているのではないかとか……思ったと思うんだよな……。見出しだけ見ると、ちょっと物騒なキケンな香りもぷんぷんするから……実際否定はしないけど。ははは……」
「……ふむ……。やはり、この際、全部聞かせてはくれないか……? その……時間があればだが……なければまた、時間や日を改めよう」
「……い、良いけど、牢で過ごすの嫌って言ってたのに、腹括る覚悟できたのか? ははは」
「ふ……もう一つも二つも変わらん。俺が……黙っていればいいんだろう……?」
「ふふふ……わかった。……別にいいよ。お前には、何もかも話してやる。夕食後、あまり教育係の部屋に長居しても変だ。俺の部屋は、レティと続き部屋だし……。塔の上にしよ。西塔や東塔には、ほぼ誰も来ない。高層階は空き部屋だし。でも、西塔がいいか。レティが東塔の上、好きだから」
 ミグは苦笑を浮かべると、人差し指を立てて西塔を提案する。
「そ、そうなのか? へぇ……。わかった。じゃあ、夕食後、西塔塔上で。一旦解散しよう」
「うん。んじゃ、またな」
 リュシファーは首を傾げながら、ドアから出ていったミグの後ろ姿を見送った。
 そして、自然に深い溜め息が出ていく――。

 幼い頃に植え付けられた過度の恐怖心――。それは深い傷痕として、心に深く刻まれてしまった。
 なかなか拭い去ることができないそれと、いつかは向き合う必要があることはわかっている筈だ。
 しかし、思うように克服できずにいる。
 拒否反応で苦しくなってしまった時、きっとバカ姫は、周りに甘えることを正式に許されて来たことだろう――。

 無理しなくていい。
 今はやめてもいい。
 そのうちできるから、大丈夫だから――と、優しく声をかけられてきたに違いない。

 今は――。そのうち――。
 それは、一体いつだ……?

 逃げ道を与え続けたそれは、いつしか――。
 常に甘えることを選択するようにさせ、向き合おうとする考えすら、頭に思い浮かばないようになり、向き合う機会を失わせていたに違いない。

 無理して向き合うことなんか、しなくていいんだ――。ずっと、このままでいいんだ――と……。

「それでは、いつまで経っても……」

 リュシファーは、再び深い溜め息を吐くと、食堂へと向かったのであった。
 
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