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序章

#6 魔法訓練

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 ガルニア暦三八〇年――。
 それは、レティシアとミグが六歳の頃のこと――。
 魔法の【しゅうげんそうはつ】の基礎訓練が開始された――。
 初めて教えられた基礎訓練の実技で指示された課題の内容は、属性は何でも良いので大気中の気を集める【集】の過程――、集めた気を塊にして、全ての魔法の原型である球体を作るという【原】の過程のところまで――。
 作り上げる気の球体の大きさは、直径五センチくらいを指示され、お手本が見せられた――。
 と、そこにレイモンドが、教育係を呼びに来た――。
『ここまでの大きさにするには、コツを掴むまで繰り返し練習が必要になります。少しレイモンド様に呼ばれてしまいましたので、しばし自習をしていてくださいね』
 そう言って教育係は、レティシア達を魔術訓練場へと残し、レイモンドとともにどこかへ行ってしまった。
 練習を始め、思い切って気を集め、球を作ってみる二人――。ミグは『雷』の気の球を、直径三センチの大きさに作った。レティシアも『火』の気の球を作ったが、その大きさは、指定された大きさの三倍にもなる、直径十五センチもの大きさだったので、二人はびっくりして動揺した。
 力を抑制させる方法を教えられていなかった二人は、レティシアが作った火球を見て、何とか抑える方法を考えた。しかし、わかる筈もなく、ただ巨大化し続けるのを見て、あたふたと焦ることしかできなかった。
 自分の手の内で、制御されずに勝手にどんどん大きくなる火球は、ついに、両手いっぱいに広げないといけなくなった。それは、約五十センチ程の大きさだっただろう。
 もう怖くて仕方なくなり、レティシアが泣きかけたその時だ――。
 ボボボッッ……! という轟音とともに、火球がその形状を、燃え盛る火炎へと変えた。
 通常、術者本人は、魔力の炎の熱を感じない筈だが、その時レティシアは、恐怖からの錯覚からなのか、その炎と対峙しているように熱さを感じた。
 結果、レティシアは身の危険を感じ、悲鳴を上げながら、反射的に投げ放ってしまった。

「嫌ぁぁっ熱いっ……!」

 ゴオ……オオオオオオオオ!

 レティシアの手から離れたそれは、轟音を轟かせながら二つの火炎に分裂したかと思うと、交差しながら円形を描くように回り始めた。炎の筋が回転するようにして、ぐるぐると高速回転するそれは、まるで火炎の球のように見え始めた。
「!」
「な……なんだ、これ……!」
 ミグは驚いてそう口にしたが、レティシアは声も上げず、ただ見開かれたその瞳に、激しく燃え盛り回転し続ける火炎の球を映すだけであった。
 レティシアがついに、ガクガクと震えて隣にいたミグの衣服を掴もうと、片手をミグの方へと伸ばし始めた時――、ついに高速回転する火炎の球が活動を始めた。

 ゴオオオオオオオオ――――――!
 ……ゴオオオオオオオオ――――――!

 一つの火炎が、轟音を立てながら先に向かったのを、少し遅れて続くように、もう一つの火炎も勢いよく炎の筋を作りながら追いかける。それらは、すぐ近くにあった木へと向かい、根元に火の手が上がった。
 そして根元から天辺まで木の周りを、勢いよく回りながら昇る様は、まるで燃え盛る火炎をその身に纏わせた蛇が二体、対象の木に巻き付くようだった。
 その間、通った道筋で触れた部分から、木はどんどんその身に炎を纏わせ、火の手が強くなる様は、大人が見ていても恐ろしい光景であった――――。
 レティシアは、ミグに抱きついた。
 ミグもレティシアをぎゅっと抱きしめたが、これは、ほんの始まりに過ぎず、さらなる恐怖が二人を待っていた――。
 巨大な火柱と化した燃え盛った木。その木のてっぺんまで昇っていく間、炎の筋のように見えたが、てっぺんに昇り切っても、その筋はまるで生きているようにうねうねと漂っていた。
 それは本当に蛇――いや、龍が、まだ次の標的を考えているかのように、少しの間留まっていた。
 そしてついにそれは、そこに生えていた他の六本の木々全てを、燃やし尽くすかのように、手分けして左右に移動すると、真下に向かって降りていった。

 ゴオオオオオオオオゴオオオオオオオオ……!

 一度、地底へ潜り込んでは、地上へ現れ、またてっぺんまで上昇、そして再び、真下へ下降。
 上へ、下へ――。

 素早く手分けして、二匹の炎を纏う龍が、六本の木々全てを、あっという間に燃え上がらせていった――。

 それは、壁だった。燃え盛る木々が、二人には巨大な炎の壁に見えた。
 二人の前でゴオゴオと燃え盛るそれに、レティシアとミグは、悲鳴を上げるのも忘れて、ただその光景を記憶に深く刻み込んだ。

 その二筋の炎は、地中に潜るように入っていった後は、もう地上には上がってこなかった。

 木が燃えたことでその煙が、換気のために窓を開けていた城内へも漂い、何事かと大勢の兵や使用人達が駆けつけた。
 目撃した人が皆、口を揃えて『炎を纏った二匹の龍だった』と言った――。
 
 一本の木が燃えただけでも巨大火柱だったのに、それを、巨大な炎の壁となるまでを、一部始終見ていた幼いレティシアとミグ。
 当然、ミグも衝撃を受けていたが、放った本人であるレティシアの衝撃はさらに大きかった。
 現実を現実として受け止めたくないその心が、その瞳に映るものを、自分と目の前の炎の壁だけに――、耳に聴こえるものを、自身の心臓の鼓動音と呼吸の音、そして炎の燃え盛る音だけしか存在しない世界の中にレティシアを置いた。
 その他の人や声、音は、まるで存在しないものとして、消し去られていた――。

 消火活動に当たる魔術士達。声を掛けて来ている爺や教育係。侍女達、執事達、兵士達――。その開かれた瞳には、本当は確かに映っていただろう。
 その瞳に映してはいたが、ただそれだけだった。
 ただ、自分の今感じた恐怖心と、その対象物の二つしか存在しない世界に、レティシアは囚われてしまったのである。
 激しい恐怖心に襲われていた。
 ガクガクと震え、言葉も出ない幼いレティシアのその瞳に刻まれた――恐ろしい魔法の記憶の傷痕が、現在も、レティシアをここに繋ぐ鎖となるとは、この時誰もが予想していなかっただろう。

 ミグの服を強く握り締めたレティシア。
 自分のせいで、こんな恐ろしい事態を引き起こしてしまったこと――。自分が望んだことではなかったこと――。言われた通りにやってみただけだったこと――。自分の意思とは無関係に、勝手に魔法が発動するとは、思ってなかったこと――。
 
 知らない。
 知らないもん。
 私は、何も知らなかった。

 魔法がこんなに、怖いものだなんて――。
 知らなかった――……


 六歳の子供に、恐怖心を抱かせるには十分だった。

 この時、次第に呼吸が苦しくなっていったレティシアは、喉元を押さえながら、短い呼吸を繰り返していた。やがて立っていられなくなり、膝をついて座り込んだ。極限に感じた恐怖のあまり、レティシアに呼吸の仕方すら忘れさせていた。

 誰かがレティシアに、対処方法を試すよう声をかけても、レティシアのその耳に届くことはなかった。
 レティシアはそのまま倒れ、目が覚めた時、その精神は、正常ではなくなってしまっていた。

 極度の恐怖心を感じたことによる、ショック症状――と医師は診断した。
 一時的となるか、半永久的に続いてしまうか――。わからないと、その時、医師は言った。
 心を無くしたかのようにレティシアは、ぼーっとした様子で心を閉ざしていた。話しかけても、まるで言葉を失ってしまったように、反応がなかった。

 ただ、『炎』『魔法』『木』『あの日』『訓練場』『訓練』などといった、魔法訓練のあの日の事故を連想させるような言葉を聞いたり、事故現場を見てしまうと、レティシアの表情は一気に青褪め、ひどく怯えるのであった。それらを避けても、悪夢としてレティシアを苦しめることや、蝋燭の炎を見た時も、怖いようであった。
 突然、何かを怖がり、怯え始めたその時は、レティシアに過去の記憶を鮮明に見せており、それはあの時感じていた通りに、鮮明に呼び起こされている――と、主治医は話した。
 まるで、何度も何度も、あの日あの時を繰り返すように――……
 
 部屋の隅で蹲ったり、異常な怯え方をしたレティシアに、唯一、近寄れたのが――。


ミグだった――。

 急に怯え始めたレティシアの元に、侍女や執事が近寄ろうとすると、部屋の隅で蹲って泣き喚いて嫌がるが、ミグだけは違った――。

『レティ……! 大丈夫だから、もう終わったんだ。レティのせいじゃない。大丈夫……大丈夫……俺がなんとかしたから。安心して。な?』

 あの時のミグは、実際にはアレをどうにかできたわけではない。しかしミグは、何度も何度も、レティシアにその嘘を吐いた。
 俺が何とかしたから――という自分の願望も含んだその偽りの言葉を口から紡ぐたびに、ミグは哀しそうな笑みをレティシアに向ける。
(嘘だ。俺は、嘘吐きだ。もし、あの時、どうすることもできなかったんじゃなくて、どうにかしてあげられていたら――)
 レティシアがこうなったのは、ミグのせいではない。しかし、レティシアを助けてあげられなかった自分自身を、ミグは密かに責めていた。
 その後、秀才と呼ばれる程、ミグがレティシアと違って勉強も魔法もできるようになるまでになったのは、この時から努力しまくった結果であった。
 ミグはこの頃、もう意識などしなくとも、常にレティシアの方へと意識が向いていた。昼夜問わず、自分が就寝中の真夜中や早朝でも、とにかく四六時中、レティシアが怯えて泣き始めれば、すぐに気が付いてレティシアの元へと駆け付けていた。
 そのため、次第に体力も精神も削られていったミグはある日、レティシアの元へと駆け付けようとした際、ついに過労で倒れた。それも、レティシアのその目前でだ――。

(……あ……れ………意識が…………)

 ――……

 目が覚めると、ミグは自分のベッドの上にいた。

『(お……お目覚めになられましたか……!)』

 そばに付いていた執事が言った。妙に小声だ。片手の人差し指を立て、視線でミグの横を示した執事は、こう続けた。
『(レティシア様は、殿下をひどくご心配され、離れようとされず……。ですが、ようやく少し前にお休みになられたご様子です)』
 ミグのその隣には、レティシアがミグにぴったりとくっ付いて、すやすやと眠っていた。
 レティシアは、いつもの怯えた様子とは明らかに違う様子で、ミグの名を呼びながら、わんわんと泣いたのだという。

「――不覚にも、アイツの目の前で倒れちゃったからなぁ。レティは多分、俺が死んだと思ったっぽい。『やだぁぁ』『死んじゃダメぇ』『いやぁぁ』って、俺の名前も何度も呼びながら、泣き喚いてて大変だったらしい。魔法訓練の事故の後、事故の記憶のこと以外で、レティが泣き喚いたり喋ったのは、初めてのことだったから、びっくりしたけど。でもその時、突破口が見えた気がしたんだ。……俺、レティが怯えて泣き出したら、駆け付けて落ち着かせてたけど、それって現状維持してただけだったんじゃないかなーって。皆、腫れ物に触るみたいに、なるべく刺激しないようにしてたとこあったから……。どうしていいかわかんなくて、いつかレティが、勝手に元通りになっていくのを、ただ待ってたんだと思う」
「……そんな中、故意ではなかったかもしれんが、ミグ様が過労で倒れたことで、バカ姫は相当ショックを受けたんだな……」
「だと思う。ま、目が覚めたら元に戻ってたけどな。それでも、一時的でも感情を引き出したのは、大きな収穫だった。それからは、ただ待ってるだけじゃなくて、感情を引き出せるよう適度に働きかけるようになった。その……詳しくは言えないけど、その頃、取り巻いていたあまり良くない状況……? みたいなものも、良くなったしね。皆で協力した結果、徐々に回復して、レティは普通に笑えるようにもなってくれた。数ヶ月くらい……先だけどな。それでも……ダメなんだよなぁー……。今日のレティの様子、見ただろう……? 魔法を使おうとすると……ああなる」
「ふむ……。魔法を使うのが怖くなってしまった――というわけか。とすると、『使えない』とは……そういう意味だったのか……」
「――え?」
 リュシファーは、何かが腑に落ちたように頷いた。
「あぁ、すまん。……気になってたことがあったから。……お前達の魔法能力について、前任の教育係から、引き継ぎノートが残されていたんだ。それによると……ミグ様については、あれこれと賞賛の内容が書かれてあったんだが、一方のバカ姫については、『レティシア様は魔法が使えない』とだけ書いてあってな……」
「あー……確かに、そう書くしかなかったかもな……」
「そうか? たったのひと言だぞ? あんなひと言で、どうそれが読み取れるというんだ。色々と捉えようがある言葉だろう? 使えない――という意味なのか、使えない――なのか、全くもって難解だとは思わないか? もっと書きようがあったと思うが……」
 リュシファーの言葉に、ミグは苦笑を浮かべて聞いていたが、深い溜め息を吐いた。

「――いや、前任の教育係は、きっと詳しく書きたくても……筈だよ……」


続く
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