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序章

#5 大魔術師

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 魔法を発動させるために必要な手順は、次の四段階があり……【しゅうげんそうはつ】の考え方で行われる。

一.集(しゅう)
 大気中に存在している各属性の精霊に呼びかけ、魔法の源となる“気の粒”を呼び寄せる――。勿論、より多く集めた方がそれだけ威力も大きくなる。


二.原(げん)
 集めた気の粒をひとまとめに“気の塊”にする。
 塊にすると、一つの気粒を核として次々と気粒が積み重なっていき、球体を作り出して行く――。この球体こそが、全ての魔法の“原型”となるのである。


三.想(そう)
 ここでやっと呪文を唱え始める――。
 呪文を唱え、印を結ぶ――。
 そして、さっきの原型を――発動できる状態にするために、その魔法毎に決まっている『あるべき姿形』までイメージを集中させて、原型をその形まで変化させる必要がある。
 自身の能力値や魔力量が不足していて、使用しようとする魔法を使うのに値しない場合、イメージが乱れるため、その魔法を使うには習熟度が不足していることを認識出来る。
 それでも放ってみようとすれば、魔法は不発となり使おうとした魔法威力にはとても達していない同属性魔法が発動されたり、最悪、不発煙ミスモークという煙が発生することとなる。しかし、魔力は唱えた呪文の分消費するという非常に残念な結果となるため、魔力の節約的観点からも、自身の習熟度に見合った魔法を使うべきである。

 また魔力量不足である時は、この時もイメージが定まらないのは同じであるが、これをそれでも使おうと試みると、一度最終確認をさせるかのように、言いようのない生命の危機感のような感情が、身体の奥底から湧き上がって来るので、足りないと認識するのは容易だ。
 安全遵守の上から危険行為として止むを得ない場合以外、不足した魔力量を生命力で補うことは固く禁じられている。
 生命力で補えば使えることは使える場合もあるが、生命力を注いだのにもかかわらず、必要な魔力の量に達しなければ、待っているのは無駄に生命力を注いだことによる死である――。
 仮に発動出来ても、運良く生命力が残る程度であればいいが、残らなければこれもまた、死を意味する行為だったからだ――。


四.発(はつ)
 発動出来る段階まで『あるべき姿』をイメージ出来たら、後は魔法名を唱え、対象物に向かって魔法を展開して発動させる――……


「――これが魔法を使うということ。魔法を使う前の基礎訓練として気を集めて一旦ひとつにまとめるというのが【集】と【原】……。実際にそれを使って形にして放つという【想】と【発】……この一連の過程が、魔法を使う――ということだったな?」
 今日はリュシファーが黒縁眼鏡をかけて、少し呆れたように、魔法学の基礎の基礎のおさらいから、魔法学の授業を開始した。
「は、はぁい」
 レティシアのために話されたこのおさらいは、どうやらレティシアの魔法学のテストの成績が、かなり悪かったために行われているようだ。
 ミグはもうとっくに頭に入っているこの知識を、退屈そうに聞いている。
「基本の元素の種類は風、水(氷)、火、雷、土、聖、光。ま、闇もあるが、使うことは推奨されないチカラだから、魔法書には載っていないが、知識として覚えておくよう」
 風、水に(氷)、火、雷、土、聖、光、×闇
 ――とレティシアは一応ノートに書き記す。

「次に属性同士の弱点についてもおさらいしておこう。相性を考えずにやみくもに使うのは……非効率だ」
 雷に強いのは土。土に強いのは風。風に強いのは雷。そして、互いに弱点となり合う属性として、火に強いのは水。水に強いのは火。光に強いのは闇。闇に強いのは光。
 聖は基本、回復魔法だが、生きる屍アンデッド属性に対しては有効であること。
 レティシアは、きちんとノートに書き記す。

「――という初歩的なことを、もうとっくに頭には入っているとは思うが……」
 リュシファーのその言葉に、レティシアは気まずそうな顔を浮かべる。
「はぁ……。まあおさらいはこのくらいにするか。は、今日は終わった後に、少し補習授業をしよう」
「な! いつからバカ姫と――」
「――おっと、つい口が……。陛下が『あのバカ姫が、世話ばかり焼かせてしまうとは思うが』と、何度もバカ姫と仰られていたから、つい伝染ってしまったようだ。……どの程度かと思っていたが、テストの添削をして、『……あぁ、なるほど』と思ったまで。ま、悔しかったら、改名に値するようになってから、文句を言ってくれ。いつでも受けよう」
 レティシアは、いつかこの性格の悪い教育係を、後悔させてやると心に決め、今は怒りを抑えた。
 脳内妄想内では、何度リュシファーをやっつけているかわからない。
「(く……何と腹の立つヤツだ……)」
「レ、レティ…………」
 ミグが苦笑し、視線をレティシアのノートに落とした。
 怒りを抑え、隠していたつもりのレティシアだったが、シャープペンシルを握る手が、その筆圧を強め芯が折れていたのだった。

「こほん。えーじゃ、ちょっとここからは、大事な話をする。バカ姫とミグ様は“ルーザス”という人物を知っているか?」
 レティシアは首を傾げている。
「……なんか、凄い人?」
「そう。魔術師だよ。それも『大』がつく程のな……。凄い魔力を持ってて、凄い威力で高位の魔法まで使いこなしたっていう凄い爺さん。大魔術師ルーザスと言ったら有名だぞ」
「はは、そうだな。ミグ様の言う通り、その凄い爺さんは、伝説の勇者と共に世界を救うために戦った一人でもある。もう三百年位前のことだがな」
 伝説の勇者エルトハルト。
 三百年位前、大魔王ザロクサスに世界が支配されかけた時、邪悪なる力に立ち向かう勇者が、世界に光をもたらすだろう――という取ってつけたような予言通り、本当に現れて、仲間と共に、ちゃっちゃと世界を救った後は、どこかに姿を消したという昔話だ。
  
「その魔力の高い魔術師は、凡人が努力で何とかなる部分もあるが、どうにもならない決定的な差がある。それは何か――」
 リュシファーは、それを言い当てて貰いたいのか、レティシア達に少しの間、解答を委ねた。
「うんと、記憶力が良かった」
「うーん……」
「じゃあ頭良かった……魔法が好きすぎて変態だった……?」
「はぁ……。お前、適当に言えばいいと思っているな? ミグ様はどうだ?」
 これでも真面目に考えて言ったつもりだったレティシアは、少し拗ねて口を尖らせた。

「――生まれ持った魔力資質が高かったから」

 正解――。ずっと黙っていたミグがあっさりと解いた。
「先に言われそうだし、よく言われていることだから先に言っておくと……『そんな資質があって生まれた時点で、勝ち組』『魔法で悩むことなさそう』『何の苦労もなく、大魔術師になれる資質を持って生まれるなんてずるい』などと思うかもしれない。が、決してそうじゃないんだ」
「え? 何で? そんなに魔力資質が高くて、何を苦労することがある?」
 首を傾げたレティシアの前に、リュシファーはコップを出した。
「このコップに水を入れてみてくれるか?」
「え? わかった」
 レティシアは席を立って、コップを持って続き部屋のミグの部屋へと出て行く。
「え」
 そして水の入ったコップを持ち戻って来たので、リュシファーが念のため確認する。
「まさか、汲んできた水ではないよな?」
「え――駄目?」
 溜め息を吐いたリュシファーが、氷をひとつコップの中に入れる課題に変更した。
「あの……私じゃなくて、ミグに……」
「いいや、お前だ」
「リュ、リュシファー、俺がやるから――」
 ミグも席を立って、代わりにやってくれようとするが、リュシファーはミグを座らせた。
「……最終的にできなくてもいいから、とにかく試してみてくれ」
 レティシアは、氷を出す魔法すら、使えた試しがないのである。しかし、レティシアは、『最終的にできなくてもいい』というリュシファーの言葉に、久しぶりにまずは【集】を試みる。水の精霊に呼びかけ、気の粒を呼び寄せようと手をかざした。
 しかし、気が集まる様子もなく、何も起こらないまま、少しの間、レティシアは真剣に手を見つめていた。
 そしてレティシアは溜め息を吐いて手を降ろすと、リュシファーをちらっと見た。

 リュシファーは、確かに前任者の引き継ぎ書に、『レティシア様は魔法が使えない』と書いてあったことを思い出す。それは、上手く使えない程度のことだと思っていた。
(……ひょっとして、『全く使えない』という意味だったのか……? 最終的に魔法として展開できなくとも、この程度のことは、容易な筈だと思ったが…………。ま、まさかな……)

 とてもふざけている様子はないレティシアは、リュシファーと目が合うと困ったような顔をしている。
 一度深呼吸をした後、レティシアは再び手を翳したものの、次第に少し苦しそうな呼吸をし始めた。
「え……と?」
 リュシファーが、異変を感じ始めた頃、片手は翳したまま、ついにレティシアはもう片方の手で胸元を押さえ、首を横に振った。
 何事かとリュシファーは声を掛けようとしたが、ミグに静止の合図をされる。
 ミグはレティシアの背中を、ぽんぽん、と優しく叩き、席へ着かせている。

「レティはもういいよ。座ってろ……」
「……う……」
 レティシアは、ミグに頭を撫でられ、泣きそうになっている。
「よく頑張った……よしよし……あとは、俺に任せて」
「……ごめ……ん」
 リュシファーは、何やら二人のただならぬ様子に、黙ってその光景を見守ることしかできなかった。
『何を勝手に――』という言葉が、リュシファーは喉から出かかっていたが、こちらを向いたミグのその訴えかけるような瞳に、その言葉は消滅していた。 
「――ごめん、リュシファー。俺が代わりに……いいだろ?」
 圧倒されながらも、絶対的に従わなくてはならない不思議な何かをミグに感じ、思わず承諾していた。
「あ……あぁ……い、いいだろう。バカ姫は、大丈夫か?」
「ん……少し休めば、落ち着くと……。な? レティ」
「……うん。ごめん……なさい」
「(……後で詳しく話す。ごめん)」
 ミグは、そう密かにリュシファーに言うと、目で合図した。
 そして、すっとミグは手を翳して、気を集め始めると、呪文を唱える。
「水の精霊よ我に力を、凍てつく氷を今ここに……<アイス>!」
 ミグはあっさりと、三センチ角の氷がカラン、とコップの水の中に入れた。
「よし、よく出来ました」
 レティシアは少ししゅんとしながら、溜め息を吐いた。こんなにあっさりと魔法を使いこなしているミグに比べて、基礎さえまともにこなすことのできないレティシア。同じ双子とは思えない大きな差に、密かに落胆していたのである。
 そんなことはお構いなしに、授業は先へと進む。
「このように、今、このコップに入れる氷を作るために、ミグ様は何に注意した?」
「何――って……、本来のアイスだと、このコップに入れる氷にするには大き過ぎるから、なるべく力を抑えて、三センチ位の氷にしようとした……けど」
 リュシファーはコップを手に取ると、氷をカラカラと鳴らす。
「そうだろうな。その『力を抑える』ってことが、魔力資質が高ければ高い程、今の氷ひとつを作るのすら、普通の人より難しいことになるのは知っているか?」
「!」
 レティシアは、俯いていた顔を上げた。
「……高い魔力資質を持っているにもかかわらず、ちゃんとコントロールすることができているということは、それだけ努力したということ……」
「……魔力資質が高くても、それだけでは……ってことか……」
「そう。魔力資質が高くても低くても、努力が必要なのは同じということだ」
 努力――最もな話だ。
 確かに魔力資質が高いに越したことはないが、手加減が必要な時にもぶっ放してしまうという、その強大な力の扱いにくさに苦しむのだという。

 自分でも扱いに困る――魔力……。
 その気持ちは、とても理解出来る気がした。

 魔法が発動してしまうのが怖い――。

 いざ使おうとすると怖くなり、先程のように息苦しさを覚えてしまうので、もうずっと逃げ続けてしまっていた。
 魔力が高いのか低いのかはわからないが、魔法が発動してしまうのが怖いというのは、から思っている。

 魔法は使っても、飲み込まれるな――。

 魔法に飲み込まれるのではなく、自らが使ってやれ――。即ち、使いこなしてやれという意味だ。

「――はい。では……今日はここまで」
 授業が終わった途端、ミグがリュシファーを追いかけて部屋を出て行ったので、レティシアは少し残念だった。

 少し話したかったのだ。
 仕方なくレティシアはバルコニーへと出た。
 ピョオオ……オオオォ…………
 穏やか――とは少し言い難い強さの風が、レティシアの頬を撫でる。髪を手櫛でとかしながら、風に舞わないよう片側に寄せ、その毛束を掴んで格子にもたれ掛かる。
「コントロール――かぁ……」
 ……ピョオオ…………
 風に衣服がパサパサと揺れている。ドレスの裾も、下から少し舞い上がりゆらゆらと揺れている。
 レティシアは、ドレスの裾が引っかからないように、裾を手で捲し上げて素脚を晒しながら、格子へと上ると腰掛けた。
 脚をぶらぶらと揺らしながら、レティシアはぼーっと遠くの景色を眺める。

 昔、風に乗った気がすることがあった。
 いや、少し違うかもしれない。レティシアは、西塔の塔上の格子から、落ちたことがある――。
 レティシアは、よく今みたいに格子に登っては注意されていた。三歳頃のことだった――。
 そうして格子に座っていた時に、誰かに背中を押されたと気付いた時にはもう、格子から身体が離れ、下に落ちている最中だった――。
 しかし、その時、何故か強い風が吹き、真っ直ぐには落ちなかった。普通に考えられないような位置にある木の上に落ちた。
 勿論、木の枝やらで怪我はしたものの、魔法で治る程度だったし、すぐに大騒ぎになって救出された。
 押した者は未だに誰かわからないが、レティシアの不注意ということになった。そんなわけはないのに。
 ……今思うと、前王妃ソフィアが存命の頃で、その頃、命を狙われる事もあったりなかったりと、物騒な時期があったので、少しきな臭いにおいがする。真相はわからないままではあるが、今は平和なものだ――とレティシアは思う。

 風……。
 風は、火(炎)や雷や土とかよりは、水(氷)とか風の方が穏やかな魔法のイメージがある。
 だから、魔法を使うのが怖いと思ってからも、時々、魔法書を見てみることはあった。
 風くらいなら、使えるようになれるだろうか――。

 レティシアは、スタッと格子から床に着地すると、異次元空間にしまっていた風の魔法書を取り出した。
(……そうだ。攻撃魔法なんかを使おうとするから怖いのだ。補助魔法的なものなら、大丈夫な筈だ)
 レティシアは、補助魔法の頁を開いた――。
 開いたのは、身体を浮き上がらせることができる魔法だった。もう密かに暗記もしていたが、間違えてもいけないので、一応、目で黙読をする。

『――風の精霊よ、汝ら世界に導け友よ、我にも与えし風の衣、我が身を軽くし舞わせよ大空……汝とともに』

 レティシアが呪文を黙読して、すぐのことだった。
 風がシュルシュルと音を立て、足元から風の筋を作るような気配がし始めた――。それは、レティシアの周りを回るように、上へ上へと衣服も不自然に揺らし、上って来ている。
(……え⁉︎ そ、そんな筈は――)
 レティシアは、その身が足元から浮き始めているのを感じ、思わず声を上げてしまいそうになって、口に手を当てた――。
 ふーわふわと勝手に身が軽くなるように、つま先がバルコニーの床から離れそうで、しかしギリギリの所で離れない状態が続いている。
(ど……どどど、どういうこと……なのだ……⁉︎)
 身体に響く、しっかりとした心臓の脈動の音。
 落ち着けようと、なるべく大きく、鼻から空気を吸い込んでは、鼻から吐く呼吸を繰り返す。
 レティシアは、ついに明らかに足先が床から離れてから、こくっと息を呑んだ。
 まだ動揺はしているものの、冷静にこの状況を整理したレティシアは、静かに口に当てていた手を下ろす。
 これは、明らかにとある魔法が発動しているのだと、その結論を口にもした――――。



「フ……<空中浮遊魔法フリシール>……⁉︎」


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