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序章

#4 強敵

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「では、後はよろしくお頼み申します」
 レイモンドが、レティシアの部屋を去って行く。
「は……はぁ~……な、なんとかなった……」
 ドアを閉めた直後、レティシアは作り笑いを瞬時に止め、ソファに項垂れるように横たわった。
(精神をジワジワと削られるようで、酷く疲れた……)
 その様子を見ていたリュシファーも、どうやら笑いを堪えていたのを、ようやく解放させたようだ。
「ぶふっ……くっくっくっ」
 レティシアは、ソファに項垂れたままでリュシファーを睨みつけた。
「くぬぬぬ……。貴様、始めから、私のことを知っていたのだな?」
 悔しそうに怒っている様子のレティシアを見て、リュシファーが再び、笑いを堪えられずに噴き出した。
「な、何という屈辱……」
 リュシファーは、その目に涙を浮かべてまでいるので、レティシアはめちゃくちゃ苛立たしかった。
「ぶふっ……ふは、いや、最初は本当に知らなかったって。まさか、自室で待機している筈の姫様が、塔のかなり上の階層から、慌てて階段を駆け降りてくるとも、突然、階段から降ってきて衝突してくるなんてことも、誰が想像できる? まさか、まるで稽古着のような服装で遭遇するとも、思わなかったし……変装のつもりだったのか?」
「う……そ、そんなことはどうでも良い。じゃ、じゃあいつから気付いていたのだ」
 レティシアは、早朝にこっそりと剣の稽古をしに、東塔塔上へといっていた。時々、稽古の相手をして貰っている人物がいることを、レティシアは誰にも言っていない。勘付かれないよう、本題に話を戻した。
「いつから……という程、後でもないが、姫様が喋ってから薄々な……。そのちょっと憎たらしい、上から目線の口調――。そしてせっかく俺が手を貸してやると言っているのに、手を借りることを頑なに拒否したこともそうだ。全く……人の善意は、素直に受け取ってはどうだ? もし、俺が問答無用で手助けしていなかったら、その気位の高さが原因で、今頃どうなっていたことか……」
「うぐ……」
 レティシアは、それを想像して苦笑を浮かべる。全くもってリュシファーの言う通りだ。

「気付いた原因は、それだけじゃない。次に、この部屋についてだ。まず広すぎるだろう? そして、ここには、もっと根本的な理由もある。俺が姫様を運んでいる間、行き先を質問したら、自分の部屋だと回答しただろう? しかし、到着したその自室は、姫様と出くわした階層と同階層――つまり、東棟の五階だった」
「五階……? ここは三――あ、そうか。そうだった……本来はも入れて数えるから、ここは本当は五階なんだったな」
 レティシアや双子の王子ミグは、中央棟は一階、二階に行くことはあっても、使用人、兵士達のエリアである東棟、西棟の一階、二階の低層階エリアには、滅多に行くことがない。
 それに、中央棟から東棟、西棟の低層階と上層階に連絡する中間地点となる三階を含む、三階から最上階までの上層階エリアと、一階から二階までの低層階エリアは、直接行き来できるよう繋がっていないため、それぞれ独立したものとして、レティシア達は、実際の三階を上層階エリアの一階として数えていたのである。だから、レティシアの部屋のある五階も、実際の三階を上層階エリアの一階として数えると、『三階』ということになるのだった。
 そしてさらに、東棟、西棟の低層階の二階層は、その原理でいくと、地下になってしまうため、地下一階、地下二階と呼んでいたのである。

「え……と? 三階だと? 地下……?」

 リュシファーが、不思議そうにしている。
 レティシアは面倒ではあるものの、最近城にやって来たリュシファーには、少し理解が難解だと思い、仕方なく詳しく説明した。
「……ほう。確かに、一階二階に滅多に降りることがなければ、姫様達の間では、そう呼んでもおかしくはないか。ま、それはわかったが……とにかく、五階――いや、姫様達の言う三階なんていう上層階に、自室を持つ者は限られているからな。気付かない奴がいると思うか?」
 起き上がったレティシアが口を開いた時から、リュシファーは少しずつヒントを探り、部屋に入った頃には完全に、レティシアの正体に気付いていたのである。
「……はぁ……バレバレであったか……」
 レティシアは項垂れていたソファから、仰向けに体勢を変え天井を見上げると、溜め息を吐いた。
「当然だ……それから――」
 横目で見ると、リュシファーはにこにこと微笑んでいる。
「……まだあるのか。もう良い――と言いたい所だが、一応聞いてやろう」
「それはどうも……。多分、怒ると思うが……使用人や兵士なら、俺のことを知っている筈だが、姫様は俺のことを、全く知らないようだったことだ――」
「はぁ? 知らないも何も、こんな話初耳だ」
「ははは。だろうな……おそらく、この城の人間のうち、俺が就任することを知らないのは、姫様だけの筈だ」
「は、はぁ? 何それ、ど、どういうことだっ!」
 レティシアは腹立たしくなり、ソファから起き上がると勢いよく立ち上がった――途端、顔を歪めて再びすぐにソファに腰掛けた。
「痛っ……!」
 リュシファーが止めようと手を伸ばしかけたまま、ぎこちなく微笑んでから、溜め息を吐いた。時は既に遅かったからだ。
 貼られた薬の塗られた布の上を摩りながら、目の端に涙を浮かべたレティシアに、リュシファーは呆れたように言った。
「やれやれ……気を付けろ。二十時頃までは、まだ痛むし、レイモンド様の手前『軽い捻挫』と言ったが、本当はそうじゃない。割と普通に捻挫だから、今痛かっただろう。それに、塗った薬の効果で痛みは取ってやれるが、根本的な捻挫自体が治るわけではないから、そのつもりで……。痛くないからといって無茶をすれば、いつまで経っても治らない。ちゃんと、忠告はしたからな? というわけで、さっきの続きだが……陛下は、姫様には内緒にして、驚かせるつもりだと仰っていた。だから、聞かされていなかったというわけだ」
「く……。やはり今回の父上の様子から、どうも嫌な予感がしていたが、そういうことだったのか……! えと、その前に……え? あ……? えと……?」
 本題にすぐに戻したリュシファーは頷いたが、前半さらっと衝撃的なひと言を言わなかっただろうか。
「こ、これ……軽くない捻挫って、こと?」
 リュシファーに引きつった笑みを向け足を摩ったレティシアは、うんうんと頷いたリュシファーに溜め息を吐かれた。
「さっき、そう言っただろう」
「う……」
 どうりで軽い捻挫にしては痛いと思ったと、レティシアは納得した。 
「何故そんな偽りをっ。軽いなら大したことないと思って、立ち上がってしまったではないか」
「……やれやれ。何故……か……。初日から、こんな虚偽の報告をする羽目になるとは……。あのな……俺がどれだけ、姫様に便宜を図ってやったと思っている。ちっとも理解していないようだから、全部説明してやろうか? 軽い捻挫だと言っておいたのは、姫様のためだぞ? あまり症状が重いとレイモンド様が知れば、必然的に、説明を根掘り葉掘り求められるだろうからな……」
「う……」
「遅刻の事実も伏せてやったし、ぶつかって来た事実も伏せてやった。下敷きにもなってやった。……おかげで、背中を強く打ったから、さっきから痛くてな……ああ、さらに、受け止めてやろうとして、一緒に倒れた時に、姫様に上に乗っかられたせいで、肋骨が折れたりしているかもしれないなぁ」
「え……嘘……さっきから、平気そうにしていたではないか」
 リュシファーが、困ったように微笑む。
 レティシアははっとした。レティシアを軽い捻挫と診断した時と同様、もし、リュシファーも身体を痛めたのがレイモンドに知られれば、何かあったのではないかと勘付かれるかもしれない。
 リュシファーはそう思い、平然を装ってくれていたのだ。レティシアは、軽く唇を噛んだ。
「姫様がとても歩ける状態じゃなさそうだったから、部屋にも運んで連れて来てやったしなぁ……」
「そ、それは、頼んでもいな――」
「――ま、放っておいても良かったんだがな……。助けなどいらないと言われても、放っておけなかったのは、確かに俺が勝手に行動したことだ。だが、ここまで便宜を図って貰ったことに対して、一国の王女として礼儀を欠いているというのは、由々しき問題だと思うんだがな……」
「う……」
 リュシファーの恩義に対し、レティシアの非礼は、恩を仇で返しているようなものだ。
 気まずそうに、レティシアは視線を逸らした。
 確かにリュシファーのおかげで、命拾いすることができたのである。間違いなく、レティシアはこの腹立たしい男に、素直に謝罪と感謝を言わなければならない。
「……はぁ……」
 レティシアは深い溜め息を吐いた。
 するとリュシファーは言った。

「そうか……。どうやら、余計な世話を焼いてしまったようだな。では、今からやはりレイモンド様に、本当のことをお話してくるとするか……」
「え……」
 そして、意地悪い表情を浮かべたリュシファーは、人差し指をピンと立てると、その問題は急に出された。

「――はい。ではここで、問題です。大変お気の毒なのですが、このように礼儀を欠いたことも加えて、真実をレイモンド様に伝えた結果、姫様は一体どうなるでしょう――?」
「なっ」
 これは確実に脅迫である。しかし、観念して言うべきことを言わなければ、目の前のこの者は、本当に実行に移すだろう。
「ききき、貴様卑怯だぞ! 脅すつもりか……! わ、わかった。すまなかった。感謝もしているっ」
 レティシアが言い終えると、リュシファーにわしゃわしゃと頭を撫でられた。
「はいはーい。よく言えました」
「ぐ……」

 いつの間にか何か書類の様なものを手にしたリュシファーが、扇ぐ仕草をして勝ち誇ってにっこりと微笑んでいるのを見て、なんと性格の悪い……とレティシアは唇を噛んだ。

「こ、今後も告げ口なんてしたら、許さないからな……っ」
「そうですねー。勉強態度次第……でしょうかねぇ? まずは、ちゃんと座っていただきましょうか。ねっ?」
「!」
 レティシアは、唇を軽く噛んだ。
 どうやら、一番握られてはいけない相手に、弱みを握られたようである。

(……この男、めちゃくちゃ弱みを有効活用してくるじゃん)

 レティシアは、仕方なくリュシファーの方へと正しく座り直すと、不服そうに息を吐いた。
「はい、結構だ」

 先程の衝突事故の前の時刻に戻って、この状況を回避出来たらどんなに良いだろうか。
 ただでさえ今日の約束を守らなかったら、どんな罰が待ち受けているかと恐れていたのに、今日朝六時三十分に目覚めてからほんの三時間程しか経たない内に、恐ろしいものがまた一つ増えるとは思ってもみなかった。

 はっきりとレティシアは理解した――。
 そうか、今日という日を境にして、私の人生はやはり詰んだのかと――。
 

 壁時計に視線を向けてリュシファーが言った。
「――そろそろ、ミグ様が来られる時間……か」
「え? ミグ?」
「ああ、実は昨日、陛下がレティシア様以外を広間に集められて、『アレには明日……』と仰られてな。だから、レティシア様とは今日ご挨拶の時間を設けてから、ミグ様と合流の手筈でいたというわけだ」
 レティシアは眉をしかめた。
 この一週間、自室で謹慎を言い渡されていたレティシアは、九時から二十二時まではドアの外にも見張りを付けられていた。
 お手洗いや入浴への行き来、城の敷地内を歩く時は執事か侍女の護衛付、バルコニーの外にも兵が立たされた。早朝に東塔の九階に当たる塔上へ、こっそり剣術の練習に行くことと、部屋の中以外は、ひとりになれる時間がなかった。
 昨日でそれは解除されたが、そのような状態であまり出歩かなかったので、この危険人物リュシファーが、昨日から城に滞在していたことなど、一切知らずに過ごしていた。
 
 そして、ミグとは食事をほぼいつも一緒に摂っていたが、昨日は一緒ではなかったことにも、たまにあることなので気にも留めていなかった。
 皆して内緒にしていたのか――と、面白くなかったレティシアは頬を膨らませた。

 そして、ミグがノックとともにレティシアの部屋に入って来た。
 レティシアの隣に座るなり、勿論レティシアはミグに抗議した。
 ミグが予想してたかのように軽い謝罪をする。
「あはーごめん。父上からアレには内緒にしておけって言われてて……ははは、はははは」
「ひどいよー」
「いやーでも今怒り心頭中の父上には逆らえないだろー? 悪かったよ」
 リュシファーが、突然レティシア達の前のテーブルに、どさっと書類を置いた。

「はい」
 にっこりとリュシファーは微笑んだ。

「何その笑顔、怖いんですけど……」

 目の前に置かれた書類に恐る恐る視線を落としていく二人。それは二人な目をまんまるにして凝視させ、その後に瞬きを二回させもした。
「「ひっ……」」
 レティシアは、そういえば先ほどから何か持っているなとずっと思ってはいた。
 思ってはいたのに、突っ込むのを失念していた。

 二人の見間違いではなく、間違いなく『テ』『ス』『ト』の三文字であった。それは、二人の顔面をみるみる内に蒼白させた。

「そう嫌な顔をするな……。一応前任者の引き継ぎ書には目を通してはいるが、実力テストして貰った方が早いかと思ってな。今後の勉強スケジュールを考える資料にさせて貰いたいだけだから、特に返却もしなければ、成績にも影響はない。今の学力を、ちょっと知りたいだけだ。はい始めて~」
「「は、はーい……」」

 初日に筆記テスト。
 こんなものを用意されていたとは、思いもよらなかったレティシアは、頭を悩ませながらテストを進めた。
 チラッとミグを見ると、抜き打ちにもかかわらず、スラスラと解いているようだ。

(ミグは勉強出来るからなぁ……)

 レティシアは、問題の中から解ける問題を探して、視線だけはどんどん問題を読み進めていった。視線が途中では止まらずに、どんどんと次の問題へと移っていく。
 レティシアは、眉間に皺を寄せたまま、溜め息を吐いた。
(……ダメだ。ちっとも解ける気がしない……)
 レティシアは、問題を解くのを諦め、リュシファーをチラッと見ると、黒縁の眼鏡を取り出して読書を始めたようだ。
 黒縁眼鏡をかけたリュシファーは、ちゃんと先生のように見える。容姿の美しさは崩さないままに、雰囲気が変わり、レティシアは、これはこれで良い――と思考した。
(い、いや、何、敵を褒めているのだ。今のナシナシ! 確かに顔は良いんだけどな……顔は……。でも、性格、サイアク)
 レティシアは思考を訂正した。そして、解けないからと、敵の観察をしている場合ではないことを思い出し、再び、筆記テストを進めていった。

「はい――。では、今日はここまで」
 黒縁眼鏡を外したリュシファーが、余裕のある微笑みを浮かべ、部屋を去って行く。
 また明日もまたその次の日も、レティシアにその余裕のある笑みを浮かべるのかと思うと、溜め息を吐かずにはいられなかった。

 レティシアの前に突然現れた、強敵の出現。

 これからの日々は、一体どうなっていくのか、不安でレティシアはその日、何度も溜め息を吐いたのであった――。
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