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序章

#3 人生……詰みました?

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「ど、どうぞ」
 先程、姿勢を正した際に、普段通り床につけた足に体重を乗せてしまったことを、レティシアは後悔していた。取り繕うことに必死で、足が痛むことをすっかり忘れていたのだ。
(うぅぅ……痛いぃぃぃ……。ダ、ダメだ。“先程から大人しく待っていた人”のフリをせねば……!)
 レティシアは、それでも平静を装い、微笑みを崩さないように努めた。
 レティシアが装った平静の中、僅かな変化に気付いたのか、すぐ隣にいる青年の方から、ふ……という息遣いが聞こえてきた。
(わ、笑われた……? くそ、本当に腹が立つヤツだ。タイミング悪く、じいが来るから突っ込めなかったが、何者だ……?)
 ドアが開かれ、とある人物がスッスッスッスと静かに歩みを進めてくる、枯れ葉色のローブを身に纏った白髪の老人――。その獲物を捕らえるような視線が、鋭くレティシアを捕らえた。
 エンブレミア王国の“白き虎”との異名を持つ、この国の宰相が、二人の前に現れた。
 戦乱があったその昔は、名武将と名高く、鎧が赤だったため、“紅き虎”の異名を轟かせていたが、数々の進言で国を繁栄させた立役者として、白髪となった今も尚、白き虎としてその名は健在していた。
 レティシアのお目付役でもあるこの老人のことを、レティシアは『爺』と呼んでいたが、その名をレイモンドという。
「――そこにいらっしゃるのは……リュ、リュシファー殿っ! おぉ、良かった良かった……いやーどちらへ行かれたのかと……。もしかして、逃げ出してしまったのではと心配しましたぞ。しかしはて? もう姫と打ち解けていらっしゃったとは……さすがは――」
 レティシアは、目が点になった。
 レイモンドが、自分より先にこの青年に声をかけたことに、レティシアは眉を顰めた。
「いぇ、レイモンド様。まさか逃げ出すなど……姿を消してしまい、申し訳ありません」

(……え? ……え? 爺と見知った間柄……?)

「――ちょっとしたアクシデントがありまして……姫様と偶然、ね?」
「ほう……」
「!」
 微笑みをレティシアにも向けながら、リュシファーと呼ばれたこの青年が、レイモンドに事情を説明し始めた。
「い、いぁ……あぁの……そのっ――」
 レティシアは思わず動揺して、リュシファーが説明しようとするのを止めようとしたが、レイモンドに怪訝そうな視線を注がれ、俯くと口を噤んだ。
(……あぁぁ……終わった……! 完全にじいに告げ口される……っ)
 レティシアは溜め息を吐くと、自分に不都合な説明が聞こえてくるのを、覚悟を決めて待つより他なかった。
「――それでですね……というのも……」
 まずは、リュシファーが廊下を歩いていると、そこに偶然、倒れていたレティシアを見つけたという説明が聞こえてきた。
(……あ、あれ? ……? ぶつかられた――ではなく?)
 レティシアは、リュシファーの方に困惑した表情を向けるが、リュシファーは気に留める様子もなくレイモンドに全て説明し終えたようだ。
 続きはこうだった――。
 慌ててリュシファーが駆け付けて声を掛けると、レティシアが足を痛めていた様子だったので、僭越ながら部屋までお連れした――という拍子抜けする内容だった。
 レティシアが懸念していた『自分が慌てて部屋に戻ろうとしていて、階段を急いで駆け下りていたせいで足を踏み外し、不運にも階下に突然現れたリュシファーに勢いよくリュシファーにぶつかって危害を加えてしまい、二人でつい先程まで倒れ込んでいた』という傷害事件ともいうべき内容も、『実は遅刻していた』という事実も、そこには全く触れられていなかった。
 リュシファーは、レティシアに不都合になる説明を口にはしなかったのである。
(……ど、どういう了見なのだ? わ、私の合図通りに、黙っていてくれるつもりなのか……? い、いや。な……んか、嫌な予感がする……。何か企んでいるのか……? それに――)
 リュシファーの説明とレイモンドの会話から察すると、どうやらリュシファーとレイモンドの二人は、何の用かは言っていなかったが、どうやらレティシアの部屋に向かおうとしていたようだ。それも、少し早めに到着できるよう向かう予定だった。しかしその前に、二人で父上の元へと挨拶をしに行った所、別件で相談したい問題が起きてしまったため、父上がレイモンドを少し引き留めたらしい。
 そういうわけで、リュシファーだけ先に、この東棟のレティシアの部屋のある五階の廊下に向かい、レイモンドを待つように言われていたようだ。
(――と、そこに私が階段から降ってきたという事らしい。本当は二十分も前に部屋に来ようとしていたなんて……。まっすぐに来られていたら、確実にアウトだった所だ……)

 ひとまずその事情も把握はできたものの、レティシアにはまだ疑問がたくさんあった。
 先程からレイモンドは、姫であるレティシアよりも先にリュシファーに声をかけ、おまけにそのままレティシアの事を置いてけぼりにしている。それほど、この者が重要な人物なのだろうか。
(い、いつまで立たされているのだ。なんか、面白くない……)
 レティシアそっち抜けで二人が話を続けているので、レティシアは少し退屈そうに息を吐いた。
 それに、そろそろ痛めた足ではない方で体重を支えて立っているのも辛くなってきたようだ。レティシアは、少しずつふら付き始めてしまい、思わず隣に立つリュシファーの肩を借りてしまった。
「す、すまぬ……ふら付いてしまって」
「――あぁ、大丈夫ですか? 立っているの、そろそろお辛いですよね。レイモンド様、姫様は足が痛む筈ですから、お掛けいただきましょう」
「あ、あぁぁ。そうでした。姫、これはつい話し込んでしまい、お立ち頂いたままで申し訳なかったですな……。ささ、どうぞどうぞ掛けてください」
 レティシアは、やっとソファに掛けることができて安堵していた。
「処置は早い方がいいですから、もし良ければ、主治医の方を今から呼ばれるより、私が診て差し上げても? 大事ではないといいのですが……」
 リュシファーがそう言って、レティシアの足に手のひらを向けたので、レティシアは片方の眉を吊り上げた。この男は、一体何を言っているのだろうか。
(あ……足を診る? え? 医師……?) 
「おお、こ……これはこれは、本来の業務ではないというのに、初日から御面倒をおかけいたしますなぁ」
「いえ……何かあってもいけませんので」
 リュシファーが、レティシアの足を診始めた。
「……ひぁ」
 少しだけ足を捻り、レティシアに申し訳なさそうに微笑んだリュシファーは、その足を優しく床に下ろした。そして、その手を足に翳し、リュシファーが目を閉じた瞬間――。
 リュシファーの手と、レティシアの身体の間に、直径一メートル程の魔法陣が浮かび上がる。魔法陣は薄く、青白く発光して、ゆっくりと回転している。
「ほぉ…………」
 魔法陣の文字が、それぞれ不揃いの方向に円の中で回転し、その一部にピンクやオレンジに発光している箇所が見られ、点滅もしている。
 その様子に何度も感心して、レイモンドが声を漏らしている。
「……やはり…………」
 リュシファーはそう呟くと、チラっと一瞬だけレティシアに深刻そうな表情を向けて溜め息を吐いた。
 しかし、すぐにリュシファーはレイモンドの方に、安堵したような表情を作ってこう言った。
「……えと、これは不調な所を検知する特殊な魔法陣で、今ご覧になられた通り、異常があると色が変わり、その濃さや色の種類、術者にのみ解読可能な文字などにより、症状が解読できます……」
 スッと魔法陣が消えると、リュシファーは息を吐いた。
「その結果――ですが、そうですね……。大事には至らなくて、良かった……。レティシア様は『捻挫』のようです。幸い……骨が折れたりといったことは御座いませんので、御安心ください。この特別な調合の薬を処置しておけば、一応、夜にはお痛みも少しは引かせて差し上げられるでしょう。ちゃんと正常に歩けるようになるのは、まだ少し先……二、三日ちゃんと無理をせずにいてくだされば、ちゃんと治っていきますから、ご安心ください」
 リュシファーが薬の瓶を見せてそう言うと、レイモンドも胸を撫で下ろしているようだ。
 リュシファーが手当をする中、レイモンドがこほん、と一度咳払いをして、やっとレティシアに口を開いた。
「――あー姫、長いこと御挨拶もせずお待たせてしまいましたな……失敬失敬。えー陛下が、本日厳守するよう仰られた九時に部屋で待機される御約束、しっかり守っていただけて、この爺嬉しゅうございますぞ。そう陛下が仰ったのは、今日重大な――」
 “九時”と聞いてレティシアは僅かに身体を緊張させた。
 ちらっとリュシファーを見ると、少し眉を顰めてレティシアに視線を向けたかと思うと、すぐに斜めにその視線を落とし、その後は何か思考している様子を続けている。
 
(――さすがに父上との約束の事までは知らない筈だったのに、今ので完全に気付かれた……。いや、すでに何かの時間に間に合っていなかった事は、把握されていただろう。間に合ったのかと、先程聞かれていたしな……。そして、その理由がコレだったのかと……リュシファーはたった今、完全把握しただろう。爺が余計なことを言うから……!)
 レティシアは、既に爺の話が頭に入って来ていなかった。
 思い返しても思い返しても、完全にリュシファーに対し、礼儀を欠いた事実しか思い出せない。おまけに父上との約束に遅刻した事実まで、たった今掌握されたこの状況を冷静に振り返っていた。

 つまり、レティシアは、リュシファーの出方によっては、いつでも即死するということである――。

(……どうしようどうしようどうしよう)

 レティシアは現実逃避したくなっていた。
 脳内に、レティシアが四つん這いになり、リュシファーが勝ち誇った笑みを浮かべながら、その背の上に偉そうに足を組みながら腰掛ける姿が浮かんでいた。勿論、【リュシファー=危険人物】という説明書き付きだ。

(……う、うわぁぁぁぁ……完全に緊急事態では……?)

「――それで、姫には突然な話ではございますが、本日を持って、このリュシファー殿を、姫様のとして陛下が任命されたのですじゃ。そして、それだけではありませんぞ?……もうそろそろ老体の私に代わり、姫のの任も兼任していただくことに――」

(っな…………! い、今……何と言った…………!?)
 さらなる衝撃的な言葉に、レティシアは耳を疑う。
 リュシファーとレイモンドに、交互に驚愕の視線を向けたレティシアは、手当を終えたリュシファーに、ふっと微笑まれて会釈された。

「――あの難関であるエルフィード王立学院を、若くしてストレートに、そして首席で合格しただけではなく、成績も常に首席、そのまま誰にも首席の座を譲ることなくご卒業。その後、医学の心得まで取得。このご容姿でお分かりかと存じますが、リュシファー殿は、あの高い魔力と博学であるエルフの一族のお生まれ。おまけに、この端正なお顔立ち、確か……陛下が、……イケメン……とか仰ってましたかのう? とにかく、こんなイケメン超優秀教育係という逸材、幾ら探してももうどこにもおりませんですじゃ! これを機に、今度こそ――」
 リュシファーの自己紹介を張り切って並べ立てるレイモンドの話が、レティシアへの小言に切り替わろうとした頃、交互に二人の顔を見ていたレティシアが、ようやく事態を理解してぎこちなく微笑んだ。

 この危険人物が、教育係兼目付け役……?
 う、嘘だ。
 これは、夢だ。

 そうだ。
 きっと、何かの夢……だよね?


 もし、夢じゃなければ……わ、私の人生……、詰んだのでは――?
 

 レティシアは、表向きの微笑みを浮かべながら、いつも通りにレイモンドの小言を聞き流していた。
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