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動揺のローマ
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「俺と結婚してください!」
バールで東野様に懇願された時は、一瞬頭が真っ白になった。
よりにもよって突然プロポーズされてしまったのだ。
会ったばかりで、知っているのは名前と勤務先くらい。いや、正確には肩幅や身幅やウエストサイズもわかるけれど……とにかく私は彼のことはほとんど知らない。
というか、それ以前に東野様は大切なお客様なのに。
私が反応できずに固まっていると、立っていた東野様はひどく慌てた様子で「もちろん形だけで」とつけ加えた。そして「頼むから助けてほしい」と。
その結果、彼はスーツケースを持って、ホテルからここに移ってくることになったのだ。
お会いしてすぐわかったが、東野様は基本的に言葉数が少ない。その自覚はあるみたいだが、別にそれを気にしているとは思わなかった。
ところがその簡潔過ぎる発言から察するところ、どうやら間近に迫ったお見合いが急に不安になってきたようなのだ。
これまでの東野様は他人と業務外の会話をしたことがなく、それでも特に問題はなかったそうだ。けれどもお見合い、さらに結婚となると、現状のままではまずいと思ったらしい。
確かにほとんどしゃべらない相手とずっと一緒にいるのは、かなりどんよりするだろう。
――だが、桐島さんとはうまく意思疎通できた。
私もあまり話好きな方ではないが、確かに東野様とはそれなりに会話が弾んだ。それで考えが変わったのかもしれない。
東野様は小学生の時にお母様を亡くされている上、ひとりっ子で、誰かと交際したこともないそうだ。もともと他人に興味がなく、まして女性とはまったく接点がない。
だからデートや結婚生活については見当もつかず、その疑似体験をしたいというのだった。私となら多少なりともやり取りができるかららしい。
――節度は守る。約束する!
そう口にした東野様の顔は真っ赤で、声も上擦っていた。
――頼む! 何でも桐島さんの言うとおりにするから、いろいろ練習させてほしい。
直立不動で拳を強く握り、肩にも思いきり力が入っていた。
あの時の東野様を思い出すと、つい笑ってしまう。あいかわらず強面全開だったが、妙にかわいらしかったのだ。
(節度か)
きっとキスやそれ以上の行為をするつもりはないと言いたかったのだろう。
出会って間もないけれど、東野様がまじめで誠実な人であることは間違いない気がした。彼の幼なじみである高砂副社長も「あいつは馬鹿がつくくらい正直だ」と言っていたし。
そんな人から深く頭を下げて頼まれたのだ。しかも彼のお見合いを成功させるというのは、もともとのミッションでもあった。
東野様は磨けば確実に光り輝く原石だ。それなのに土まみれのまま道に転がっているような今の状況には納得できない。
(やっぱり断れないよね)
かなり突飛な依頼ではあったが、私は最終的に頷いた。そして仮の夫婦という微妙過ぎる関係で東野様と一緒に暮らすことになったのだ。
幸い家主のパオラはこの件をおもしろがって、彼の滞在を快諾してくれた。あいにく二つある寝室は彼女と私が使っているから、東野様はリビングのソファで寝る羽目になってしまったが。
(もう起きようかな)
まだ早朝だが、私はベッドの上で身を起こした。
今日と明日は予定を変更し、店を休んで、改めて東野様にローマを案内することになっている。それに備えて、パソコンの観光情報サイトや手持ちのガイドブックを改めてチェックしようと思ったのだ。
コロッセオ、パンテオン、フォロ・ロマーノ、それにヴァチカン市国――なにしろローマは街全体が世界遺産のようなものだし、すばらしい美術品も無数にある。
当日にどんな服を着ていただくか、お見合い相手のお嬢様とどこへ行って何をしていただくか――これから誕生するすてきなカップルのために、最高のひとときをアレンジしなければ。
(カップル?)
瞬間、胸がズキリと痛んだ。
「えっ?」
私は驚いて胸を押えた。
何かを刺し込まれたみたいな鋭い痛み。こんなことは初めてだった。
困惑しながら、ゆっくり呼吸を繰り返してみる。幸い痛みはすぐにおさまったので、私は首を捻りながら、ベッドから下りた。
バールで東野様に懇願された時は、一瞬頭が真っ白になった。
よりにもよって突然プロポーズされてしまったのだ。
会ったばかりで、知っているのは名前と勤務先くらい。いや、正確には肩幅や身幅やウエストサイズもわかるけれど……とにかく私は彼のことはほとんど知らない。
というか、それ以前に東野様は大切なお客様なのに。
私が反応できずに固まっていると、立っていた東野様はひどく慌てた様子で「もちろん形だけで」とつけ加えた。そして「頼むから助けてほしい」と。
その結果、彼はスーツケースを持って、ホテルからここに移ってくることになったのだ。
お会いしてすぐわかったが、東野様は基本的に言葉数が少ない。その自覚はあるみたいだが、別にそれを気にしているとは思わなかった。
ところがその簡潔過ぎる発言から察するところ、どうやら間近に迫ったお見合いが急に不安になってきたようなのだ。
これまでの東野様は他人と業務外の会話をしたことがなく、それでも特に問題はなかったそうだ。けれどもお見合い、さらに結婚となると、現状のままではまずいと思ったらしい。
確かにほとんどしゃべらない相手とずっと一緒にいるのは、かなりどんよりするだろう。
――だが、桐島さんとはうまく意思疎通できた。
私もあまり話好きな方ではないが、確かに東野様とはそれなりに会話が弾んだ。それで考えが変わったのかもしれない。
東野様は小学生の時にお母様を亡くされている上、ひとりっ子で、誰かと交際したこともないそうだ。もともと他人に興味がなく、まして女性とはまったく接点がない。
だからデートや結婚生活については見当もつかず、その疑似体験をしたいというのだった。私となら多少なりともやり取りができるかららしい。
――節度は守る。約束する!
そう口にした東野様の顔は真っ赤で、声も上擦っていた。
――頼む! 何でも桐島さんの言うとおりにするから、いろいろ練習させてほしい。
直立不動で拳を強く握り、肩にも思いきり力が入っていた。
あの時の東野様を思い出すと、つい笑ってしまう。あいかわらず強面全開だったが、妙にかわいらしかったのだ。
(節度か)
きっとキスやそれ以上の行為をするつもりはないと言いたかったのだろう。
出会って間もないけれど、東野様がまじめで誠実な人であることは間違いない気がした。彼の幼なじみである高砂副社長も「あいつは馬鹿がつくくらい正直だ」と言っていたし。
そんな人から深く頭を下げて頼まれたのだ。しかも彼のお見合いを成功させるというのは、もともとのミッションでもあった。
東野様は磨けば確実に光り輝く原石だ。それなのに土まみれのまま道に転がっているような今の状況には納得できない。
(やっぱり断れないよね)
かなり突飛な依頼ではあったが、私は最終的に頷いた。そして仮の夫婦という微妙過ぎる関係で東野様と一緒に暮らすことになったのだ。
幸い家主のパオラはこの件をおもしろがって、彼の滞在を快諾してくれた。あいにく二つある寝室は彼女と私が使っているから、東野様はリビングのソファで寝る羽目になってしまったが。
(もう起きようかな)
まだ早朝だが、私はベッドの上で身を起こした。
今日と明日は予定を変更し、店を休んで、改めて東野様にローマを案内することになっている。それに備えて、パソコンの観光情報サイトや手持ちのガイドブックを改めてチェックしようと思ったのだ。
コロッセオ、パンテオン、フォロ・ロマーノ、それにヴァチカン市国――なにしろローマは街全体が世界遺産のようなものだし、すばらしい美術品も無数にある。
当日にどんな服を着ていただくか、お見合い相手のお嬢様とどこへ行って何をしていただくか――これから誕生するすてきなカップルのために、最高のひとときをアレンジしなければ。
(カップル?)
瞬間、胸がズキリと痛んだ。
「えっ?」
私は驚いて胸を押えた。
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困惑しながら、ゆっくり呼吸を繰り返してみる。幸い痛みはすぐにおさまったので、私は首を捻りながら、ベッドから下りた。
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