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第壱部-Ⅳ:しあわせの魔法
32.紫鷹 日向の傷
「ほー、ほー、ほー」
「……ー、ー、ぉー」
揺り椅子に腰かけた唯理音に完全に体を預けた日向から、小さく声がした。
8日ぶりの声。
それだけで、俺の全身から力が抜け、いいようのない安堵を感じた。
日向の声がもどってきた。
「ほー、ほー、ほー」
「…ー、ぉー、…ー」
アオバズクの声をまねながら、唯理音は、ゆらゆらと椅子を揺らし、日向の背中をさすってあやす。
しばらくすると、静かな寝息が聞こえた。
唯理音を見やると、人差し指を口元にあてる。まだ眠りが浅い、もう少し、お待ちください、と瞳が語っていた。
正直、唯理音には、完敗だ。
悔しいけど認める。
この8日間、魔力枯渇で苦しむ日向を一番楽にしてやれたのは彼女だろう。
日向は4日目の朝には、自分から隠れ家を這い出て食卓に着いた。ただ、ずっと気怠そうで、目を開けている時間はほとんどなかった。
食事も数口取るのが限界で、無理をすればすべて吐いてしまう。
小栗が点滴を施してしのいだ。
日向は苦しいとも、痛いとも、言わない。時々静かに涙を流す以外には、うめき声一つ上げなかった。
食事のあと、物言わず何かを耐えている日向を、唯理音が抱いてあやす。それで、ようやく静かな寝息を立てることができた。
唯理音がいてくれてよかった。
日向を抱いてのんびりと背中をなでる彼女を眺め、心から思う。
日向が彼女を信頼し、甘える理由がわかるような気がした。空気が穏やかで、温かく、すべてを包み込むような存在だ。「母のようだ」という言葉が自然と沸く。
日向の傍に、このような存在がいることがありがたかった。
「殿下、」
しばらくゆらゆらと揺れていた唯理音から、小さく声がした。
日向が深い眠りに入ったのだろう。
小さな体を受け取り、ベッドへと運んだ。
顔は青白いが、表情はマシになったか。
魔力もずいぶんと回復して、独特の気配が日向をまとっている。懐かしい。
早く元気になってくれよ。
お前の水色の目がこっちを見てくれないと、さびしくて仕方ない。
声を聞けて安心したが、まだまだ心配が尽きないんだ。
早く元気になって、また一緒に飯を食おう。
部屋の外に、侍従の気配を感じる。
8日間俺はずっと日向に付いていた。何かと理由をつけて呼び出しを断っていたが、いよいよ宮城や学院へ言い訳できなくなった頃だろう。
離宮を離れる前に日向の声が聞けてよかった。
「殿下、大丈夫ですから、行ってらっしゃいませ。」
唯理音がいう。
悔しいが、彼女がいれば大丈夫だと、俺も信頼しきっている。
むしろ、彼女がいるから、任せて離宮を離れられる。
「頼む、」
そう言って、ベッドを離れ、部屋の入口へ向かおうとしたとき。
独特の気配が、背後でゆらりと揺れた。
背筋が震えた。
「日向様!」
ほとんど同時に唯理音が駆けだす。
振り返ると、ぐらぐらと頭を揺らした日向が起き上がり、こちらへ向かおうとしてベッドの脇に崩れた。
「日向様、どうされました?」
「日向、何だ?何がしたい?」
駆けつけ、できるだけ穏やかに話しかけた。だが焦る。
抱き上げた日向が震えていた。何だ?
「…や、とや」
水色の瞳が、ひどく暗かった。
視線は、俺を通り越して、部屋の入口、いや、外へ向かっていた。
なぜだか、背筋がひどく寒い。
「藤夜、来い」
呼べば、侍従はすぐに姿を現した。
「と、や、」
腕の中の日向が、崩れる。
違う。
意思を持っていた。
手をつき頭を床に擦り付ける。
「ごめ、ん、なさい、」
ひどくかすれた、か細い、悲痛な、悲鳴にも似た声だった。
「やくそく、やぶった、ごめん、なさい」
「おこ、らない、で、」
「ごめん、なさい、もう、しない、わるいこと、しない、から」
「日向様、藤夜様は、怒ってなどおりませんよ。」
震える声を必死に抑えて、唯理音が沈黙を破る。
細い腕で、日向の背中をなで、震える小さな体をだきあげた。
だが、腕の中の日向は、暴れ、床に縋り付こうとする。
唯理音の細い腕に、力がこもった。
「ごめ、ん、な、さい」
うわごとのように日向が言う。
「誰も怒っていません。大丈夫です、日向様。みんな、貴方が元気になって嬉しいんですよ。謝らなくていいんですよ。何にも怖くありません。大丈夫です。」
「…お、俺は、怒ってないから、」
藤夜が、ひどくかすれた声を絞り出す。震えていた。
友の弱り、おびえた声。
「ひな、俺は怒ってません。」
「とや、ごめん、なさい」
「怒ってないから!謝らなくていいです!」
「ごめん」
「ひな!いらない、謝罪はいらない!」
ボロボロと、水色の瞳から涙がこぼれる。
体が痙攣するように大きく震えだすと、呼吸がおかしくなった。
「らない、ぼく、いらな、い。ごめん、なさい」
「違う!ひな!違う」
「日向!いらなくない!」
藤夜も俺も、たまらず叫んでいた。
聞いてくれ、日向。違う。
「ごめん、あやまる、から、いらない、いわ、ない」
「いらなくない、俺はお前が大事だ、」
「ひな、いるから、聞いて、ひな、」
「小栗!小栗!早く来て!」
日向に声が届かない。
謝らなくていい。怒っていない。
お前が大事だ。こんなにも大事で大好きなのに。
ずっとずっとそばにいてほしくて、元気がないのが不安で仕方ないのに。
いらなくなんか、ないのに。
何一つ、日向に届かない。
「……ー、ー、ぉー」
揺り椅子に腰かけた唯理音に完全に体を預けた日向から、小さく声がした。
8日ぶりの声。
それだけで、俺の全身から力が抜け、いいようのない安堵を感じた。
日向の声がもどってきた。
「ほー、ほー、ほー」
「…ー、ぉー、…ー」
アオバズクの声をまねながら、唯理音は、ゆらゆらと椅子を揺らし、日向の背中をさすってあやす。
しばらくすると、静かな寝息が聞こえた。
唯理音を見やると、人差し指を口元にあてる。まだ眠りが浅い、もう少し、お待ちください、と瞳が語っていた。
正直、唯理音には、完敗だ。
悔しいけど認める。
この8日間、魔力枯渇で苦しむ日向を一番楽にしてやれたのは彼女だろう。
日向は4日目の朝には、自分から隠れ家を這い出て食卓に着いた。ただ、ずっと気怠そうで、目を開けている時間はほとんどなかった。
食事も数口取るのが限界で、無理をすればすべて吐いてしまう。
小栗が点滴を施してしのいだ。
日向は苦しいとも、痛いとも、言わない。時々静かに涙を流す以外には、うめき声一つ上げなかった。
食事のあと、物言わず何かを耐えている日向を、唯理音が抱いてあやす。それで、ようやく静かな寝息を立てることができた。
唯理音がいてくれてよかった。
日向を抱いてのんびりと背中をなでる彼女を眺め、心から思う。
日向が彼女を信頼し、甘える理由がわかるような気がした。空気が穏やかで、温かく、すべてを包み込むような存在だ。「母のようだ」という言葉が自然と沸く。
日向の傍に、このような存在がいることがありがたかった。
「殿下、」
しばらくゆらゆらと揺れていた唯理音から、小さく声がした。
日向が深い眠りに入ったのだろう。
小さな体を受け取り、ベッドへと運んだ。
顔は青白いが、表情はマシになったか。
魔力もずいぶんと回復して、独特の気配が日向をまとっている。懐かしい。
早く元気になってくれよ。
お前の水色の目がこっちを見てくれないと、さびしくて仕方ない。
声を聞けて安心したが、まだまだ心配が尽きないんだ。
早く元気になって、また一緒に飯を食おう。
部屋の外に、侍従の気配を感じる。
8日間俺はずっと日向に付いていた。何かと理由をつけて呼び出しを断っていたが、いよいよ宮城や学院へ言い訳できなくなった頃だろう。
離宮を離れる前に日向の声が聞けてよかった。
「殿下、大丈夫ですから、行ってらっしゃいませ。」
唯理音がいう。
悔しいが、彼女がいれば大丈夫だと、俺も信頼しきっている。
むしろ、彼女がいるから、任せて離宮を離れられる。
「頼む、」
そう言って、ベッドを離れ、部屋の入口へ向かおうとしたとき。
独特の気配が、背後でゆらりと揺れた。
背筋が震えた。
「日向様!」
ほとんど同時に唯理音が駆けだす。
振り返ると、ぐらぐらと頭を揺らした日向が起き上がり、こちらへ向かおうとしてベッドの脇に崩れた。
「日向様、どうされました?」
「日向、何だ?何がしたい?」
駆けつけ、できるだけ穏やかに話しかけた。だが焦る。
抱き上げた日向が震えていた。何だ?
「…や、とや」
水色の瞳が、ひどく暗かった。
視線は、俺を通り越して、部屋の入口、いや、外へ向かっていた。
なぜだか、背筋がひどく寒い。
「藤夜、来い」
呼べば、侍従はすぐに姿を現した。
「と、や、」
腕の中の日向が、崩れる。
違う。
意思を持っていた。
手をつき頭を床に擦り付ける。
「ごめ、ん、なさい、」
ひどくかすれた、か細い、悲痛な、悲鳴にも似た声だった。
「やくそく、やぶった、ごめん、なさい」
「おこ、らない、で、」
「ごめん、なさい、もう、しない、わるいこと、しない、から」
「日向様、藤夜様は、怒ってなどおりませんよ。」
震える声を必死に抑えて、唯理音が沈黙を破る。
細い腕で、日向の背中をなで、震える小さな体をだきあげた。
だが、腕の中の日向は、暴れ、床に縋り付こうとする。
唯理音の細い腕に、力がこもった。
「ごめ、ん、な、さい」
うわごとのように日向が言う。
「誰も怒っていません。大丈夫です、日向様。みんな、貴方が元気になって嬉しいんですよ。謝らなくていいんですよ。何にも怖くありません。大丈夫です。」
「…お、俺は、怒ってないから、」
藤夜が、ひどくかすれた声を絞り出す。震えていた。
友の弱り、おびえた声。
「ひな、俺は怒ってません。」
「とや、ごめん、なさい」
「怒ってないから!謝らなくていいです!」
「ごめん」
「ひな!いらない、謝罪はいらない!」
ボロボロと、水色の瞳から涙がこぼれる。
体が痙攣するように大きく震えだすと、呼吸がおかしくなった。
「らない、ぼく、いらな、い。ごめん、なさい」
「違う!ひな!違う」
「日向!いらなくない!」
藤夜も俺も、たまらず叫んでいた。
聞いてくれ、日向。違う。
「ごめん、あやまる、から、いらない、いわ、ない」
「いらなくない、俺はお前が大事だ、」
「ひな、いるから、聞いて、ひな、」
「小栗!小栗!早く来て!」
日向に声が届かない。
謝らなくていい。怒っていない。
お前が大事だ。こんなにも大事で大好きなのに。
ずっとずっとそばにいてほしくて、元気がないのが不安で仕方ないのに。
いらなくなんか、ないのに。
何一つ、日向に届かない。
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