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第壱部-Ⅳ:しあわせの魔法
33.紫鷹 あふれるほどの愛で包みたい
「尼嶺(にれ)の大使が来る。菫子様とお前は参列するとして、尼嶺の王子の席はどこがいいかな?」
兄たる第一皇子・朱華(はねず)の言葉に息をのむ。
燃えるような朱色の瞳が、俺を見据えていた。
「日向…王子は、今体調を崩されていて、とても式典への参列は無理かと…」
「一応、建前は守らないといけないからね。逗留中の王族が不在では、いろいろ問題があるだろう?まだ三月ある、整えてくれ」
兄上の言葉には、有無を言わさない色があった。
俺は言葉に詰まる。必死に頭を巡らせ、回答を探すが、日向の看病で疲れ切った頭は、答えを出せなかった。
「母上に、相談、します」
「ああ、そうしてくれ。後で正式に通達が回るから。頼んだよ。」
兄上は、日向のことをどれだけ知っているのだろうか。
日向の体調が悪いのは事実だ。
そうでなくても、日向に王族としての役割を望むのは酷だろう。
日向が尼嶺で王族として扱われたのは、人質として送られた、その一度きり。
―――それまでは、人として扱われることさえなかったのに。
離宮へ戻る足取りが、重い。
いつも傍に従う男には、休みを取らせた。俺より青い顔をしたあいつがいたところで、役にも立たない。
今は離宮の騎士が、俺に侍ってついてくる。あの男も、草の一部だ。離宮の事情を知っているからか、歩みの遅い俺に何も言わなかった。
どんなに足が重くとも、俺には薄紫色の宮城へ帰らない選択肢がない。過去には抜け出し、見つかるまで数週間帰らないこともあったのに。
日向から離れる選択肢は、ずいぶん前に俺の中から消えていた。
「おかえりなさい、紫鷹さん」
「ただいま戻りました、母上」
宮城の入り口で、ちょうど二階から降りてきた母上と鉢合わせた。
偶然かどうかは知らない。
今は頭が重く、疲れていた。
「兄上が、春の式典に、日向を出席させろ、と。」
「…また無茶をいう方ね。わかりました。後ほど話し合いましょう。――それより、紫鷹さんは、少しおやすみなさい。寝ていないでしょう?」
「はい、」
「日向さんなら、大丈夫よ。落ち着いてたから。顔を見て元気を出して、しっかり休んでいらっしゃい。」
母上が俺の頭を抱え、抱きよせた。
子どものように、抱きしめられる。
俺はもうすぐ16になるのに。子ども扱いは恥ずかしい。
だが、温かさが身に染みた。
泣きそうになるのをこらえて、頭を下げる。
ポンポンと肩をたたいて、母上は去っていった。
二階は静かだった。
階段にほど近い位置にあったかつての日向の部屋は、簡単な修繕が終わり、廊下に立っただけでは破壊の痕跡はわからない。
新しい部屋は、ずいぶんと離れた位置へと移された。
一階の喧騒はまったく届かない静かな場所。
扉を開けると、唯理音が日向を膝にのせてゆらゆらと揺れていた。
「お帰りなさいませ、殿下。」
「ああ、…どうだ」
「先ほどまで一緒にアオバズクの真似をしておりました。お食事も半分ほど召し上がられましたよ。落ち着いております。」
「ありがとう、唯理音は休めたか、」
「ええ、水蛟さんが配慮してくださっております。大丈夫ですよ。」
唯理音が優しく笑う。
日向を安堵させるだけでなく、俺をも癒す。
「代わろう、」
「ええ、お願いします」
余計なことは聞かず、察してくれたのだろう。
母上は休めといったし、離宮への足取りは重かった。だが、日向のぬくもりを確かめたかった。
立ち上がった唯理音から日向を受け取り、彼女が座っていた揺り椅子へ腰を下ろす。
ぐったりとした日向の体重が、すべて俺に預けられると、触れた場所が温かかった。
首筋に顔を埋めると、日向の匂いがして心が凪いでいく。規則正しい寝息にほっとした。体は震えていない。
ゆらゆらと椅子を揺らしながら、唯理音がするようにゆったりと背中をなでた。
目を覚ましたら、日向はどうなっているのだろう。
藤夜を怖がるだろうか。
俺たちの声は届くだろうか。
心穏やかに過ごせるようになったと思っていた。
それが、ほんのわずかなきっかけで簡単に崩れる。
日向の傷は、決して浅くはないのだと、思い知らされた。
たった8か月で、日向の15年は救えない。
床に頭をこすりつけて藤夜に謝っていた。
約束を破ったことを。悪いことをしたと。
そうやって謝らないと、ひどい目にあったのだろう。謝ったとして、逃れられなかったのかもしれない。
15年間、それが日常だったのだ。
その15年は過去ではなく、今も続いている。
それでも、思い出せなくなるくらい、日向を幸せで埋め尽くしたい。
「なあ、日向。」
日向は眠っている。返事はない。
「俺は、お前が来てくれてよかったよ。俺のところにいてくれて、感謝してる。」
ゆらゆら揺れて、背中をなでる。
「最初にひどい態度をとってごめんな。お前が苦しいことを知らなくて、本当に申し訳なかったと思っている。」
小さくて、可愛くて、弱い王子。
「今はお前が大事だよ。一番大好きだ。お前が笑ってるのが嬉しいし、一緒にご飯を食べるのが楽しい。可愛くて、愛しくて、他の誰にも渡したくない。それくらい、お前のことが好きで好きでたまらない。」
大好きな日向。
「でも、お前が何が怖いのか、つらいのかわからなくて、どうしたらいいかわからなくなることがある。わかるようになりたいんだよ。ずっと一緒にいたいから。だから、嫌なことや怖いことは、教えてほしい。」
世界で一番大切な宝物。
「起きたら、俺はいっぱい大事だって伝えるよ。だから早く元気になろうな。」
日向は眠っている。呼吸が穏やかだ。
いいよ、今はゆっくり休め。
起きたら、全部伝えるから。
お前がもういっぱいだって音を上げるほど、愛で埋め尽くしてやるから。
兄たる第一皇子・朱華(はねず)の言葉に息をのむ。
燃えるような朱色の瞳が、俺を見据えていた。
「日向…王子は、今体調を崩されていて、とても式典への参列は無理かと…」
「一応、建前は守らないといけないからね。逗留中の王族が不在では、いろいろ問題があるだろう?まだ三月ある、整えてくれ」
兄上の言葉には、有無を言わさない色があった。
俺は言葉に詰まる。必死に頭を巡らせ、回答を探すが、日向の看病で疲れ切った頭は、答えを出せなかった。
「母上に、相談、します」
「ああ、そうしてくれ。後で正式に通達が回るから。頼んだよ。」
兄上は、日向のことをどれだけ知っているのだろうか。
日向の体調が悪いのは事実だ。
そうでなくても、日向に王族としての役割を望むのは酷だろう。
日向が尼嶺で王族として扱われたのは、人質として送られた、その一度きり。
―――それまでは、人として扱われることさえなかったのに。
離宮へ戻る足取りが、重い。
いつも傍に従う男には、休みを取らせた。俺より青い顔をしたあいつがいたところで、役にも立たない。
今は離宮の騎士が、俺に侍ってついてくる。あの男も、草の一部だ。離宮の事情を知っているからか、歩みの遅い俺に何も言わなかった。
どんなに足が重くとも、俺には薄紫色の宮城へ帰らない選択肢がない。過去には抜け出し、見つかるまで数週間帰らないこともあったのに。
日向から離れる選択肢は、ずいぶん前に俺の中から消えていた。
「おかえりなさい、紫鷹さん」
「ただいま戻りました、母上」
宮城の入り口で、ちょうど二階から降りてきた母上と鉢合わせた。
偶然かどうかは知らない。
今は頭が重く、疲れていた。
「兄上が、春の式典に、日向を出席させろ、と。」
「…また無茶をいう方ね。わかりました。後ほど話し合いましょう。――それより、紫鷹さんは、少しおやすみなさい。寝ていないでしょう?」
「はい、」
「日向さんなら、大丈夫よ。落ち着いてたから。顔を見て元気を出して、しっかり休んでいらっしゃい。」
母上が俺の頭を抱え、抱きよせた。
子どものように、抱きしめられる。
俺はもうすぐ16になるのに。子ども扱いは恥ずかしい。
だが、温かさが身に染みた。
泣きそうになるのをこらえて、頭を下げる。
ポンポンと肩をたたいて、母上は去っていった。
二階は静かだった。
階段にほど近い位置にあったかつての日向の部屋は、簡単な修繕が終わり、廊下に立っただけでは破壊の痕跡はわからない。
新しい部屋は、ずいぶんと離れた位置へと移された。
一階の喧騒はまったく届かない静かな場所。
扉を開けると、唯理音が日向を膝にのせてゆらゆらと揺れていた。
「お帰りなさいませ、殿下。」
「ああ、…どうだ」
「先ほどまで一緒にアオバズクの真似をしておりました。お食事も半分ほど召し上がられましたよ。落ち着いております。」
「ありがとう、唯理音は休めたか、」
「ええ、水蛟さんが配慮してくださっております。大丈夫ですよ。」
唯理音が優しく笑う。
日向を安堵させるだけでなく、俺をも癒す。
「代わろう、」
「ええ、お願いします」
余計なことは聞かず、察してくれたのだろう。
母上は休めといったし、離宮への足取りは重かった。だが、日向のぬくもりを確かめたかった。
立ち上がった唯理音から日向を受け取り、彼女が座っていた揺り椅子へ腰を下ろす。
ぐったりとした日向の体重が、すべて俺に預けられると、触れた場所が温かかった。
首筋に顔を埋めると、日向の匂いがして心が凪いでいく。規則正しい寝息にほっとした。体は震えていない。
ゆらゆらと椅子を揺らしながら、唯理音がするようにゆったりと背中をなでた。
目を覚ましたら、日向はどうなっているのだろう。
藤夜を怖がるだろうか。
俺たちの声は届くだろうか。
心穏やかに過ごせるようになったと思っていた。
それが、ほんのわずかなきっかけで簡単に崩れる。
日向の傷は、決して浅くはないのだと、思い知らされた。
たった8か月で、日向の15年は救えない。
床に頭をこすりつけて藤夜に謝っていた。
約束を破ったことを。悪いことをしたと。
そうやって謝らないと、ひどい目にあったのだろう。謝ったとして、逃れられなかったのかもしれない。
15年間、それが日常だったのだ。
その15年は過去ではなく、今も続いている。
それでも、思い出せなくなるくらい、日向を幸せで埋め尽くしたい。
「なあ、日向。」
日向は眠っている。返事はない。
「俺は、お前が来てくれてよかったよ。俺のところにいてくれて、感謝してる。」
ゆらゆら揺れて、背中をなでる。
「最初にひどい態度をとってごめんな。お前が苦しいことを知らなくて、本当に申し訳なかったと思っている。」
小さくて、可愛くて、弱い王子。
「今はお前が大事だよ。一番大好きだ。お前が笑ってるのが嬉しいし、一緒にご飯を食べるのが楽しい。可愛くて、愛しくて、他の誰にも渡したくない。それくらい、お前のことが好きで好きでたまらない。」
大好きな日向。
「でも、お前が何が怖いのか、つらいのかわからなくて、どうしたらいいかわからなくなることがある。わかるようになりたいんだよ。ずっと一緒にいたいから。だから、嫌なことや怖いことは、教えてほしい。」
世界で一番大切な宝物。
「起きたら、俺はいっぱい大事だって伝えるよ。だから早く元気になろうな。」
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いいよ、今はゆっくり休め。
起きたら、全部伝えるから。
お前がもういっぱいだって音を上げるほど、愛で埋め尽くしてやるから。
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