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第壱部-Ⅳ:しあわせの魔法
40.水蛟 覚悟
「うさぎ、は、いる?」
穏やかな昼さがり。
うさぎのリンゴにフォークをさし、食べるでもなくじっと見つめた日向様が言った。
「うさぎ?あちこちにいるなあ、」
「もり?」
「森?ああ、森にもいるよ……ああ、なるほど。日向、言ってみな、」
日向様を膝に抱いた紫鷹殿下の瞳が、きらりと光る。
「う、うさぎ、み、たい、」
「よし、お願いだな。晴海(はるみ)、聞いたな、」
「ええ、お任せを、」
何なのかしら、この会話。
離宮の「草」って、半色乃宮(はしたいろのみや)をあらゆる手段で守る精鋭集団ではなかったかしら。
「鳥のねぐら探しに、草を使えと?」
晴海さんが呆れた顔でそういったのは、つい先刻のこと。草を何だと思っているんだと、紫鷹殿下に嫌味を言っていたのに。
「あおじのお家が見たい」という日向様の可愛いお願いだと知るや否や、晴海さんは「お任せください」とひざまずいて、萩花(はぎな)様と何やら検討を始めた。
紫鷹殿下の隣でちょこんと座って、それを真剣に聞いていた日向様は、おやつにと並べたうさぎのりんごを見て、本日二度目のお願いをした。
「うさぎ、みる?」
「ああ、見に行こう。うさぎも青巫鳥(あおじ)も見に行こうな、」
水色の瞳をキラキラさせて見上げる日向様に、紫鷹殿下は緩みっぱなし。
日向様の「お願い」なら、きっと殿下は無条件で何でもかなえてあげたくなるんでしょうねえ。
私も同じです。
「青巫鳥とうさぎを見に行くということは、お出かけなさるということですか?」
「おでかけ、」
「そうなるな、いろいろと準備しなきゃならん。」
「じゅんび、」
「殿下、まだ外は寒いですから、温かい外出着が必要です。水蛟は、ふわふわのもこもこを希望いたします。」
「うん、仕立てるか、」
萩花様がぽかんと口を開けて驚いている。
「いつもこうですか?」と尋ねる萩花様に、晴海さんはさも当然という表情を見せた。
まだまだですね、萩花様。
日向様の中に、興味が戻った。ーーーもうそれだけで、紫鷹殿下も、半色乃宮を守る精鋭も、この水蛟も、いろいろなことがどうでもいいんです。
「おでかけ、は何?」
「外にでて、どこかへ行くこと、だな。日向は出かけるのは初めてだもんなあ、」
「そと、もり、」
「そう、森に行くのはお出かけ、」
「もりに、おでかけ、」
こてん、と首を傾げ、日向様は何かを考える仕草をする。
「おでかけは、たのしい?」
「ああ、青巫鳥の家をみて、うさぎを見るんだ。それは、日向にとって、楽しいだろ?」
「おでかけは、たのしい、」
日向様の瞳が一層キラキラと輝いた。まるで宝石みたい。本当に綺麗。
はじめてのおでかけ、ですね。日向様。
そうなんですね。
「りんご、食べな。」
紫鷹殿下にうながされて、日向様はフォークにさしたままのうさぎのリンゴをようやく口にした。
あぐあぐと咀嚼し、まだ口に入っているうちに次のリンゴをつかんで、殿下に止められる。
「日向、一個ずつだ。お前この前も喉に詰まらせただろう。ゆっくり食べな。」
そうですよ、日向様。
りんごは逃げません。
誰もとったりしません。
穏やかな微笑ましい光景なのに、胸がチリチリと痛む。
日向様に出会ったばかりの頃もそうだった。
日向様が変化するにつれ、その痛みは徐々に薄れていって、穏やかで幸せに感じられる日々が増えていった。
でも、日向様の口から直に、その痛みの理由を聞いて以来、何気ないすべてに胸が痛む。
日向様は、おでかけをしたことがないんですね。
きっと、帝国へと送られた日が、初めて外に出る体験だったのでしょう。
おでかけなんて楽しい思い出は、日向様にはありませんか。
りんごは逃げません。
誰も日向様のりんごを奪ったりしません。
それでもあぐあぐと、必死に食べるのは、そうしなければ、食べることさえままならない日々だったからなのでしょうね。
まだ、安心して食べることはできませんか。
「食べた、」
「ああ、えらいえらい。」
食べ終えた口を開いて見せ、次のリンゴをねだる。えらい、と褒められると、日向様は何も入っていない口をもぐもぐさせて、嬉しそうにした。
何気ない日々の一つ一つが、私たちが思う以上に、日向様にとって、大きなことなのかもしれない。
あの黄色い鳥のように。
「あおじ、」
日向様の体がぴょんと跳ねる。
あら、鳴き声なんて聞こえなかったのに、どうしてわかるのかしら。
餌台に、日向様の大好きな黄色い鳥がいた。
餌を置く時間ではないから、餌なんてないのに、青巫鳥は、頻繁にこの部屋を訪れる。
まるで、日向様に会いにきているようだった。
「あおじ、」
窓辺にかけた日向様が、嬉しそうに黄色い鳥を呼ぶ。
その声に応えるように、ぴーっと鳥が鳴く。
うっとりと目を細めた日向様が、幸福そうで、美しかった。
この幸福を守ると、誓ったの。
胸の痛みはその証。
日向様の幸福を守るために、一生懸命考えましょう。
日向様の笑顔を守るために、私にできる全力を尽くしましょう。
「殿下、日向様は最近少し背が伸びたと、小栗が申しております。お洋服も着れなくなるでしょうから、いっそのこと、いろいろと新調されてはいかがと思うんですけど、」
「うん、俺もそう思う。」
うんうん、と晴海さんもうなずく。
お出かけに向けて、準備をいたしましょう。大切な「お願い」ですもの。
何がいるかしら。日向様が風邪をひかないように、お腹がすいたらすぐに食べられるように、不安にならないように、最高の思い出になるように。
日々の生活が豊かになるよう、水蛟は心してまいります。
「それから、いきなり森へお出かけは負担が大きいかと。せめてお庭には出られるように、お散歩から練習したいのですが、」
「はじめての散歩は俺が連れていくからな。」
「…ではお散歩用のお洋服もお願いいたします。歩きやすく温かく、日向様の可愛らしさと美しさを引き立てるようなものを所望します、」
「もちろんだ、仕立てよう。」
「殿下、草がお散歩に合わせた警備体制も、改めて整えましょう。」
「頼む、」
日向様は、青巫鳥とこちらとをきょろきょろと見ながら、嬉しそうに笑う。
萩花様だけが、ぽかんと口を開けて驚いていた。
萩花様、日向様にお仕えするには、まだまだお覚悟が足りないようですねえ。
穏やかな昼さがり。
うさぎのリンゴにフォークをさし、食べるでもなくじっと見つめた日向様が言った。
「うさぎ?あちこちにいるなあ、」
「もり?」
「森?ああ、森にもいるよ……ああ、なるほど。日向、言ってみな、」
日向様を膝に抱いた紫鷹殿下の瞳が、きらりと光る。
「う、うさぎ、み、たい、」
「よし、お願いだな。晴海(はるみ)、聞いたな、」
「ええ、お任せを、」
何なのかしら、この会話。
離宮の「草」って、半色乃宮(はしたいろのみや)をあらゆる手段で守る精鋭集団ではなかったかしら。
「鳥のねぐら探しに、草を使えと?」
晴海さんが呆れた顔でそういったのは、つい先刻のこと。草を何だと思っているんだと、紫鷹殿下に嫌味を言っていたのに。
「あおじのお家が見たい」という日向様の可愛いお願いだと知るや否や、晴海さんは「お任せください」とひざまずいて、萩花(はぎな)様と何やら検討を始めた。
紫鷹殿下の隣でちょこんと座って、それを真剣に聞いていた日向様は、おやつにと並べたうさぎのりんごを見て、本日二度目のお願いをした。
「うさぎ、みる?」
「ああ、見に行こう。うさぎも青巫鳥(あおじ)も見に行こうな、」
水色の瞳をキラキラさせて見上げる日向様に、紫鷹殿下は緩みっぱなし。
日向様の「お願い」なら、きっと殿下は無条件で何でもかなえてあげたくなるんでしょうねえ。
私も同じです。
「青巫鳥とうさぎを見に行くということは、お出かけなさるということですか?」
「おでかけ、」
「そうなるな、いろいろと準備しなきゃならん。」
「じゅんび、」
「殿下、まだ外は寒いですから、温かい外出着が必要です。水蛟は、ふわふわのもこもこを希望いたします。」
「うん、仕立てるか、」
萩花様がぽかんと口を開けて驚いている。
「いつもこうですか?」と尋ねる萩花様に、晴海さんはさも当然という表情を見せた。
まだまだですね、萩花様。
日向様の中に、興味が戻った。ーーーもうそれだけで、紫鷹殿下も、半色乃宮を守る精鋭も、この水蛟も、いろいろなことがどうでもいいんです。
「おでかけ、は何?」
「外にでて、どこかへ行くこと、だな。日向は出かけるのは初めてだもんなあ、」
「そと、もり、」
「そう、森に行くのはお出かけ、」
「もりに、おでかけ、」
こてん、と首を傾げ、日向様は何かを考える仕草をする。
「おでかけは、たのしい?」
「ああ、青巫鳥の家をみて、うさぎを見るんだ。それは、日向にとって、楽しいだろ?」
「おでかけは、たのしい、」
日向様の瞳が一層キラキラと輝いた。まるで宝石みたい。本当に綺麗。
はじめてのおでかけ、ですね。日向様。
そうなんですね。
「りんご、食べな。」
紫鷹殿下にうながされて、日向様はフォークにさしたままのうさぎのリンゴをようやく口にした。
あぐあぐと咀嚼し、まだ口に入っているうちに次のリンゴをつかんで、殿下に止められる。
「日向、一個ずつだ。お前この前も喉に詰まらせただろう。ゆっくり食べな。」
そうですよ、日向様。
りんごは逃げません。
誰もとったりしません。
穏やかな微笑ましい光景なのに、胸がチリチリと痛む。
日向様に出会ったばかりの頃もそうだった。
日向様が変化するにつれ、その痛みは徐々に薄れていって、穏やかで幸せに感じられる日々が増えていった。
でも、日向様の口から直に、その痛みの理由を聞いて以来、何気ないすべてに胸が痛む。
日向様は、おでかけをしたことがないんですね。
きっと、帝国へと送られた日が、初めて外に出る体験だったのでしょう。
おでかけなんて楽しい思い出は、日向様にはありませんか。
りんごは逃げません。
誰も日向様のりんごを奪ったりしません。
それでもあぐあぐと、必死に食べるのは、そうしなければ、食べることさえままならない日々だったからなのでしょうね。
まだ、安心して食べることはできませんか。
「食べた、」
「ああ、えらいえらい。」
食べ終えた口を開いて見せ、次のリンゴをねだる。えらい、と褒められると、日向様は何も入っていない口をもぐもぐさせて、嬉しそうにした。
何気ない日々の一つ一つが、私たちが思う以上に、日向様にとって、大きなことなのかもしれない。
あの黄色い鳥のように。
「あおじ、」
日向様の体がぴょんと跳ねる。
あら、鳴き声なんて聞こえなかったのに、どうしてわかるのかしら。
餌台に、日向様の大好きな黄色い鳥がいた。
餌を置く時間ではないから、餌なんてないのに、青巫鳥は、頻繁にこの部屋を訪れる。
まるで、日向様に会いにきているようだった。
「あおじ、」
窓辺にかけた日向様が、嬉しそうに黄色い鳥を呼ぶ。
その声に応えるように、ぴーっと鳥が鳴く。
うっとりと目を細めた日向様が、幸福そうで、美しかった。
この幸福を守ると、誓ったの。
胸の痛みはその証。
日向様の幸福を守るために、一生懸命考えましょう。
日向様の笑顔を守るために、私にできる全力を尽くしましょう。
「殿下、日向様は最近少し背が伸びたと、小栗が申しております。お洋服も着れなくなるでしょうから、いっそのこと、いろいろと新調されてはいかがと思うんですけど、」
「うん、俺もそう思う。」
うんうん、と晴海さんもうなずく。
お出かけに向けて、準備をいたしましょう。大切な「お願い」ですもの。
何がいるかしら。日向様が風邪をひかないように、お腹がすいたらすぐに食べられるように、不安にならないように、最高の思い出になるように。
日々の生活が豊かになるよう、水蛟は心してまいります。
「それから、いきなり森へお出かけは負担が大きいかと。せめてお庭には出られるように、お散歩から練習したいのですが、」
「はじめての散歩は俺が連れていくからな。」
「…ではお散歩用のお洋服もお願いいたします。歩きやすく温かく、日向様の可愛らしさと美しさを引き立てるようなものを所望します、」
「もちろんだ、仕立てよう。」
「殿下、草がお散歩に合わせた警備体制も、改めて整えましょう。」
「頼む、」
日向様は、青巫鳥とこちらとをきょろきょろと見ながら、嬉しそうに笑う。
萩花様だけが、ぽかんと口を開けて驚いていた。
萩花様、日向様にお仕えするには、まだまだお覚悟が足りないようですねえ。
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