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第壱部-Ⅴ:小さな箱庭から
47.紫鷹 過去がひきもどす
「は?日向が熱?」
朝の鍛錬を終え、朝食前の準備をしていると、従僕が伝えてきた。
そういえば、今朝は日向が来なかった。
最近の日向は、散歩と称して早朝の離宮を歩き回るのを日課としている。その終点を俺の部屋と定めてやってくることがしばしばあった。
毎朝ではなかったから、今朝は来ないのかと残念に思ったが、気には留めていなかった。まさか不調だったとは。
昨夜、寝る前に本を読んでやったときは、元気だった。
青巫鳥(あおじ)のページを俺に何度も読ませて、満足げだっただろう。
「日向の様子は、」
急いて、日向のもとに向かえば、ちょうど小栗(おぐり)が部屋から出てくるところだった。
日向の侍医は、こちらに気が付くと頭を下げて、「大丈夫ですよ」という。
「おそらく歩行による負荷が原因だと思います。左足が腫れておりました。」
「足か、」
「はい、炎症による痛みと浮腫が強く、薬を処方しております。安静にしていれば、1週間ほどで改善はすると思いますが…、」
歯切れが悪い。
嫌な予感がして、眉を顰めるが、聞かないわけにはいかない。
うながすと小栗は、苦悶の表情で話した。
「治っても、また繰り返すものと考えております。部屋の中だけであれば問題はありませんでしたが、行動範囲が広がって、足への負荷が増えたのが原因です。安静にして症状は改善しても、根本的な問題が解決したわけではありませんから、また歩き出せば、悪化することも考えられます。」
「…治らないのか、」
「手術が可能かは、まだ何とも。関節や筋肉だけの問題ではありませんから、」
―――前に進んでも、過去が引き戻しに来る。
もともと日向の左足は、骨が変形しているだけでなく、靭帯の損傷で関節がぐらぐらと安定しなかった。筋力もなければ、血管や神経にもところどころ損傷の跡がある。ひどいのが左というだけであって、右の足も変わらない。
尼嶺(にれ)での暮らしが、そうさせた。
「栄養をつけ、筋力をつけて訓練すれば、今よりは良くなる可能性もあると思います。関節を補助する装具も検討しましょう。ですが、どこまで望めるかは、私も断言できません。」
「日向には、」
「まだ何も。安静にすれば、症状は良くなるとお伝えしております。」
「わかった。…くれぐれも頼む、」
承りました、と頭を下げて小栗は去った。
晴海(はるみ)が案内しているから、母上の元へ報告に行くのだろう。
一刻も早く日向に会いたい。
それなのに、日向の部屋の扉を開く手が止まった。
胸が、ひどく苦しい。
怒りとも悲しみともつかない強い感情と、深い穴に沈みこんでいくような感覚があった。
ただ、歩くというだけのことが、日向にはできないのか。
散歩に出るようになって、日向の興味が広がった。
自分の足でどこかへ行けることが、とても楽しそうだった。
誰よりも早く起きて廊下を歩き、新しい発見をしては、嬉しそうに語っていた。
そんな些細なことが、なぜ許されない。
「殿下、日向様が呼んでおります、」
逡巡していれば、扉が開き、萩花(はぎな)が中へと招く。
日向は気配に聡い。俺がためらっていることなど、とっくに気づいていたのだろう。
せめて、ひどい顔は見せたくないと、顔を引き締めた。
「日向、」
呼びかければ、ベッドの上の小さな体が動いて、上半身を起こそうとする。だが、すぐに枕へと倒れた。
布団に隠れて足は見えなかったが、痛むのか。
水色の頭をなでると、熱かった。
「日向、無理するな。安静にしてろと言われたろ、」
「…こ、抱っこが、いい、」
「痛むんだろう、」
「しおう、抱っこ、」
縋り付いてくる手が、ぷるぷると震えていた。
「足を曲げることができませんので、隠れ家にはお戻しできません。日向様が落ち着くのであれば…」
日向の汗を拭いた宇継がうなずく。
ベッドに上がり、小さな体を胸に抱えた。
腕に、腹に、足に感じる熱が、熱すぎる。
震えているのは、寒さか、恐怖か。
分からず、布団を手繰り寄せて、体を包み込む。
少しでも体を動かすと、小さな体が跳ねた。
だが、痛いとは言わない。うめくこともしない。
ただ涙を流してすがってくる。
強く抱きしめることも、背中をなでてやることもできず、途方に暮れた。
「小栗が安静にしていれば、1週間で良くなると話していた、」
嘘じゃない。
「元気になったら、歩けるように練習しような、」
他にどんな声をかけたらいいかわからなかった。
「…また、おさんぽ、できる…?」
「ああ…できるさ、」
水色の目が、ゆらゆらと揺れて、閉じる。
声もなく、涙を流して、ただ震えた。
嘘は言わなかった。
全く歩けなくなるわけじゃない。
今より良くなるように、小栗は精一杯努力してくれるだろう。
そう信じている。
だが、日向は聡い。
何となく、俺の中の不安を読み取られたような気がした。
「大丈夫、大丈夫だよ、日向、」
それが、日向へ向けたものなのか、俺自身へ向けたものなのか、わからなかった。
朝の鍛錬を終え、朝食前の準備をしていると、従僕が伝えてきた。
そういえば、今朝は日向が来なかった。
最近の日向は、散歩と称して早朝の離宮を歩き回るのを日課としている。その終点を俺の部屋と定めてやってくることがしばしばあった。
毎朝ではなかったから、今朝は来ないのかと残念に思ったが、気には留めていなかった。まさか不調だったとは。
昨夜、寝る前に本を読んでやったときは、元気だった。
青巫鳥(あおじ)のページを俺に何度も読ませて、満足げだっただろう。
「日向の様子は、」
急いて、日向のもとに向かえば、ちょうど小栗(おぐり)が部屋から出てくるところだった。
日向の侍医は、こちらに気が付くと頭を下げて、「大丈夫ですよ」という。
「おそらく歩行による負荷が原因だと思います。左足が腫れておりました。」
「足か、」
「はい、炎症による痛みと浮腫が強く、薬を処方しております。安静にしていれば、1週間ほどで改善はすると思いますが…、」
歯切れが悪い。
嫌な予感がして、眉を顰めるが、聞かないわけにはいかない。
うながすと小栗は、苦悶の表情で話した。
「治っても、また繰り返すものと考えております。部屋の中だけであれば問題はありませんでしたが、行動範囲が広がって、足への負荷が増えたのが原因です。安静にして症状は改善しても、根本的な問題が解決したわけではありませんから、また歩き出せば、悪化することも考えられます。」
「…治らないのか、」
「手術が可能かは、まだ何とも。関節や筋肉だけの問題ではありませんから、」
―――前に進んでも、過去が引き戻しに来る。
もともと日向の左足は、骨が変形しているだけでなく、靭帯の損傷で関節がぐらぐらと安定しなかった。筋力もなければ、血管や神経にもところどころ損傷の跡がある。ひどいのが左というだけであって、右の足も変わらない。
尼嶺(にれ)での暮らしが、そうさせた。
「栄養をつけ、筋力をつけて訓練すれば、今よりは良くなる可能性もあると思います。関節を補助する装具も検討しましょう。ですが、どこまで望めるかは、私も断言できません。」
「日向には、」
「まだ何も。安静にすれば、症状は良くなるとお伝えしております。」
「わかった。…くれぐれも頼む、」
承りました、と頭を下げて小栗は去った。
晴海(はるみ)が案内しているから、母上の元へ報告に行くのだろう。
一刻も早く日向に会いたい。
それなのに、日向の部屋の扉を開く手が止まった。
胸が、ひどく苦しい。
怒りとも悲しみともつかない強い感情と、深い穴に沈みこんでいくような感覚があった。
ただ、歩くというだけのことが、日向にはできないのか。
散歩に出るようになって、日向の興味が広がった。
自分の足でどこかへ行けることが、とても楽しそうだった。
誰よりも早く起きて廊下を歩き、新しい発見をしては、嬉しそうに語っていた。
そんな些細なことが、なぜ許されない。
「殿下、日向様が呼んでおります、」
逡巡していれば、扉が開き、萩花(はぎな)が中へと招く。
日向は気配に聡い。俺がためらっていることなど、とっくに気づいていたのだろう。
せめて、ひどい顔は見せたくないと、顔を引き締めた。
「日向、」
呼びかければ、ベッドの上の小さな体が動いて、上半身を起こそうとする。だが、すぐに枕へと倒れた。
布団に隠れて足は見えなかったが、痛むのか。
水色の頭をなでると、熱かった。
「日向、無理するな。安静にしてろと言われたろ、」
「…こ、抱っこが、いい、」
「痛むんだろう、」
「しおう、抱っこ、」
縋り付いてくる手が、ぷるぷると震えていた。
「足を曲げることができませんので、隠れ家にはお戻しできません。日向様が落ち着くのであれば…」
日向の汗を拭いた宇継がうなずく。
ベッドに上がり、小さな体を胸に抱えた。
腕に、腹に、足に感じる熱が、熱すぎる。
震えているのは、寒さか、恐怖か。
分からず、布団を手繰り寄せて、体を包み込む。
少しでも体を動かすと、小さな体が跳ねた。
だが、痛いとは言わない。うめくこともしない。
ただ涙を流してすがってくる。
強く抱きしめることも、背中をなでてやることもできず、途方に暮れた。
「小栗が安静にしていれば、1週間で良くなると話していた、」
嘘じゃない。
「元気になったら、歩けるように練習しような、」
他にどんな声をかけたらいいかわからなかった。
「…また、おさんぽ、できる…?」
「ああ…できるさ、」
水色の目が、ゆらゆらと揺れて、閉じる。
声もなく、涙を流して、ただ震えた。
嘘は言わなかった。
全く歩けなくなるわけじゃない。
今より良くなるように、小栗は精一杯努力してくれるだろう。
そう信じている。
だが、日向は聡い。
何となく、俺の中の不安を読み取られたような気がした。
「大丈夫、大丈夫だよ、日向、」
それが、日向へ向けたものなのか、俺自身へ向けたものなのか、わからなかった。
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