第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅲ:自覚

146.紫鷹 吹き荒れる嵐

「御機嫌好う、日向様、」
「日向様、よいお天気ですね!きゃ、手を振ってくださいました!」
「わーずるいずるい、僕にもください!」
「私も、日向様―!」

学院に着くと、あちらこちらから日向を呼ぶ声がした。
俺の腕の中で生気のない顔でぼんやりとしていた日向が、その声に起こされるように元気になっていく。
最初は重たげに手を挙げただけだった。それが、声に囲まれるほどに勢いよく振られるようになっていき、何も映していなかった瞳が、じっと誰かの目を覗く。

「……あはっ、」

小さく日向が笑うのを聞いて、腹の底から黒い物が沸き起こるのを感じた。

今朝目覚めた時は、再び夢精したことに絶望して、俺の声も届かなかっただろう。
もうこの世の何にも未練がないと言うように、食べることも服を着ることも、自分からはできなかった。
抱きしめて、何度も日向が大事だ、俺の日向だよと囁き続けて、ようやくスプーンを持てたと言うのに。

いつの間にか、腕の中の日向は、瞳をキラキラと輝かせて、四方八方に手を振っている。

「あの、日向様に、贈り物を、」
「うちの店の菓子です。お口に合えばと、」
「うちの船が隣国から持ち帰ったものです。日向様ならきっとお似合いにあると思いますので、ぜひ!」

「検分いたしますので、こちらへどうぞ、」

頬を染めた学生が日向に贈り物を差し出そうとするのを、草たちがあしらっていく。彼らの見事な采配で、学生たちは日向に触れることもできずに去っていくが、視線はいつまでも日向を追っていた。


この1週間、日向があちこちに愛想を振りまくものだから、幾人もの学生が日向に落ちた。


俺が藤夜と2人で通った頃には近づくどころか、視線を逸らした学生たちだ。
それが今では、日向を見つけた途端、まるで俺の存在は忘れたように熱っぽい視線を送って、ふらりと引き寄せられる。
俺や護衛たちが牽制したところで、その傍から日向が誑かすから、日向を追う学生は日毎に増えた。


「頭が痛い、」
「……僕、治癒、する?」
「しなくていいから、少しだけその手を振るのをやめてくれないか…、」


言えば、日向はきょとんとした目を丸くした後、手を振るのをやめ、俺の頭を撫でる。
だが、それに黄色い歓声が上がると、また嬉しそうに瞳を他所に向けて、歓声の主たちをときめかせた。

なあ、日向。
何で他所ばかり見る。
お前がときめきたいのは、俺のはずだろう。
俺を見ろ。俺だけ見てればいいだろうが。

腹の奥底から沸き起こった嫉妬はもう全身に広がっていて、体中を吹き荒れた。
小さな手が頭を撫でるのが心地よいはずなのに、それを上回る不快感が俺を支配する。


なあ、日向。俺を見ろ。


たまらず、日向の頭を抱えて胸の中に隠した。
そのまま足早にその場を去って、昼食用の小部屋へと急ぐ。

一刻も早く、日向を学生たちの目の届かない場所へ隠してしまいたかった。日向の目に、他の誰も入らないところに連れて行って、俺だけを視界に留めさせたい。

「……しお、くるし、」
「紫鷹、強引すぎる、」
「殿下、日向様が嫌がっています、」

気持ちが急くままに日向を連れ去ろうとしたら、小さな体を潰しかねないほど強く抱いていた。だが、頭のどこかでは、いけないと警鐘が鳴るのに、胸の中の嵐が思考を奪う。

見かねた藤夜と東の二人かがりで、日向を奪われた。

「返せ、俺のだ、」
「紫鷹、感情に呑まれるな、」
「うるさい、」

藤夜を退けて日向に手を伸ばそうとするが、東が軽々と日向を抱いて俺を避ける。そのまま、すたすたと歩いて扉の向こうへ消えて行った。

日向が消えた。
俺以外の人間に抱かれたまま、俺も見ず。


「離せ、藤夜、」
「頭を冷やせないなら、駄目だ、」
「日向が、」
「また、ひなをお前の感情で押しつぶす気か、」


友の言葉と、俺を射抜く視線に、頭を殴られた。
はっとして藤夜を見ると、その視線の奥に、ひどく怯えた日向が見える。
日向が、俺の恐怖と不安にさらされて拠り所を失ったのは、つい数か月前の春のことだ。再び隠れ家から出られなくなった日向に、何度も後悔して反省したと言うのに、俺は簡単に冷静さを欠く。


「ひなを縛るにしても、壊すようなやり方は駄目だ。例え、俺の主だろうと、全力で止めるよ、」


掴まれた腕がぎりぎりと痛むのと、覚悟のこもった強い声が俺の意識を混乱から引き上げた。

ああ、また日向を傷つけたな。
日向は努力していたのに。
俺は嫉妬して、また日向の頑張りを否定した。

「…………悪い、」
「俺じゃなく、ひなに謝ってください、」
「うん、ごめん、」

冷静になるにつれ、後悔と共に恥ずかしさがこみあげ、頭を抱えた。
日向が隠れ家に籠ってからの数か月は、俺が自分の感情と向き合う数カ月でもあった。那賀角(なかつの)と訓練を繰り返すうちに、己の感情の癖を知って、その対処法を学んできたというのに、その全てを忘れたな。

情けない。
だが、忘れるくらい、俺は限界だ。


「……正直、しんどい。もう、無理、」
「重症だなあ。紫鷹の気持ちが分からないでもないが、暴走する前に対処しろ。限界だと言うなら、恰好つけないで、ちゃんとひなと話し合え、」


友の同情するような視線に、うなだれる。
俺が大人しくなったのを確認して、ようやく藤夜は腕を離した。

あとはもう、憐れむばかり。

日向に甘い藤夜でさえ、俺の嫉妬が理解できると言う。
そうれはそうだろう。日向が誰彼構わず誑かし、その相手がほぼ確実に日向に夢中になるものだから、護衛の数も格段に増えた。

「あいつ、気配がわかるから、好かれる相手も分かるのか?何で揃いも揃って、骨抜きにされてんだ、」
「癒しの魔法もあるから、好感を持たれやすいというのはあるかもな、」
「魔法まで味方につけられたら、手の打ちようがないだろ…、」

この現状を目の当たりにした今となっては、どうして尼嶺(にれ)の人間が日向を虐げたのか、意味が分からない。
それくらい、日向は簡単に人に好かれたし、愛された。

それが嬉しくないわけじゃない。
執着を失っていた日向が、そのしがらみで留まれると言うなら、喜ばしいことだと思う。
だからこそ、日向がときめく練習をしたいと、おかしなことを言い出しても一緒にやろうと思った。その努力が斜め上に滑っていっても、嫉妬に呑まれず共に歩こうと。

だけど、無理だ。
いざ目の前で、日向が他の誰かを見つめようものなら、暴れて視界に入る全てを消し去りたくなった。日向に夢中になった相手に、日向が嬉しそうに視線や仕草を返すのも、もう見たくない。


「俺の番いが、浮気者すぎて、辛い……、」


部屋の扉を開く頃には、怒りに近い嫉妬の感情は、泣きたいほど切ないものに変わって、胸を締め付けた。

こんなにも日向が好きだと自覚させられる1週間だった。
好きで、独占したくて、俺だけの日向でいてほしい。
日向の自由を奪いたい訳じゃない、とその嫉妬を抑えてきたが、多分、とっくに限界を超えた。

藤夜の言うよう、一緒に頑張るなどと恰好をつけている場合ではないのだろう。
日向と話し合う必要がある。


昼食の小部屋を開くと、日向は出窓に腰かけて外を眺めていた。
小さく手を振っているのが見えるから、また誰かに愛想を振りまいているのだと分かって、胸の中が荒れる。


「日向、」

そう呼ぶと、キラキラと輝いた瞳が振り返った。
怯えていない、それは安心した。
だけど何だ、何でそんなにイキイキとするんだ。


「……しっと、終わり?」
「終わんないよ、」


腕を差し出せば、日向はすっぽりと収まって、また俺の頭を撫でた。

「やめてくれ、阿瑠斗王子の真似は、もうやめてほしい、」
「……いや?」
「日向になでられるのは好きだけど、王子の真似は好きじゃない。日向が、王子を真似て皆をときめかせるのも、もう嫌だ、」
「……しっと、」
「そうだよ、ごめんな、」

小さな体を抱きしめ、何度か謝罪を繰り返す。

日向の努力を否定してごめん。
一緒に歩むと言ったのに、嫉妬ばかりでごめん。
俺といるための努力だったのにな、分かっているのに、我慢できなかった。ごめん。

「どうしてもときめかないとダメか?俺が日向にときめくだけじゃ足りないか?俺は日向がときめかなくたって離さないよ。それだけじゃ日向は満足しない?」
「……しお、」
「日向が頑張ってるのは分かるけど、もう嫌だ。俺のだろ、何で他の奴ばっかり見るの。俺を見ろよ。俺以外にときめくなんて、我慢できない、」

水色の瞳を覗いて真っ直ぐに訴えれば、日向も視線を反らさずに俺を見る。
何度か瞳が瞬いた。何かを探すように首を傾けて考えたあと、日向は小さく頷く。

「……わかった、」

今度は、潰さないように抱きしめた。
王子の真似でなく、日向の仕草で、小さな手が俺の背中をなでると、少し安心する。

なのに、何でだ。



「……僕、ときめいた、かも、しれない、」




驚いて再び顔を覗けば、少し頬を赤くした日向が、キラキラとした瞳を窓の外に向けていた。

やめろ、やめてくれ。


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