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第弐部-Ⅲ:自覚
152.宇継 浴室にて
「……やる、」
お風呂場で、日向様のボタンに手をかけたところ、ポツリと声がする。
見ると、いつもはうつろな水色の瞳が、険しいながらも意思を持って、私の手元を見ていた。
「ご自分でされますか?」
「……うん、」
「では私はお湯を見ておりますので、お願いいたします、」
「……わかった、」
頷いて、日向様は小さな手でボタンを掴んだ。
おやつの後にお着替えをした時には、まだぼんやりとしていて、されるがままだったと聞いている。それが今は、ゆっくりとではあるけれど、確かにご自分の手でボタンをはずしていた。
顕わになっていく胸には、今も殿下がつけた痕が散っている。
ボタンを外した日向様は、その痕をしばらくの間眺めた。眺めて、小さな手でその印を撫ぜた後、意を決したように服を脱ぐ。
――荒治療ではあったけれど。
日向様の中に、ご自分の体への新たな価値が植え付けられたのだと思った。
一度失った価値の代わりに、殿下が新たな価値を与えて、日向様のものになっているのだと。
未だに、何てことをしてくれるのかしら、とは思う。
まだ体も未熟でお小さい日向様だ。
とても殿下の愛を受けられるお体ではないと言うのに。
それに、色事の何たるかを知ってはいらっしゃるが、おそらく理解されてはいない。
まして、ご自分の体を厭うほどの傷を抱いているのに、欲に溺れるまま手を出されるなど、もっての外だ。
そう思うけれど。
目の前の日向様を見ると、怒るに怒れなくなってしまう。
「……できた、」
「ええ、お上手でしたね。お湯も支度が整っておりますよ。髪は、ご自分で洗われますか?」
「……うん、」
そうですか、ご自分でされますか。
お風呂の間中、今にも消えてしまいそうな程、心を閉ざしておられたのに。
決して穏やかではないにしても、日向様の顔にはちゃんと表情が現れて、ご自分の苦悩と向き合っていらっしゃる。
ご自分の体を受け入れて、生きようとされている。
殿下が、日向様にその力を与えましたね。
だから、日向様のお体に新しい痕があるのに気づいてしまっても、何も言えなくて困っております。
「……りんご、」
「ええ、稲苗様のお父上が、日向様のためにと色々と送ってくださいました。三つ葉の林檎を使った洗髪剤だそうです、いかがですか、」
「……いい、におい、」
「稲苗様にお伝えください。喜ばれると思いますよ、」
「……うん、」
大好きな香りに癒されてか、強張った体が少しずつほぐれていく。
濡れた水色の髪に洗髪剤をつけると、小さな手が伸びて、ゆっくりと動いた。なかなか上手くできなくて、以前は何度も髪を引っ張って泣いていたのに、今日は上手にできますね。
洗い流す間も、目を開いてしまって痛がることもなくなりました。
「お上手でした。綺麗になりましたよ、」
「……うん、」
湯船に入れて、髪を梳きながらそう言えば、日向様は強張っていた頬を緩めて不器用に笑った。
ああ、もう、本当に殿下を叱れなくなるじゃないですか。
今も胸の内に複雑な思いはあると言うのに、この笑顔を見られるのならば多少の無体は許してもいいのではないかと思ってしまう。
でも、毎日日向様のお体に接してきた。
今こうして櫛を通す髪の下にも、傷痕は見える。
お体だってそう。殿下が痕を残した場所にも、痛ましいほどの傷と火傷の痕が無数に残っていた。
その傷痕を見る度、お守りしなくてはと思う。
殿下が日向様を傷つけることはないと信じているけれど。
せめて日向様がきちんと情交の意味を理解して、心から望まれるまで、お待ちいただけないものかしら。
「……うつぎ、」
「何でございましょう、」
「……ありがと、」
まるで私の心を見透かしたかのように日向様が微笑まれるから、感情が漏れていたかしら、と少し焦った。
日向様の言う魂の気配に顕れない程度には、心を律することができていたと思うけれど、この方は変に聡いところがあるから、気を抜けない。
「……印、怒らない、」
「日向様に必要なものなのでしょう?あまり頻繁でしたらお小言も言いますけれど、今は理解しているつもりです、」
「……ほんとは、いや?」
「日向様が、殿下だけの日向様になってしまったようで寂しくはあります、」
「……うつぎも、いる、」
「ええ、私の大事な日向様でもありますよ、」
「……うん、僕、うつぎの、」
「なら、嫌ではございません、」
湯を上がって体を拭いたら、日向様はご自分で寝間着に着替えられた。
服を閉じる前にまた愛し気に胸の痕を撫でて、ゆっくりとボタンを閉めていく。
もうボタンが留められないと泣くこともなくなりましたね。
寂しくはあるけれど、閉じ切ったボタンを見下ろして満足げにほほ笑まれるお姿に、安心もしました。
「……しおうに、言ってね、」
「ええ、お上手に着替えられたとお伝えしましょう、」
「……ほめる?」
「殿下が褒めてくださらなかったら、褒めなさいとお叱り致しますよ、」
「……うん、」
湯上りの上気した頬を緩めて、水色の瞳が嬉しそうに細くなる。
抱き上げると、甘えるようにぎゅうとしがみついてきて、そんなこともできるようになりましたか、と感嘆した。
殿下が、日向様を生かした。
そのことがまざまざと実感されて、複雑な思いがある反面、心の底から殿下に感謝せずにいられない。
殿下、多少は目を瞑りましょう。
ですが、いつでも目を光らせてはおきます。
殿下の愛しい日向様は、私の大事な大事な日向様でもありますから。
お風呂場で、日向様のボタンに手をかけたところ、ポツリと声がする。
見ると、いつもはうつろな水色の瞳が、険しいながらも意思を持って、私の手元を見ていた。
「ご自分でされますか?」
「……うん、」
「では私はお湯を見ておりますので、お願いいたします、」
「……わかった、」
頷いて、日向様は小さな手でボタンを掴んだ。
おやつの後にお着替えをした時には、まだぼんやりとしていて、されるがままだったと聞いている。それが今は、ゆっくりとではあるけれど、確かにご自分の手でボタンをはずしていた。
顕わになっていく胸には、今も殿下がつけた痕が散っている。
ボタンを外した日向様は、その痕をしばらくの間眺めた。眺めて、小さな手でその印を撫ぜた後、意を決したように服を脱ぐ。
――荒治療ではあったけれど。
日向様の中に、ご自分の体への新たな価値が植え付けられたのだと思った。
一度失った価値の代わりに、殿下が新たな価値を与えて、日向様のものになっているのだと。
未だに、何てことをしてくれるのかしら、とは思う。
まだ体も未熟でお小さい日向様だ。
とても殿下の愛を受けられるお体ではないと言うのに。
それに、色事の何たるかを知ってはいらっしゃるが、おそらく理解されてはいない。
まして、ご自分の体を厭うほどの傷を抱いているのに、欲に溺れるまま手を出されるなど、もっての外だ。
そう思うけれど。
目の前の日向様を見ると、怒るに怒れなくなってしまう。
「……できた、」
「ええ、お上手でしたね。お湯も支度が整っておりますよ。髪は、ご自分で洗われますか?」
「……うん、」
そうですか、ご自分でされますか。
お風呂の間中、今にも消えてしまいそうな程、心を閉ざしておられたのに。
決して穏やかではないにしても、日向様の顔にはちゃんと表情が現れて、ご自分の苦悩と向き合っていらっしゃる。
ご自分の体を受け入れて、生きようとされている。
殿下が、日向様にその力を与えましたね。
だから、日向様のお体に新しい痕があるのに気づいてしまっても、何も言えなくて困っております。
「……りんご、」
「ええ、稲苗様のお父上が、日向様のためにと色々と送ってくださいました。三つ葉の林檎を使った洗髪剤だそうです、いかがですか、」
「……いい、におい、」
「稲苗様にお伝えください。喜ばれると思いますよ、」
「……うん、」
大好きな香りに癒されてか、強張った体が少しずつほぐれていく。
濡れた水色の髪に洗髪剤をつけると、小さな手が伸びて、ゆっくりと動いた。なかなか上手くできなくて、以前は何度も髪を引っ張って泣いていたのに、今日は上手にできますね。
洗い流す間も、目を開いてしまって痛がることもなくなりました。
「お上手でした。綺麗になりましたよ、」
「……うん、」
湯船に入れて、髪を梳きながらそう言えば、日向様は強張っていた頬を緩めて不器用に笑った。
ああ、もう、本当に殿下を叱れなくなるじゃないですか。
今も胸の内に複雑な思いはあると言うのに、この笑顔を見られるのならば多少の無体は許してもいいのではないかと思ってしまう。
でも、毎日日向様のお体に接してきた。
今こうして櫛を通す髪の下にも、傷痕は見える。
お体だってそう。殿下が痕を残した場所にも、痛ましいほどの傷と火傷の痕が無数に残っていた。
その傷痕を見る度、お守りしなくてはと思う。
殿下が日向様を傷つけることはないと信じているけれど。
せめて日向様がきちんと情交の意味を理解して、心から望まれるまで、お待ちいただけないものかしら。
「……うつぎ、」
「何でございましょう、」
「……ありがと、」
まるで私の心を見透かしたかのように日向様が微笑まれるから、感情が漏れていたかしら、と少し焦った。
日向様の言う魂の気配に顕れない程度には、心を律することができていたと思うけれど、この方は変に聡いところがあるから、気を抜けない。
「……印、怒らない、」
「日向様に必要なものなのでしょう?あまり頻繁でしたらお小言も言いますけれど、今は理解しているつもりです、」
「……ほんとは、いや?」
「日向様が、殿下だけの日向様になってしまったようで寂しくはあります、」
「……うつぎも、いる、」
「ええ、私の大事な日向様でもありますよ、」
「……うん、僕、うつぎの、」
「なら、嫌ではございません、」
湯を上がって体を拭いたら、日向様はご自分で寝間着に着替えられた。
服を閉じる前にまた愛し気に胸の痕を撫でて、ゆっくりとボタンを閉めていく。
もうボタンが留められないと泣くこともなくなりましたね。
寂しくはあるけれど、閉じ切ったボタンを見下ろして満足げにほほ笑まれるお姿に、安心もしました。
「……しおうに、言ってね、」
「ええ、お上手に着替えられたとお伝えしましょう、」
「……ほめる?」
「殿下が褒めてくださらなかったら、褒めなさいとお叱り致しますよ、」
「……うん、」
湯上りの上気した頬を緩めて、水色の瞳が嬉しそうに細くなる。
抱き上げると、甘えるようにぎゅうとしがみついてきて、そんなこともできるようになりましたか、と感嘆した。
殿下が、日向様を生かした。
そのことがまざまざと実感されて、複雑な思いがある反面、心の底から殿下に感謝せずにいられない。
殿下、多少は目を瞑りましょう。
ですが、いつでも目を光らせてはおきます。
殿下の愛しい日向様は、私の大事な大事な日向様でもありますから。
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