第八皇子は人質王子を幸福にしたい

アオウミガメ

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第弐部-Ⅳ:尼嶺

172.東 混乱と意地と護衛の仕事

「これは、お皿。ご飯を、食べる、」
「うん、皿だな。日向の食欲が沸くように、料理長は皿も気を配ってくれてるから、いつも違うだろ、」
「うん、お皿が、あったのに、ね。使えば、良かった、」

午前の仕事の後、講義を終えた紫鷹殿下が合流して、いつもの部屋で昼食となった。

だけど、殿下の膝に抱かれた日向様は、食事に手を伸ばすでもなく、皿を指さす。
話がかみ合わないのは、多分、日向様が蔵の話をしているからだ。

「お箸は、あったのに、スプーンは、見ない。あそこに、大きいスプーンが、あるから、あれで食べる?」
「大きいのはスプーンじゃなくて、玉杓子だよ。鍋から皿に料理を注ぐやつな。日向、こっち見て。スプーンはここにある。これで食事をしよう、」
「そうだった、」

紫鷹殿下がスプーンを差し出して促すと、日向様は思い出したように頷く。
それなのに、スプーンは手に取らずに手をスープに突っ込むから、向かいに座った亜白様は「あ」と声を上げた。すぐに口を噤んだけど、表情は辛そうだ。無理ないか。

日向様は指輪の混乱以降、こんな風に現実と記憶の境があやふやになることが増えた。
恐怖で怯えていることもあれば、今みたいに体は震えるのに、温もりには安心して笑うこともある。正直、前者の方がマシだと僕は思った。ちぐはぐな姿は痛々しすぎて、僕も見ているのがしんどい。

日向様が指さした先に大きなスプーンなんてありませんよ。
ここは蔵でも、尼嶺(にれ)の宮殿でもありません。
そんな場所に一人で行って、その上、笑うなんて。

「日向、スープはスプーンを使うんだ。教えてやるから、貸してみな、」
「スープで、スプーン、食べる、」
「スプーンでスープな、」

殿下が、やんわりと日向様の手をスープから掬い上げて、代わりにスプーンを握る。
雛鳥みたいに口を開いて待った日向様は、殿下が注いだスープをごくりと飲み込むと、弾けたように声を上げて嬉しそうに笑った。

「おいしい、ね。はじめて食べた。持ってって、いい?かくして、毎日、ちょっとずつ、食べる、」
「まだあるから、この皿の分は全部飲みな。向こうに鍋があるだろ、あの中に入ってるから、日向が好きなだけ食べたらいい、」
「わあ、」

頬を紅潮させて目を輝かせた顔が、眩しい。
けど、誰も笑えなかった。

スープを食べていいのだと理解したんだろう。
日向様は皿に顔を突っ込んでぴちゃぴちゃとスープを舐めだす。
その姿に、亜白様はこらえきれずに泣き出して、代都(しろと)様に隣の部屋に連れていかれた。

結局、日向様がこちらの世界に戻ってきたのは、昼食も終わりかけた頃だ。

急に口を開くのを止めたかと思ったら、「また、まちがえた、」と青い顔をして震える。
それっきり食事は受け付けなくなって、殿下の腕の中で小さく丸くなっていた。

でも、その方が良い。
蔵の中で笑う日向様より、怯えて震えている日向様の方が断然いい。








そんな状態なのに、仕事をするって、一体どういうことだろう。



「癒しの魔法は、魂と世界のつながりに作用します。一方、治癒の魔法は、魂そのものに働きかける。これを防ぐのは、魂を閉ざすこと――つまり魔力を抑制することです、」
「……それは理解しました。ですが、それでは他の魔法への防御が疎かになるのでは、」
「ええ、その通りです。とんでもない魔法ですよ。我々の常識が完全に覆る、」

昼食の混乱を見ていたにも関わらず、困りましたね、と言う那賀角(なかつの)はどこか楽しげだった。
他の何を差し置いても魔法に関心がある人だから、厳しい問題が生まれても、日向様の魔法が解明されることの方が断然面白いのだろうなと思う。だけど、何だか腹立たしい。

その姿とは対照的に、萩花(はぎな)さんは恐ろしく険しい表情をしていた。
いつもは穏やかに笑うばかりで、あまり感情を表面に出さない人だから驚く。そんな顔をするくらい困った事態なんだろう。多分、日向様の負担が増えることを心配してるんだと思う。

「はぎな、おこまり、」
「うん、困ってますね、」
「僕のせい?」
「違いますよ。何でそうなるんですか、」
「僕が、怖がり、だから、」
「違いますって、」

膝の上で萩花さんと那賀角のやり取りを眺めていた日向様が、突然言い出す。
何でそうなるかな。

悪いとすれば、その魔法を悪用しようとする人間であって、日向様も日向様の魔法も悪くない。
しいて言えば、こんな状態の日向様の前でそんな話をする二人が悪いとは思うけど。
大体、日向様が仕事をすると言い出したのを了承したのは、萩花さんと殿下だ。今更困ったところで、同情なんてしない。


だけど、日向様も日向様だ。


いつもなら仕事の間はうさぎの人形を抱くだけなのに、今日は僕にしがみついて離れないから、仕事の間中、僕は日向様の椅子代わりだ。嬉しいからいいけど。
温もりがないと座っていられないくらい不安なくせに、何で仕事にこだわるかな。

やたら悲観的なのだって、弱ってる証拠だ。
昼寝の時間に一睡もできなかったのもそう。
不安が積もりすぎると、眠れなくなるのは護衛ならみんな知ってる。


「何でも自分のせいにするのは、日向様の悪い癖ですよ。世の中の出来事って、大抵のことは自分に関係ないのに、ちょっと自意識過剰です、」
「……じしき、じょう、」
「自意識過剰。思い込みが激しいってことです、」
「かじょう、は悪い?」
「僕は日向様のは好きですけどね。でも、あんまり自分を責めると行き場がなくなって破綻しますから、ほどほどにしてください、」
「ほどほど、」
「そう、ほどほどです、」
「……………わかった、」


頷いて、頭を肩にすり寄せて来るから、本当に弱ってるなあ、と思った。

こんなになるくらいなら、仕事なんて放って、亜白様と一緒にカブトムシでも愛でたらいいのに。
亜白様だって、日向様が仕事にこだわるから、せっかく離宮に来たのに日向様と過ごす時間が少なくて寂しがっているのになあ。
ましてこんな状態じゃ、心配にもなる。

そんなことを考えながら、日向様のお腹をなでてたら、那賀角から声がかかった。


「日向様、一つ試してみたいことがあるのですが、よろしいですか、」


この上、また日向様の負担が増えそうで嫌だ。
だけど、那賀角の申し出に応えるのは日向様だし、日向様の許容範囲を判断するのは萩花さんだから、僕は言えない。

那賀角は、尼嶺の魔法を防ぐために魔力を抑制するのは、不利益が大きいんだと話した。
魔力を抑制したら、魔法は使えない。尼嶺と対峙する外交の場で、それは致命的だ。例え癒しや治癒の魔法から身を守っても、他の魔法で攻撃されれば防ぎようがない。護衛も騎士も戦闘時には身体強化を使うのに、魔力を抑制すればそれすら無効だ。尊い人たちが身にまとう加護も、魔力とのつながりの上にあるから、発動しなければ意味がない。

魔力の抑制は、選択肢にない。
だけど実際の所、日向様の魔法を防ぐには、魔力抑制の他に手段がないのは実験済みだった。

じゃあ、どうするかって話だ。

「日向様の加護を、再び得ることは可能でしょうか、」
「かご、」
「ええ、日向様が殿下の指輪に与えた加護は、……私たちは加護と表現しますが、実際は少し違うものです。どちらかと言うと癒しや治癒の魔法に近い、」
「うん、」
「日向様はお分かりですね。その加護が殿下を守りました。今のところ、日向様の加護だけが有効な手立てではないかと考えています、」
「うん、」

うん、なんて簡単に頷くから呆れた。
日向様の加護が他の加護と違うなんて分かるのは、魔法を感知できる萩花さんや特殊な魔法を扱える魔術師くらいなのに。

その上、那賀角が言うのはつまり、日向様に僕らを守る加護を与えろってことだ。
僕らは日向様を守るのであって、守られる側じゃない。

「それは、さすがに無理じゃないですか、」
「あずま、」
「まだ癒しの魔法の翻訳だって済んでいないのに、加護なんて。たった一度偶然に使っただけでしょ。それをさせるなんて、負担が大きすぎます、」

加護の話をした途端に、僕の腕の中では震えが強くなった。
そりゃそうだ、指輪を壊したのは自分の加護のせいだと日向様は思っているし、こんな風に弱っているのは、その指輪を目の当たりにして不安になったからだ。

口をはさむ立場にない僕が余計なことを言ったからだろう。
萩花さんと那賀角が驚いたように僕を見る。

腕の中からも、僕の主が目を丸くして見上げていた。きょとんとした顔が可愛い。
しばらくは理解するのに時間がかかったのか、目を丸くしたままだった。それが、はっとしたように驚いた顔をした後、戸惑った顔を見せたかと思うと、眉を寄せて険しい顔になる。

うん、やっぱりこっちがいい。
こんな風にころころ表情を変える日向様を僕は見ていたい。
加護なんて負担の大きい魔法を使って、疲弊させたくなかった。

「だいじょぶ、」
「大丈夫な訳がないです。いつもより癒しの魔法が強くなっているのは、僕にだって分かりますよ。加護をやるってことは、翻訳が必要でしょう?そんなことしたら、日向様は絶対吐くし、熱も出て、ボロボロになります。僕は嫌だ、」
「できる、もん、」
「もん、って何ですか。そんな可愛い顔しても、嫌なのは変わんないです。大体、仕事なんてしなくていいのに、何を頑張ってるんですか。まだ子どもでしょ、」
「あずまも、子ども、だけど、仕事する、」
「日向様と僕を一緒にしないでください。日向様なんて、まだ赤ちゃんみたいなもんです。なのに自分からしんどい方にばかり行って。貴方は皆に愛でられてぬくぬくしてればいいんですよ、」

ああ、怒った。
久しぶりに真っすぐ睨まれて、心が躍る。

「あずま、しんぱい、しない。だいじょぶ、」
「嫌です。心配します、」
「僕は、ちゃんとできる。もう抱っこ、いい。あずま、あっち行って、」
「ダメですよ。日向様が仕事する間、僕が抱っこする決まりって決めたのは、日向様じゃないですか。日向様が仕事するなら、僕だって仕事をします。譲りません、」
「うー、」

口で僕に勝てるわけがないのに、説得しようとするのが可愛かった。
でも結局できなくて唸って、小さな頭で僕の肩をぐりぐりと刺して抵抗するのも、可愛い。

その姿に噴き出したのは、那賀角だ。
普段ならこちらのやり取りには関心を示さない男が声を立てて笑うから、日向様も驚いて顔を上げた。
今度は、びっくりして水色の瞳が落ちそうなほど大きくなっているのが、やっぱり可愛い。

「萩花様のところの護衛は、何と言うか、すごいですね、」
「ええ…っと、私も驚いています。東はどちらかと言うと、感情が乏しい方だったんですけどね…、」
「まあ、兄弟のようで微笑ましいじゃないですか。お陰で日向様も元気になりましたし、」

言われて気づいた。
日向様の体から震えが消えてる。
多分、怒って怯えとか恐怖がどこかに行ったんだ。

それは良いことだ。
僕は日向様のいろんな顔が見たいんだから。
だけど同時に、しまった、とも思った。

「僕、元気。仕事、できる、」
「まだ言いますか、」
「もう!僕は、仕事するから、あずまも、仕事して!」
「だから、」
「東、それだけ元気なら大丈夫ですから。日向様に任せてください、」

言い返そうとしたら、萩花さんに咎められてできなかった。
どう足掻いたって、結局最終決定をするのは日向様と萩花さんだから、僕は口を噤むしかない。
黙った僕に、お腹をそり返すようにして、日向様が勝ち誇ったような顔をする。

うん、可愛い。

「…また元気がなくなったら止めますよ、」
「だいじょぶ、なくなら、ない、」
「まあ、東がいれば大丈夫だと思いますよ、」

そんなこんなで結局、日向様が加護をやることになった。
僕は納得してないけど、納得しなくてもやるのが僕の立場だから仕方ない。

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