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第弍部ーⅤ:二人で歩く
192.紫鷹 二人で溶かす
目覚めると、腕の中にまだ日向がいた。
いつもなら俺より早く起き出して、図鑑を開くなり学習帳を開くなりしているだろうに、すうすう眠っている。
寝相だって悪いから、俺の顔や腹の上をころころ転がる癖にな。珍しく腕の中に収まっているから、やたらと体が温かった。
目覚めた時に、腕の中に温もりがあるのは、こんなに心地良いものか。
だが、その顔に涙のあとが幾筋も残っているのと、ピクピク動くまつ毛の下の頬が擦れて赤いまま、いくつかかさぶたになっているのを見て、昨晩のことを思い出した。
日向に心の内を暴かれて泣き、そのまま寝たんだっけ。
母上が倒れたと聞いた時から隠してきた不安や恐怖や罪悪感が、俺の努力も虚しく、日向に絞り出された。
『しおうが、泣くは、僕がぎゅうってする、』
腕の中の水色は、いつもそう言う。
俺は皇子だから、隠して見栄を張らなきゃいけないことだってたくさんあるのに、俺自身気づかない不安にさえ目敏く気づいて、「ぎゅってする?」とか「泣く?」とか言い出すんだ。水色の目で真っ直ぐ俺を見てさ。他には何も写さず、俺だけを心配して、一緒に不安になって自分も泣きそうになってるの。
昨日は、日向自身の不安もあって、いつもより酷い顔だった。
それなのに、自分がやるんだ、とぎゅうぎゅう締め付ける。
そんなの、泣くに決まってるだろ。
お陰で俺も多分、日向と同じくらい酷い顔だ。
瞼が重いし、顔が浮腫んでいるのが鏡を見なくてもわかった。
しかも、子どもみたいに泣いて縋った姿を思い出せば、顔に熱が集まってのたうち回りたくもなる。今日も母上の代理で公務に出かけるって言うのに、全くどうしてくれんだ。
だけど、不快感だらけだった胸と腹の中に、今は温かく柔らかいものがある。
それが、腕の中の温もりと同じものだと分かるから、愛しくて、昨日とは違う意味で目頭が熱くなった。
「……しぉ、泣く?」
ああ、ほら。
本当に、俺の番は目敏くて困る。
「泣かないよ。泣いたとしても、これは幸せの涙。もう少し寝てな、」
「……起きる、」
「何でだよ。たまには俺に寝顔を堪能させろ、」
「しおうは、夜、見てる、」
「お前が先に寝落ちるからな。そりゃ見るよ。でも、朝は別だろ。ほら、寝ろって、」
「やぁだぁ、」
せっかく一人で寝顔を眺めて、幸せを噛み締めていたのになあ。すっかり目が覚めてしまった日向は、起きるんだ、と腕の中で暴れた。それを、ぎゅっと抱きすくめてベッドに縫いつけると、不満げな水色が見上げた。
睨みつけてるつもりだろうが、昨日の今日だ。
あんなに泣いてた日向が、そんな顔がするのが嬉しくもあって、可愛いだけだった。
この愛しさに、甘えてもいいだろうか。
「泣かないけど、俺はまだ、ぎゅうが必要だよ、」
「…ぎゅってする?」
「ん、して、」
分かった、と言い終わらないうちに、昨晩と同じくらい強い力で体を締め付けられる。昨日、散々吐き出したから、もう不安や恐怖が搾り出されることはなかった。だが代わりに、触れた場所から熱が広がって、空いた場所を埋めるように俺の中に広がって行く。
母上を失うかもしれない、と言う恐怖が拭えたわけじゃない。
母上なしで半色乃宮を背負う不安が消えた訳でもない。
それでも確かに、安心感が芽生えていた。
日向はどうだろう。
同じだろうか。
「しおう、可愛いね、」
「はあ?」
「甘えん坊、」
「日向に言われたくないんだが、」
「おそろいは、良い。ちがう?」
違わないなあ、と思わず笑うと擽ったかったのだろう。日向の体がぴくぴくと跳ねて、俺はちょっとやましい気持ちになる。
堪らずちゅうちゅうと、白い首筋を吸った。
朝から盛って申し訳ないが、俺は甘えん坊だからな。仕方ない。許せ。
まあ、腕の中にいるのは、俺以上の甘えん坊だ。
俺が杞憂する必要もないくらい甘えて、あっという間にとろとろに溶けた。
「……僕、何する?」
「うん?」
溶けた体をすっかり俺に預けて日向は言う。
胸に耳を当てているのは、心臓の鼓動を確かめているんだろうな、と何となく思った。
「しおうは、ぎゅうってしたら、元気になる、」
「いや、そりゃ、なるけど。そう真正面から言われると、恥ずかしいな、」
「すみれこ、さまは、何したら、元気になる?」
ぎゅ、っと俺の寝衣を捕まえた手に力が籠るのを感じた。
小さな体の奥底で、触れなければ分からないほど小さく震えていることも。
でも、泣くでもなく尋ねた声は、日向の努力の証だと思った。
日向は、日向のやり方で恐怖や不安と闘っている。
だから、背中を撫で、水色の頭に口づけながら、日向の言葉を聞いた。
「すみれこさまがね、僕が遊ぶと、ご飯を食べるが嬉しい、って言った。すみれこさまは、心配ないから、いっぱい遊んでね、って、」
うん、母上ならそう言うし、俺も日向には何も心配せず、夏休みを堪能してほしい。
でも、そうできないことを俺は誰よりも分かるよ。
「あじろとばったを見たら、心臓が気になった。ばったに心臓はないけど、ばったも、ことことがなくなったら、動かなくなる、」
「うん、」
「しおうのことことは、安心するのに、すみれこさまのことことは、うんと早くて、ザーザーも言うから、ずっと聞こえる、」
今も俺の鼓動の中に、母上の鼓動を聞いているだろう日向に、胸が痛くなった。
きっとその鼓動も聞いて、色んなことを思っているんだろう。
「すみれこさまが、元気じゃないと、楽しいはない、」
「そうだな、」
「僕もやる。僕も、すみれこさまを、元気にする、」
でも、やり方が分からないんだと、日向は泣いた。
僕のお母様なのに、何にもできない、悔しい、怖いと泣いて、俺の胸のところをみるみるうちに濡らしていく。
同じだな。
俺も、俺の母上なのに何もしてやれないことが悔しくて、怖かった。
「…俺も怖いよ。でも、もし立派に皇子をやれたら、母上は安心して休めるかな、ってちょっと思ってる、」
「しおうが、仕事、したら、すみれこさまは、元気?」
「どうだろ。でも、安心させてやりたい。とは思うよ。離宮のことは任せてゆっくり休んでくれって、」
「うん、」
公務のいくつかは、枯野乃宮(かれののみや)や呉須色乃宮(ごすいろのみや)の妃や兄姉上たちに割り振られた。
俺は未だ未成年皇族だし、公務の全てが半色乃宮でなければならないと言うわけではない。だから、無理をするなと母上も父上も言う。
でも嫌だ。
側にいても、俺は母上に何もしてやれない。
何もできないってのは、ただただ苦しくて、暗闇の中に放り込まれたように不安だった。
日向が散々苦しんでる側で、見守るしかできない日も多かったからな。俺は身に染みてる。
だから、俺は俺のやり方で母上を守りたいと思った。
きっと日向も、同じように藻掻いているんだろう。
「俺は、母上の代理を務めて見せるから、日向は、母上の側にいてくれる?」
水色の頭が持ち上がって、ぐちゃぐちゃの瞳が俺を見た。
「…魔法、いいの?」
「日向の治癒の魔法、今も母上を助けてくれてるだろ?」
「……ちょっと、だけ、」
無意識の魔法は使わない約束だもんな。
本当は爆発させたいだろうに、必死に押さえただろう日向を、知ってるよ。それでも、癒しの魔法から治癒に変えてしまって、自分を責めているだろうことも。
側にいるってことは、そういうことだと、日向は、ちゃんと分かってるな。
「ちょっとで良いんだよ。日向まで倒れたら、俺はもう正気じゃいられないよ。だから、無理はしないでほしい。でも、助けてほしい、」
病気は本来、患者自身が治すものだと医師たちは言った。薬も手術も回復魔法も、患者を助けはするが、本当の意味で治すのは患者自身の治癒力だと。
那賀角いわく、日向の魔法は、その治癒力を助ける魔法だ。あるいは、生命力。
「日向を迎えに行った時の母上、朝より顔色が良かったよ。よく寝てて、安心してるって分かる顔だった、」
「僕の?」
「もちろん日向だけじゃなくて、医師や看護人たちが手を尽くしてくれたのもあるけどな。日向の魔法もその一部だったと俺は思うよ、」
少し前の日向なら、魔力を暴走させていたから、母上を任せることはできなかった。万が一、帝国の妃を傷つければ極刑は免れない。
でも、日向はもう、恐怖に飲まれて魔力を暴走させたりしない。
「日向は、那賀角の授業も、加護の研究もよくやってくれた。怖がりになっても、癒しも治癒もちゃんと制御した。だから、日向の魔法を信頼してるよ、」
「僕が、治癒したら、すみれこさま、元気になる?」
「きっとなる、」
なってもらわなきゃ困る。
「日向の新学期の学生姿、見てもらうだろ、」
「うん、」
「日向はこれからどんどん成長するんだから、それを見守るのは母上の仕事だ。やり遂げてもらわないと困る、」
「僕のお母様、」
「そうだよ。俺と日向の婚約も婚姻も見届けて貰わなきゃならないのに、いなくなってたまるか、」
水色の瞳にまた雫が浮かんで、ボロボロこぼれた。
「俺たちの母上だ。一緒に守ってくれる?」
「やるぅ。僕が、すみぇこさま、やるぅ、」
「うん、日向がいてくれたら、俺も安心する、」
零れた雫を舐めて、泣き声を聞くうちに、俺もまた出し切ったと思ったものが溢れてきたよ。
そのまま、二人でぎゅうぎゅうと締め付け合いながら泣いた。
情けないことに変わりはないけれど、恐怖と不安で溢れた昨日の涙とは違う。
互いの温もりを確かめて、心を繋げて、一つだった。
恐怖も不安も、一人ではどうにもならないものが、二人なら溶かしあって約束に変えられる。何となく感じていたが、今は実感となって、降り積もった。
二人でやろう。
僕もやる。
うん、二人で母上を元気にしてやろう。
しおうと僕。
怖くなって不安に押しつぶされそうになったら、抱き合ってまた溶かしていけばいい。
僕がぎゅうってする。
いつまでも起きてこない俺に痺れを切らし、弥間戸(やまと)が寝室を開くまで抱き合ったまま、二人で溶けた。
俺も日向も酷い顔で、髪も服もぐちゃぐちゃだったから、手入れが大変だとは思っただろうなあ。でも、弥間戸も宇継(うつぎ)も急かすだけで叱りはしない。
手入れの間、日向と二人で繋いだ手も、離せとは言わなかった。
いつもなら俺より早く起き出して、図鑑を開くなり学習帳を開くなりしているだろうに、すうすう眠っている。
寝相だって悪いから、俺の顔や腹の上をころころ転がる癖にな。珍しく腕の中に収まっているから、やたらと体が温かった。
目覚めた時に、腕の中に温もりがあるのは、こんなに心地良いものか。
だが、その顔に涙のあとが幾筋も残っているのと、ピクピク動くまつ毛の下の頬が擦れて赤いまま、いくつかかさぶたになっているのを見て、昨晩のことを思い出した。
日向に心の内を暴かれて泣き、そのまま寝たんだっけ。
母上が倒れたと聞いた時から隠してきた不安や恐怖や罪悪感が、俺の努力も虚しく、日向に絞り出された。
『しおうが、泣くは、僕がぎゅうってする、』
腕の中の水色は、いつもそう言う。
俺は皇子だから、隠して見栄を張らなきゃいけないことだってたくさんあるのに、俺自身気づかない不安にさえ目敏く気づいて、「ぎゅってする?」とか「泣く?」とか言い出すんだ。水色の目で真っ直ぐ俺を見てさ。他には何も写さず、俺だけを心配して、一緒に不安になって自分も泣きそうになってるの。
昨日は、日向自身の不安もあって、いつもより酷い顔だった。
それなのに、自分がやるんだ、とぎゅうぎゅう締め付ける。
そんなの、泣くに決まってるだろ。
お陰で俺も多分、日向と同じくらい酷い顔だ。
瞼が重いし、顔が浮腫んでいるのが鏡を見なくてもわかった。
しかも、子どもみたいに泣いて縋った姿を思い出せば、顔に熱が集まってのたうち回りたくもなる。今日も母上の代理で公務に出かけるって言うのに、全くどうしてくれんだ。
だけど、不快感だらけだった胸と腹の中に、今は温かく柔らかいものがある。
それが、腕の中の温もりと同じものだと分かるから、愛しくて、昨日とは違う意味で目頭が熱くなった。
「……しぉ、泣く?」
ああ、ほら。
本当に、俺の番は目敏くて困る。
「泣かないよ。泣いたとしても、これは幸せの涙。もう少し寝てな、」
「……起きる、」
「何でだよ。たまには俺に寝顔を堪能させろ、」
「しおうは、夜、見てる、」
「お前が先に寝落ちるからな。そりゃ見るよ。でも、朝は別だろ。ほら、寝ろって、」
「やぁだぁ、」
せっかく一人で寝顔を眺めて、幸せを噛み締めていたのになあ。すっかり目が覚めてしまった日向は、起きるんだ、と腕の中で暴れた。それを、ぎゅっと抱きすくめてベッドに縫いつけると、不満げな水色が見上げた。
睨みつけてるつもりだろうが、昨日の今日だ。
あんなに泣いてた日向が、そんな顔がするのが嬉しくもあって、可愛いだけだった。
この愛しさに、甘えてもいいだろうか。
「泣かないけど、俺はまだ、ぎゅうが必要だよ、」
「…ぎゅってする?」
「ん、して、」
分かった、と言い終わらないうちに、昨晩と同じくらい強い力で体を締め付けられる。昨日、散々吐き出したから、もう不安や恐怖が搾り出されることはなかった。だが代わりに、触れた場所から熱が広がって、空いた場所を埋めるように俺の中に広がって行く。
母上を失うかもしれない、と言う恐怖が拭えたわけじゃない。
母上なしで半色乃宮を背負う不安が消えた訳でもない。
それでも確かに、安心感が芽生えていた。
日向はどうだろう。
同じだろうか。
「しおう、可愛いね、」
「はあ?」
「甘えん坊、」
「日向に言われたくないんだが、」
「おそろいは、良い。ちがう?」
違わないなあ、と思わず笑うと擽ったかったのだろう。日向の体がぴくぴくと跳ねて、俺はちょっとやましい気持ちになる。
堪らずちゅうちゅうと、白い首筋を吸った。
朝から盛って申し訳ないが、俺は甘えん坊だからな。仕方ない。許せ。
まあ、腕の中にいるのは、俺以上の甘えん坊だ。
俺が杞憂する必要もないくらい甘えて、あっという間にとろとろに溶けた。
「……僕、何する?」
「うん?」
溶けた体をすっかり俺に預けて日向は言う。
胸に耳を当てているのは、心臓の鼓動を確かめているんだろうな、と何となく思った。
「しおうは、ぎゅうってしたら、元気になる、」
「いや、そりゃ、なるけど。そう真正面から言われると、恥ずかしいな、」
「すみれこ、さまは、何したら、元気になる?」
ぎゅ、っと俺の寝衣を捕まえた手に力が籠るのを感じた。
小さな体の奥底で、触れなければ分からないほど小さく震えていることも。
でも、泣くでもなく尋ねた声は、日向の努力の証だと思った。
日向は、日向のやり方で恐怖や不安と闘っている。
だから、背中を撫で、水色の頭に口づけながら、日向の言葉を聞いた。
「すみれこさまがね、僕が遊ぶと、ご飯を食べるが嬉しい、って言った。すみれこさまは、心配ないから、いっぱい遊んでね、って、」
うん、母上ならそう言うし、俺も日向には何も心配せず、夏休みを堪能してほしい。
でも、そうできないことを俺は誰よりも分かるよ。
「あじろとばったを見たら、心臓が気になった。ばったに心臓はないけど、ばったも、ことことがなくなったら、動かなくなる、」
「うん、」
「しおうのことことは、安心するのに、すみれこさまのことことは、うんと早くて、ザーザーも言うから、ずっと聞こえる、」
今も俺の鼓動の中に、母上の鼓動を聞いているだろう日向に、胸が痛くなった。
きっとその鼓動も聞いて、色んなことを思っているんだろう。
「すみれこさまが、元気じゃないと、楽しいはない、」
「そうだな、」
「僕もやる。僕も、すみれこさまを、元気にする、」
でも、やり方が分からないんだと、日向は泣いた。
僕のお母様なのに、何にもできない、悔しい、怖いと泣いて、俺の胸のところをみるみるうちに濡らしていく。
同じだな。
俺も、俺の母上なのに何もしてやれないことが悔しくて、怖かった。
「…俺も怖いよ。でも、もし立派に皇子をやれたら、母上は安心して休めるかな、ってちょっと思ってる、」
「しおうが、仕事、したら、すみれこさまは、元気?」
「どうだろ。でも、安心させてやりたい。とは思うよ。離宮のことは任せてゆっくり休んでくれって、」
「うん、」
公務のいくつかは、枯野乃宮(かれののみや)や呉須色乃宮(ごすいろのみや)の妃や兄姉上たちに割り振られた。
俺は未だ未成年皇族だし、公務の全てが半色乃宮でなければならないと言うわけではない。だから、無理をするなと母上も父上も言う。
でも嫌だ。
側にいても、俺は母上に何もしてやれない。
何もできないってのは、ただただ苦しくて、暗闇の中に放り込まれたように不安だった。
日向が散々苦しんでる側で、見守るしかできない日も多かったからな。俺は身に染みてる。
だから、俺は俺のやり方で母上を守りたいと思った。
きっと日向も、同じように藻掻いているんだろう。
「俺は、母上の代理を務めて見せるから、日向は、母上の側にいてくれる?」
水色の頭が持ち上がって、ぐちゃぐちゃの瞳が俺を見た。
「…魔法、いいの?」
「日向の治癒の魔法、今も母上を助けてくれてるだろ?」
「……ちょっと、だけ、」
無意識の魔法は使わない約束だもんな。
本当は爆発させたいだろうに、必死に押さえただろう日向を、知ってるよ。それでも、癒しの魔法から治癒に変えてしまって、自分を責めているだろうことも。
側にいるってことは、そういうことだと、日向は、ちゃんと分かってるな。
「ちょっとで良いんだよ。日向まで倒れたら、俺はもう正気じゃいられないよ。だから、無理はしないでほしい。でも、助けてほしい、」
病気は本来、患者自身が治すものだと医師たちは言った。薬も手術も回復魔法も、患者を助けはするが、本当の意味で治すのは患者自身の治癒力だと。
那賀角いわく、日向の魔法は、その治癒力を助ける魔法だ。あるいは、生命力。
「日向を迎えに行った時の母上、朝より顔色が良かったよ。よく寝てて、安心してるって分かる顔だった、」
「僕の?」
「もちろん日向だけじゃなくて、医師や看護人たちが手を尽くしてくれたのもあるけどな。日向の魔法もその一部だったと俺は思うよ、」
少し前の日向なら、魔力を暴走させていたから、母上を任せることはできなかった。万が一、帝国の妃を傷つければ極刑は免れない。
でも、日向はもう、恐怖に飲まれて魔力を暴走させたりしない。
「日向は、那賀角の授業も、加護の研究もよくやってくれた。怖がりになっても、癒しも治癒もちゃんと制御した。だから、日向の魔法を信頼してるよ、」
「僕が、治癒したら、すみれこさま、元気になる?」
「きっとなる、」
なってもらわなきゃ困る。
「日向の新学期の学生姿、見てもらうだろ、」
「うん、」
「日向はこれからどんどん成長するんだから、それを見守るのは母上の仕事だ。やり遂げてもらわないと困る、」
「僕のお母様、」
「そうだよ。俺と日向の婚約も婚姻も見届けて貰わなきゃならないのに、いなくなってたまるか、」
水色の瞳にまた雫が浮かんで、ボロボロこぼれた。
「俺たちの母上だ。一緒に守ってくれる?」
「やるぅ。僕が、すみぇこさま、やるぅ、」
「うん、日向がいてくれたら、俺も安心する、」
零れた雫を舐めて、泣き声を聞くうちに、俺もまた出し切ったと思ったものが溢れてきたよ。
そのまま、二人でぎゅうぎゅうと締め付け合いながら泣いた。
情けないことに変わりはないけれど、恐怖と不安で溢れた昨日の涙とは違う。
互いの温もりを確かめて、心を繋げて、一つだった。
恐怖も不安も、一人ではどうにもならないものが、二人なら溶かしあって約束に変えられる。何となく感じていたが、今は実感となって、降り積もった。
二人でやろう。
僕もやる。
うん、二人で母上を元気にしてやろう。
しおうと僕。
怖くなって不安に押しつぶされそうになったら、抱き合ってまた溶かしていけばいい。
僕がぎゅうってする。
いつまでも起きてこない俺に痺れを切らし、弥間戸(やまと)が寝室を開くまで抱き合ったまま、二人で溶けた。
俺も日向も酷い顔で、髪も服もぐちゃぐちゃだったから、手入れが大変だとは思っただろうなあ。でも、弥間戸も宇継(うつぎ)も急かすだけで叱りはしない。
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