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兄が媚薬を飲まされた弟に狙われる話

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 後部座席で俯き、ふらふら、ゆらゆら、上体を揺らし、たまに頭を振って何かを追い払っているかのような黒髪の男、理玖りくの呼吸はどことなく荒かった。
 運転席でハンドルを握っている祐希ゆうきは、大丈夫か、飲みすぎか、とバックミラーを一瞥して理玖に問いかける。息を荒くさせ体調の悪そうな理玖は、大丈夫、と言いたい、ところだけど、ああ、ダメ、我慢、できない、かも、しれない、と吐息混じりの掠れ気味の声で不安を煽るような恐ろしい言葉を放った。
 我慢、できない。とは。何だ。何のことだ。待て。気持ち悪いのか。まさか。ムカムカ、しているのか。飲みすぎて。嘘だ。やめてくれ。車内で吐くのだけはやめてくれ。
「もう少しで着くから、吐くなよ」
「上から出そうな、気配はない」
 嘔吐の心配は、しなくていい。じゃあ、何が我慢できないんだよ。はあ、ダメだ、兄貴、今夜、相手して。主語がない主語が、何のこと言ってんのかさっぱりなんだけど。誰かに、薬盛られた。は? 多分、媚薬。
 前方に見える歩行者用信号機の青色が点滅する。ブレーキを踏んでスピードを落とした祐希は、黄、赤、と色を変える信号機に大人しく捕まった。そうして、理玖を振り返る。暗くてよく見えなかったが、理玖は祐希を見ているようで。目が合ったような気がした。
「……媚薬?」
 少しの沈黙の後、先に口を開いたのは祐希だった。すぐには理解が追いつかず、媚薬、と鸚鵡返しするだけの祐希に、理玖は、媚薬、盛られた、と繰り返し、苦しげに吐息を漏らす。自然と目が理玖の股間の辺りに向いてしまった。反応しているかどうかは、やはり、光がないため分からない。
 息を吐いて、前を向く。信号はまだ赤だったが、そろそろ青に変わるだろう。兄貴、抱かせて。背後から聞こえる声は濡れていて、随分と欲情していた。苦しそうな原因が分かると、余計そのように感じてしまった。
 聞き間違いではなかった。どうやら理玖は、間違いなく、誰かに媚薬を盛られてしまったらしい。それで辛いから、ムラムラして堪えられないから、ちょうど近くにいる祐希に相手をしてほしいと言っている。兄であることをしっかり認識した上で、抱かせてと言っている。まるで、祐希にお願いするのが当然であるかのように。
「頼む相手おかしいだろ。俺、お前の兄なんだけど」
「俺は、別にいい。兄貴さえ、受け入れてくれれば」
「ふざけんな。原因分かってんだから、自分で抜いて処理しろよ」
 あ、でも、今は抜くなよ。精液で汚されたら堪ったもんじゃない。祐希は理玖の突拍子もない願望を軽く遇らい、自慰をして発散させろと言って聞かせる。実の弟に抱かれるなどあり得ない。抱くのもあり得ない。弟に興奮するほど自分は飢えてなどいない。祐希はそれを、信じて疑わなかった。
 理玖は媚薬を飲まされた上に、きっと酒の力も入っている。吐くほどではないということだが、多少なりとも酔ってしまっているがために判断力が低下しているのだ。目が覚め冷静になった時に後悔させないように、ここは自分が制御しなければ、しっかりしなければ、兄としての威厳を示さなければ、と祐希は決して流されまいと気を引き締めた。兄弟でセックスなどあってはならない。
 信号が色を変え、祐希はゆっくりとアクセルを踏み込む。理玖はまた俯き、堪えるように息を詰めていた。早く家に帰り、理玖の部屋に彼を押し込めば、問題は解決するだろう。理玖も自分でどうにかするはずだ。
 理玖との一夜の過ちでも期待したのか、故意に媚薬を飲ませたであろう誰かが悪いの当然だが、だからといって、慰めに協力してやるほど祐希は甘くはなかった。ただ、誰のことも襲わずに、祐希が迎えに来るまで理性を保っていられたことは褒めてあげるべきかもしれない。
 理玖と同居している家の駐車場に車を停め、シートベルトを外した祐希は、抜くなよ、と祐希が命令してから静まっていた理玖を見た。理玖は車から降りようとしない。理玖、着いた、と本人も分かっているであろうことを口にして行動を起こさせようとしても、やはり理玖は動こうとしなかった。媚薬の効果が強すぎて、足や腰に力が入らないのだろうか。呼吸はずっと荒く、熱く、苦しそうだ。
 少しは手を貸すべきか、と完全には抜け切らない甘さに突き動かされる祐希は、車から降り、理玖側の後部座席のドアを開けた。さらさらの黒髪を垂らして下を向いている理玖は、シートベルトすら外そうとしない。
「理玖、部屋に入ったら、抜くなり何なり好きにしていいから」
 車内に居座るのだけはやめろ。そう口にしながら手を伸ばし、理玖を捕らえているシートベルトを外した祐希は、無意識のうちにしてしまった自分の行動に、その甘さに気づいて怖気付き、咄嗟に、今度は塩を振り撒いてプラマイゼロにするように力づくで理玖を引き摺り出そうとした。が、それまで祐希に一瞥もくれなかった理玖に突然腕を掴まれ、引っ張り出そうとしていたところを逆に引き摺り込まれてしまう。なんて力だ、と目を開いて理玖を見るより先にグイグイと強引に引き寄せられ、何して、理玖、と困惑する祐希を更にそうさせるかのように、バタンと背後でドアが閉まる音がした。
 淡く広がっていた明かりが、じわじわと消えていく。祐希は理玖の手によって、後部座席に引き摺り込まれてしまっていた。決して広くはない狭い車内で、大人の男二人が組み合うようなシチュエーションに専ら身動きが取れなくなる。
 暗がりの中、すぐ側で理玖の存在を感じながら身を捩る祐希は、音もなく体に触れてきた手にビクつき、そこから次第に伝わる熱に、これはまずい、と危機感を募らせた。流されないよう理玖の名を呼んで抵抗するが、名前を呼ぶ、という行為が逆効果なのか、理玖に上半身を無理やり起こされ、がっちりと拘束されてしまう。祐希の脳内は焦燥で目まぐるしく回転していた。
 何が起こっているのか。理玖は自分に何をしているのか。何をしようとしているのか。いや、本当は、分かっている。考えるまでもない。媚薬に侵されている時点で、理玖は、そういうつもりで、自分に触れているのだ。
「兄貴、したい、抱きたい、挿入れたい、射精したい、気持ちよくなりたい」
 兄貴、兄貴。人工的な光がないため、視覚は頼りにならず、よって、聴覚が異様に研ぎ澄まされていく。動揺する祐希の耳元で囁くように欲望を吐露し、兄弟であるという証のような名詞を繰り返す理玖は、理性を失いかけているのか、ぴちゃぴちゃと祐希の耳に舌を這わせ始めた。祐希の耳が濡れていく。祐希の息が落ちていく。
「おい、やめろ、理玖、離せ」
 バタバタと暴れて理玖を押し退けようとするが、力は緩まず、逆に気持ちのいい箇所を探り当てられてしまい、あ、という吐息のような声が意図せず漏れ、凶暴化する獣のような理玖の前で祐希は一瞬だけ隙を作ってしまった。
 祐希の股間を触ってその気にさせようとする理玖は、自分の声に驚き手で口を塞ぐ祐希の腰を引き寄せた。祐希の臀部の辺りに硬直したものが当たる。理玖が興奮していることは瞭然で、股間に刺激を与えられ続けている祐希もまた、身体に流れる快楽に興奮していくのを止められなかった。手を退かそうとしても、緩やかに続く快感がそれを阻止する。祐希は快楽に弱かった。
 ビク、ビク、と身体が時折跳ねる。膨れ上がった股間を祐希に押し付ける理玖の濡れた息が鼓膜を揺らす。祐希の下半身に熱が集まっていく。理玖、理玖、と零れ落ちそうになる嬌声を必死に飲み込み、名前だけでやめろと訴える祐希のものに、興奮して暴走する理玖は直に触れようとする。半ばパニックに陥りながら理玖の手を掴むが止まらず、止められず、無理くり下げられた衣服の中から、見なくても勃ち上がりつつあると分かる男根を取り出され、やけに熱い手で握り込まれた。上下に扱かれ、ビリビリと走る快感に悶絶する。
「理玖、ほんとに、だめ……。やめろ、って、言ってる……」
 身体を反応させながら懇願したところで説得力などなく、理玖もそれを分かった上で祐希を攻め続けた。当たっている理玖の股間が、そんなはずもないのに、本当に突っ込まれているかのようで、祐希の興奮は昂らされていた。自分がこっち側の人間だと唐突に思い知らされ、すぐには受け入れられない、明白となった素質にじわりと涙を浮かべる。
 はあ、はあ、と媚薬のせいで我を忘れている理玖の吐息が耳元で響く。何度やめろと制止を求めたところで理玖の手は止まらず、祐希の快楽も止まらない。抑えていた嬌声や熱っぽい吐息が緩い痙攣の反動で漏れ、車内で弟にペニスを扱かれ気持ちよくなってしまっていることへの背徳感や羞恥心が綯い交ぜになったような涙が、遂に頬を流れ落ちた。
 ダメだ。ダメだ。我慢しないと。気持ちいいなどと思ってはいけない。我慢。我慢。こんなの、全然、気持ちよくなんかない。嫌だ。理玖。離せ。やめて。理玖。やめてくれ。弟の前で、こんな醜態、晒したくないのに。
 必死に我慢しようとしても、徐々に快感は膨らんでいく。祐希は快楽を恥じるように俯き、息を詰めて声を殺した。理玖は暴走していた。理玖の手で犯されている祐希の肉棒はいつ爆ぜてもおかしくなかった。その時が着実に迫っていることも明らかだった。
 だめ、だめ、と僅かに首を振って堪える祐希と、くちゅ、くちゅ、と他人の屹立を扱いていやらしい音を響かせる理玖。どちらが優勢なのかは言うまでもなく、そして、それは、唐突に訪れた。
「あっ……、まっ、りく……、あ……、っ……」
 目をきつく閉じ息を詰め、抑えられずにオーガズムに達する祐希は、先端から白濁液を吐き出した。その瞬間、理玖の手が精液の出口を緩く塞いだために、祐希は彼の手に欲を押し付けるように射精してしまう。祐希の腰はガクガクと痙攣を引き起こしており、持続的な快楽が凪ぐまで何も考えられなかった。
 瞳から涙を流したまま、祐希は呼吸を乱す。虚無を感じ、それから意識がはっきりとし始めると、激しい後悔の念に苛まれた。見なくても、見えなくても、分かる。理玖の両手は祐希の精液でべとべとになっていることに。祐希は弟の理玖に達かされてしまったことに。これで終わりではないということに。
 股間を更に硬くさせた理玖の手が、精液で滑らせた理玖の指が、祐希の後孔を擦り、ゆっくりと中に侵入する。ばか、りく、ふざけんな、と一度達したことで多少なりとも理性を取り戻した祐希が抵抗を示そうとしたが、身体はまだ気怠く、俊敏な動きができなかった。思うように動かせない。ばか、ばか、と語彙のない台詞を口にすることしかできない。
 理玖の指は、精液を馴染ませて柔らかくするように抽挿を繰り返して、奥へ奥へと少しずつ進もうとする。後ろを使ったことなどない祐希は、その未知の領域に恐怖すら覚え、錯乱してしまいそうになっていた。
「兄貴、もう、俺、限界……、挿入れる……」
「は、あ、ばか、むり、やめろ、マジで……」
 意図せず声が震える。祐希は戦慄していた。理玖が祐希の中に入れようとしているものがどれくらいの大きさのものなのか知る由もないが、祐希よりもガチガチに勃起していることはまず間違いなく、そんな欲望を挿されてしまっては壊れてしまう。祐希は慣れてなどいないのだ。初めてなのだ。突っ込まれているような感覚になるのと、本当に突っ込まれてしまいそうになるのとでは、抱く感情が全くの別物だった。
 兄の股間を触って達かせ、尻穴まで犯そうとする理玖からは、微塵の躊躇も感じられなかった。自分の快楽ばかり追い求める獣のようだ。
 媚薬や酒のせいで、理玖はおかしくなってしまっている。徐々に興奮が冷めつつある祐希がどうにかしなければ、目が醒めた時、お互いに後悔してしまうだろう。このまま流されていては、理玖に、弟に、犯されてしまうのは目に見えていた。
 理玖が自分の下半身のものを、硬直しているであろう陰茎を、平然と露出するような気配がした。祐希は中途半端に広げられていた後孔を無意識のうちに締め、力み、理玖から逃れようと体裁を無視して無我夢中で暴れる。祐希も男だ。本気で踠けば抜けられるはずだと踏んで、バタバタし続けていると、その思いが届いたのか、祐希の頭が理玖の鼻を突いた。
「い、った……」
 意図しない頭突きを食らった理玖の呻きが聞こえ、ふ、と拘束が緩む。降って湧いた隙を利用し、祐希は咄嗟に理玖から離れた。下げられていたズボンを上げ、肌を隠し、次いで、理玖を見る。暗闇に慣れ始めた目が、鼻を押さえている理玖を捉えた。頭に理玖の鼻がぶつかった感触は残っているが、悶えるほどの強い痛みは感じない。祐希の意識ははっきりしている。
 自分が無事なうちに、とにかく車から降りようとドアに手を伸ばす。理玖は痛みで目が醒めたはずだ。それで媚薬や酒が抜けるわけではないだろうが、少しは冷静さを取り戻すだろう。そう思い、祐希は僅かに油断してしまっていた。
「……待って、兄貴」
 背中側の服を掴まれる。目を見開き、まずい、と咄嗟に身構えた時、とん、と背中に何かが凭れかかるような重みを感じた。理玖、と呼ぶより先に、粘着質ないやらしい音が聞こえ始め、ぎょっとする。理玖に股間を扱かれた時と同じ音だった。
 理玖は今、自慰をしている。見なくとも、そうだと分かった。背中に感じる吐息が熱く、荒く、縋るように祐希の服を掴む手も力んでおり、祐希は理玖のおかずにされているかのようだった。
「ごめん、ごめん、兄貴……。ごめん、匂いだけ、ちょうだい……」
 理性を取り戻したのか、押し倒したり引き寄せたりせず、祐希の匂いを嗅ぎながら自らの手で処理し始める理玖に、徐々に警戒心が緩んでいく。
 弟の自慰に自分の匂いが使われていることに気まずさを覚えながらも、祐希は黙って大人しくしていた。ごめん、ごめん、と繰り返し謝りながら、理玖は押さえられない興奮を発散させようとする。媚薬が、そうさせている。これは、媚薬のせいだ。それを理玖に盛った、誰かのせいだ。
 はあ、はあ、と吐息を漏らす理玖の快楽が激しくなる。気持ちいいことで頭がいっぱいなっているような理玖は、兄貴、兄貴、と譫言のように口にしながら、専ら高まっていった。
 祐希はごくりと唾を飲む。煽られ思わず興奮してしまいそうなほど、理玖の声や動作は妖艶な雰囲気だった。兄弟でなければ、お互いに襲い合っていたかもしれない。兄弟という関係性が、祐希の欲求を抑え込んでいた。抑え込めていた。
 ぶるり、と理玖が震える。凭れかかられている背中から、僅かな振動が伝わった。息を詰める理玖。祐希の服に深い皺が寄る。極まったのだと判断するには十分な要素だった。
「はあ、兄貴、兄貴……、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……」
 何に対して謝罪しているのか判然としなかったが、自慰をしてすぐに、どことなくパニックに陥っている様子の理玖を見かねて、落ち着け、と声をかける。取り乱している理玖を見るのは初めてで、祐希は困惑してしまいそうになっていた。
「兄貴……、俺……、ごめん、ごめん……、ごめんなさい……、俺、兄貴の、こと……」
「理玖」
 理玖の衝動的な言葉を遮り、祐希は理玖を見つめた。光は少なくても、視線がぶつかっていることが分かる。すぐさま理玖が目を逸らしたのも分かった。
「理玖、もう夜も遅いし、寝ようか」
 ほら、いつまでも股間出してないでしまえって。行くぞ。理玖を急かす祐希は、車のドアを開けて地面を踏んだ。理玖を振り返る。何か言いたそうに口を開きかけていたが、諦めたように静かに唇を引き結んだ理玖は、乱れた衣服を正してから降車した。
 理玖の一挙手一投足を見て、思い出して、車の鍵を締めた祐希は思う。理玖は兄である自分に対して、家族に対する愛情とは違うものを抱いているのではないか、と。
 祐希と理玖は兄弟だ。兄弟なのだからダメだと理性が働く祐希は、何も知らないふりをして、何も気づいていないふりをして、一歩後ろを歩く弟の理玖と共に、一緒に住んでいる家に上がったのだった。
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