花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜

和泉 凛

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花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜

ーお忍びの旅ー

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 ジリジリと鉄板で焼かれるような暑さの中、鴻夏コウカは馬に揺られながら、本日何度目かの弱音を吐いていた。
「も…無理…」
「何を甘えた事を言ってるんですか。まだ出発して二時間も経っていませんよ」
呆れたようにそう答える牽蓮ヒレンが、本当に鬼のようだと鴻夏コウカは思う。
結局 鴻夏コウカの一世一代の脱走劇はあっさりと失敗に終わり、鴻夏コウカ花胤カインに戻る事も出来ず、何故か花嫁一行とも別行動で、今 砂漠のど真ん中を牽蓮ヒレンら三人と旅していた。
すでに正体がバレてしまっているため、特に変装もしていないが、服装だけは旅をしやすいよう男の子の物のままである。
そして今、鴻夏コウカら四人は何故か堂々と公道を外れ、一面何の目印もない砂漠のど真ん中を突っ切るような無茶な行路を進んでいた。
正直今何を目指してどこを進んでいるのかもわからないが、多分最終的な行き先は同じ風嘉フウカ皇城 おうじょうなのだろうなとは思う。
だが何故わざわざこんな無茶な行路で、旅をしなければならないのか…やる事があまりにもぶっ飛び過ぎていて理解に苦しむ。
ただ鴻夏コウカ以外の三人はかなり旅慣れしているようで、この燃えるような暑さの中でも特に何の問題なくサクサクと進んでいた。
しかしこれが初旅となる鴻夏コウカが、旅慣れしている彼等と同じ速度を保てるわけもなく、気がつくと自然と一行から遅れがちとなる。
そしてその度に、鴻夏コウカ牽蓮ヒレン たしなめられる羽目  はめになっていた。
そして本日すでに何回目かもわからない牽蓮ヒレンの注意に、ついに鴻夏コウカがキレたのである。

「あのね!私はあんた達と違って、旅なんてした事もないのよ?最初からあんた達と同じ速度で移動するなんて出来るわけないじゃない!」
「…それはこちらも考慮 こうりょしないでもないですが、それでも姫は遅すぎなんですよ。下手に はぐれられると面倒ですし、第一この進み具合では夜になっても次のオアシスまで辿り着けません」
いきなりバッサリと容赦なく言い切られ、鴻夏コウカはグッと言い よどむ。
自分が皆の足を引っ張っている自覚はあるが、だからと言って何も自分も好き好んでこんなキツい行路を進んでいるわけではない。
もっとマシな道ならば、自分だってここまで足を引っ張らないはずだとは思うが、何故か行路に関しては牽蓮ヒレン頑 がんとして譲らない。
どうも彼にはどこか寄りたい場所があるようで、花嫁一行と行動を共にするとその場所を通らないから、こうしてわざわざ別行動しているようだった。
…しかし問題なのはそこではない。
その牽蓮ヒレンの行きたい場所とやらに、何故自分まで付き合わないといけないのか…?それが納得いかないのである。
そこに行かなくてもいいのなら、こんな強行軍で進む必要もなく、皆の足を引っ張る事もなくなるのだが、それに関してはずっと牽蓮ヒレン却下  きゃっかされ続けていた。
結論から言うと牽蓮ヒレンの行きたい場所に、鴻夏コウカも連れて行く事が本来の目的のようである。
その理由までは知らないが、何も知らない鴻夏コウカにしてみればいい迷惑な話であった。

そしてイライラしながらも馬を進めていると、それを見兼ねたのか、總糜ソウヒがスッと馬を寄せて話しかけてくる。
「まぁまぁ姫さん、そんなに怒らないでよ。せっかくの可愛い顔が台無しっすよ? あるじもあれで特に悪気があって言ってるわけじゃないんだし…」
「…あれでわざとだったら、もうすでに一発殴ってるわよ?」
物騒な事を言ってのける鴻夏コウカに、おやおやと言わんばかりに總糜ソウヒ尋  たずねる。
「あらら、実はもう結構キテます?」
「当たり前よ!何なの、あいつは⁉︎昨日はちょっといい奴かと思ったのに」
ブツブツと文句を垂  たれながら、怒り散らすと總糜ソウヒは少し困った顔をしながらこう答える。
「あー…まぁ あるじもちょっと言葉足りないっすよね。でも あるじのやる事には全部ちゃんと意味があるはずなんで、悪いけど最後まで付き合ってやってくれないっすかね?」
まるで親しい友人を庇  かばうかのような口振  くちぶりに、鴻夏コウカはふと興味を惹  ひかれた。
そしてこの機会に、湧き上がった疑問をそのまま相手にぶつけてみる事にする。
「…昨夜も思ったけど、貴方達って随分と親しげよね?」
「まぁ…普通の主従関係とは違うっすね」
「普通とどう違うの…?」
何気なく聞き返した言葉だったが、聞かれた總糜ソウヒの方は困ったような表情でこう答えた。
「…姫さん。俺らみたいなのはね、お偉いさんにとっては使い捨てが普通なんすよ。でもうちの あるじ冷徹  れいてつに見えて、実は身内にものすごく甘い人なんす。それこそお偉いさんなのに、俺らみたいなのも見捨てる事が出来なくて、命張って自ら助けに来ちゃうようなお馬鹿さんなんすよ。…だから立場上は主従になるんすけど、俺らにとってあの人はかなり特別な存在なんすよ」

衝撃的  しょうげてきな言葉だった。
皇族  おうぞくが『影』と呼ばれる暗部の者達に守ってもらうのは当然の事だと思っていたが、まさかその彼等が使い捨て同然の扱いを受けているとは知らなかった。
そしてそんな彼等を、牽蓮ヒレンが家族のように大事にしている事も…。
『…優しい人…なのかも…?確かに私も昨日から何だかんだで世話になってるし…』
ふと気づけば鴻夏コウカは昨夜からずっと、牽蓮ヒレンに助けられっぱなしなのである。
今も自分を見捨てて行く方がよっぽど楽なはずなのに、文句を言いつつもちゃんと皇都  おうとまで連れて行こうとしてくれている。
大体 鴻夏コウカのような砂漠を知らないド素人が、こんな場所で一人逸  はぐれたら、間違いなく渇き死にするか獣か盗賊に襲われて殺されるかのどちらかしかない。
だからそうならないよう、口煩  くちうるさく注意してくれている牽蓮ヒレンは、実はかなりの世話焼きなのかもしれないと今になって鴻夏コウカは思った。
そしてその事に一旦気づいてしまうと、今まで上辺  うわべだけ見て一人で怒って拗  すねていた自分が急に恥ずかしくなってくる。
仕方ない、もう少しあの男に付き合ってやるか…と鴻夏コウカが少し照れながらも、諦めたようにそう思った時だった。

バサッという大きな音と共に、目の前の光景が一面真っ白になった。
そしてふわりと何かに包まれる感触がして、白一面の光景が消え去ると同時に、その影から牽蓮ヒレンの顔が覗  のぞく。
いつの間に目の前に来ていたのかと、驚いて声も出ない鴻夏コウカに対し、牽蓮ヒレンはまったく動じる事なく淡々とこう告げた。
「…陽射  ひざしが強くなってきました。姫が今お使いの外套  がいとうでは防ぎきれないと思いますので、どうぞこれをお使いください」
「…あ、ありがとう…」
「いえ、それより急がないと。この辺りは夕方になると砂嵐が起こりやすくなります。荒れ始める前に次のオアシスまで辿り着かないと、皆の身に危険が及びます」
そう言いながら、丁寧に鴻夏コウカ外套  がいとうを巻いてやると、牽蓮ヒレンは再び何事もなかったように前を向く。
ある意味、事務的とも取れる態度だったが、それでも鴻夏コウカは気付いてしまった。
牽蓮ヒレンが自分に着せてくれたこの外套  がいとうは、おそらく彼が鴻夏コウカの為にわざわざ用意してくれた物だ。
何故ならその外套  がいとうは、派手  はでな模様こそないものの、誰がどう見ても明らかに女性物で、しかも裾  すそに細かな金糸の刺繍  ししゅう施  ほどこされたかなり上等な物だった。
そして彼は先程、夕方になると砂嵐が発生する危険性があると言った。
つまり朝から口煩  くちうるさいくらいに鴻夏コウカを急かしていたのは、彼なりに鴻夏コウカの身を案じての事だったのだとふいに理解出来たのだ。

『なんだ…単に不器用なだけで、実は良い人なんじゃない』
気付いた途端、自然と鴻夏コウカに笑みが溢  こぼれる。
それを鋭く見逃さなかった總糜ソウヒが、こっそり鴻夏コウカにだけ聞こえる声でこう囁  ささやいた。
「…ね、だから言ったでしょ?うちの あるじは身内に激甘なんすよ」
「私も…身内に入れて貰もらえてるの…?」
「もちろん。だって姫さんは、風嘉フウカ帝の妃  きさきになる人だからね」
そう言われた途端、何故かチクンと胸のどこが痛むのを感じた。
『…そう…か。私は彼にとっては、主君 しゅくんの妃になる姫。だからこうして無条件に大事にしてくれてるのね…』
つい先程までの暖かい気持ちが急激に萎  しぼんでいくのを感じながら、鴻夏コウカは一人足元に視線を落とした。
牽蓮ヒレンが自分にも優しいのは、単に主君 しゅくんへの忠誠心の表れに過ぎないのかと思うと、なんだかとても惨めな気分だった。
…ここに居る嘉魄カハク總糜ソウヒは違う。
彼等はちゃんと、牽蓮ヒレンに彼等自身の事を大事に思われている。
だが自分は花胤カインの姫という立場がなければ、彼にとって何の価値もない人間だ。
そう思うと、まるで自分だけが異分子だと言われているような気がして、鴻夏コウカはひどく哀しくなった。
そしてそれっきり、鴻夏コウカ總糜ソウヒとも話す気分になれず、そのまま無言で馬を進める。
總糜ソウヒもそんな鴻夏コウカの気配を察 さっしたのか、付かず離れずの距離を保ちつつも、それっきり何も話しかけては来なかった。
 そして元々が無口な嘉魄カハクと何を考えているのかわからない牽蓮ヒレン、相変わらず賑  にぎやかに鴻夏コウカ以外に話しかけ続けている總糜ソウヒの姿を見ながら、鴻夏コウカは黙々と旅路  たびじを急ぐ。
その甲斐  かいあってか、初心者にはかなりキツい速度での旅ではあったが、陽が沈み切る少し前に、鴻夏コウカら四人は何とか小さなオアシスに辿り着く事が出来たのだった。
そしてその夜、鴻夏コウカはまた初めての体験をする事になるのである。



 満天の星空の下、小さいながらも緑豊かなオアシスで、鴻夏コウカは一人固まっていた。
目の前にはいつの間に組まれたのか、大きめの焚火  たきび煌々  こうこうと揺らめき、ぐつぐつと鍋の中身を煮え立たせている。
その横には白い大きな布を張って作った簡易天幕が立ち、拾い集めた石を積んで作った簡易の竃  かまどでは、小さな薬缶  やかんがシュンシュンと賑  にぎやかに湯気を沸き立たせていた。
その平和な光景を見ながら、鴻夏コウカは思わず呆然と立ち尽くす。
着いた時にはまったく何もなかったはずなのに、自分が少し離れている間に、その場はまるで魔法のように居心地のいい空間に作り変えられていた。
その事に純粋に驚くと共に、鴻夏コウカは何もしなかった自分が恥ずかしくなる。
思えばこのオアシスに着いてからというもの、牽蓮ヒレン等は何もした事のない鴻夏コウカを放置し、それぞれが何かの作業をしていた。
実は鴻夏コウカも何か手伝おうとは思ったのだが、それを言う前に牽蓮ヒレンに『先に水浴びをしてきてください』と大きめの布を渡され、一人湖へと追いやられたのである。
そして言われた通りに、旅の汗と埃  ほこりを落として戻ってみると、もはや現場はこの通りで、鴻夏コウカは自分一人が何もしなかった事が気まずくてしょうがなかった。

『聞いてないんだけど…』
最初に頭に浮かんだのは、それだった。
いくら自分が世間知らずの姫とは言え、さすがにこれはないと思う。
自分が呑気  のんきに水浴びをしている間に、彼等はテキパキと たを集めて焚き火を起こし、その合間に簡易テントを張ったり料理の下ごしらえなどもして、あっという間に今夜の寝床と夕食を完成させてしまった。
皆疲れているはずなのに、文句一つ言わずに作業をして、水浴びから戻ってきた鴻夏コウカを暖かく迎えてくれる。
「あ、姫さん、お帰り~。ちょうどもうすぐ夕飯が出来るよ」
そんな鴻夏コウカの気持ちも知らず、總糜ソウヒが明るく声をかけた時だった。
「おや?ちょうど良かったみたいですね」
ふいに後ろから牽蓮ヒレンの声がした。
びっくりして振り返ると、そこにはいつの間にか両腕にたくさんの果物を抱えた牽蓮ヒレンが立っていた。
牽蓮ヒレン殿っ⁉︎…え、果物??」
「…ああ、はい。ここのオアシスに結構 自生  じせいしてるんですよね。姫は何がお好きです?」
ニッコリと微笑みながら牽蓮ヒレンが言う。
それに何か返答する前に、總糜ソウヒがその場に強引に割って入ってきた。

「ちょっと あるじ~?勝手に一人でフラフラしないでくださいよ。 あるじに何かあったら、俺と嘉魄カハクのせいになるんすからねっ⁉︎」
「ああ…ごめん、ごめん。でもほらここは小さいオアシスだから、他の旅人も居ないみたいだし…」
少しバツが悪そうに牽蓮ヒレンがそう言うと、總糜ソウヒはチチチと指を振りながら、すかさずこう答える。
「ダメっす。そう言って前もフラフラ歩いて盗賊に襲撃  しゅうげきされたじゃないっすか」
「あー…そうだったかな?」
「そうっすよ。もうホントに勘弁  かんべんしてくださいよ。あの時は最終的に黎鵞レイガにその事がバレて、俺 一ヶ月ぐらいマトモに口聞いてもらえなかったんすから…」
ぶつぶつと文句を垂たれる總糜ソウヒの言葉に、鴻夏コウカが思わず反応した。
黎鵞レイガ…?誰なの、その人…?」
思わず初めて聞いた名を復唱  ふくしょうすると、ピタリと牽蓮ヒレン總糜ソウヒの動きが止まる。

もしかして聞いちゃマズかったのかな…とも思ったが、すぐに牽蓮ヒレンが説明してくれた。
「…崋 黎鵞カ レイガ風嘉フウカの氷の宰相  さいしょう殿です。ここにいる總糜ソウヒは、実は黎鵞レイガ殿の専属の影なんですよ」
「えっ⁉︎總糜ソウヒって牽蓮ヒレン殿の影じゃなくて、風嘉フウカの宰相様の専属なの⁉︎」
「そうっすよ~。こう見えて俺、結構優秀なんすよね」
しゃあしゃあと得意げにそう言ってのける總糜ソウヒに、牽蓮ヒレンが余計な一言を付け足す。
「まぁ元々、總糜ソウヒ黎鵞レイガ殿が連れてきた影ですしね。その事もあって、總糜ソウヒ黎鵞レイガ殿にだけは頭が上がらないんですよね」
「ちょっ… あるじ、余計な事まで教えないで」
少し赤くになって照れている總糜ソウヒに、鴻夏コウカは思わずおや?と思う。
確かにこの反応は、初めて見る總糜ソウヒだ。
今までふてぶてしいやらチャラチャラしてるわで、影にしてはやる気があるのかどうかも怪  あやしい感じだったが、それも牽蓮ヒレンが本来守るべき主人ではなかったからなのかと思うと、少しだけ納得する。
そして納得すると共に、新たな疑問が湧いてきた。

「あれ…?總糜ソウヒが宰相様の専属の影なら、今 宰相様は一体誰が守ってるの?」
さすがに放ったらかしという事はないとは思うが、守るべき主人の側を離れてまで、何故 總糜ソウヒがここに居るのか?という疑問もある。
しかしそれに対し、牽蓮ヒレンは実に曖昧  あいまいな返事を返した。
「…ちゃんと代わりの影が付いてますよ。大丈夫、ほぼ四六時中  しろくじちゅう一緒に居るはずなので、總糜ソウヒがここに来ていても彼の身は安全です」
「ま、俺に比べたら、かなり頼りない奴っすけどね…」
ちょっと不満そうに總糜ソウヒがそう付け加える。
それに対し、珍しく寡黙  かもくなはずの嘉魄カハクがボソッとこう呟いた。
「…お前の場合は、相手が誰だろうと気に喰くわないだけだろう」
「ちょっ、嘉魄カハクのオッサン!普段無口なくせに何でこんな時だけ参戦してくんの⁉︎」
思わぬところからの横ヤリに總糜ソウヒが焦ってそう言うと、嘉魄カハクはそれには答えず、また黙々と焚き火に小枝を追加する。
どうも言うだけ言っておきながら、總糜ソウヒの質問には答える気がないらしい。
その勝手気儘  かってきままな態度に、さすがの總糜ソウヒもカチンときたのか嘉魄カハクに対して怒鳴り続ける。
「ちょっと?無視すんなよ、オッサン!」
「まぁまぁ、總糜ソウヒ嘉魄カハクは事実を言ったまでだし」
返事をしない嘉魄カハクに代わり、ポンッと總糜ソウヒの肩に手を置きながら、牽蓮ヒレンがにこやかにそして問題とは少しズレた答えを返す。
そんな牽蓮ヒレンに対し、總糜ソウヒは振り返り様に掴みかかりながら、弾丸のように話を続けた。

「もー、また あるじはそうやって嘉魄カハクの味方ばっかする!いくら俺が黎鵞レイガの専属だからって、冷たくないっすか⁈」
「いや、そういうつもりはないんですけど…。でも總糜ソウヒ黎鵞レイガ至上主義は、今に始まった事でもないですしねぇ…」
襟元  えりもとを軽く掴まれながらも、あくまでもにこやかに牽蓮ヒレンが答える。
それに対し、はぁ~っと派手に溜め息をつくと、總糜ソウヒは諦めたように手を離した。
「…もういいっす。どうせ俺は あるじにとってはオマケっすから。それよりあいつ…ホントに大丈夫だろうな?黎鵞レイガの髪一筋でも傷つけてたら、マジでただじゃおかないからな」
愚痴  ぐちの後半が、何気  なにげに代理の影に対するものだという事はさすがに鴻夏コウカでもわかった。
どうも牽蓮ヒレンらの言う通り、總糜ソウヒの自分の主人に対しての思い入れは半端ないようだ。
それに対し、牽蓮ヒレンは呑気にこう答える。
「ま、大丈夫じゃないかな?確かに嘉魄カハク總糜ソウヒに比べたら頼りないかもしれないけど、彼もそれなりに優秀だよ」
「どうっすかね?ま、こっち来る前に散々脅  おどしておいたから、多分俺が戻るまで死ぬ気で警護はすると思うけど」
何気に物騒な事を言う總糜ソウヒを横目に、取ってきた果物を皿代わりの大きな葉の上に並べながら、穏やかに牽蓮ヒレンが語る。
「…そんなに虐  いじめないであげてくれないかな?彼は打たれ弱いんだから」
「えー、一番ひどいのは あるじっしょ?あいつ毎回もう嫌だって言ってんのに、いつも身代わりにしてんじゃん?重圧でおかしくなりそうって、毎回死にそうになってるっすよ」
「あ、そうなんですか?それは悪かったですねぇ」
のほほんとそう答えながら、果物をすべて並べ終わった牽蓮ヒレンが立ち上がる。
そして話についていけずに困っていた鴻夏コウカに向かい、牽蓮ヒレン唐突  とうとつにこう言った。
「さて、姫。夕食の用意も整った事だし、皆で食事としましょうか」
焚き火の灯りを背後に受けながら、薄闇  うすやみの中でニッコリと牽蓮ヒレンが微笑んだ。



パチパチと火の爆 ぜる音を聞きながら、鴻夏コウカは薦められるままに、手渡された木の器に盛られた汁物に口をつける。
「!美味おいしい…」
思わず溢  こぼれた本音に、それを聞いた牽蓮ヒレン總糜ソウヒらがつられて微笑む。
その視線にも気付かず、鴻夏コウカは再び汁物を口に運んだ。
『嘘…やっぱりすごく美味しい』
旅先での料理という事もあり、正直見た目はかなり素朴  そぼくな物であったが、その予想外の美味しさに鴻夏コウカは夢中で料理を口に運んだ。
「あ、これもこれも美味しい」
渡された干し肉を軽く火で炙  あぶったものも、薄く切られたパンもどれもこれもが美味しい。
一日中砂漠を旅し、疲れ切った体にはこれらの暖かい湯気の立つ料理は格別に染み渡るようだった。
正直そこまで料理に期待していなかっただけに、これはかなり嬉しい誤算だ。
しばらくは完全に周囲の事を忘れて、夢中で料理を頬張  ほおばっていたが、ある程度お腹が落ち着いてくると急に現実が戻ってくる。
唐突にハッと我に返って顔を上げた鴻夏コウカは、自分が他の三人にずっと注目されていた事に気付いて思わず真っ赤になった。
「あ、あの…?」
何で注目されてるのかと聞こうとしたら、總糜ソウヒが感心したようにこう呟く。
「…姫さん、結構食べるんすね。俺 お姫様って人種は、無駄  むだ格好  かっこうつけて人前ではあんまり食わないのかと思ってたっすよ」
そう言われた途端、鴻夏コウカはカーッと顔に血がのぼるのを感じる。
『しまった…っ!つい美味しくて普通に食べちゃった!』
今更後悔しても遅いが、あまりに初歩的な失敗に自らが情けなくなる。

貴族の作法としては、人前で特に男性の前で貴婦人がガツガツと料理を食べるのは無作法  ぶさほうにあたる。
大抵  たいていは一皿につき一口程度だけ手を付けて、あとは残すのが礼儀  れいぎなのだ。
馬鹿馬鹿しい事かもしれないが、貴婦人たる者は、常に優雅  ゆうがでそつがなく、どちらかと言うと少々現実味  げんじつみが薄い余裕のある振る舞いが要求される。
そのため実はお腹ぺこぺこでも、人前ではほぼ食べずに、後で人目のない控え室などでこっそりといただくのが普通なのであった。
ところが鴻夏コウカは今回それをすっかり忘れて、まったく残す事なくどの料理もしっかりと一人前を平らげてしまった。
こんな初歩的な無作法をするなんて、花胤カインの姫として恥ずかしい事この上ない。
そのため思わず真っ赤になって俯  うつむいていると、それを見かねたのか、さりげなく牽蓮ヒレンが助け舟を出してくれた。
「まぁ健康的でいいんじゃないですかね?格好つけて食べなくて倒れられるより、しっかり食べて明日に備えてくれる方がよっぽどいいと思いますし、出された料理を残される方が私は好きじゃないですね。他の誰かに作っていただいた物を残すなんて、そっちの方がよっぽど失礼だと思っていますから」
淡々とそう語りながら、牽蓮ヒレン優雅  ゆうがな手付きで手ずからお茶を淹  いれると、一人一人に丁寧にお茶を手渡した。
鴻夏コウカも差し出されたお茶を受け取りながら、そっと牽蓮ヒレンに視線を向けると、目が合った途端に穏やかに微笑んでくれる。

そして牽蓮ヒレンの意見を受けて、總糜ソウヒもあっけらかんとこう答えた。
「まぁそれもそうっすよね~。俺もよく貴族の女って、なんで人前で『もうお腹いっぱい』とか言って残しときながら、影でガツガツ食うんかな?わっかんね~な~って思ってたんすよ」
「あの…その、残すのが礼儀なのよ…」
ボソッと鴻夏コウカ呟くと『マジで⁉︎』と總糜ソウヒが食いついてくる。
あまりの恥ずかしさで頬を染めながらも、鴻夏コウカは正直に自分の非礼  ひれい詫  わびた。
「…ごめんなさい。あまりにも美味しくて、つい完食しちゃったけど、貴族の女性としては無作法 ぶさほうだったわ」
思わず縮こまって謝ると、心底わからないといった顔で總糜ソウヒが答える。
「ん?別にいいんじゃね? あるじの言う通り、食いたいもんは好きなだけ食えばいいじゃん。残す方がおかしいっすよ」
「…總糜ソウヒの言う通りだ。ここは別に皇城  おうじょうじゃない。礼儀なんて別に気にしなくていい」
珍しく無口な嘉魄カハクも賛同の意を示す。
そして最後に牽蓮ヒレンが穏やかにこう告げた。
「この通り總糜ソウヒ嘉魄カハクも特に気にしてないですし、私もさっき言った通り、残される方が好きじゃないんですよ。だから姫も貴族の勝手な礼儀なんて忘れて、普通にしててくれればいいですよ」
今まで言われた事もない台詞を言われて、鴻夏コウカは目から鱗  うろこが落ちるような気がした。
ずっと自分が常識だと教え込まれてきた事が、果たしてどこまでが正しくてどこからが間違っているのか…。
だんだんとよくわからなくなってきた鴻夏コウカ余所  よそに、牽蓮ヒレンらは再び楽しげに語り出す。
それを目の端で捉  とらえながら、鴻夏コウカはこの旅の間に自分を取り巻く色々なものが急激に変化していくのを感じていた。
果たしてそれが鴻夏コウカにとって、良い変化なのかどうかはわからない。
ただ一つだけ言えるのは、自分の中にすでに彼等に対する何かが育っていて、それのせいで自分はもう彼等を裏切るような事は絶対に出来ないという事だった。
そして軽く溜め息をつきながら、鴻夏コウカは何もかもが予定外…とそう思ったのだった。



そして食事を終えた一同は、しばらくは片付けをしがてら思い思いに語らっていたが、すぐに明日からも続く旅に備えて、交代で身体を休める事にした。
もちろん旅慣れていない鴻夏コウカだけは、疲れを翌日に持ち越させないため、火の番は免除である。
まずは嘉魄カハクから火の番をする事となり、残りの三名はそれぞれ簡易天幕の中で外套  がいとうを巻きつけ横になった。
しかしこの時も初めての野宿に何をどうしていいのかわからず戸惑  とまど鴻夏コウカに、牽蓮ヒレンは一からすべてを整えてくれた。
また總糜ソウヒ牽蓮ヒレンは本当に外套  がいとう一枚で横になるだけだが、それだと旅慣れていない鴻夏コウカでは身体が痛くなるからと、鴻夏コウカのところだけはありったけの布類を敷き詰め、ふかふかにしてくれている。
さらに砂漠の夜は冷えるからと、鴻夏コウカにだけは外套  がいとうの上に毛皮まで掛けてくれていた。
正直至れり尽くせりで世話をされるだけで、何の役にもたってない自分を情けなく思っていると、その考えを読んだのか、静かに牽蓮ヒレンがこう告げた。
「…姫。今、姫は自分が何の役にもたってないと、そう思っていらっしゃるんでしょうが、人にはそれぞれ役割というものがございます」
「役割…?」
そう返すと、牽蓮ヒレン頷  うなずきながらこう答える。
「そう、例えばそこに居る總糜ソウヒ嘉魄カハクは、主人の影としてその身を護衛し、助けとなるよう仕える事が役割です。彼等はそう出来るだけの能力があり、またそのための特殊な訓練も受けております」
そこで一旦言葉を区切ると、牽蓮ヒレンは穏やかな眼差しで鴻夏コウカを見つめる。
そして続きを待つ鴻夏コウカに対し、再びゆったりと口を開いた。

「一方 姫の役割は、人をより良き方向へ導きその生活を護る事でございます。大半の者は善良で迷いやすく、自らの身を護る術  すべすら持ちません。身分のある者は、そんな彼等が飢えたり苦しんだりしないよう、治安を安定させその生活を豊かに保つという責任があるのです」
「責任…」
暗示のように同じ言葉を繰り返しながら、鴻夏コウカは不思議とその言葉に重みを感じていた。
そう言えば花胤カインに居た頃に師事  しじしていた家庭教師が、何かそれに近い事を言っていたような気がする。
その時聞いた言葉はもっと難解  なんかいで、やたらとご立派な内容だった気がするのだが、今 牽蓮ヒレンが言っているのはおそらくそれと同じ事のような気がしていた。
そして鴻夏コウカ牽蓮ヒレンが遠回しな表現ながらも、彼なりに自分を慰  なぐさめてくれているのだという事に気付いてしまう。
それに気付くと同時に、鴻夏コウカは思わず相手にこう聞き返していた。
「…つまり私の役割は別にあるのだから、今は貴方達が私に尽つくしてくれていても、特に何も気にしなくていいと言いたいの?」
左様  さようでございます。むしろ今の姫の役割は、私達に尽くされる事でしょう。下々の者にとって、上の者に尽くす事こそが喜びに繋がります。姫はむしろ私達にお世話をさせてやってるんだとでも思っていてください」
澄ました顔でそう答えると、牽蓮ヒレンは穏やかにこう告げる。
「さ、そろそろお休みください。明日も一日砂漠の旅です。明日は今日よりもたくさん頑張っていただきますよ」
それだけ言うと、牽蓮ヒレンはそっとその場を離れようとした。

ところがそれに気付いた途端、鴻夏コウカは思わず半身を起こしながら牽蓮ヒレン外套  がいとう裾  すそを引いてしまう。
予想外の事に驚いて見下ろす牽蓮ヒレンの視線を感じながら、鴻夏コウカは頰を赤く染めつつ、俯  うつむき加減にボソッとこう呟いた。
「あ、あの…その、寝付くまで側に居てくれないかしら…」
消え入りそうな声だったが、ちゃんと相手の耳には届いたらしい。
少し微笑む気配がして、牽蓮ヒレンは再び無言でその場に座り直した。
そして鴻夏コウカに横になるよう促  うながし、乱れてしまった外套  がいとうと毛皮を掛け直しながらこう囁く。
「安心してお休みください。寝付くまでお側におります」
サラリと鴻夏コウカの目の前に、牽蓮ヒレン亜麻色 あまいろの髪が流れた。
それをボンヤリと眺めながら、鴻夏コウカは思う。
綺麗  きれい…。焚き火の灯  あかりに透けて、まるで風にそよぐ金色の麦の穂のよう…』
何となく触ったら気持ち良さそうだなと思いながら、旅の疲れもあり、鴻夏コウカはすぐにすうっと自らの意識を手放した。
だがその時、鴻夏コウカは無意識にある物をしっかりと握り締めていた。
そしてそれに気付いた牽蓮ヒレンが、少し困ったようにこう呟く。
「…困りましたね。これだとここから動けない…」
鴻夏コウカが無意識に握り締めていたのは、実は牽蓮ヒレンの髪だった。
それを見て、總糜ソウヒが楽しげにこう答える。

「いいんじゃないっすか?火の番は俺と嘉魄カハクで充分っすよ。 あるじは姫さんに付いててあげてください」
その言葉に嘉魄カハクも無言でこくりと頷く。
何も知らずに眠り続ける鴻夏コウカの寝顔を眺めながら、何となくその場に穏やかで優しい空気が流れた。
そしてしばらくして、軽い溜め息と共に牽蓮ヒレンが諦めたようにこう答える。
「…ではお言葉に甘えて、私も今夜はこのまま休ませていただきますよ」
「どうぞ、どうぞ。いや~、どうなる事かと思ったけど、意外と あるじと姫さんって合ってるのかもね」
「またいい加減な事を…」
突然妙な事を言い出した總糜ソウヒに、牽蓮ヒレンが呆れたような視線を向けると、何故か嘉魄カハクまでこう呟く。
「いや…總糜ソウヒにしてはいいところを突いてるかもしれませんよ」
嘉魄カハク?君までそんな事を言うんですか?」
驚く牽蓮ヒレン總糜ソウヒが笑う。
「ほら、嘉魄カハクのオッサンまでああ言ってますよ? あるじみたいに捻  ひねくれてるのにはね、姫さんぐらいの純粋培養  じゅんすいばいようが丁度いいんす。俺はそう思いましたね」
勝ち誇ったようにそう宣言する總糜ソウヒに、牽蓮ヒレンは疑いの目を向ける。
自分と鴻夏コウカが合っているなんて、とても信じられなかったが、無意識に自分を引き留めようとする鴻夏コウカに対し、悪い気がしていないのも事実だった。

チラリと何も知らずに眠り続ける鴻夏コウカに、牽蓮ヒレンは再度視線を落とす。
意識もないのに、しっかりと自分の髪を握り締め続ける鴻夏コウカは、こうして見るとまだまだ幼い子供のようだった。
おそらく産まれた時から、常に一緒に居た弟の凛鵜リンウ皇子と引き離されて、不安と緊張の日々なのだろう。
そう思うと、何となく無理に引き離すのも可哀想  かわいそうな気がして、牽蓮ヒレンは諦めたようにそのまま目を閉じた。
とにかく明日もまた砂漠の旅が続く。
今は少しでも体力の回復に努めよう。
そう思った牽蓮ヒレンは、鴻夏コウカの側で座ったままの状態で眠りについた。



翌朝 簡単な朝食を済ませた一行は、早々に次のオアシスに向けて旅立っていた。
各自無言で馬を進めながらも、鴻夏コウカは朝から後悔と反省の連続である。
まず朝 穏やかな牽蓮ヒレンの声に起こされ、目を開けた鴻夏コウカは、昨夜と変わらず同じ場所に座り続けている牽蓮ヒレンの姿にまず驚いた。
そして次に、自分が無意識に牽蓮ヒレンの髪を握り締めていた事に気付き、真っ赤になって慌てふためく。
それに対し牽蓮ヒレンは特に何も語らず、鴻夏コウカが髪から手を離した途端、スッと立ち上がってその場から離れていった。
サラリと昨夜綺麗  きれいだと思った亜麻色 あまいろの髪が宙に靡  なびき、牽蓮ヒレンが簡易天幕から外に出て行く。
その毅然  きぜんとした後ろ姿を眺めながら、鴻夏コウカはやけにドキドキしていた。
『あ、あれ…?私ったらどうしちゃったの?相手はあの牽蓮ヒレン殿なのに、何でこんなにドキドキしてるの…?』
自分で自分の反応に驚きながらも、鴻夏コウカ牽蓮ヒレンから視線を外せない。
昨日までは少し頭が良いだけの普通の男だと思っていたのに、今朝はやけに彼が輝いて見えていた。
どうしてそう見えるのか、その理由を鴻夏コウカはまだ知らない。
だがいつかその答えに気付いた時、鴻夏コウカ牽蓮ヒレンはどうするのか…その結論は現時点ではまだ遠い先であった。

そしてその後、相変わらず何の目印もない砂漠の中を進みながら、鴻夏コウカの中に別の迷いが生じ始める。
風嘉フウカ帝との結婚式まであと三日。
予定通りに挙式を行うなら、あと二日以内に風嘉フウカ皇都  おうとに辿り着かなければならない。
だがこのまま牽蓮ヒレン達に連れられて、本当に皇都まで行ってしまってもいいのだろうか?
男の姫が嫁いできた事で、風嘉フウカ花胤カインとの間に戦争が起こらないとも限らない。
でもここまで来てしまっているのに、今更自分が失踪  しっそうしたら、今度は同行していた牽蓮ヒレン達が罰  ばっせられてしまう。
…それだけは嫌だった。
こんなに自分に良くしてくれた牽蓮ヒレン達に、迷惑をかける事なんて出来ない。
でもこれ以上、誰の事も騙  だましたくなかった。
いっそ自分は男だから、風嘉フウカ帝とは結婚出来ないと言ってしまった方が良いのだろうか?
それとも素知らぬ顔で、挙式してしまった方が良いのだろうか?
ジリジリと焼け付く陽射  ひざしの中、八方塞  はっぽうふさがりの考えに囚  とらわれながら、鴻夏コウカは一人深い溜め息をつく。
何度考えても、いい答えは出なかった。
正直今ほど自分が賢 かしこくない事を恨  うらめしく思った事はない。

そしてこの時、鴻夏コウカは気づいていなかったが、悶々 もんもんと悩み続ける鴻夏コウカの様子を無言で伺 うかがっている者が居た。
言うまでもなく湟 牽蓮コウ ヒレンである。
彼は自分の考えに囚  とらわれている鴻夏コウカを眺めながら、一人 意味深な笑みを浮かべていた。
そしてそれに気付いた總糜ソウヒが、さり気なく牽蓮ヒレンにしか聞こえない声でこう囁く。
 あるじ、今なんか悪い事を考えてたっすよね?」
「…何でそう思うんです?」
「だってすっげぇ、悪い顔してた。 あるじがそういう顔してる時って、大抵なんか企んでる時だもん」
そう言われた牽蓮ヒレンが、クスリと笑う。
「別に…?ただいつ気付くかなぁと思っただけで、特に何も企んでませんよ」
「どうだかなぁ? あるじは常に何か企んでるから、もうそれが当たり前過ぎて、自分でも気付いてないだけなんじゃない?」
相変わらず失礼な事を平気で本人にぶち撒まけながら、總糜ソウヒは疑いの視線を牽蓮ヒレンに向ける。
それを受けて、さすがに牽蓮ヒレンも呆れたように反論の言葉を口にした。
「…前から思ってましたけど、ホントに君は黎鵞レイガ以外はどうでもいいと思ってません?」
「いや、そうでもないっすよ?ちゃんと今もこうして あるじを警護してるじゃないっすか」
「君の場合は、皇都  おうとに戻るついででしょう。あんまり人を極悪人扱いしないで下さいよね?今回の件も、別に私が仕掛けた事ではありませんから」
「んー…でもそれを最大限に利用しようとはしてるっすよね?」

そうすかさず總糜ソウヒが突っ込むと、途端にぴたりと牽蓮ヒレンが黙り込む。
無言という事は当たりなんだなと思いつつ、總糜ソウヒは再び口を開いた。
 あるじ…そもそもあの姫さんが訳ありなのも、気付いてますよね?」
「…總糜ソウヒも気付いてましたか」
「そりゃあ、これでも『影』ですからね。嘉魄カハクも気付いてただろ?」
そう總糜ソウヒが話を振ると、嘉魄カハクも無言でこくりと頷く。
それを横目に見て取りながら、總糜ソウヒ牽蓮ヒレンに対し、再び口を開いた。
「そんで あるじはどうする気なんです?正直俺は面白ければどうでもいいんすけど」
相変わらず本来の主人以外はどうでもいいんだなと思いつつ、素直に牽蓮ヒレンがこう答える。
「…花胤カインの美人に預かると約束したからね。ちゃんと最後まで面倒みますよ」
その答えを聞いて、總糜ソウヒがヒューッと軽く口笛を鳴らした。
そしてそのまま、感心したようにこう呟く。
「へー、まさか あるじがねぇ…。まぁ姫さん、良い子みたいだし?何となく泰瀏タイリュウ様も気に入りそうな感じしますもんね」
「そうですね…。そういう總糜ソウヒは、姫の事をどう思っているんです?」

珍しく牽蓮ヒレンの方からそう問われて、總糜ソウヒがうーんと首を捻  ひねる。
「んー、そうっすねぇ…。まぁ嫌いではないっすね。偉い人特有の嫌な感じはしないし、結構な美人だしね」
いかにも面食いらしい発言の總糜ソウヒに苦笑しつつ、牽蓮ヒレンは続けて嘉魄カハクにも答えを求める。
すると言葉少なに嘉魄カハクもこう答えた。
「…私も嫌いではありません。總糜ソウヒの言うように、姫には不快感を感じませんので…」
嘉魄カハクの答えを受けて、牽蓮ヒレンが満足気に頷く。
それを確認し、今度は總糜ソウヒ牽蓮ヒレンに尋ねた。
「んじゃ、 あるじは? あるじ自身は姫さんの事、どう思ってんの?」
そう問われて、牽蓮ヒレンは穏やかにこう答えた。
「…そうですね。君達の言葉を借りるなら、私も嫌いではないですよ。今までああいう感情優先型の人間は周りに居なかったので、次にどう動くのかが読み切れなくて、なかなかに面白い…」
まるで珍しい研究対象を見つけた教授のように、牽蓮ヒレン悪戯  いたずらっぽい笑顔を見せる。
それを見ながら、總糜ソウヒはあっさりとこう要約  ようやくした。
「ふーん?つまり あるじも結構、姫さんの事を気に入ってるんすね」
「…何でそういう解釈になるんです?」
「え、だって、 あるじって基本 身内以外は興味ないじゃん?しかも誰でも無条件で身内扱いするわけでもないし…。でも姫さんの事は、もう身内扱いしてるっしょ?」

あっけらかんとした口調で總糜ソウヒにそう言われ、牽蓮ヒレンは思わず考え込む。
そしてまったく気付いていなかったが、言われてみればそうなのかなとようやく自分でも気が付いた。
まさか会って数日の人間をもう身内扱いしていたとは、自分でも驚きである。
ところがそんな牽蓮ヒレンにとどめを刺すかのように、總糜ソウヒがケタケタと明るく笑いながらこう言った。
「姫さんもなかなかやるねぇ。あの綺麗  きれいでおっかない弟くんの言うように、さすが『花胤カイン陰陽いんようの陽の姫』の名は伊達  だてじゃないってか」
あっさりと痛い事実を突かれ、牽蓮ヒレンは静かに深い溜め息をついた。
どうやら事態は、牽蓮ヒレン自身も読み切れない方向に進んでいるようであった。
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