花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜

和泉 凛

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花胤の陰陽 〜花鳥風月奇譚・1〜

ー結末と幕開けー

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湯に浸かり、旅の汗と埃を綺麗に流して、白い風嘉フウカの女性ものの衣装に着替えた鴻夏コウカは、その後 言葉通りに現れた暁鴉ギョウアに連れられ、別室へと移動した。
そこには先程まで姿も見なかった侍女  じじょ達が幾人か待機しており、鴻夏コウカが入るや否  いなやてきぱきと髪型を整え、薄く化粧を ほどこし、見事な装飾品で飾り立てると、再び一礼して部屋の外へと出て行ってしまった。
その間 暁鴉ギョウア終始無言 しゅうしむごん壁際  かべぎわに寄りかかり、支度  したくをする鴻夏コウカの様子を眺めていたが、準備の終わったのを見るなり、軽く口笛を吹きながら素直に感嘆  かんたんの声を上げた。
「へぇ~、さっすが有名な『花胤カイン陰陽いんよう』。ちゃんとすると黎鵞レイガ様といい勝負だね」
「…止  よしてよ。あんな綺麗  きれいな人に かなうわけないじゃない」
心底嫌そうな顔で鴻夏コウカがそう答えると、暁鴉ギョウアは大真面目な顔で否定する。
「いやいや…美しさの種類が違うだけで、あたしはなかなかいい勝負だと思うよ?むしろあたしは姫さんの方が人間的で好みかな。黎鵞レイガ様の美しさはもう現実離れしてて、人間っていうより芸術品系だもん」
そう言われ、確かに…と鴻夏コウカも思う。
実際に会ったからこそより思うのだが、この世にあれほど美しい男性が存在していていいものだろうかと鴻夏コウカは思う。
あの美しさはまさに凶器。
何せ未だに自分と同じ生きた人間である事が、信じられないほどの美形なのである。
…ただその冷たく美しい見た目と裏腹  うらはらに、性格の方はかなりキツそうで、鴻夏コウカは逆にそれがあったからこそ、ちゃんと生きた人間なのだなと思えたぐらいだった。
そしてそう思った事が表情に出ていたのか、ふいに暁鴉ギョウアが楽しげにこう尋ねてくる。

「今 黎鵞レイガ様の事、見た目と中身が全然違うって思ってたでしょ?」
「…か、顔に出てた…?」
「やっぱりね~。初対面の人は大抵そう思うんだよね。何せあの見た目だから、勝手に大人しい印象を持っちゃう人が多いんだけど、でも本人はあの通り、全っ然大人しくも何ともない性格じゃない?だから勝手に懸想  けそうした奴等が、迫 せまるなりいきなりバッサリやられて、再起不能  さいきふのうになる事が多いんだよね~」
ケタケタと笑いながらそう告げる暁鴉ギョウアに、鴻夏コウカがおそるおそる尋ねてみる。
「あ、あの…宰相  さいしょう様って、その…女性より男性の方がお好きなのかしら…?」
「ん?いや、どっちかっていうと人間嫌いだから、正直 男も女も興味ないタイプだよ」
「え、總糜ソウヒと恋人同士なんじゃないの⁉︎」
真面目にそう聞いた鴻夏コウカに、暁鴉ギョウアはあっさりと笑いながらこう答える。
「あー、そっか、そっか…總糜ソウヒね!總糜ソウヒの方は確かに黎鵞レイガ様にベタ惚れだけど、黎鵞レイガ様の方はどうなんだろうね?養  やしな ごだから可愛いがってはいるみたいだけど、なんせ十五歳くらい年下のはずだから、下手したら相手にもされていないかもね」
「じゅ…十五歳差っ⁉︎さ…宰相様って一体幾つなの⁉︎」
どう見ても二十代前半だと思っていた黎鵞レイガが、実は結構年上だと聞いて、さすがに鴻夏コウカ素 で喰いつく。
すると暁鴉ギョウアは、少し考えながらこう答えた。
「さぁ…いくつだったかなぁ?四十はいってなかったと思うけど、三十代半ばぐらいにはなってたと思うよ。ま、あたしの覚えてる限り、ずっと見た目は変わんないけどね」

ますます人間離れしている美貌  びぼうの宰相に、鴻夏コウカ唖然  あぜんとしていると、暁鴉ギョウアは特に気にした風もなくこう答える。
「さ、それより姫さんはそろそろ広間に行かないと。 あるじ達も揃  そろってる頃じゃないかな?」
そう言われ、ふいに鴻夏コウカは先程から世話になりっ放しのこの『影 かげ』の女に、何のお礼も言っていなかった事に気付く。
とりあえずこの後すぐ、花胤カインへと追い返されてしまう可能性もあるので、鴻夏コウカは今この場でちゃんとお礼を言っておかなければと思い、たどたどしい口調で暁鴉ギョウアにこう告げた。
「え…っと、その…暁鴉ギョウアさん…でしたっけ?あの…さっきからお礼を言いそびれてたけど、私の身代  みがわりをしてくれてありがとう。あとここまでの案内も、とても助かりました」
ご丁寧にペコリと頭まで下げる鴻夏コウカに、暁鴉ギョウアが目を丸くする。
けれどすぐに軽く破顔  はがんすると、暁鴉ギョウア鴻夏コウカの足元に跪  ひざまずきこう言った。
「ふぅん?あんたホントに深窓  しんそうの姫君なんだね…。普通身分の高い人は、あたしらにお礼なんざ言わないよ?」
「え、そうなの?でもたくさんお世話になったら、お礼は言うものではなくて?」
キョトンとした顔で、小首 こくび傾 かしげながらそう尋ねる鴻夏コウカに、暁鴉ギョウア豪快  ごうかいに笑う。
「はは…あんたホントに面白いねぇ。いいね、あたしはあんたが気に入ったよ!…あたしの事は『暁鴉ギョウア』でいいよ、姫さん。影に敬称  けいしょうなんざつけるもんじゃないさ」
そう言うと暁鴉ギョウアはすっくと立ち上がり、鴻夏コウカに対して手を伸ばす。
そして彼女は笑顔で力強く、鴻夏コウカに対しこう宣言した。
「さぁ姫さん、案内するよ。今の風嘉フウカを治めているうちの あるじ達の元に!」
その言葉を聞きながら、鴻夏コウカは一人 密かに覚悟を決める。
鴻夏コウカのこれからの運命を決める宴が、今まさに始まろうとしていた。



美しく色とりどりのタイルで彩  いろどられた回廊  かいろうを通り抜け、鴻夏コウカ風嘉フウカ後宮  こうきゅう内にある広間へと案内された。
そこは大理石の床に絨毯  じゅうたん敷  しき、その上にたくさんのクッションを敷  しき詰めただけの場で、璉瀏レンリュウ帝を中心に彼の側近 そっきん達が円座  えんざで座り、和  なごやかに語り合っている。
そして先程 鴻夏コウカと別れた後、璉瀏レンリュウ帝の方も同じように着替えてきたらしく、白を基調としたそれなりに身分を感じさせる服装に改め、場の中心に座っていた。
こうして見ると、相変わらず飄々  ひょうひょうとした雰囲気は変わらなかったが、そこはやはり皇帝というだけあって、彼のみが他の人と違う独特の雰囲気を醸  かもし出している。
それを遠目 とおめで見つめながら、どうして今までそれに気づかなかったのかと鴻夏コウカは思った。
確かに現皇帝が、身分を偽  いつわってまで直接会いに来るとは思わなかったが、今にして思えば時々感じていた妙な違和感の正体は、これだったのだなと思う。
璉瀏レンリュウ帝は、先日会った月鷲ゲッシュウ鴎悧 オウリ帝のような華  はなやかで相手を鼓舞  こぶするような雰囲気はなかったが、逆に相手そのものを包み込むような静かで理性的な存在感を放っていた。
例えるならばどこまでも続く海のように、その大きな器  うつわで部下達を包み、その才能を余  あます事なく自由に発揮させる、まさにそんな感じの皇帝だと鴻夏コウカは思った。

そう思って見ていると、ふいにその視線に気づいた璉瀏レンリュウ帝がこちらへと視線を向ける。
彼の薄い翠  みどりの瞳が真っ直ぐに鴻夏コウカの姿を射抜き、鴻夏コウカがドキリとして固まった瞬間、彼はふわりと優しげに微笑んだ。
「…お待ちしておりましたよ、姫」
スッとその場から璉瀏レンリュウ帝が立ち上がると、他の側近達もスッと無言で鴻夏コウカに対し跪  ひざまずく。
そのあまりに分不相応  ぶんふそうおうな扱いに、何と答えたものかと戸惑っていると、璉瀏レンリュウ帝は自ら鴻夏コウカへと近付きその手を取った。
「さぁこちらへ。今夜は内々での食事会なので、極少数の者しかおりません。姫も気を遣わず、寛  くつろいでくださいね」
「あ、あの…」
何か答えようとはしたのだが、それを言葉にする前に鴻夏コウカはぐいぐいと璉瀏レンリュウ帝に手を引かれ、円座  えんざ中心へと連れて来られてしまう。
そして自然と集まった注目の中、鴻夏コウカはひどく居心地 いごこちの悪い思いをしながらこう思った。
『いくら極少数っていったって、この面子 めんつでどうくつろげというの…』
その場に居たのは、先程謁見 えっけん ま遭遇 そうぐうした宰相 崋 黎鵞カ レイガ、将軍 伯 須嬰ハク シュエイ、そして本物の湟 牽蓮コウ ヒレンとあと初めて会う小太りの文官が一名、そして何故か十歳くらいの小さな男の子とそのお付きの女官が一名だった。
一瞥 いちべつしただけでも、今の風嘉フウカの政治の中枢にいる大物ばかりなのは明白 めいはくで、鴻夏コウカは知らず緊張でその身を固くする。
するとその時、思いもかけず足元から実に可愛いらしい声が鴻夏コウカに向かってかけられた。

「貴女がレンのお嫁さん?」
「え…?」
驚いて素の呟きを漏らしながら、鴻夏コウカは声のした方へと視線を落とす。
するとそこには亜麻色 あまいろの髪の女の子と見紛 みまがうばかりの美少年が居て、そのキラキラとした みどりの瞳で鴻夏コウカの事を見上げていた。
そしていかにも子供らしく、無邪気 むじゃきにニコニコと笑いながら、実に素直な感想を述べる。
綺麗 きれいだね。僕、母上や黎鵞レイガ以外で、こんなに綺麗な人は初めて見たよ」
「あ…ありがとう…?」
とりあえず膝を付き、少年と目線を合わせながら、鴻夏コウカはそう答える。
この子は一体誰なんだとは思ったが、少年はしばらく真っ直ぐ鴻夏コウカを見つめ続けると、パッとその視線を璉瀏レンリュウ帝に向けこう言った。
「うん。僕このお姫様、好き。このお姫様ならレンのお嫁さんになってもいいよ!」
「…そうですか。随分と気に入ったようですね、タイ?」
優しく少年を見下ろし、璉瀏レンリュウ帝が彼の頭を撫でながらそう尋ねる。
すると少年は満面の笑顔でこう答えた。
「うん、だって綺麗だし、すごく優しそう。あと…何だろ?よくわかんないけど、すごくレンとお似合いな気がする」
少年にそう言われ、鴻夏コウカは思わず真っ赤になり、璉瀏レンリュウ帝は穏やかに微笑んだ。
「…そうですか。タイは彼女が合格だそうです。君達は…?」
そう璉瀏レンリュウ帝に尋ねられ、まずは側近のうち崋 黎鵞カ レイガが口を開く。

「…私は貴方のお決めになった事なら、基本従いますよ。もちろん多少思う所がないわけでもございませんが、總糜ソウヒからの報告でも、特に大きな問題があるようには思えませんでした。またあの他人に辛口 からくち總糜ソウヒが、何故か姫をかなり おしております。この短期間であれを手懐 てなずけるとは、姫の人心掌握力 じんしんしょうあくりょくはなかなかのものかと存じます」
そう淡々と語った黎鵞レイガの意見を受け、今度は伯 須嬰ハク シュエイが口を開く。
「私もこの旅の間、姫を間近 まぢかで拝見させて頂き、そのお人柄に好感を抱きました。もちろん私も黎鵞レイガと同じく、多少は思う所がないわけでもございませんが、最終的に貴方がそう決められたのなら、特に反対は致しません」
そう須嬰 シュエイが言い終わると、次は鴻夏コウカが名も知らない小太りの文官がのんびりと口を開く。
「私はそうですねぇ…。今日初めてお会いしましたので、姫のお人柄等についてはわかりかねますが…、それでも経済的効果の面から考えると、ご結婚いただいた方が もうかりますので、賛成一択 さんせいいったくですかな」
思わずその場に居た全員が『ん?』と疑問に感じたところで、皆の考えを代弁したかのように湟 牽蓮コウ ヒレンが口を はさむ。
「えっ⁉︎そういう問題なんですか、樓爛 ロウラン様?」
すかさずそう問われ、樓爛 ロウランと呼ばれた人物は、あっさりと頷きこう答える。

「うん、そういう問題だよ。稼げる時に稼いでおかないとね」
「ぶ…ブレないですねー…。さすが元海上商人…。自国の皇帝の結婚すら、単なる商売のネタですか…」
半ば呆れたようにそう呟く牽蓮ヒレンに、今度は璉瀏レンリュウ帝が意見を求める。
「…君は、牽蓮ヒレン?君自身はこの件について、どう思ってるのかな?」
「僕…ですか⁉︎…そうですね。僕も黎鵞レイガ様や須嬰 シュエイ様と同じで、レンさえ幸せになれるんなら、相手が誰だろうと特に反対はしませんよ」
悩みつつもそう答えた牽蓮ヒレンに満足気に頷くと、璉瀏レンリュウ帝はふいに天井へと視線を上げ、次々に影達の名を呼んだ。
「…嘉魄カハク總糜ソウヒ暁鴉ギョウア
「は…、お呼びですか、 あるじ
スッとその場に、何処 どこからともなく三人の影が現れ、璉瀏レンリュウ帝に向かって跪く。
その姿を確認しながら、璉瀏レンリュウ帝は穏やかに彼等に対しても同様 どうように意見を求めた。
「…君達はどう思います?」
「我々がですか…?」
「そうです」
重ねてそう問われ、まずは嘉魄カハクが口を開く。
「…以前にも申し上げましたが、私は姫のお人柄を好ましく思っております。ですから あるじがお望みになられるのなら、特に反対する いわれはございません」
それを受けて、次は總糜ソウヒが口を開く。
「俺は面白ければそれでいいんで、基本賛成っすね。あと姫さんが居ると、毎日がより楽しくなりそうなんで、ワクワクするっすよ」
そう答えた總糜ソウヒを呆れたように見つめながら、最後に暁鴉ギョウアがこう答える。
「あたしも姫さんの件は賛成ですね。いずれ誰かを迎え入れなきゃならないんなら、ちゃんと信用出来る相手がいい。少なくともこの姫さんに他意 たいはないのは明らかだし、何より素直で変わってて面白いよ。あたしはこの姫さんが気に入ったね」

次々と目の前で自分を批評 ひひょうされ、鴻夏コウカ面喰 めんくらって黙り込んでいると、全員の意見を聞き終えた璉瀏レンリュウ帝が改めて鴻夏コウカへと向き直った。
「…決まりですね。姫、私の部下達は満場一致 まんじょういっちで、貴女を正妃 せいひとして迎え入れる事に賛同 さんどうしてくれました。あとは姫の心次第です」
「わ、私の…?」
何の事かわからず、オロオロとそう尋ねると、璉瀏レンリュウ帝は鴻夏コウカの前に跪きこう告げた。
「姫、私と契約結婚をしませんか?」
ニッコリと満面の笑顔でそう告げる璉瀏レンリュウ帝に、鴻夏コウカは意味がわからずポカンとする。
すると続けて璉瀏レンリュウ帝は、悪戯いたずらっぽく人差し指を口元に当てながらこう付け足した。
「実は私の方にも少々事情がございまして、普通の方を きさきに迎えるわけにはいかないのですよ。そういう意味でも、姫はこちらの条件に沿った方ですので、私としては姫との婚姻 こんいんを望んでいます」
予想もしなかった璉瀏レンリュウ帝の申し出に、鴻夏コウカは更に混乱したのであった。



暖かな湯気 ゆげを立てるお茶を手に、鴻夏コウカはまだ少し呆然としながらその場に座っていた。
そして璉瀏レンリュウ帝とその側近達に囲まれ、混乱しながらもこう確認する。
「えー…っと、つまり貴方にとっても私は結婚相手として都合が良い…って事でいいのかしら…?」
「そうですね。要約 ようやくするとそうなります」
ニッコリと相変わらず掴み所のない笑顔を見せながら、璉瀏レンリュウ帝がそう答える。
それに対し、鴻夏コウカはおそるおそる相手を見つめながら思いきってこう尋ねた。
「あ、あの…でも私は、その…花嫁としてはかなり致命的 ちめいてきな問題があって…。貴方に限らず、男性と結婚するのは無理…というか…」
どう伝えたものかとモゴモゴと要領を得ない事を呟いていると、璉瀏レンリュウ帝が事も無げにこう答える。
「…知ってますよ。貴女の本当の性別の事でしょう?ここに居る皆も知ってます。それを知った上で、私は貴女に契約結婚を持ちかけているのですが…」
「は…?」
唖然 あぜんとする鴻夏コウカに、璉瀏レンリュウ帝はあっさりとそう告げると続けてさらにこう述べた。
「むしろそれがあるからこそ、私は貴女と結婚したいんですよ。普通の女性だと何かと面倒な問題が起こりますので、それくらいならいっそ男性の貴女と結婚する方が都合が良いんです」

淡々とそう答える璉瀏レンリュウ帝に、鴻夏コウカはまったく頭が付いていかず混乱する。
そもそもいつから彼は自分の本当の性別を知っていたのか、そしてそれを知りつつも、何故なぜ敢えて自分との結婚を望むのか…?
悩んだ末に出てきた鴻夏コウカの答えは、かなりトンチンカンなものだった。
「え…っと、それってつまり貴方が女性より、男性の方がお好きだから…って事なのかしら…?」
そう言った途端、あちこちで一斉に吹き出す声がする。
總糜ソウヒ暁鴉ギョウア樓爛 ロウランなどは完全にその場で腹を抱えて笑い出し、須嬰 シュエイ黎鵞レイガ牽蓮ヒレンは吹き出しこそしなかったものの、あらぬ方へと視線を外し肩を震わせ笑いを堪えている。
あとタイと呼ばれた少年のみは意味が分からずキョトンとし、嘉魄カハクと名も知らない女官は特に何も変わらず終始無言 しゅうしむごんだった。
そして鴻夏コウカにそう尋ねられた璉瀏レンリュウ帝はというと、困ったように額に手をやりながら冷静にこう答える。
「…姫。何か激しく勘違いをされているようですが、別に私は男性の方が好きというわけではありませんよ…」
「えっ、そうなの⁉︎じゃあ…なんで敢えて私⁉︎意味がわからないわ…」
そう尋ねると、璉瀏レンリュウ帝は溜め息をつきつつ、こう答える。
「…ですから、女性をきさきに迎えると後継問題が発生するからですよ。どんなに気をつけていたとしても、絶対に妊娠しないという保証はありません。私はここに居る泰瀏タイリュウ皇位 こういを譲ると決めていますので、余計な争乱 そうらん たねは作りたくないんです」

そう説明され、ようやく鴻夏コウカも納得する。
確かに女性であれば妊娠する可能性もあるだろうし、そもそも婚家 こんけとの利害的な繋がりもあるので、もし子供が出来てしまったら必ず後継者争いが勃発 ぼっぱつする。
また国民にしてみても、争乱 そうらんを引き起こした先帝の息子より、風嘉フウカの解放者である璉瀏レンリュウ帝の子供に皇位 こういを望むのは当然の事だ。
おそらく璉瀏レンリュウ帝はそれらも心配し、最初から自分の子供は作らないつもりなのだと、ようやく鴻夏コウカも理解した。
「あ…そういう事…。ごめんなさい、完全に私の勘違いだったわ」
素直にそう謝ると、璉瀏レンリュウ帝は困った顔をしつつも『わかればいいんです』と言って溜め息をつく。
とんだ勘違いはあったものの、とりあえずお互いの利害が一致している事を再確認した鴻夏コウカは、その時点になってようやくこの事態を冷静に考え直した。
どうせこの縁談がなくなっても、皇女である自分はどこかに嫁がざるを得ない。
それならばいっそ、全てを承知の上で自分を貰ってくれるという璉瀏レンリュウ帝とこのまま結婚した方がいいのではないだろうか?
幸い璉瀏レンリュウ帝の側近達も、全てを知った上で自分を妃として受け入れてくれる気でいる。
そして何より鴻夏コウカ自身に、この国に残りたいという意志が芽生えていた。
正直自分に何が出来るかはわからないが、璉瀏レンリュウ帝が護るこの国を自分も一緒に護りたい。
そして彼をその苦しみから解放したあげたいと心から思った。


そして鴻夏コウカは決意も新たに、こう切り返す。
「…あの…本当に私でいいのかしら…?私は世間知らずだし、正直この国の役に立てるかどうかもわからない。それに女装にしても、いつまで通じるのか怪しいんだけど…」
そう思いきって尋ねると、璉瀏レンリュウ帝は淡々とこう答える。
「…あと五年。長くても七年ですかね…?」
「え?」
「言い忘れていましたが、こちら側の事情の一つです。私は皇位 こういに就く際に、ここに居る彼等にいくつかの条件を出しました。一つ目は私は自分の血筋 ちすじを残す気がないという事。二つ目は次の皇位は、ここに居る泰瀏タイリュウに譲ると決めている事。そして三つ目は、私が皇位に就くのは泰瀏タイリュウが成人するまでの間。長くても十年で、その後はこの国の皇位を退くというものです」
衝撃的な告白だった。
周りに望まれ、その地位に相応しいだけの実績も能力もあるというのに、璉瀏レンリュウ帝はたった十年で皇位を退く事を決めているという。
そして元々それが彼が皇位に就く時の条件であるなんて、にわかには信じられなかった。
だからつい鴻夏コウカは彼に聞いてしまう。
『何故なぜ貴方はそんな条件をつけたのか』と。
その答えは限りなく単純明快 たんじゅんめいかいなものだった。

「…私は自分が皇位を継ぐに相応しい人物だとは、思っておりません。ただ次代を継ぐべき泰瀏タイリュウはまだこのように幼く、とても皇位に就ける状態ではありません。だから私の役目は彼が成人するまでの間、この国を復興させつつ諸外国から護る事、そして彼を皇位を継ぐに相応しい人物に育てあげる事です」
淡々とそう語りながら、璉瀏レンリュウ帝は穏やかな表情で泰瀏タイリュウ皇子の頭を撫でる。
どこまでその意味がわかっているのかわからないが、幼い皇子は嬉しそうに璉瀏レンリュウ帝の手を取ると、自らの頰にその手を当てながらニッコリと微笑んだ。
今の二人の姿を見る限りは、とても仲の良い義理の親子としか見えなかったが、自らを仮初 かりそめの皇帝と しょうする璉瀏レンリュウ帝は、おそらく泰瀏タイリュウ皇子の為にその生涯の全てを捧げている。
いや…正しくは彼の元の君主 くんしゅである纜瀏ランリュウ帝の為に、そうしているのだと鴻夏コウカは思った。
そしてそれに気づくと共に、鴻夏コウカは悔しさでその口唇を噛み締める。
すでに纜瀏ランリュウ帝が亡くなって三年は経とうとしているのに、未だにその呪縛 じゅばく璉瀏レンリュウ帝を縛り続け、その人生の大半を支配している。
彼と纜瀏ランリュウ帝の間に何があったのかはわからないが、彼が本当の意味で自由になる日は来るのだろうか?
出来る事ならば自分が、彼を真の意味で解放してあげたいと鴻夏コウカは思った。

そして鴻夏コウカはその思いのままに、その場でスッと そでを合わせると、璉瀏レンリュウ帝に対して最上級の礼を取る。
そして彼を真っ直ぐに見上げると、はっきりとした声でこう告げた。
「…璉瀏レンリュウ帝。私でよろしければ、貴方に嫁がせていただきます。微力 びりょくながら私も、この国の為に尽くさせて頂きたいと存じます」
その鴻夏コウカの返答に、オオッと一瞬でその場が盛り上がる。
それを穏やかな表情で聞きながら、璉瀏レンリュウ帝は静かにこう返した。
「こちらこそよろしくお願い致します、姫。あと私の事は『レン』とお呼びください。対外的な場所以外では、他の皆にもそう呼ぶよう、お願いしております」
「わかりました。それではレン、貴方も私の事は『鴻夏コウカ』とお呼びください。貴方に嫁ぐのであれば『姫』はおかしいので…」
ニッコリ笑ってそう返すと、璉瀏レンリュウ帝ことレンがなるほどと言った顔をする。
そして彼は改めて鴻夏コウカの手を取ると、晴れやかな笑顔でこう告げた。
「わかりました、鴻夏コウカ。それでは契約成立という事で、まずは改めて私の仲間達をご紹介致しましょう」
そう告げる璉瀏レンリュウ帝と共に、その場に居る者達がザッと鴻夏コウカに対し頭を下げる。
今ここに、正式に鴻夏コウカ璉瀏レンリュウ帝の正妃 せいひとして認められたのであった。



その日その場に居たのは、レンこと璉瀏レンリュウ帝の側近中の側近達であった。
まずはレン鴻夏コウカを中心に円座 えんざで座っていた彼等は、レンの左側に座る鴻夏コウカに対し、そのすぐ左隣から順番に挨拶をし始める。
そして鴻夏コウカの左隣に座るのは、風嘉フウカの氷の宰相の異名 いみょうを取る、崋 黎鵞カ レイガ
まずは彼から改めて鴻夏コウカに挨拶を始めた。
「改めて初めまして、鴻夏コウカ様。風嘉フウカの宰相を務めております崋 黎鵞カ レイガと申します。この見た目ですでにお気付きでしょうが、私の家は元々 鳥漣チョウレンの出身で、父の代に風嘉フウカ亡命 ぼうめいして参りました。つまり私も元をたどれば、鴻夏コウカ様と同じ異国人でございます。どうぞお見知り置きを…」
そう言って黎鵞レイガ優雅 ゆうがに頭を下げる。
間近 まぢかで見ても完璧過すぎる美貌 びぼう ぬしに、鴻夏コウカは圧倒されつつも何とか無難 ぶなんに挨拶を返す。
すると続けて挨拶をしたのは、先程 謁見 えっけん まで半べそをかいていた、湟 牽蓮コウ ヒレンであった。
「…先程はお見苦しい姿をお見せ致しました。改めてご挨拶申し上げます。私は風嘉フウカの内政官を務めております、湟 牽蓮コウ ヒレンと申します。この通り見た目や体型が、多少 レンに似ているせいで、時々あのように影武者 かげむしゃ役もやらされております…」
そう牽蓮ヒレンが言ったところで、ボソッと隣の黎鵞レイガが『ホント見た目だけで、ヘタレの役立たずが…』とそう呟く。
それを受けて、思わず牽蓮ヒレン黎鵞レイガに向かってこう叫んだ。

「だーかーらー、僕の本来の役割は、レン影武者 かげむしゃ役じゃないんですってばっ!確かに僕は『影』の修行もしましたけど、どっちかっていうと今の本業は内政官の方ですっ!」
「…知ってますよ。私は貴方の『影』の腕前はこれっぽっちも信用しておりませんが、内政官としての能力は高く評価しております」
きっぱりすっぱり黎鵞レイガに切り捨てられ、またもや牽蓮ヒレンが半べそをかく。
そしてそれを打ち切るように、隣の小太りの文官が勝手に挨拶をし始めた。
「えー…それでは初めまして、鴻夏コウカ様。私は邰 樓爛タイ ロウランと申します。元々は西方で海上商人をしておりましたが、レン こわれて、今は風嘉フウカの財務長官をやらせていただいております。また今回はレンの結婚式という事でこうして皇都 おうとに一時帰還しておりますが、普段は海上貿易の監視も兼ねて、西方領の方に詰めております。どうぞ鴻夏コウカ様も新婚旅行がてら、西方領へもお越しください。その方が宣伝に…あ、いや西方領の国民も喜ぶかと存じます」
「は…はぁ…。どうぞよろしく…」
揉み手をしつつ、いかにも商人らしい抜け目のない勧誘をする樓爛 ロウランに、かなり鴻夏コウカが引いていると、今度は見慣れた武人がそれを打ち切るように挨拶を始めた。
「すでに花胤カインで一度ご挨拶させて頂いておりますが、風嘉フウカで将軍職を務めさせていただいております、伯 須嬰ハク シュエイと申します。私も今はこうして皇都 おうとに一時帰還しておりますが、普段は東方領に詰めております。どうぞお見知り置きを…」
「…ハク将軍、その せつは大変お世話になりました。これからもよろしくお願い致します」
そう鴻夏コウカハク将軍に挨拶し終わったところで、次に先程の少年がにこやかに挨拶を始めた。

鴻夏コウカ様、初めまして。僕は緫 泰瀏ソウタイリュウです。レン おいになります。後ろに控えているのは、僕の世話をしてくれている侍女 じじょ燠妃 オウヒです。どうぞ仲良くしてくださいね」
ニッコリと無邪気 むじゃきな笑顔を向けられて、鴻夏コウカも思わず釣られて微笑む。
そしてこんな小さな少年に『様』付けで呼ばれるのもなぁと思い、鴻夏コウカはにこやかに少年にこう返した。
「こちらこそよろしくお願いしますね、泰瀏タイリュウ皇子。あと私の事はどうぞ『鴻夏コウカ』と呼んでくださいね?皇帝であるレンが様付けでないのに、私だけ様付けされるのは嫌だわ」
そう鴻夏コウカに返されたのが嬉しかったのか、泰瀏タイリュウ皇子が輝くような笑顔でこう答える。
「じゃあ、僕の事も『タイ』と呼んでください。レンのお嫁さんになるんだから、これからはずっと一緒に居られるんだよね?」
「…そうね。多分そうなると思うわ」
そう答えるとパァッと顔を輝かせて、タイレンに向かって話しかける。
「嬉しいな、レン。僕、やっぱりこの人がいいよ!優しいお姉さんが出来たみたいで…あ、でもお姉さん…は違うのかな…?」

急に悩み出した少年に対し、レンはその頭をぽんぽんと軽く叩きながら笑顔でこう告げる。
タイ鴻夏コウカ鴻夏コウカですよ…?性別がどちらかなど、どうでもいい事です。タイ鴻夏コウカが好きですか?」
「うん、大好き!綺麗 きれいで優しくて、まるで母上みたいなんだもの」
間髪 かんぱつ入れずにそう答える少年に、レン さとすようにこう告げる。
「…じゃあ大好きな鴻夏コウカの秘密は守れますよね?もしこの後宮 こうきゅうの者以外に、鴻夏コウカの秘密がバレてしまったら、鴻夏コウカはもうタイと一緒に居られなくなってしまうかもしれませんよ?」
そう言われた途端、タイが泣きそうな顔で首を横に振る。
そしてレンに抱きつきながら、こう宣言した。
「そんなの、嫌だっ!僕…僕、絶対に喋らないよ!」
「…良い子ですね、タイ。私が側に居ない時は、タイ鴻夏コウカを護ってくださいね?」
そう言うと、レンは近くに控える影達に目をやり、そのうちの一人の名を呼んだ。

暁鴉ギョウア…。君にお願いがあります」
「はい何でしょう、 あるじ?」
不思議そうに尋ねる暁鴉ギョウアに、レンが告げる。
「今日から鴻夏コウカ専属の『影』になっていただけませんか?君も承知の通り、鴻夏コウカは対外的には私の きさきです。そのため女性である君でなければ、守れない所も多々出てくるでしょう。ですから君さえ良ければ、ぜひ鴻夏コウカの力になってあげて欲しいのてす…」
そうレンに言われ、暁鴉ギョウアは驚いたもののすぐに自信有り気にニヤリと笑って即答した。
「…あたしで良ければ、喜んで引き受けさせていただきますよ、 あるじ
「ありがとう、暁鴉ギョウア鴻夏コウカを頼みましたよ」
「はっ、この命に代えても」
そう力強く答えると、暁鴉ギョウア鴻夏コウカに視線を移し、ニッコリと笑う。
「そういうわけなんで、改めて今日からよろしく、鴻夏コウカ様」
「…こ…ちらこそ…よろしくお願いします、暁鴉ギョウア…」
驚きつつもそう答えた鴻夏コウカに、暁鴉ギョウアがとても満足気に笑う。
そしてこの瞬間、鴻夏コウカは新たに得難 えがたい味方を手に入れたのだった。



そして翌日、風嘉フウカ皇都 おうと白瑤 ハクヨウ』では、朝から祝福の鐘が響き渡っていた。
広場には色とりどりの花弁 はなびら あざやかに舞い、皇城 おうじょうへと つうずる全ての道には、人々の笑顔と祝福の声が溢れている。
また街のあちこちに張り巡らされた水路には、たくさんの小舟がひしめき合い、全ての者達がその時を今か今かと待ち侘びていた。
そんな中、皇城の最奥ではその歓声を遥か遠くに聞きながら、鴻夏コウカが一人椅子に座り、目を閉じたまま静かにその時を待っている。
身に纏うのは、白い風嘉フウカ風の花嫁衣装。
ゆったりとした白絹 しらぎぬに華やかなレースと細かい金糸の刺繍 ししゅう ほどこし、要所要所 ようしょようしょに艶やかな真珠をあしらった気品ある意匠 いしょうのドレスは、まさにこの日の為に作られた最高級の逸品 いっぴんで、鴻夏コウカの美しさを最大限に引き立てていた。
また花嫁のベールによって、今はその表情があまり読み取れないが、鴻夏コウカ自身にこの婚姻 こんいんに対する迷いがないため、生来の輝くばかりの気品と自信に満ち溢れている。
自分でも驚くほど穏やかな気持ちでその時を待ちながら、鴻夏コウカは一人ゆったりと今までの事を思い出していた。
頭の中を過ぎるのは、生まれた時からずっと過ごしてきた花胤カインの離宮での日々。
今はもう二度と戻れないあの場所で、母と双子の弟の凛鵜リンウと三人、誰よりも穏やかに幸せに過ごした。
男として生まれながらも、それを隠し女として育てられた自分は、世間的に見ればとても可哀想な子供なのかもしれない。
けれど自分はおそらく、それを遥かに上回る愛情に包まれ幸せに育った。
だから性別を偽り、女として育てられた事にも鴻夏コウカは何の不満も感じていない。
そして最初は不安でしかなかった今回の婚姻 こんいんも、 ふたを開いてみれば偶然とは思えないほどの幸運続きで、結果として自分は一生かかっても得難いような人々に、仲間として暖かく迎え入れてもらった。
そして今日、自分は自らの意志で彼に嫁ぐ。
この風嘉フウカの英雄にして、稀代 きだいの戦上手と名高 なだか風嘉フウカ帝 璉瀏レンリュウに…!


コンコンという扉を叩く音がして、フッと鴻夏コウカ まぶたを開ける。
するとそれを見計 みはからったかのように、侍女じじょが現れ丁寧に一礼をしながらこう告げた。
鴻夏コウカ様、そろそろお時間です」
そう言われ、鴻夏コウカはスッと立ち上がる。
するとどこからともなく暁鴉ギョウアが現れ、鴻夏コウカのすぐ側に降り立った。
「お、さっすが鴻夏コウカ様!めっちゃ似合ってるじゃん」
暁鴉ギョウア!」
昨夜から自分の影になったばかりの暁鴉ギョウアは、わりと總糜ソウヒと似たタイプのようで、かなり気さくに接してくれる。
お陰でまだ出会ったばかりだというのに、鴻夏コウカ暁鴉ギョウアはかなり親しくなっていた。
そのため鴻夏コウカは、先程から少し気になっていた事を暁鴉ギョウアに聞いてみる。
「ねぇ、おかしくないかしら?私、風嘉フウカの衣装って初めてで、なんかこう落ち着かないんだけど…」
「全~然、変じゃないよ?むしろ似合い過ぎなくらい。鴻夏コウカ様は少し身体の線が出てる方が、あたしは色っぽくていいと思うよ」
何となく気心 きごころの知れた女同士っぽい会話をしながら、鴻夏コウカはそれでも不満げにこう語る。
「身体の線を出して色っぽいのは、暁鴉ギョウアみたいなタイプでしょ?私なんてどこも出てないから、貧弱 ひんじゃくでみっともないだけだと思うんだけど…」
「そうでもないさ。鴻夏コウカ様は華奢 きゃしゃだから、そうやって肩を出したりウエストの細さを強調して見せたりするのは結構いいと思うよ?それにそのドレスは花嫁衣装で、そこまで露出度 ろしゅつどは高くないから、ちょうどいいくらいさ」
そう言って鴻夏コウカを持ち上げつつ、暁鴉ギョウアがこっそり鴻夏コウカの耳元で囁く。
「…さっき先に見てきたけど、今日は あるじもかなり男前だったよ。まぁ元々 つくりは悪くないし、結構色んな意味でイイ男だからね」
思いがけずレンの話を振られて、鴻夏コウカはドキンと心臓が跳ね上がる。
そして思わず花嫁らしく、顔を真っ赤にしてその場で黙り込んだ。

璉瀏レンリュウ帝ことレンに嫁ぐ覚悟はとっくに出来ていたが、ふいにそんな風に言われると、やたらと彼を意識してしまう。
出会った時は掴み所のない、何だか不思議な人という印象だった。
だが次に再会した時は、見かけはのんびりとしたごく普通の優男 やさおとこなのに、時に危険な雰囲気を かもし出す、どこか油断のならない男だとも思った。
しかし風嘉フウカに来るまでの旅の間に、彼の不器用 ぶきような優しさに触れたり、その辛すぎる過去を垣間 かいま見たりして、いつの間にか自分の中で何か特別な存在になっていた。
この気持ちが何なのかはよくわからなかったけれど、それをじっくり考える前に鴻夏コウカレンに契約結婚を持ちかけられ、悩んだ挙句 あげくそれを了承してしまった。
だから何でこんな事ぐらいで、いちいち自分が動揺してしまうのか…、鴻夏コウカは未だにその理由がよくわからずにいたのだが、それも周りからすれば一目瞭然 いちもくりょうぜんの話で、気付いていないのは当人達のみであった。
そしてその姿を影から見ながら、總糜ソウヒが実にのんびりとこう呟く。
「…さぁて、姫さんはいつになったら気付くんかねぇ?うちの あるじはああ見えて、かなりモテるから苦労すると思うけど…」
「それはうちの あるじも同じだろう。複雑な情勢を読むのは得意なのに、人と自分の感情には うとすぎるぐらい うとい人だからな…」
珍しく無口な嘉魄カハクがそう応じると、『違いない』と總糜ソウヒが楽しげに笑う。
そして慌てて広間へと向かう鴻夏コウカを見ながら、總糜ソウヒがこの状況をこう表現した。
「…感情以外の事は何でも知ってる あるじと感情以外は何にも知らない姫さんね…。うん、結構いい感じにバランス取れてるじゃん」
影でそんな事を言われているとも知らず、鴻夏コウカ暁鴉ギョウアに案内されるまま、急ぎその場を後にしたのだった。



美しい色とりどりのタイルでいろどられた回廊 かいろうを通り抜け、鴻夏コウカが広間に辿り着くと、すぐに視界に見慣れた後ろ姿が入ってくる。
長い亜麻色 あまいろの髪をゆったりと一つにまとめ、白と青を基調とした上品で豪奢 ごうしゃな衣装を身に まとったレンは、遠目から見ても他者を寄せ付けない静かな威厳 いげんに満ち溢れていた。
彼の周りには昨夜紹介されたばかりの側近らが控え、何事 なにごとかをレンと語り合っていたが、鴻夏コウカが広間に入って来た事に気付くと、全員が一斉にその場でひざまず忠誠 ちゅうせい いを示す。
そしてその気配を察したレンが、ゆっくりと鴻夏コウカの方を振り返ると、彼は目が合った途端にふわりと鮮やかに微笑んだ。
「おはようございます、鴻夏コウカ。昨夜はよく休めましたか?」
「お…はようございます、レン。おかげ様でゆっくりと休めました…」
何とかそう返しながら、鴻夏コウカは有り得ないほど暴れ回る自らの心臓にかなり動揺する。
先程までの落ち着きはどこへやら…なぜレンに会った途端にこうなったのかと思いながら、鴻夏コウカレンから目が離せなかった。
確かに暁鴉ギョウアが言った通り、今日のレンはいつにも増して輝いていた。
元々が上品な顔立ちのため、今のように身分相応 みぶんそうおうの衣装を身に纏われると、自然と気品と威厳 いげんが増すようで、今の彼は間違いなくこの四大皇国の一つである風嘉フウカの皇帝にしか見えなかった。
どうしてこの彼を、ずっとただの文官の一人だと勘違いしていたのか…今にして思えば恥ずかしくなる。

しかしレンの方はというと相変わらずで、今日の主役の一人であると言うのに、まったく緊張感もなくのんびりとこう告げる。
「…その花嫁衣装、とてもよくお似合いですよ。今日の貴女を見た国民達の熱狂振 ねっきょうぶりが、今から容易に想像できますね」
「ありがとう…ございます…。でも貴方も今日はすごく素敵で…、その…やっぱり風嘉フウカ帝でいらっしゃったんだなと改めて思いました…」
思わずポロリと本音を漏らした鴻夏コウカに、レンがキョトンとした顔をする。
しかしすぐに優しく微笑むと、彼らしく穏やかにこう返した。
「…ありがとうございます。まぁ孫にも衣装ってやつですかね?正直自分的には衣装に着られてる感が半端ないんですけど、一応皇帝なんで、対外的な場ではそれなりの格好をしないと示しがつかないそうなんですよね…」
「そんな事…!すごく似合ってると思うわ」
思いっきり力説をすると、周りからクスクスといった含み笑いが聞こえてくる。
そして呆れたように黎鵞レイガがこう呟いた。
「仲が良いのは大変結構ですが、そろそろ神殿に向かう時間ですよ、レン?」
「…お願いですから、結婚式に遅刻とかはよしてくださいよ?護衛する側としては、一分のズレも結構な負担の増加なんですからね」
とすかさず須嬰 シュエイもそう付け足す。
そして最後に樓爛 ロウランが、いかにも彼らしくこう締め括くくった。
「そうです、そうです。多少の待ちは焦らし効果で売上増大が見込めますが、大幅な遅刻は逆に売上減です!さっさっと神殿に行って式を済ませて来ちゃってください」
これにはさすがのレン鴻夏コウカも、ただただ苦笑するしかなかった。



皇城 おうじょうのすぐ側に隣接する形で、その神殿は おごそかに建っていた。
風嘉フウカ皇家 おうけの全面支援の下、管理・運営されているこの大神殿は、先帝の異母妹 いもうとにあたる太華タイカ皇妹 おうまい巫女 みことし、国民から絶対的な信仰を集めている。
そのため先の大乱の際も、なぜかここだけは襲われる事なく、大乱前と変わらずその荘厳 そうごんな姿を地上に留めていた。
そこで今、風嘉フウカ帝 璉瀏レンリュウ花胤カイン皇女 おうじょ 鴻夏コウカの結婚式が行われている。
居並いならぶのは、今の風嘉フウカを支える重鎮 じゅうちん達。
その最前列には、璉瀏レンリュウ帝のおいにあたる泰瀏タイリュウ皇太子と共に、璉瀏レンリュウ帝の側近中の側近にあたる宰相 崋 黎鵞カ レイガ、将軍 伯 須嬰ハク シュエイ、財務長官 邰 樓爛タイ ロウランの姿もあった。
そしてシン…と静まりかえった神殿の中、何事もなく夫婦の誓いを済ませた鴻夏コウカは、そのままレンに手を取られ、 いざなわれるがままに皇城 おうじょう露台 バルコニーへとその姿を現す。
その途端、ドオッと地が うなるような大きな歓声が響き渡り、鴻夏コウカはそのまま凍りついた。
鴻夏コウカの視界一面に広がるのは、口々に祝いの言葉を述べながら、皇城 おうじょうへと詰め寄せるたくさんの風嘉フウカの国民達。
昨日街で見かけたように、全員が満面の笑顔を浮かべながら自分を歓迎してくれている。
もはや圧巻 あっかんとしか言えない光景に、圧倒されて立ち尽くしていると、ふいにレン鴻夏コウカに向かって声をかけてきた。

「御覧なさい、鴻夏コウカ。皆が貴女を熱狂的 ねっきょうてきに歓迎してくれていますよ」
「え、ええ…。でも本当に私で良かったのかしら…」
ある程度覚悟はしていたものの、予想を遥かに凌ぐ人気振りに、鴻夏コウカは呆然とそう呟く。
するとレンは優しく鴻夏コウカを見つめながら、はっきりとこう返した。
「…大丈夫です。貴女の事は私が全力で支えます。それに私達には、たくさんの優秀な味方が居ます。大丈夫、皆で助け合えば何とでもなりますよ」
そう言うとレンはさり気なく鴻夏コウカの肩を抱き寄せ、露台 バルコニーの一番手前へと歩み寄る。
そしてスッとレンが右手を挙げた瞬間、ピタリと先程までの大歓声が止み、その場は嘘のように静まりかえった。
一体 璉瀏レンリュウ帝が何を語るのかと、人々が熱い注目を注ぐ中、皇帝として圧倒的な存在感を放つレンの声が朗々 ろうろうとその場に響き渡る。
「…本日、私 風嘉フウカ帝 璉瀏レンリュウは、花胤カインよりここに居る鴻夏コウカ姫を正妃 せいひとして迎え入れた。今この時より、鴻夏コウカ姫は我が国の皇后である。遠き国より我が風嘉フウカに嫁いで来てくれた姫に、感謝と祝福を!そして新しい皇后に忠誠を!」
そうレンが宣言をすると、一気にその場は大歓声に包まれた。
あまりの人々の熱狂に、神殿も皇城 おうじょうもそして大地さえもが歓声で震えている。

改めて『風嘉フウカの英雄』璉瀏レンリュウ帝のその人気振りに圧倒されていると、隣に立つレンが穏やかにこう告げた。
「さぁ…貴女も皆の熱狂に応えてあげてください。皆が貴女に手を振って頂けるのを、心待ちにしていますよ」
そう促され、鴻夏コウカがおずおずと軽く手を振ると、途端に広場から大歓声が沸き起こる。
「あぁ、なんてお美しいお妃様だろう」
「まるで天使のように美しくて、そして女神様のようにお優しそう…」
「陛下がなかなかご結婚されずに心配していたが、やれこれでもう一安心だ」
璉瀏レンリュウ帝 万歳!鴻夏コウカ様 万歳!」
そういう祝いの声が、次々と鴻夏コウカの耳にも届いてくる。
まだ少し迷いはあったものの、それでも鴻夏コウカはこの時、この国とこの人々の為に生涯 しょうがいを捧げようと固く心に誓った。
そして未熟な自分を受け入れ、支えてくれると宣言した、先程夫となったばかりの男にこう告げる。
レン…私、努力するわ。この人達の幸せを護るために、精一杯努力します」
「…ありがとう、鴻夏コウカ。これからよろしくお願いしますね」
晴れ渡る空の下、穏やかにレンの声が響く。
その姿を眺めながら、レンの部下達も実に晴れ晴れとした表情で二人を見守っていた。



こうして『花胤カイン陰陽いんよう』の ひの姫と呼ばれた鴻夏コウカ姫は、風嘉フウカ帝 璉瀏レンリュウの正妃となった。
そしてこれを機に、運命の歯車はゆっくりと回り出す。
花胤カインに残された『花胤カイン陰陽いんよう』の片割れ、 いんの皇子こと凛鵜リンウ皇子、『月鷲ゲッシュウ金獅子きんじし』と呼ばれる鴎悧 オウリ帝、そして『鳥漣チョウレン狂帝 きょうてい』の異名 いみょうを取る華月 カゲツ帝…。
四大皇国を中心に、世界は急激に波乱と陰謀 いんぼうの波に さらされ始めていた。
そして否応 いやおうなしに仕掛けられる争いの波に、ここ風嘉フウカも巻き込まれていく事になる。
しかし現時点でその事に気付いている者は、ほんの一握りであった。




風嘉の白龍 ~花鳥風月奇譚・2~に続きます
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