【完結】獣王

さか様

文字の大きさ
9 / 50

9

しおりを挟む
雪解けは、ある日ふいに始まった。

洞穴の外で、水の音が増えた。
硬かった地面が、ゆっくりと緩み、土の匂いが立ち上る。

エリアスは、その変化を毎朝確かめるように洞穴の外へ出た。
もう、いちいち許可を求めることはしない。
だが、行き先は必ず視界の届く範囲だった。

ガレンは、それを止めなかった。

二人の間に、言葉が増えた。

天気のこと。
獣の足跡のこと。
果物の甘さの違い。

他愛もない会話だったが、エリアスは少しずつ心を開いていった。

——それでも、名前だけは言わなかった。

――

ガレンは優しい。
必要以上に触れない。

しかし、火を整える背中の隙。
視線が合うと、すぐ逸らされる瞳。
以前より、近づいた距離。

自分がここにいるせいで、ガレンの“いつも”が崩れているのではないか。

(……私が、原因なのでは)

そんな思いが、春の芽吹きと共に膨らんでいった。

もっと早く話したほうがよかったのか。
巻き込まないために。

その日、エリアスは決めた。

「……ガレン」

呼びかける声が、少し震える。

「話が、ある」

ガレンは火から目を離し、静かにこちらを見た。

「改まってるな、」

「……名前を」

喰い気味に発した言葉を一度のみ込み、エリアスは呼吸を整えた。

「……エリアスだ」

言った瞬間、胸の奥がひやりとした。

「……私は……追放された王、だ」

沈黙が落ちる。
しかし、ガレンは驚かない。

眉一つ動かさず、ただ頷いた。

「知ってる」

あまりにも自然な声だった。

「……え……?」

「最初からな」

エリアスの思考が、止まる。

「……な、ぜ……」

ガレンは立ち上がり、洞穴の外へ歩き出した。

「背に乗れ」

拒否の余地のない声。

エリアスが戸惑いながら外へ出ると、
そこには——熊がいた。

冬に見たときより、毛並みが艶やかだ。
春の光を受けて、黒が深く光る。

ガレンは、低く鳴いた。

エリアスの問いは、胸の奥に溜まったまま、一頭と一人は森を抜け、傾斜を登る。

やがて視界が開け、狩場が見渡せる高台に出た。

獣の姿のガレンは、そこで立ち止まった。

しばらくして、質量が削がれるように輪郭が揺れ、ガレンは人の姿へと戻る。

何度も見た光景だった。

息を整えながら、ガレンは腰を下ろした。

「……ここなら、話せる」

エリアスも、少し距離を置いて座る。

春の光は柔らかく、それでも空気はまだ冷たい。

「……最初から知ってた、途中から確信した」

ガレンは、改めて言った。

「お前の名も、立場も。俺だって王の名くらい、知ってる」

エリアスの肩が、わずかに揺れる。

「……立場…」

「あぁ、匂いでわかる」

それだけ言って、続ける。

「王の匂いは、消えない。
飾られて、守られて、血を流したことのない匂いだ」

責める響きはなかった。
ただの事実が並べられていく。

「……でも、あの日、捨てられたお前を放っておけなかった」

その言葉が、胸に落ちる。

エリアスは、何も言えなかった。
ガレンは、視線を遠くに向けたまま、ぽつぽつと語り始める。

獣人の力のこと。
かつて力が暴走し、守ろうとした仲間を傷つけたこと。
それで、一人で生きることを選んだこと。
この力は使えば使うほど、人に戻りにくくなること。

父と母のこと。
守るために獣になり、戻れなくなり、最期は人間に“獣として”仕留められたこと。

淡々とした語り口だった。
だが、その一つ一つが、重い。

エリアスの中で、何かが崩れた。

会議室。
整った言葉。

〈開拓〉
〈治安維持〉
〈境界の整理〉

——その裏に、何があったのか。

(……私は……)

自分が、無知のまま署名してきたもの。
獣人を“獣”と定義する言葉。それだけを拒否したからといって今までのことがなかったことにはならない。

その果てに、どれだけの命が切り捨てられていたのか。

雷に打たれたような感覚だった。

「……私は……」

声が、震える。

「……知らなかった……、知らされなかった……それでいいと思っていた……」

言い訳だと、自分でも分かっている。
エリアスは、俯いた。

「……ひどいことに、加担していた……」

その瞬間、影が落ちる。

ガレンが、距離を詰めていた。

何も言わず腕を伸ばし、エリアスを抱きしめる。

強くはない。
だが、逃がさない力だった。

「……いい。人間にも獣人にも、物事には理由がある」

低い声。

「知らなかったことは、罪じゃない。
…知って、どうするかだろう」

エリアスは、息を詰めた。

ただ抱かれているだけなのに、胸がいっぱいで、息が苦しい。

顔を上げた、そのとき。

ガレンが、ゆっくりと顔を寄せた。

躊躇なく唇が、そっと触れる。

一度だけ。
確かめるように。

意味を持った口付けは、初めてだった。

治療で舐められたことはある。
体温を確かめるために、触れられたこともある。

だが、これは違う。

愛情を伴う行為だった。

エリアスの視界が、滲む。
ガレンは、すぐに離れなかった。

額を寄せ、低く言う。

「……エリ…、
エリアス…いつからか俺は、お前を愛してしまった」

春の風が、二人の間を抜けていく。

「俺とずっと生きてほしい」

芽吹きは、もう始まっている。

「ガレン…私は……いや、私でいいのだろうか、私が獣人たちにしたことは許されない、」

それは、過去を知ったあとでも、なお共にいると選ぶこと。

「俺がそうしたい、お前を離したくない。
…熊は執念深い、一度とらえた獲物は誰にも渡さないんだ」

返事を待たず畳み掛けるようにガレンは続けて、微笑んだ。

「……そんなふうに言われると、困る……」

エリアスは、視線を逸らしたまま、息を整える。

「私は……まだ、自分を許せないし、きっと、簡単には償えない」

それでも、と続けようとして、言葉が詰まる。
ガレンの衣を、指先で掴む。

「…ただ…離れたいとは、思えない……」

獣と王ではなく、ガレンとエリアスとして生きることが許されるのならば。

春は、確かに、巡ってきていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

出戻り勇者の求婚

木原あざみ
BL
「ただいま、師匠。俺と結婚してください」 五年前、見事魔王を打ち倒し、ニホンに戻ったはずの勇者が、なぜか再びエリアスの前に現れた。 こちらの都合で勝手に召喚された、かわいそうな子ども。黒い髪に黒い瞳の伝説の勇者。魔王の討伐が終わったのだから、せめて元の世界で幸せになってほしい。そう願ってニホンに送り返した勇者に求婚目的で出戻られ、「??」となっている受けの話です。 太陽みたいに明るい(けど、ちょっと粘着質な)元勇者×人生休憩中の元エリート魔術師。 なにもかも討伐済みの平和になった世界なので、魔法も剣もほとんど出てきません。ファンタジー世界を舞台にした再生譚のようななにかです。

紳士オークの保護的な溺愛

flour7g
BL
■ 世界と舞台の概要 ここはオークの国「トールキン」。 魔法、冒険者、ギルド、ダンジョン、獣人やドラゴンが存在する、いわゆる“典型的な異世界”だが、この国の特徴はオークが長命で、理知的な文明社会を築いていることにある。 トールキンのオークたちは、 灰色がかった緑や青の肌 鋭く澄んだ眼差し 鍛え上げられた筋骨隆々の体躯 を持ち、外見こそ威圧的だが、礼節と合理性を重んじる国民性をしている。 異世界から来る存在は非常に珍しい。 しかしオークは千年を生きる種族ゆえ、**長い歴史の中で「時折起こる出来事」**として、記録にも記憶にも残されてきた。 ⸻ ■ ガスパールというオーク ガスパールは、この国でも名の知れた貴族家系の三男として生まれた。 薄く灰を帯びた緑の肌、 赤い虹彩に金色の瞳孔という、どこか神話的な目。 分厚い肩と胸板、鍛え抜かれた腹筋は鎧に覆われずとも堅牢で、 銀色に輝く胸当てと腰当てには、代々受け継がれてきた宝石が嵌め込まれている。 ざらついた低音の声だが、語調は穏やかで、 貴族らしい品と、年齢を重ねた余裕がにじむ話し方をする。 ● 彼の性格 • 極めて面倒見がよく、観察力が高い • 感情を声高に表に出さないが、内側は情に厚い • 責任を引き受けることを当然のように思っている • 自分が誰かに寄りかかることだけは、少し苦手 どこか「自分は脇役でいい」と思っている節があり、それが彼の誠実さと同時に、不器用さでもあった。 ⸻ ■ 過去と喪失 ――愛したオーク ガスパールはかつて、平民出身のオーク男性と結ばれていた。 家柄も立場も違う相手だったが、 彼はその伴侶の、 不器用な優しさ 朝食を焦がしてしまうところ 眠る前に必ず手を探してくる癖 を、何よりも大切にしていた。 しかし、その伴侶はすでにこの世を去っている。 現在ガスパールが暮らしているのは、 貴族街から少し離れた、二階建ての小さな屋敷。 華美ではないが、掃除が行き届き、静かな温もりのある家だ。 彼は今も毎日のように墓参りを欠かさない。 それは悲嘆というより、対話に近い行為だった。 ⸻ ■ 現在の生活 ガスパールは現在、 街の流通を取り仕切る代表的な役職に就いている。 多忙な職務の合間にも、 洗濯、掃除、料理 帳簿の整理 屋敷の修繕 をすべて自分でこなす。 仕事、家事、墓参り。 規則正しく、静かな日々。 ――あなたが現れるまでは。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

アルファ嫌いのヤンキーオメガ

キザキ ケイ
BL
にわか景気の商店街に建つペットショップで働く達真は、男性オメガだ。 オメガなのに美形でも小柄でもなく、金に染めた髪と尖った態度から不良だと敬遠されることが多い達真の首には、オメガであることを嫌でも知られてしまう白い首輪が嵌っている。 ある日、店にアルファの客がやってきた。 過去のトラウマからアルファが大嫌いな達真はぞんざいな態度で接客するが、そのアルファはあろうことか達真を「きれいだ」と称し、いきなりキスしてきて───!?

処理中です...