【完結】獣王

さか様

文字の大きさ
31 / 50

29.5

しおりを挟む
ギルバートは、夜明け前の村を歩いていた。

足音は、いつもより重い。
地面が柔らかいわけではない。
ただ、自分の身体が、思うように前へ出ないだけだ。

村は、静かだった。

静かすぎる。

昨夜までそこにあった怒号も、憎悪も、血の気配も、
すべてが一晩で「なかったこと」にされたような静けさ。

――終わった、のだ。

そう言ってしまえば、簡単だった。

だが、終わったのは騒ぎだけだ。
責任は、何ひとつ終わっていない。

ギルバートは、柵の壊れた場所で足を止めた。

熊が、ガレンが、入ってきた場所。

正面から。
隠れもせず、躊躇もせず。

獣として、最短距離を選んだ痕跡が、まだ生々しい。

折れた木。
踏み潰された土。

そして――縄。

切れたまま、地面に落ちている。

ギルバートは、それを拾い上げなかった。

触れる資格が、ない。

「……俺が、」

声に出しかけて、やめる。

ここで何を言っても、
それは事実の修正にはならない。

彼は、知っていた。

勅令が出たときから、
村の空気が変わったときから、
狐が余計な言葉をばら撒いたときから。

――止められない。

そう、分かっていた。

分かっていて、
「今は抑える」という選択をした。

獅子の怒号で、黙らせることはできた。
だが、それは一晩だけだ。

力で封じた憎悪は、
必ず、より歪な形で噴き出す。

だから彼は、選んだ。

――今日は、解散させる。
――時間を稼ぐ。

その“時間”の先で、
守るはずだったものが、吊るされた。

ギルバートは、歯を噛みしめる。

守れなかった。

医師として。
獅子として。
旧友として。

そして――
約束した者として。

「……助ける、と」

自分は、言った。

ガレンに。
はっきりと。

それなのに。

熊は、ひとりで来た。
手負いのまま。
引き返すこともなく。

――信じて、来たのだ。

ギルバートが間に合わなかったことを、
知らないまま。

村の奥で、誰かの声が聞こえる。

「……もう終わったんだ」
「熊は逃げた」
「人間は、いなくなった。勅令もこのまま」

軽い言葉だ。
処理済みの出来事として、口にされている。

ギルバートは、顔を上げなかった。

エリアスの顔が、脳裏に浮かぶ。

吊るされた身体。
背中の傷。
声を上げなかった強さ。

村長も、自分も、目を逸らした。

見てしまえば、認めてしまうからだ。

これは、「人間の責任」だけではない。

恐怖に負け、後ろ盾を失うことを恐れ、自分たちが“獣”として扱われる未来を受け入れられなかったから。

弱い者を差し出した。

そして、恩も忘れ、守り手もろとも切り捨てた。

ギルバートは、拳を握る。
爪が、皮膚に食い込む。

怒りと虚しさ。
それを向ける先が、あまりにも多すぎた。

誰かの言った言葉が、耳に残っている。

「……人間のしたことは、人間に責任を取らせるしかない」

(違う、)

それは、そんなのは。
自分たちの恐怖を、正義に見せるための言葉だ。

「守り手を狂わせた」
「いいように使われた」
「村を奪うつもりだったのかもしれない」

――全部、後付けだ。

ガレンが、どんな獣人だったか。
どんな生き方だったか。

皆、本当は知っている。

知っていて、見ないふりをした。

ギルバートは、深く息を吸う。

獅子の血が、胸の奥で、低く唸る。

「……生きていろ」

誰に向けた言葉かは、分からない。

熊にか。人間にか。
それとも、自分自身にか。

ギルバートは、森の奥を見つめたまま、動かなかった。

もう、分かっている。

きっと熊は、村には戻らない。
戻る理由が、なくなったからだ。

ここには、守るべきものも、信じるべき言葉も、もう残っていない。

「……ガレン」

名を呼ぶが、風に溶ける。

返事は、ない。

それでいいのだと、ギルバートは思った。

あの熊は、もう「守り手」ではない。

守るべき“一人”を得た男だ。
それ以上でも、それ以下でもない。

ギルバートは、拳を緩める。

怒りも、後悔も、すべてが遅すぎた。

それでも。

「……いつか」

声に出す必要はなかったが、それでも、言葉にした。

「いつか、また会えるなら」

森のどこかで。
誰にも追われず、誰も裁かない場所で。

熊が、ただ生きているだけの姿で。
そして、その隣にあの人間がいるなら。

それでいい。
それだけで、いい。

ギルバートは、背を向けた。

ただ、覚えている。

守れなかったことを。
選ばれなかったことを。
それでも――

確かに、あの二人がいること

森は、何も答えない。

だが、それでいいのだ。

それでももし、いつか、また会えたら。

それは、祈りではなく、赦しに近い願いだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

人族は一人で生きられないらしい――獣人公爵に拾われ、溺愛されて家族になりました

よっちゃん
BL
人族がほとんど存在しない世界に、 前世の記憶を持ったまま転生した少年・レオン。 獣人が支配する貴族社会。 魔力こそが価値とされ、 「弱い人族」は守られるべき存在として扱われる世界で、 レオンは常識の違いに戸惑いながらも必死に生きようとする。 そんな彼を拾ったのは、 辺境を治める獣人公爵アルト。 寡黙で冷静、しかし一度守ると決めたものは決して手放さない男だった。 溺愛され、守られ、育てられる日々。 だが、レオンはただ守られるだけの存在で終わることを選ばない。 学院での出会い。 貴族社会に潜む差別と陰謀。 そして「番」という、深く重い絆。 レオンは学び、考え、 自分にしかできない魔法理論を武器に、 少しずつ“並び立つ覚悟”を身につけていく。 獣人と人族。 価値観も、立場も、すべてが違う二人が、 それでも選び合い、家族になるまでの物語。 溺愛×成長×異世界BL。 読後に残るのは、 「ここに居場所があっていい」と思える、あたたかな幸福。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】

ゆらり
BL
 帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。  着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。  凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。  撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。  帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。  独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。  甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。  ※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。 ★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!

出戻り勇者の求婚

木原あざみ
BL
「ただいま、師匠。俺と結婚してください」 五年前、見事魔王を打ち倒し、ニホンに戻ったはずの勇者が、なぜか再びエリアスの前に現れた。 こちらの都合で勝手に召喚された、かわいそうな子ども。黒い髪に黒い瞳の伝説の勇者。魔王の討伐が終わったのだから、せめて元の世界で幸せになってほしい。そう願ってニホンに送り返した勇者に求婚目的で出戻られ、「??」となっている受けの話です。 太陽みたいに明るい(けど、ちょっと粘着質な)元勇者×人生休憩中の元エリート魔術師。 なにもかも討伐済みの平和になった世界なので、魔法も剣もほとんど出てきません。ファンタジー世界を舞台にした再生譚のようななにかです。

紳士オークの保護的な溺愛

flour7g
BL
■ 世界と舞台の概要 ここはオークの国「トールキン」。 魔法、冒険者、ギルド、ダンジョン、獣人やドラゴンが存在する、いわゆる“典型的な異世界”だが、この国の特徴はオークが長命で、理知的な文明社会を築いていることにある。 トールキンのオークたちは、 灰色がかった緑や青の肌 鋭く澄んだ眼差し 鍛え上げられた筋骨隆々の体躯 を持ち、外見こそ威圧的だが、礼節と合理性を重んじる国民性をしている。 異世界から来る存在は非常に珍しい。 しかしオークは千年を生きる種族ゆえ、**長い歴史の中で「時折起こる出来事」**として、記録にも記憶にも残されてきた。 ⸻ ■ ガスパールというオーク ガスパールは、この国でも名の知れた貴族家系の三男として生まれた。 薄く灰を帯びた緑の肌、 赤い虹彩に金色の瞳孔という、どこか神話的な目。 分厚い肩と胸板、鍛え抜かれた腹筋は鎧に覆われずとも堅牢で、 銀色に輝く胸当てと腰当てには、代々受け継がれてきた宝石が嵌め込まれている。 ざらついた低音の声だが、語調は穏やかで、 貴族らしい品と、年齢を重ねた余裕がにじむ話し方をする。 ● 彼の性格 • 極めて面倒見がよく、観察力が高い • 感情を声高に表に出さないが、内側は情に厚い • 責任を引き受けることを当然のように思っている • 自分が誰かに寄りかかることだけは、少し苦手 どこか「自分は脇役でいい」と思っている節があり、それが彼の誠実さと同時に、不器用さでもあった。 ⸻ ■ 過去と喪失 ――愛したオーク ガスパールはかつて、平民出身のオーク男性と結ばれていた。 家柄も立場も違う相手だったが、 彼はその伴侶の、 不器用な優しさ 朝食を焦がしてしまうところ 眠る前に必ず手を探してくる癖 を、何よりも大切にしていた。 しかし、その伴侶はすでにこの世を去っている。 現在ガスパールが暮らしているのは、 貴族街から少し離れた、二階建ての小さな屋敷。 華美ではないが、掃除が行き届き、静かな温もりのある家だ。 彼は今も毎日のように墓参りを欠かさない。 それは悲嘆というより、対話に近い行為だった。 ⸻ ■ 現在の生活 ガスパールは現在、 街の流通を取り仕切る代表的な役職に就いている。 多忙な職務の合間にも、 洗濯、掃除、料理 帳簿の整理 屋敷の修繕 をすべて自分でこなす。 仕事、家事、墓参り。 規則正しく、静かな日々。 ――あなたが現れるまでは。

異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!

めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

アルファ嫌いのヤンキーオメガ

キザキ ケイ
BL
にわか景気の商店街に建つペットショップで働く達真は、男性オメガだ。 オメガなのに美形でも小柄でもなく、金に染めた髪と尖った態度から不良だと敬遠されることが多い達真の首には、オメガであることを嫌でも知られてしまう白い首輪が嵌っている。 ある日、店にアルファの客がやってきた。 過去のトラウマからアルファが大嫌いな達真はぞんざいな態度で接客するが、そのアルファはあろうことか達真を「きれいだ」と称し、いきなりキスしてきて───!?

処理中です...