今日も振り向かない君の半歩後ろを歩く

さか様

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恒一が戻ってきてから、ひと月。
屋敷の空気は微妙に変わっていた。

誰かが口に出して言うわけじゃない。
配置も、仕事の流れも、表向きは何も変わらない。

ただ――
距離だけが、おかしい。

会議室でも、廊下でも、倉庫裏でも。
恒一は、気づけば燈のすぐ後ろにいる。

燈が歩けば、恒一も歩く。
立ち止まれば、恒一も止まる。

以前なら「当たり前」で済んでいた距離感が、今はやけに目につく。

若い衆の視線が、時々ひっかかる。

(……なんだよこれ、)

燈は内心で舌打ちした。

避けようとしても、避けきれない。
意識しないようにすると、余計に目に入る。

仕事中、恒一は余計なことをしない。
口も挟まないし、動きも正確だが、声色は少し変わった。

「兄貴」

声は低く、落ち着いている。
甘えた調子でもない。

なのに、やたらと呼ぶ。

「兄貴、それ後で確認したほうがいい」
「兄貴、ここら辺は危ないから、」
「兄貴、昼どうする」

燈は、そのたびに返事をする自分に気づいて、内心で苛立つ。

「うるせぇな、」

昼食の席でも、それは変わらなかった。

長机に並んで座り、簡単な飯をかき込む。
味なんて誰も気にしていない、いつもの光景。

燈が茶碗を置いた、その瞬間。

「兄貴」

まただ。

「……なんだ」

「ご飯粒、ついてる」

恒一が、何のためらいもなく手を伸ばし、親指で燈の口元を拭う。
その動作が、あまりに自然すぎて、一瞬誰も止めなかった。

その後、恒一は、その指を自分の口に運んだ。

「な、……」

燈の動きが止まる。

周囲の若い衆が、露骨に目を泳がせた。

"今の、見たよな?""見た……よな?"と視線だけで会話が繰り広げられる。

燈は、ゆっくりと恒一を見た。

「……お前、なにして、」

恒一は、何でもない顔で言う。

「ついてたから、」

「そういう問題じゃねぇ」

恒一は、少しだけ口角を上げた。

それがまた、腹立たしい。

食事が終わり、人が散っていく。
燈が立ち上がると、恒一も当然のように立つ。

「兄貴」

また呼ばれる。

「兄貴、」

「……なんだよ」

「兄貴は」

言いかけて、恒一は一瞬だけ間を置く。

「……いつ、祝ってくれる?」

静かな声でじわりと逃げ道を塞ぐ問いをぶつける。
燈の喉が、ひくりと鳴った。

(……圧がすげぇ)

「…っ、仕事中だ」

「だいぶ経ってるよ」

「覚えてる」

燈は、足を止めた。

振り返ると、恒一が真っ直ぐこちらを見ている。

追い詰めるでもなく、煽るでもなく、ただ当然のように待ちきれない目をしていた。

燈は、思わず笑ってしまった。

「……お前は、待てができねぇ駄犬か?」

皮肉のつもりだった。
いつものように突き放すための言葉。

だが、恒一は眉一つ動かさない。

「お預けしてんのは、誰?」

その言葉が、胸の奥に刺さる。
燈は言葉を失った。

(……なんで、こうなった?)

ほんの数ヶ月までは、こんな会話はなかった。
距離も、線も、もっとはっきりしていた。

それを崩したのは――
自分だ。

欲しいという言葉に浮かされ、「祝う」なんて言った。
燈は、深く息を吐く。

「……仕事、終わってからだ」

それだけ言うと、恒一の目がわずかに細まった。

「じゃあそれって、今日?」

「……ああ」

燈は、目を逸らしながら答えた。

「今日だ」

その一言で、恒一の圧が、さらに一段増した気がした。

何も言わないが、離れない。
燈は歩き出すと、恒一も当然のようについてくる。

影が、また重なる。

「ちけぇよ、」

(……ほんと、なんでこうなった)

だが、胸の奥にあるのは後悔じゃない。

逃げ場がなくなっていることを、どこかで受け入れ始めている自分への戸惑いだった。

祝うと言ったのは自分の言葉に追い立てられているのは、紛れもなく燈自身だった。
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