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アナーキー・イン・ザ・US
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アメリカ、ミシガン州ロチェスター。
工業地帯のデトロイトから少し離れた町に、俺たちの学校はあった。
腐乱死体みたいな緑色のフェンス越しに、昼に来たばかりの通学路を見ていた。隣接する車道から、風に乗った排気ガスが鼻を突いた。息を止める。こんな汚い世界で生きていたくない。
このゴミ溜めみたいな世界で、おかしいのが自分なのか世の中なのかなんてわからない。頭がおかしいなんて、言われ慣れている。
煙で不明瞭になった手のひらの輪郭が揺れて、ふっと二重にぼやけた。
窓ガラスはひび割れて、所々ガムテープで補強されている。「終わってるわね」と隣でアイリンが言った。ヴァージニア・スリムの細い煙が、ごちゃごちゃした装飾過多のスカルプネイルの間からすうと立ち上っている。
「吸う?」
「いらない。体に悪いからね」
「はー、死にたい死にたいとかうるさい癖に、何ケンコーなんて気にしちゃってんの?」
ブロンドのイカレ女。彼女は少ない交友関係の唯一の女友達だった。
誰も居ない教室を覗き込むと、カレンダーの文字が辛うじて読めた。
1996年12月8日。
「ジョン・レノンの命日だって、朝のテレビでやってた」
「へえ⋯⋯別に、好きじゃないけど」
好きでもない奴に刺されて死ぬなんて、同情する。俺は好きな人に刺されて死にたい。こんなところじゃなくて、あの箱庭の中で。今でも夢に見る。
**
雪が線になって、無慈悲に降り落ちている。俺にはそれが、生徒たちを刺し貫こうとする槍に見えた。
また、冬が来たのだ。
「おたくの息子さんですがね、素行が非常に悪い!」
ペールグリーンのダサいセーターを着た生徒指導の教員は、机を手の平で叩いた。ペールグリーンって、世界で一番ダサい色だと思う。
何やら怒っているらしい。授業態度、生活態度、諸々に問題があるのだと言う。 だから、兄まで呼び出されてこんなことになっている。部屋は真白の蛍光灯で部屋の中心だけ照らされ、刑事ドラマの取り調べを受けているみたいだった。
「弟ですが」
「おや、それは失礼」
年の離れた兄、モーガンはいつもの薄ら笑いを崩さず答えた。金融会社を一から興した生粋のビジネスマンである兄は、常に完璧な微笑を崩すことが無い。この偉大なるお兄様のおかげで、弟たちは路頭に迷わず済んでいるのだ。だから、この人には誰も逆らえない。
耳にかかる亜麻色の巻き毛は、レイの真っ直ぐに落ちる夜色の髪とは毛質から違っている。綿のような髪は整髪料で細かに纏められ、兄の几帳面な性質そのものだ。品のあるチャコールグレーのコートからは、ムスクと煙草の香りが空間に余韻をもたらしていた。レイとは正反対の、垂れ気味な目元を細めて兄は微笑んだ。安心しろ、と言うように。
モーガンはレイが見てきた人間でいっとう美しい人だった。
「私が院に居た時より余程真面目ですよ」
「少年院ね」
俺が誰も刺激しないようできるだけ平坦に答えると、大学院を出ているのですか?と言いかけていた教師は思わず閉口した。
「しかしですね、授業に半分しか出席していないんですよ!」
「まあ、半分も出ているんですか?すごいじゃないか。十分すぎるくらいだ」
兄はいつも俺の味方だ。怖いくらいに。
俺にはこの教師の考えていることがわかる。
この無法者の兄弟に、どうしたらわかってもらえるのか。常識が無い。きっと今まで、自分たちの世界に引き篭って道徳的教育を十分に受けてこなかったのだろう。
「何がいけないんです?レイが居心地が良いと思える場所で無いのなら、それが問題なのではないですか?どうでしょう」
「たしかにこの子は、えー、個性的な生徒ですから、学校教育への齟齬もあるとは思います。ええ。しかしですね、他の生徒を窓から突き落としたりするのは──」
「先生。どうか守ってやってはくれませんか。ここはあまり、治安が良いとは言えない。繊細な子なんです」
モーガンは平静に、どこか哀れさを持って訴えかけた。その言い知れぬプレッシャーにはその教員もウンと頷いてしまう他無かった。レイはテストも受けようとしなければクラブにも所属せず、P.E.の時間にはグラウンドの隅に座り込んでいた。
どうしたものか。教員がうーん、と唸っていると、気づいた頃には部屋に2人の姿は無かった。
「ねえ、家に帰っちゃ駄目なの?」
ここには大事なものが無かった。同窓の生徒のほとんどの名前も顔も、レイには思い出せない。
モーガンの作った箱庭は、常に適温に保たれていた。あそこでは、常に微睡む気持ちで居られる。
「全部お前のためなんだよ。レイは賢いから、わかるよね?」
モーガンは「駄目」とも「いいよ」とも言わなかったが、それは明らかな拒絶だった。
"貴方は賢いから"というのは、捻くれた子供を丸め込むための大人の常套手段であるとレイは考えていた。どうして帰らせてくれないのだろう。教師たちの言うように、社会性とやらを身につけさせようとしているのだろうか。それとも、自分が邪魔になったから?そう考えるだけで、生きていること全てが無駄な気がしてきて、自分が自分で無くなるような心地だった。
工業地帯のデトロイトから少し離れた町に、俺たちの学校はあった。
腐乱死体みたいな緑色のフェンス越しに、昼に来たばかりの通学路を見ていた。隣接する車道から、風に乗った排気ガスが鼻を突いた。息を止める。こんな汚い世界で生きていたくない。
このゴミ溜めみたいな世界で、おかしいのが自分なのか世の中なのかなんてわからない。頭がおかしいなんて、言われ慣れている。
煙で不明瞭になった手のひらの輪郭が揺れて、ふっと二重にぼやけた。
窓ガラスはひび割れて、所々ガムテープで補強されている。「終わってるわね」と隣でアイリンが言った。ヴァージニア・スリムの細い煙が、ごちゃごちゃした装飾過多のスカルプネイルの間からすうと立ち上っている。
「吸う?」
「いらない。体に悪いからね」
「はー、死にたい死にたいとかうるさい癖に、何ケンコーなんて気にしちゃってんの?」
ブロンドのイカレ女。彼女は少ない交友関係の唯一の女友達だった。
誰も居ない教室を覗き込むと、カレンダーの文字が辛うじて読めた。
1996年12月8日。
「ジョン・レノンの命日だって、朝のテレビでやってた」
「へえ⋯⋯別に、好きじゃないけど」
好きでもない奴に刺されて死ぬなんて、同情する。俺は好きな人に刺されて死にたい。こんなところじゃなくて、あの箱庭の中で。今でも夢に見る。
**
雪が線になって、無慈悲に降り落ちている。俺にはそれが、生徒たちを刺し貫こうとする槍に見えた。
また、冬が来たのだ。
「おたくの息子さんですがね、素行が非常に悪い!」
ペールグリーンのダサいセーターを着た生徒指導の教員は、机を手の平で叩いた。ペールグリーンって、世界で一番ダサい色だと思う。
何やら怒っているらしい。授業態度、生活態度、諸々に問題があるのだと言う。 だから、兄まで呼び出されてこんなことになっている。部屋は真白の蛍光灯で部屋の中心だけ照らされ、刑事ドラマの取り調べを受けているみたいだった。
「弟ですが」
「おや、それは失礼」
年の離れた兄、モーガンはいつもの薄ら笑いを崩さず答えた。金融会社を一から興した生粋のビジネスマンである兄は、常に完璧な微笑を崩すことが無い。この偉大なるお兄様のおかげで、弟たちは路頭に迷わず済んでいるのだ。だから、この人には誰も逆らえない。
耳にかかる亜麻色の巻き毛は、レイの真っ直ぐに落ちる夜色の髪とは毛質から違っている。綿のような髪は整髪料で細かに纏められ、兄の几帳面な性質そのものだ。品のあるチャコールグレーのコートからは、ムスクと煙草の香りが空間に余韻をもたらしていた。レイとは正反対の、垂れ気味な目元を細めて兄は微笑んだ。安心しろ、と言うように。
モーガンはレイが見てきた人間でいっとう美しい人だった。
「私が院に居た時より余程真面目ですよ」
「少年院ね」
俺が誰も刺激しないようできるだけ平坦に答えると、大学院を出ているのですか?と言いかけていた教師は思わず閉口した。
「しかしですね、授業に半分しか出席していないんですよ!」
「まあ、半分も出ているんですか?すごいじゃないか。十分すぎるくらいだ」
兄はいつも俺の味方だ。怖いくらいに。
俺にはこの教師の考えていることがわかる。
この無法者の兄弟に、どうしたらわかってもらえるのか。常識が無い。きっと今まで、自分たちの世界に引き篭って道徳的教育を十分に受けてこなかったのだろう。
「何がいけないんです?レイが居心地が良いと思える場所で無いのなら、それが問題なのではないですか?どうでしょう」
「たしかにこの子は、えー、個性的な生徒ですから、学校教育への齟齬もあるとは思います。ええ。しかしですね、他の生徒を窓から突き落としたりするのは──」
「先生。どうか守ってやってはくれませんか。ここはあまり、治安が良いとは言えない。繊細な子なんです」
モーガンは平静に、どこか哀れさを持って訴えかけた。その言い知れぬプレッシャーにはその教員もウンと頷いてしまう他無かった。レイはテストも受けようとしなければクラブにも所属せず、P.E.の時間にはグラウンドの隅に座り込んでいた。
どうしたものか。教員がうーん、と唸っていると、気づいた頃には部屋に2人の姿は無かった。
「ねえ、家に帰っちゃ駄目なの?」
ここには大事なものが無かった。同窓の生徒のほとんどの名前も顔も、レイには思い出せない。
モーガンの作った箱庭は、常に適温に保たれていた。あそこでは、常に微睡む気持ちで居られる。
「全部お前のためなんだよ。レイは賢いから、わかるよね?」
モーガンは「駄目」とも「いいよ」とも言わなかったが、それは明らかな拒絶だった。
"貴方は賢いから"というのは、捻くれた子供を丸め込むための大人の常套手段であるとレイは考えていた。どうして帰らせてくれないのだろう。教師たちの言うように、社会性とやらを身につけさせようとしているのだろうか。それとも、自分が邪魔になったから?そう考えるだけで、生きていること全てが無駄な気がしてきて、自分が自分で無くなるような心地だった。
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