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17話
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黙ったまましばらく海沿いを進むと、そんなに広くはないが公園がある。風向きによっては潮の香りが漂って来るのだが、今日はさほど風がない上に若干寒いので、ほとんど感じない。
子供が来るような公園ではないし、日はもう沈んでいるので、辺りはとても静かだ。ところどころに置かれているベンチでは、それぞれカップルが寄り添っている。その中の空いているベンチに、幸希は花菜実を座らせた。
「大丈夫か? 花菜実」
顔色の悪い花菜実の髪を指で整え、心配そうに顔を覗き込む幸希。彼女は苦しそうに肩で息をし、そして、
「も、もう、やだ……っ。だ、からやだった、の……っ」
丸い瞳から、ポロポロと大粒の涙を零し始めた。その身体は震え、何かを恐れているようだ。
「花菜実、何があった?」
幸希の問いに、花菜実は泣きじゃくりながらも語り始める。
「さ、さっきの子は、私の……大学の、同級生で――」
花菜実が東京の女子大に入学して一週間ほど経った頃のことだった。
同じ学部の女子にテニスサークルに誘われた。その女子が、長崎千賀子の従姉、浜島茉莉だった。いくつかの講義で一緒になった関係で顔見知りになり、そして、
『インカレサークルなんだけどね、いい人多いんだよ~』
さほど乗り気ではなかったけれど、一度だけでも、と請われ、茉莉について行ったのだ。そのサークルは数校の大学から構成されてはいたが、それほど大所帯ではなく、比較的全体に目が行き届く感じで好感が持てた。人懐っこい学生が多く、初対面の花菜実に対してもウェルカムムードたっぷりで歓迎してくれた。
テニスなら中学時代に部活でやっていたし、楽しめそうだと思った花菜実は、入会を決めた。
サークルでは友達も出来た。あまり気が合わないのではと危惧していた、幹部をしている派手なメンバーたちにも可愛がられた。中でも川越裕介という、二つ年上の男子からは特に気に入られたのか、たびたび声をかけられ、甘い言葉で誘われ、二人きりでも出かけたりした。甘やかされ、そして「俺たちって、もうつきあってるって感じだな」と、照れくさそうに言われ、キスもされた。花菜実にとっては初めてのキスだった。
裕介は親が会社を経営している資産家で、本人もなかなかに容姿端麗だった。それなのに人懐っこく、モノマネが得意で、芸能人からサークルメンバーまでいろいろな人のモノマネを披露して周囲を笑わせていた。そんな彼は男女問わず人気があり、サークルの中心人物でもあって。
そんな人から選んでもらえたなんて――花菜実は信じられないような、ふわふわした幸せな気持ちでいっぱいだった。
つきあい始めてから、何度もいい雰囲気にはなったが「花菜実のこと大切にしたいから」と、関係はプラトニックなまま続き――気がつけばすぐに裕介のことを考えてしまうほど、夢中になっていた。
毎日が楽しくて楽しくて。このままこんな幸せな灯りを心に点したまま、大学生活は続いていくんだ――そう思っていた。
サークルに入ってから三ヶ月が経ち、裕介とつきあって一ヶ月半が過ぎた頃、突然、裕介から連絡が来なくなった。それに並行するように、花菜実は彼が他の女の子と腕を組んで歩いているのを見かけるようになった。花菜実と同じ大学で、美人で名高いお嬢様だった。
初めは何かの間違いだと思ったけれど、その後も、花菜実を放って彼女とのデートを繰り返し、しまいにはサークルにまで連れて来てベタベタするようになった。その度に彼女の心にヒビが入っていき――そしてある時、花菜実は勇気を出して裕介を呼び止め、彼の真意を聞き出そうとした。
最近、一緒にいるあの子は一体誰なのか、と。
『あぁ、あれ、俺の彼女』
悪びれることも躊躇うこともなく言い放ったその台詞に、花菜実は頭を強く打ちつけられたような気分になった。
では、自分は一体何なのだろう?
『あのさぁ……俺が本気でおまえなんかとつきあうと思ってたの? めでたい頭してんなぁ。まぁいい機会だからネタバラシしてやるよ。俺がおまえをその気にさせて、こうして突き放してやったのはさ、まぁ軽い復讐だよ』
裕介は以前つきあっていた美人で金持ちの彼女を、同じ大学に通っている尚弥に取られたことがあったそうだ。正確に言えば、彼女が尚弥に一目惚れをし、裕介を振ってしまっただけに過ぎなかったのだが。だが尚弥を逆恨みしていた裕介は、サークルに入って来た花菜実が尚弥の妹であることを知り、目をつけ、憂さを晴らした、というわけだ。
『ほんとはヤリ捨ててやろうかと思って、何度か試してはみたけどさ、悪ぃ、俺、おまえじゃ勃たなかったわ』
笑い話のように明かされていく裕介の本心――呆然とする花菜実に追い打ちをかけるように、茉莉がくちばしを挟んだ。
『そもそもあたしが花菜実をサークルに誘ったのは、あんたと仲良くしてればSENRIに会えるかと思ったからだし。サークルであんたによくしてくれたメンバーのほとんどは、SENRI目当てだから。誰も花菜実と仲良くしたかったわけじゃないのに、気づかないんだもん。鈍感にもほどがあるでしょ。まぁ、SENRIは海外に拠点移しちゃったみたいだし、さすがにもう会えないだろうから、花菜実、あんたももう用済みだから』
笑ってそんなことを言われ、花菜実は身体が震えて止まらなくなった。過去の経験から、花菜実は大学では兄と姉のことを誰にも話していなかった。
尚弥と千里は花菜実にとって大切な家族で、もちろん大好きだ。けれど中学生の時も高校生の時も、
『お兄さん、すっごいかっこいいね! 紹介して!』
『お姉さん、モデルのSENRIでしょ? 会わせて』
『お兄さんたちと花菜実、全然似てないよね~』
そう言われ続けてきたから。大学では、兄姉のことを知らない友達が欲しかった。それなのに――
『っていうかさぁ……お姉さんとお兄さんは美形なのにねぇ? ほんとに血がつながってるの? 花菜実だけ養子とかじゃないの?』
『おまえみたいな女、そもそもうちのサークルに合わねぇだろ。とっとと辞めた方がいいんじゃね?』
『っていうかここまで言われてまだ居座るとしたら相当神経図太いよねぇ」
『身のほどを知れ、っつーの』
二人から畳みかけるように暴言を吐かれ、花菜実は胃の腑からこみあげるものを感じ、トイレへ駆け込んだ。目の前が白くなり、めまいもした。
ショックのあまり、それから数日は大学を休んでしまった。家族はこぞって心配をしたが、本当の理由は話せなかった。
そして、再び登校した時には――サークルが解散していた。
子供が来るような公園ではないし、日はもう沈んでいるので、辺りはとても静かだ。ところどころに置かれているベンチでは、それぞれカップルが寄り添っている。その中の空いているベンチに、幸希は花菜実を座らせた。
「大丈夫か? 花菜実」
顔色の悪い花菜実の髪を指で整え、心配そうに顔を覗き込む幸希。彼女は苦しそうに肩で息をし、そして、
「も、もう、やだ……っ。だ、からやだった、の……っ」
丸い瞳から、ポロポロと大粒の涙を零し始めた。その身体は震え、何かを恐れているようだ。
「花菜実、何があった?」
幸希の問いに、花菜実は泣きじゃくりながらも語り始める。
「さ、さっきの子は、私の……大学の、同級生で――」
花菜実が東京の女子大に入学して一週間ほど経った頃のことだった。
同じ学部の女子にテニスサークルに誘われた。その女子が、長崎千賀子の従姉、浜島茉莉だった。いくつかの講義で一緒になった関係で顔見知りになり、そして、
『インカレサークルなんだけどね、いい人多いんだよ~』
さほど乗り気ではなかったけれど、一度だけでも、と請われ、茉莉について行ったのだ。そのサークルは数校の大学から構成されてはいたが、それほど大所帯ではなく、比較的全体に目が行き届く感じで好感が持てた。人懐っこい学生が多く、初対面の花菜実に対してもウェルカムムードたっぷりで歓迎してくれた。
テニスなら中学時代に部活でやっていたし、楽しめそうだと思った花菜実は、入会を決めた。
サークルでは友達も出来た。あまり気が合わないのではと危惧していた、幹部をしている派手なメンバーたちにも可愛がられた。中でも川越裕介という、二つ年上の男子からは特に気に入られたのか、たびたび声をかけられ、甘い言葉で誘われ、二人きりでも出かけたりした。甘やかされ、そして「俺たちって、もうつきあってるって感じだな」と、照れくさそうに言われ、キスもされた。花菜実にとっては初めてのキスだった。
裕介は親が会社を経営している資産家で、本人もなかなかに容姿端麗だった。それなのに人懐っこく、モノマネが得意で、芸能人からサークルメンバーまでいろいろな人のモノマネを披露して周囲を笑わせていた。そんな彼は男女問わず人気があり、サークルの中心人物でもあって。
そんな人から選んでもらえたなんて――花菜実は信じられないような、ふわふわした幸せな気持ちでいっぱいだった。
つきあい始めてから、何度もいい雰囲気にはなったが「花菜実のこと大切にしたいから」と、関係はプラトニックなまま続き――気がつけばすぐに裕介のことを考えてしまうほど、夢中になっていた。
毎日が楽しくて楽しくて。このままこんな幸せな灯りを心に点したまま、大学生活は続いていくんだ――そう思っていた。
サークルに入ってから三ヶ月が経ち、裕介とつきあって一ヶ月半が過ぎた頃、突然、裕介から連絡が来なくなった。それに並行するように、花菜実は彼が他の女の子と腕を組んで歩いているのを見かけるようになった。花菜実と同じ大学で、美人で名高いお嬢様だった。
初めは何かの間違いだと思ったけれど、その後も、花菜実を放って彼女とのデートを繰り返し、しまいにはサークルにまで連れて来てベタベタするようになった。その度に彼女の心にヒビが入っていき――そしてある時、花菜実は勇気を出して裕介を呼び止め、彼の真意を聞き出そうとした。
最近、一緒にいるあの子は一体誰なのか、と。
『あぁ、あれ、俺の彼女』
悪びれることも躊躇うこともなく言い放ったその台詞に、花菜実は頭を強く打ちつけられたような気分になった。
では、自分は一体何なのだろう?
『あのさぁ……俺が本気でおまえなんかとつきあうと思ってたの? めでたい頭してんなぁ。まぁいい機会だからネタバラシしてやるよ。俺がおまえをその気にさせて、こうして突き放してやったのはさ、まぁ軽い復讐だよ』
裕介は以前つきあっていた美人で金持ちの彼女を、同じ大学に通っている尚弥に取られたことがあったそうだ。正確に言えば、彼女が尚弥に一目惚れをし、裕介を振ってしまっただけに過ぎなかったのだが。だが尚弥を逆恨みしていた裕介は、サークルに入って来た花菜実が尚弥の妹であることを知り、目をつけ、憂さを晴らした、というわけだ。
『ほんとはヤリ捨ててやろうかと思って、何度か試してはみたけどさ、悪ぃ、俺、おまえじゃ勃たなかったわ』
笑い話のように明かされていく裕介の本心――呆然とする花菜実に追い打ちをかけるように、茉莉がくちばしを挟んだ。
『そもそもあたしが花菜実をサークルに誘ったのは、あんたと仲良くしてればSENRIに会えるかと思ったからだし。サークルであんたによくしてくれたメンバーのほとんどは、SENRI目当てだから。誰も花菜実と仲良くしたかったわけじゃないのに、気づかないんだもん。鈍感にもほどがあるでしょ。まぁ、SENRIは海外に拠点移しちゃったみたいだし、さすがにもう会えないだろうから、花菜実、あんたももう用済みだから』
笑ってそんなことを言われ、花菜実は身体が震えて止まらなくなった。過去の経験から、花菜実は大学では兄と姉のことを誰にも話していなかった。
尚弥と千里は花菜実にとって大切な家族で、もちろん大好きだ。けれど中学生の時も高校生の時も、
『お兄さん、すっごいかっこいいね! 紹介して!』
『お姉さん、モデルのSENRIでしょ? 会わせて』
『お兄さんたちと花菜実、全然似てないよね~』
そう言われ続けてきたから。大学では、兄姉のことを知らない友達が欲しかった。それなのに――
『っていうかさぁ……お姉さんとお兄さんは美形なのにねぇ? ほんとに血がつながってるの? 花菜実だけ養子とかじゃないの?』
『おまえみたいな女、そもそもうちのサークルに合わねぇだろ。とっとと辞めた方がいいんじゃね?』
『っていうかここまで言われてまだ居座るとしたら相当神経図太いよねぇ」
『身のほどを知れ、っつーの』
二人から畳みかけるように暴言を吐かれ、花菜実は胃の腑からこみあげるものを感じ、トイレへ駆け込んだ。目の前が白くなり、めまいもした。
ショックのあまり、それから数日は大学を休んでしまった。家族はこぞって心配をしたが、本当の理由は話せなかった。
そして、再び登校した時には――サークルが解散していた。
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