運命の君

沢渡奈々子

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ベータなのに

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 やや特殊ではあるが、青少年特有の青臭い悩みごとを抱えるようになって一ヶ月ほど過ぎたある日の放課後、蒼は担任から頼まれた雑用のため学校に残っていた。大量の書類をソートしてホチキス止めをし、クラスごとに数をまとめるという非常に面倒くさい仕事だった。充と凪は用事があるということで先に学校を出た。充に関して言えば多分デートだろう。彼女とは同じ学校ではないので会える時はなるべく会わせてやりたいと、蒼はあえて充を引き止めなかった。涼真は部活だ。バスケ部の副部長をしていて基本的に毎日忙しい。
 小一時間ほどかけた雑用が終わり書類をすべて引き渡すと、担任は「お疲れさま」と言ってチョコレートを一箱くれた。それを制服のポケットにしまいながら職員室から出る。誰もいない廊下を歩きながら、
「今日はぼっちで帰りますよ~。夕方の俺~」
 適当なメロディに乗せて自作の歌を口ずさむ。蒼は何となく「鳴海は今どうしてるのかなぁ……」などと考えていた。
 とその時、誰かが前から来ているのに気づかず、ぶつかりそうになった。
「あ、すいません」
 間一髪で衝突を回避した蒼は、相手に軽く会釈をしてすれ違う――が、三歩ほど歩いたところで肩をつかまれた。
 謝ったのに何だよ~めんどくせぇ……と思いながら振り返ると、相手はどうも怒っているわけではなく、珍しいものでも見つけたように蒼を見据えていた。三年生で有名なキラキラしたグループの中でも、一際キラキラして目立っている人物だった。数少ないアルファで、名を小野塚と言った。鳴海よりは多少劣るが相当な美形である。その小野塚が蒼のことを値踏みするように見て、それから、
「……オメガっこ、み~っけ」
 にっこり笑って言った。
「ち、違います。俺ベータですよ」
 小野塚の指摘に、手を振りながら訂正を試みる蒼。
「いーや、君オメガだよ。しかも近い内に発情するね。俺アルファだから匂いで分かるんだよねぇ」
 と言いながら、蒼の首筋の匂いを嗅いできたので、慌てて小野塚の側から離れる。
「違いますって! 俺ちゃんと検査受けてベータって診断されてますから!」
「ん~、ごくまれにオメガに変わっちゃうやつもいるからなぁ。そだ、ちょっと試してみようか?」
 そう言って蒼の腕を強引に掴み、近くの空き教室へと引きずり込んだ。
「ちょっ、やめてくださいよ!」
 蒼はめいっぱい抵抗したが、全然かなわない。同じ男であるにもかかわらず、腕力がまったく違うのだ。
「力が全然違うっしょ? それオメガっこの特徴なんだよねぇ。しかも、身体も小さいし……」
 小野塚が舌なめずりをして蒼を床に押し倒し、彼のズボンのベルトを外し始めた。
「や、やだ! やめろ!」
 思い切り身体を動かしているのに、目の前の男のやることを制止できない。小野塚は蒼の抵抗をものともせず、ズボンと下着に手をかけてずり下ろした。
「ほらぁ、ここも可愛らしいねぇ。オメガっこの特徴揃い踏み、って感じじゃん? おいしそ~、よだれ出そう」
 空気に晒された蒼の下半身をうっそりと眺め、小野塚が嬉しそうに言った。
(やだ、やだ、やだ、俺、何されるんだ!? 怖い、怖い、怖い……!)
「やめ……っ」
 心臓が痛い。過呼吸に陥ったように息が荒くなる。怖くてたまらない。
「ね、気持ちよくしたげるからいい子にして」
 その笑顔は、悪魔のように美しかった。
 蒼はぞくりとした。鳴海とくっついた時とはまったく違う。同じように心臓が速く打っているのに全然違う。痛くて怖くて、涙が出る。
(助けて鳴海、助けて!)
「やだぁ! やめろぉ……!」
 弱々しく抵抗するも焼け石に水で。小野塚は鼻歌混じりに蒼の下半身の着衣を抜き取った。その時、
「末永っ!!」
 けたたましい音を立てて、空き教室の扉が開いた。
 息を弾ませながら、鳴海が立っていた。そして蒼の状態を見るにカッと目を見開いた。燃えるような怒りをその瞳に滾らせて。
「な……る、み……」
「あれぇ、凛じゃん。何しに来たの」
恵斗けいと、末永を離して」
「え、この子っておまえの?」
「いいから離せ。離さないと……殺すよ」
 普段の穏やかな雰囲気など見る影もない、射抜くような視線。背筋が凍りそうなほど冷たく、それでいて今にも燃え上がりそうなオーラがゆらりと鳴海の背後に見えた気がした。それを目にした小野塚は一瞬ぶるりと身体を震わせ、そして肩をすくめた。
「はいはい、分かったよ~。おまえのことは敵に回したくないし。……ったく、いいところだったのにね? オメガちゃん」
 小野塚が首を傾げながらにっこりと笑った。罪悪感のかけらも見せない、あまりに清々しい笑顏なのでかえって怖かった。
「……ちが……」
 オメガであることを否定したかったのに、声が出ない。くちびるが震えて上手く話せない。蒼がここまで弱っているにもかかわらず、その原因を作った小野塚は涼しい顔で立ち上がり、何事もなかったかのように教室を出て行った。
「だ、大丈夫? 末永」
 顔を覗き込んで鳴海が尋ねる。蒼は震えながら頷くので精一杯だった。
「間に合って、よかった……」
 鳴海は急いで蒼にズボンを履かせ、自分のジャケットを脱ぎ蒼を包むようにかけて抱きしめた。それでも蒼の震えは止まらない。
「ど……し、て……?」
 どうしてここにいるのが分かったのか? ――そう聞きたいのを汲みとったのか、鳴海がそっと蒼の髪を整えながら、
「胸騒ぎがして……その、GPS追跡アプリ、で、末永の携帯を追ったんだ」
 心配して探してくれたんだ……嬉しく思いながら、鳴海のジャケットをぎゅっと握る。その拍子に、ジャケットに染みついた鳴海の匂いがすぅっと蒼の鼻を通る。
「っ、」
 どくん、と心臓が大きく跳ねる。
 またあの時と一緒だ。いや、あの時とは比べものにならない動悸が襲う。頭がくらくらして、変な気分になってくる。本当にこれは自分の身体なのかと疑いたくなるほど、何かが変だ。
「末永、どうした?」
「な、るみ……おれ、やばい……おまえのにおい、かいでると……へんに、なる……」
 全身が心臓になってしまったように脈打っている。息が荒くなり、身体の火照りが酷くなっていく。がたがたと大きな震えが全身に走った。
「お、れ、どうし、ちゃったの……?」
 そんな蒼を見て、鳴海がつらそうにくちびるを噛んだ。
「っ、末永……ちょっとの間、我慢して。医務室に連れて行くから」
 そう言って鳴海は蒼を抱き上げた。
「は……」
 鳴海に触られたところが熱くて怖くて――気持ちがいい。もっと触ってほしいと思ってしまう。鳴海は蒼を抱き上げたまま、走って医務室に向かった。振動ですら今の蒼には毒だ。しかもとびきり甘い毒だ。揺れるたびに声が漏れるのを抑えることが出来ない。自分がこんな女みたいな声を上げるなんて信じられない。
 恥ずかしい、でも気持ちよくてたまらない。
 蒼は二つの感覚の間で必死に堪える。
「んっ、はぁ……」
 蒼の口から声が溢れるそのたびに、彼を支える鳴海の手に力が籠もるのが分かった。
 一階の医務室に到着すると、鳴海は扉を足で開け、
「榊先生! いますか!?」
 と、いつもらしからぬ大声で叫んだ。
「お~、鳴海か~。どした?」
「お願いします、診てやってください。二年四組の末永蒼――多分、ヒートです、初めての」
(ヒート? ヒートって何……?)
 そんなことを頭の遠くの方でぼんやりと思ったのだが、深く考える余裕もなく、蒼は自身の身体を抱きすくめながら震えていた。
 鳴海の話を聞いた校医のさかきは表情を変え、腕まくりをした。
「この子はオメガなの?」
「いえ、多分今まではベータとして生きていたはずです」
「ふぅん……とりあえずベッドに寝かせて。診てみるから」
 鳴海はベッドに蒼を下ろし、すぐにそこから離れた。榊はそれを確認するとベッドの間仕切り用カーテンを閉めた。そして未だ震えが止まらない蒼に、
「末永くん、こんな風になったのは初めて?」
 と、尋ねた。蒼は何度も頷く。こんなこと初めてに決まっている。今までこんなに身体が疼いたことなんてないのだ。
 蒼の様子を見て、榊は眉を下げて更に尋ねる。
「ごめんね、恥ずかしくていやだと思うけど、ちょっと下の方を調べさせてもらっていいかな? 薬を出すのに診せてもらわなきゃならないんだ」
「わ、かり……ま、した……」
 確かにとんでもなく恥ずかしかった。蒼の中心はとっくに勃ち上がっていたし、それを見られるのかと思うと屈辱的だった。でもそんなことどうでもよくなるほどに今、蒼は追いつめられていた。早くこの熱を解放したい。どうにかしてくれ、という気持ちでいっぱいいっぱいだった。
 蒼は鳴海がはかせてくれたズボンを脱ごうとするが、震えて脱ぐことが出来ない。見かねた榊が手を貸し、それを脱がせてベッド脇のカゴに入れる。それから榊は蒼の身体を横倒しにし、膝を抱えるように指示した。そして普段は自分でも見ることのないところ――つまりは後孔に、手袋をした指をそっと差し入れた。
「あぁっ」
 指を入れられたところが熱くて、蒼はもう何も考えられなくなっていた。口からは最早喘ぎ声しか出て来ない。榊が中を探るように指を動かすと、本来なら聞こえることのないくちゅくちゅとした粘液の音がした。指を抜く時にも蒼は声を上げ続ける。次に冷たい金属の器具を入れられ、広げられた。それにすら反応してしまう自分の身体が恨めしくて仕方がない。
 カーテンの向こう側にいる鳴海にもそれは当然聴こえている。何をしているかきっと想像はついているはずだが、あらぬ行為をしているのだと勘違いされたら嫌だと蒼は思った。
「い、やぁ……っ」
 枕をギュッと握り身体を捩らせる。早く、早く終わってほしい。高ぶった気持ちを持て余すあまり、涙が止まらなくなった。
 少しして榊が器具をずるりと抜く。それすら今の蒼にはとてつもない刺激で、はずみで軽く射精してしまった。
「や……あ……」
 榊は蒼が吐き出したものを拭き、手袋を外して手を洗うと、蒼の身支度を整えて彼に布団をかけた。
「末永くん、アレルギーとかはある?」
 弱々しくかぶりを振ると、榊は子供を諭すように、
「とりあえずこの薬を飲もうね。これは即効性の緊急抑制剤だから、すぐよくなるよ」
 そう言って薬と水を持って来て蒼に飲ませた。
「ん、ん……」
 蒼が震えながら薬を飲む様子を、鳴海が心配そうに見ていた。
 少しして、さっきの異常な状態が嘘のように蒼は落ち着きを取り戻した。勃ち上がっていた中心も収まった。それを見計らったかのように、鳴海が蒼の側に腰を下ろす。
「末永、竹内に電話して、ご家族に来てもらうようにしたから」
 鳴海が携帯電話をポケットにしまいながら報告する。
「あ、りがとう……鳴海。ごめん、迷惑かけて」
「迷惑だなんて思ってないから、気にしないで」
 鳴海はやっぱり優しく笑ってくれた。
「さて末永くん、話さなきゃならないことがあるけれど、ご家族来てからの方がいい?」
 榊の言葉に、蒼はこくん、と頷く。一人で聞いたら翆が怒りそうで怖かったからだ。
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