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第一章

4.霊能力者

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 車を降りて、交番へ。
 近年では空き家を交番として再利用しているのが多く、ここもそうだ。
 KOBANと文字を壁に貼り付けて、赤ランプを設置、色は署によって違うが大体は白と黒。パトカーの色に合わせているのだ。

「んぎぃぃぃぃぃい!」
「だ、だから! 暴れないでくれって!」
「や、やはり署に連行して留置場に入れたほうがいいのではないですか!?」
「今、お偉いさんが来るらしいんだよ! そいつらに身元を預けろって命令がきてるんだ!」

 話を聞きたいだけだったのに、どうしてか身元を預かるという事になってしまっている。
 貧乏くじを引いてしまったようだ。

「こんにちわ」

 交番の扉を軽くノックする。
 三人の視線が一斉にこちらへと向けられる。
 真ん中の――女性の視線に一度合わせるとした。おそらく彼女が不審人物、であろう。
 二十代半ばほどであろうか。長い黒髪は本来ならば真っ直ぐに下ろされているであろうが今は乱れに乱れてしまって台無しだ。
 やや鋭さある目つきだが、それもまた整った顔立ちによって大人びた魅力の一つとなっており、目の下のクマを差し引いても一目で脳裏に過ぎる感想は――美人だな、と。
 しかしそんな美人の顔も青ざめて歪んでいく。

「ひぃぃぃぃい……!」
「お、おい今度はなんだよ!」
「す、すみません、少々手が離せなくて!」

 女性は一人を押しのけて奥の部屋と行ってしまった。
 休憩室であろうが、物音の具合からしてテーブルなどひっくり返しているのだろう。お気の毒に。
「特務です、どうぞそちらの方を優先してください」
 冷静に、入り口を閉めておく。
 奥の部屋はちらりと確認したが裏口などはない。部屋から出て逃げるならばこの入り口と、隣の通路から裏口へ、だ。
 鍵は掛けられているだろうが、念のために裏口へ逃げないよう構えておいたほうがいいだろう。
 それから数分後。ようやく交番は静かになった。

「……もう大丈夫かな」

 警戒を解いて、休憩室へと入る。
 煙草の匂いが鼻腔に届いた、彼女は貧乏ゆすりをしながら喫煙していた。まだ完全には落ち着いてはいないようだった。
 一体どうしたというのだ。

「すみませんね……いやしかし、本当に特務って存在したのですね」
「ええ。どうぞよろしく」

 彼女が大人しくなるまで片方の警察官には一応俺達が特務であるかの確認を取ってもらった。
 特務との初めての接触は、どこも皆同じ反応を示すものだ。
 俺達は幽霊でもなんでもないのだがな。

「それで彼女はどういった経緯でここに?」
「はい、このあたりを落ち着きなくうろついていたもんですから職務質問をしたのですが、集団自殺がどうのとか、死んだ人間がなんだとか言ってきたもので……。ごらんの通り、情緒不安定で一先ずこちらに」
「なるほど。この休憩室、少々お借りしてもよろしいですか?」
「特務特権というやつですな。どうぞご自由に」

 特務特権はいかなる場合でも優先しなくてはならない。
 現場や重要参考人の引渡し、証拠などもそうだ。この場合は彼女の取調べに関して、我々が主導権を握り、彼らは指示がない限り干渉できない。
 今の状況であれば厄介者を引き渡せるのだから彼らにとってはラッキーだろう。

「あ、あんた達、何……? 刑事さん?」

 扉が閉められ、壁に立てかけられたパイプ椅子を寄せて彼女の前に座った。
 木崎君は扉の前に立っている、逃亡防止のための立ち位置や立ち回りは自然と行うよう身についている。

「ああ、そうだ」

 特務手帳を見せる。
 中身は警官バッジと番号が付いているのみで、番号を問い合わせてもらえれば特務の証明がされる。これを特務番号という。
 他に情報は一切載せていない。

「落ち着いたかい? 話を聞いてもいいかな?」

 どう接するべきか少々悩むが、ここは堅苦しい言葉遣いではなくあえて友人と接するかのようなため口を使うとした。
 笑顔も見せておく、彼女には少しでも穏やかな精神状態でいてもらいたい。

「ええ、いい、いいわよ。いい……」

 手ごたえは悪くない、このままでいこう。
 三畳の畳スペースにあぐらをかいていた彼女は、壁に背を預けて天井に煙草の煙を溶かしていた。

「俺は多比良圭介、彼女は部下の木崎陽子だ。名前を聞いてもよろしいかな?」
「……い、伊部。伊部凛子」
「伊部凛子さんね、どうぞ宜しく」

 ふと木崎君は、その名前を聞いて小さく声を漏らしていた。
 彼女の顔を見て、顎に手を当てて何か思考を巡らせている。どうしたのだろう、彼女を知っているのか?

「現在のお仕事は?」
「あ~……相談所?」
「相談所? 何の相談所かな?」
「れ、霊的……」
「霊的……?」
「あっ、思い出しました。貴方、昔霊能力者としてローカル番組に出てた人ですよね」
「そ、そうよ……。よく覚えてたわね……」

 笑みを浮かべているも、どこか自嘲気味にも見える。

「結構面白かったですよ、貴方だけ他の霊能力者と違う事ばかりいつも言うものですから」
「ほう、そんな番組があったのか」
「天国交信装置が発表されてから霊能力者はめっきり減りましたが、まだやっている人もいたのですね」
「幽霊の存在は否定されたようなものなのだがなあ」

 死者は皆天国に行く。
 当然、この世には留まらない。
 では……これまで幽霊と言われていた存在や、その存在を認識できる霊能力者は一体何なのか、という話になる。
 予想するまでもなくその界隈は、炎上に炎上を重ねたとかなんとか。

「有名な元霊能力者は暴露本の印税で生活しているらしいですね」
「そうなのか、詳しいね」

 騙された上に暴露本で今度は稼がれているとなると何だか悔しいな。
 ただでは転ばないといったその胆力は学ぶべきなのかもしれないが。

「わ、私は、本当に見え、見えるんだよ……!」

 煙草を灰皿に押し付けて、今にも食って掛かりそうな勢いで彼女は木崎君を睨みつけた。

「そ、そうですか……。それは失礼しました」

 おおっと……彼女の中にある地雷がどこにあるかが分からない今、下手に刺激してはいけないな。
 何か温かい飲み物でも与えるべきか。

「しかし今日は冷えるね、ちょっと待っててくれ」

 壁側にあるストーブの温度を少し上げる。
 暑すぎるのは駄目だが、十分な温かさは心を落ち着かせてくれる。次いで体の中からの温かさも必要だ。
 別室にいる警察官を呼び、お茶を飲んでいいか聞いて許可を取ってポットと紙コップの場所を教えてもらい、伊部さんにお茶を出した。
 受け取るその手は震えている。寒さによるものではないだろう。煙草もすぐに新しいのを出しては吸いはじめている。
 どこか様子はおかしいが、何だろうな。

「それで、見えるというのは、本当に幽霊かい? 集団自殺について、話していたそうじゃないか。彼らが見えたのかな?」
「彼らのうちの、一人だけ、見えた。私に教えてくれたんだ……」
「教えてくれた? 何を?」

 すかさず木崎君はメモ帳を取り出して書き取りを始めた。

「天国交信装置、あったんだろ? お、思ったより小さいって言ってたな。あと、自殺志願者は、集まったのは十人って、言ってたぞ……」
「十人?」

 現場での自殺者は九人のはずだが。
 ……ここで遮るのもなんだ、もう少し話を聞いてみよう。

「そいつは、酒のせいでうまく死ねていないって、言ってた」
「酒のせいで……」
「一命を取りとめた方の事、でしょうか?」
「そ、そう……。まだ体は、生きてるけど、もう魂は、離れてる。今夜中に、死ぬよきっと」

 彼女の話している内容は俺達ですらほんの一時間前に聞いたばかりだ。
 いやだが、現在では完全に否定されてしまった霊能力者の話す事なのだ……信じていいものかどうか。
 別の手段を用いて情報を得た可能性がある――事件に直接関与している可能性も。
 しかし関与していた場合は、ここで話す事は彼女に得は無い。容疑者として挙げられるだけだ。そんな馬鹿な事はするまいが。

「私は、たまに、見えるんだよ……。ほ、他の霊能力者には見えないけど、私にだけ見える幽霊が……」
「君にだけ?」
「そ、そう……。だから、全部の幽霊が、見えるわけじゃない、特別な、幽霊……あ、今回は、幽霊っていうより、生霊、か」
「生霊ねえ?」
「テレビじゃあ、私は見当違いの事を言ってると、面白がられたけれど、私には、ちゃんと、見えてたんだよ」
「まさか」
「そいつは、今も彷徨ってる」

 木崎君の手はすっかり止まっていた。
 この……霊能力者・伊部凛子の発言はメモしているであろうが、現時点でもはや内容は奇妙そのものに違いない。

「今日はまだ時間はあるかな?」
「い、忙しそうに、見える?」
「なら少々お時間を頂きたいのだが、場所を移そうか」
「べ、別にいいけど……」

 素直に従ってくれるのはありがたい。
 とりあえず、ここで話をして終えられるような内容ではないかもしれない。
 警察官達には彼女の事は口外禁止の願いを出し、一度交番から離れるとした。
 事務所に戻るのも手ではあるが、考えている最中、ふとスマートフォンが振動した。

『例の不審者とは接触したか~?』

 ささみちゃんからの連絡だ。
 こちらの動きがまるで見えているかのようなタイミングでいつも着信がくる。

「ああ、したよささみちゃん」
『笹峰様だろこら~。とりあえずそいつはどうなんだ? 事件に関係は?』
「ありそうだ、もう少し話を聞こうと思っている」
『じゃあ研究所で話を聞いてもらいな、筆跡鑑定の結果もついでに聞けるしな。現場のほうは管理人とやりとりしてデータを集めておく』
「助かるよ」

 電話を切り、バックミラーで後部座席に座る伊部さんを確認する。
 ミラーには彼女の姿が映っておらず、振り向いてみると、彼女は横になっていた。
 見て分かる全身から滲み出る倦怠感、睡魔に襲われているようだ。
 そのままにしておこう。眠っていてくれれば暴れる心配もない。
 安心して運転できるな。

「特務捜査研究所に向かう」
「了解しました」
「君は行った事は?」
「研修の時に」
「ああ、そうか」

 思い返せば、自分もそうだった。
 当時は山路さんに連れて行ってもらったのを覚えている。
 今回は、俺が連れて行く側か。時間の経過を感じさせてくれる。あの時と比べて成長のほうはどうかといえば、あまり変わっていない気もするが。
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