盤上遊戯~魚を捕り梟は飛んでいく

はに丸

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第1話 後日譚①

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 びゅっと矢が放たれ、まとに当たる。弓をかまえたままの少年が小さく舌打ちをした。三十路前後の青年が肩をすくめていた。青年が指示した場所よりずれていた。己が未熟と思われるのが業腹だ、と少年は考えを巡らせ、ひとつ思いついた。

「どうして、知伯ちはくはおめおめと捕まったんですか?」

 生意気盛りの少年、士匄しかい荀罃じゅんおうをまっすぐと見上げて問うた。その顔は先達の不幸から学びたいという殊勝なものではなく、好奇心と嘲弄が見える。青年――荀罃じゅんおうは少々呆れた。士匄は自分の失敗を認めるのを嫌がる。ゆえに、荀罃の汚点をついてごまかしを謀ったらしい。
 知伯は荀罃のあざなである。ついでに、士匄のあざな范叔はんしゅくという。

 荀罃は今、このを教導している。春秋時代、成人したものが未熟な若者を預かり、教導する記録は散見される。このような形態は古代において珍しくなく、ローマ共和制においても、軍属という名目で預けられることがあったらしい。

 士匄という十代半ばの少年は、才はあるがが強く、己を誇示しないと気が済まない性質で、父親である士爕ししょうが荀罃に

『遠慮なく躾けてほしい』

 と頼んできた。士爕は極めて厳しい父親であったが、士匄は学んでも反省しない。自儘なまま、優秀さだけを積み上げていくという始末である。士爕は、性格の矯正を荀罃に頼んだのである。

 そこには、士爕なりの気づかいもあった。つい先日まで荀罃は捕虜として敵国にいた。九年間の虜囚生活は荀罃の人格に深みを与えたが、損失もある。長い時間、故国――しんにいなかった荀罃は周囲から浮いていた。
 居場所が家以外に無かったのである。
 士爕は荀罃の人となりを信頼したのはもちろんであったが、大夫たいふ――貴族である――として、足元を固め、その才を無駄にしてほしくない、というおもいやりがあった。士爕には節度と厳しさ以上に他者への優しさがある。

 さて、この生意気で、荀罃の弱みを握ろうとする小賢しい弟分に答えねばならぬ。荀罃は少し笑み、口を開いた。

「私が未熟であったからだ。敵を討とうと走り、気づけば孤軍となっていた。私の至らなさによる。ぐんに囲まれ、乗っていた兵車へいしゃは止められた。歩兵どもは鏖殺おうさつされ、御者は射られ馬の足は止まり、車右しゃゆうは私を庇って死んだ。ゆえ、私はおめおめと生け捕りにされた。己の実力を見誤り、相手の軽重もわからず。今の汝と同じだ」

 冷静かつ平然と答え、微笑まで浮かべる荀罃は、しっかりと士匄に釘をさした。士匄が拗ねた顔でそっぽを向く。先達に言葉を乞いながらするような態度ではない。荀罃はきっちり殴った。この時代において教育に体罰はつきものである。さて、流れをぶったぎるが、当時の戦争は兵車――つまりは馬車が主力であり、御者と弓兵兼指揮官、これらを護衛する車右が乗る。指揮下には歩兵が七〇人前後。これが当時の戦闘単位、じょうとなる。

 ともあれ。

 殴られても全く反省しない士匄が、さらに斬り込む。

「じゃあ、どうして自らを処さなかったのですか。わたしだったら耐えられない」

 少年は芝居がかったしぐさでため息をついてさらに口を開いた。

「わたしは誉れある士氏しし嗣子ししだ。楚などという蛮族どもに捕まるなんて嫌だし、しかも生け捕りなんて生き恥、耐えられない。さらしものになるくらいなら、死んだ方がマシだ。知伯はどうして、そうされなかったんですか」

 弓を持ったまま、わざとらしく肩を揺すってため息までつくさまは、本当に小賢しい。しかし、言うことは少年の潔癖さであり、荀罃はかわいささえ思って苦笑した。

「それは私の生き方に対する問いだ。そういったものを聞くのなら、覚悟があるのかな? 汝は私の言葉を訓戒として受け止める覚悟でも?」

 そうして、荀罃は的を指さす。

「覚悟を見せろ、范叔。あの的の中央に十回当てろ。中央の印からずれれば汝は覚悟分からぬ愚鈍な恥知らずとしてこれから扱う」

 士匄が幾度か外した円形の的である。同心円がいくつもあるその中央には、小さな黒丸が描かれている。

「私が色々と示す場所ではない、書いてある中央の印だ。たやすいだろう?」

 禽獣の光を目に宿し、荀罃は笑った。士匄が少々怖じる顔をしながら、頷いた。
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