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因果応報、春の祟り
一利を享くるも亦一悪を得るは務むる所に非ず、その場の勢いですることなんて碌なことにならないね!
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「問題の邑の引き継いだ内容を確認しましょう、あなたのお言葉だけでは私には判ずることできません」
一度命じられたのであるから、もう文句は言わぬ。腹をくくった趙武は士匄と共に歩きながら言った。
「わたしの記憶力を疑うのか」
周の大夫から渡された文書の一字一句、士匄はそらんじることができる。それで足りないのか、と噛みつけば、そうです、とにべもなく返された。
「あなたは己の行為に間違いは無いとおっしゃる。私にはそうは思えませんが知伯は肯定なされました。しかし、あなたは否定なされますが殺された方の祟りであるのも確かであるとも知伯はおっしゃった。つまり、言葉の解釈違いか、隠されたものがあるのではないでしょうか」
「……もしくは、わたしが謀られた、か」
顎に手をやり撫でながら、士匄は眉をひそめた。あの周人が士氏を騙す理由は無い。が、彼ら自身を騙していた可能性があることに気づいたのだ。つまり、自分たちへのごまかしである。
そのような会話をしながら、二人は政堂まで歩いて行く。政堂の前には集会のための庭がある。趙武はちらりと目を向けた。その場では、様々なドラマが繰り広げられたのであろう。史官が記録を発表するのも宮庭であった。趙武の父が意味も無く誅戮されたことも、趙氏が許され趙武を長と認めたことも、告示されたに違いなかった。
さて、士匄は相棒の感傷などもちろん知らぬ。政堂の扉のわき、常に待ち控えている場に座した。趙武も合わせて座る。朝政が終わったらしく、寺人がしずしずと扉を開けた。そうして、いつものように姿勢正しく歩いてくる父に拝礼する――はずであった。
扉が開いた瞬間、大きな塊が、勢いよく飛び出し堂のすぐ外にある庭まで転がり落ちた。何が起きたか分からず、茫然としている士匄と趙武の前を、男が一人歩いて行く。
背は高くはないが、厚みのある体が壮年になっても衰えが無いことを示している。手に持つは金色に輝く銅剣であり、これほどの業物は家宝のひとつに違いない。その刀身にはべったりと血糊がついている。
「正卿……?」
趙武が呻くように呟いた。沈毅重厚、落ち着きと冷静さ、そして手堅さを讃えられる欒氏の長であり君主を支え晋を束ねる正卿、欒書がゆったりと宮庭へ歩いていた。冷たく重い目つきで転がったモノを静かに見据えている。士匄は混乱から戻らぬまま、その姿を目で追った。そうして、庭に転がっている塊の正体に気づき、悲鳴をあげた。
「父上!」
士爕が庭に血まみれで襤褸のように倒れている。数カ所刺され斬られ、体中ズタズタでありながら生きているようで、蠢き、近づく欒書に何かを訴えようとしている。もはや、声も出ぬというのに、まるで諭すようなしぐさであった。
士匄は欒書につかみかかるべく走り出した。手に剣はもちろん、無い。本来、政堂に武器など持ち込まぬ。欒書が何故持っているのかなどどうでも良い。とにかく、士爕を助けなければならず、それには欒書を取り押さえねばならない。若造が一国の宰相の肩を掴み、引き寄せなぎ倒すべく腕も掴んだ。が、士匄は何者かに首根っこを捕まえられ引っ張られる。肩を掴んだ手は斬り飛ばされ、斬撃の起こした風が袖をかすかに揺らした。
「あ――?」
己の身に起きたことがわからず、士匄はまぬけな声をあげた。そのまま地に組み敷かれ、罪人のように額を地にこすられる。痛みを耐え必死に顔を上げると、欒書が士爕の首を刎ねていた。
「まつりごとにて和することを拒み、己の保身のみを考える卿であった」
およそ、士爕を表す言葉ではない。言葉にならぬ叫びと共に士匄は憎悪を込めて欒書を睨み付けた。士爕と欒書は子から見ても仲が良く、互いの邸を往き来しては、穏やかに友誼を深めていた。士爕が欒書を尊敬し卿の一人として支えていることを、士匄はよく知っている。それを、蔑み殺すなど、許せるものか。
「嗣子は刖にて」
欒書がふり返らずに言った。強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。ぎ、と士匄は喉奥から呻くように奇声をあげた。
刖とは脚を斬る欠損刑である。膝の骨を抜くもの、アキレス腱を断ち切るもの、脚そのものを断ち切るものの三種類をさすが、この場合は一番最後のものであろう。
「う、嘘でしょう、あ、韓主、韓主はどうしているんですっ」
扉の傍で唖然としていた趙武は、ようやく我に返り己の後見人でもある卿を呼んだ。韓厥、その性質は謹厳実直であり情に流されぬが非情でなく、理で動くが理屈を弄ばず、私欲なく誰とも党を組まず。正卿欒書が頼みにしている男の一人である。
政堂の中に、韓厥はいた。この男は表情が薄いが、感情が無いわけではない。ほぼ身内である趙武には韓厥の気持ちが伝わることが多い。優しさ、厳しさ、労り。例えばそのような感情である。今、政堂の中、戈を持ち、卿のほとんどを殺し終えた韓厥は薄い表情で悦んでいた。そのおぞましい姿に、趙武はヒッと悲鳴をあげる。
「だ、誰か、誰か止めて下さい、知卿、知卿は」
荀罃の父、荀首の字を叫ぶ趙武の耳に、タガが外れたような笑い声が聞こえてくる。音階がおかしい楽器のようなその響きは、荀首がまともな精神でなくなっていると、見なくてもわかるものであった。
士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
庭に響く叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえた。そうなれば、目の前の惨劇は隠れない。しかし、陰惨な絶叫などもっと聞きたくない。趙武はとうとう頭をかかえて丸くなりうずくまった。
「いかがした、趙孟」
声をかけてきたのは、士爕だった。扉のわきで、拝礼しながら頭を抱えて動かない趙武を心配し、優しげな瞳で見下ろしていた。その後ろから欒書も現れ、どうかしたのか、と首をかしげている。政堂は清澄であり、宮庭は惨劇どころか血の一滴さえもなく静穏である。
趙武の横で、士匄は一息ついていた。腹の奥まで冷えているのに、首筋を汗がつたっている。何か言おうとする趙武を手で押さえ、士爕に拝礼し、しずしずと口を開いた。
「お役目お疲れ様でございます。本来、嗣子としてお迎えにあがった後は父の後について帰るべきですが、本日みなで交わした問いにより調べねばならぬことができました。父上、そして正卿に謹んでお願いがございます。我ら若輩、この匄と趙孟に宮中の書庫を使うことお許しいただきとう存じます。まだ未熟な身でございます、先達のお言葉、史官の記録を見ねばわかりかねること多く、自邸の書庫では難しいと判断致しました。未だまつりごとに関わらぬ身で公室の書を見るは僭越なれど、伏して願うしだいでございます」
流れる水の如く、すらすらと出てくる言葉に趙武があっけにとられる。宮中の書庫は儀礼や法、律、そして政事の重要な記録に満ちている。そのようなところを使う、という話などしておらぬ。
「范叔、それは」
趙武が小さく声をかけるのを、し、とさらに小さな声で制し、士匄はさらに士爕と欒書に願い出た。士爕が困惑を隠さぬ表情を見せる。
「……宮の書庫は極めて重要な書が保管されている。汝のような若輩が研鑽のためとはいえ使うのは――」
「良いではないか。汝の嗣子も趙孟もいずれこの国を背負い、卿として人々を導く立場のものだ。今から史官の言葉や議の記録に触れるは良いことだろう。正卿として私が許そう。行ってきなさい。学び、そして私たちに後進の頼もしさを見せておくれ」
難色を示す士爕を遮り、欒書が深みのある笑みを浮かべて許諾する。そのまま、趙武に顔を向けた。
「趙孟は嗣子として学ぶ機会が無く、お困りのこともあろう。趙氏は今の晋を開いた武公、覇者とした文公をお支えになった一族。若くして正卿となって執政に務めた趙宣子もおられる。公室の書にも、あなたの祖の話は多い、きっと身になるだろう。あなたの父である趙荘子に関しては書に少ないかもしれぬが、私はあの人の佐として支えた時期がある。もしお話必要なら申し出てほしい」
重厚さの中に労りを込めた欒書の眼差しを受け、趙武は、感謝の言葉と共に拝礼した。あなたは少々若者に甘い、と士爕が困った顔をし、欒書がくすくすと笑う。そこには気の置けぬものどうしの空気があった。
「正卿のお許しに感謝し、公室の財を使いなさい。だが、その前に、だ。匄、なんだその不祥に満ちた気配は。この宮中の中をそのようなみっともない姿で立ち入っていたとは、父として恥ずかしい限りだ。正卿が指摘せぬは、他家の嗣子として慮ってのことと知れ。早急に巫覡の方に願い出て祓って貰え」
怒鳴り声を抑えたような声音で、士爕が口早に言った。
朝に祓われていたはずの士匄の体中に、重苦しいほどの禍々しい気配が絡みつきまとわりつき、のしかかっていた。
一度命じられたのであるから、もう文句は言わぬ。腹をくくった趙武は士匄と共に歩きながら言った。
「わたしの記憶力を疑うのか」
周の大夫から渡された文書の一字一句、士匄はそらんじることができる。それで足りないのか、と噛みつけば、そうです、とにべもなく返された。
「あなたは己の行為に間違いは無いとおっしゃる。私にはそうは思えませんが知伯は肯定なされました。しかし、あなたは否定なされますが殺された方の祟りであるのも確かであるとも知伯はおっしゃった。つまり、言葉の解釈違いか、隠されたものがあるのではないでしょうか」
「……もしくは、わたしが謀られた、か」
顎に手をやり撫でながら、士匄は眉をひそめた。あの周人が士氏を騙す理由は無い。が、彼ら自身を騙していた可能性があることに気づいたのだ。つまり、自分たちへのごまかしである。
そのような会話をしながら、二人は政堂まで歩いて行く。政堂の前には集会のための庭がある。趙武はちらりと目を向けた。その場では、様々なドラマが繰り広げられたのであろう。史官が記録を発表するのも宮庭であった。趙武の父が意味も無く誅戮されたことも、趙氏が許され趙武を長と認めたことも、告示されたに違いなかった。
さて、士匄は相棒の感傷などもちろん知らぬ。政堂の扉のわき、常に待ち控えている場に座した。趙武も合わせて座る。朝政が終わったらしく、寺人がしずしずと扉を開けた。そうして、いつものように姿勢正しく歩いてくる父に拝礼する――はずであった。
扉が開いた瞬間、大きな塊が、勢いよく飛び出し堂のすぐ外にある庭まで転がり落ちた。何が起きたか分からず、茫然としている士匄と趙武の前を、男が一人歩いて行く。
背は高くはないが、厚みのある体が壮年になっても衰えが無いことを示している。手に持つは金色に輝く銅剣であり、これほどの業物は家宝のひとつに違いない。その刀身にはべったりと血糊がついている。
「正卿……?」
趙武が呻くように呟いた。沈毅重厚、落ち着きと冷静さ、そして手堅さを讃えられる欒氏の長であり君主を支え晋を束ねる正卿、欒書がゆったりと宮庭へ歩いていた。冷たく重い目つきで転がったモノを静かに見据えている。士匄は混乱から戻らぬまま、その姿を目で追った。そうして、庭に転がっている塊の正体に気づき、悲鳴をあげた。
「父上!」
士爕が庭に血まみれで襤褸のように倒れている。数カ所刺され斬られ、体中ズタズタでありながら生きているようで、蠢き、近づく欒書に何かを訴えようとしている。もはや、声も出ぬというのに、まるで諭すようなしぐさであった。
士匄は欒書につかみかかるべく走り出した。手に剣はもちろん、無い。本来、政堂に武器など持ち込まぬ。欒書が何故持っているのかなどどうでも良い。とにかく、士爕を助けなければならず、それには欒書を取り押さえねばならない。若造が一国の宰相の肩を掴み、引き寄せなぎ倒すべく腕も掴んだ。が、士匄は何者かに首根っこを捕まえられ引っ張られる。肩を掴んだ手は斬り飛ばされ、斬撃の起こした風が袖をかすかに揺らした。
「あ――?」
己の身に起きたことがわからず、士匄はまぬけな声をあげた。そのまま地に組み敷かれ、罪人のように額を地にこすられる。痛みを耐え必死に顔を上げると、欒書が士爕の首を刎ねていた。
「まつりごとにて和することを拒み、己の保身のみを考える卿であった」
およそ、士爕を表す言葉ではない。言葉にならぬ叫びと共に士匄は憎悪を込めて欒書を睨み付けた。士爕と欒書は子から見ても仲が良く、互いの邸を往き来しては、穏やかに友誼を深めていた。士爕が欒書を尊敬し卿の一人として支えていることを、士匄はよく知っている。それを、蔑み殺すなど、許せるものか。
「嗣子は刖にて」
欒書がふり返らずに言った。強い力で押さえつけられ、体を、特に足を固定される。ぎ、と士匄は喉奥から呻くように奇声をあげた。
刖とは脚を斬る欠損刑である。膝の骨を抜くもの、アキレス腱を断ち切るもの、脚そのものを断ち切るものの三種類をさすが、この場合は一番最後のものであろう。
「う、嘘でしょう、あ、韓主、韓主はどうしているんですっ」
扉の傍で唖然としていた趙武は、ようやく我に返り己の後見人でもある卿を呼んだ。韓厥、その性質は謹厳実直であり情に流されぬが非情でなく、理で動くが理屈を弄ばず、私欲なく誰とも党を組まず。正卿欒書が頼みにしている男の一人である。
政堂の中に、韓厥はいた。この男は表情が薄いが、感情が無いわけではない。ほぼ身内である趙武には韓厥の気持ちが伝わることが多い。優しさ、厳しさ、労り。例えばそのような感情である。今、政堂の中、戈を持ち、卿のほとんどを殺し終えた韓厥は薄い表情で悦んでいた。そのおぞましい姿に、趙武はヒッと悲鳴をあげる。
「だ、誰か、誰か止めて下さい、知卿、知卿は」
荀罃の父、荀首の字を叫ぶ趙武の耳に、タガが外れたような笑い声が聞こえてくる。音階がおかしい楽器のようなその響きは、荀首がまともな精神でなくなっていると、見なくてもわかるものであった。
士匄の脚に刃が食い込み、ぶちぶちと筋肉の繊維をちぎりながら
「がああああああああああああああああっ」
全て落ち、
「うそ、うそです、なに、こ、れ」
庭に響く叫び声に趙武は首を振りながら、両耳を手で押さえた。そうなれば、目の前の惨劇は隠れない。しかし、陰惨な絶叫などもっと聞きたくない。趙武はとうとう頭をかかえて丸くなりうずくまった。
「いかがした、趙孟」
声をかけてきたのは、士爕だった。扉のわきで、拝礼しながら頭を抱えて動かない趙武を心配し、優しげな瞳で見下ろしていた。その後ろから欒書も現れ、どうかしたのか、と首をかしげている。政堂は清澄であり、宮庭は惨劇どころか血の一滴さえもなく静穏である。
趙武の横で、士匄は一息ついていた。腹の奥まで冷えているのに、首筋を汗がつたっている。何か言おうとする趙武を手で押さえ、士爕に拝礼し、しずしずと口を開いた。
「お役目お疲れ様でございます。本来、嗣子としてお迎えにあがった後は父の後について帰るべきですが、本日みなで交わした問いにより調べねばならぬことができました。父上、そして正卿に謹んでお願いがございます。我ら若輩、この匄と趙孟に宮中の書庫を使うことお許しいただきとう存じます。まだ未熟な身でございます、先達のお言葉、史官の記録を見ねばわかりかねること多く、自邸の書庫では難しいと判断致しました。未だまつりごとに関わらぬ身で公室の書を見るは僭越なれど、伏して願うしだいでございます」
流れる水の如く、すらすらと出てくる言葉に趙武があっけにとられる。宮中の書庫は儀礼や法、律、そして政事の重要な記録に満ちている。そのようなところを使う、という話などしておらぬ。
「范叔、それは」
趙武が小さく声をかけるのを、し、とさらに小さな声で制し、士匄はさらに士爕と欒書に願い出た。士爕が困惑を隠さぬ表情を見せる。
「……宮の書庫は極めて重要な書が保管されている。汝のような若輩が研鑽のためとはいえ使うのは――」
「良いではないか。汝の嗣子も趙孟もいずれこの国を背負い、卿として人々を導く立場のものだ。今から史官の言葉や議の記録に触れるは良いことだろう。正卿として私が許そう。行ってきなさい。学び、そして私たちに後進の頼もしさを見せておくれ」
難色を示す士爕を遮り、欒書が深みのある笑みを浮かべて許諾する。そのまま、趙武に顔を向けた。
「趙孟は嗣子として学ぶ機会が無く、お困りのこともあろう。趙氏は今の晋を開いた武公、覇者とした文公をお支えになった一族。若くして正卿となって執政に務めた趙宣子もおられる。公室の書にも、あなたの祖の話は多い、きっと身になるだろう。あなたの父である趙荘子に関しては書に少ないかもしれぬが、私はあの人の佐として支えた時期がある。もしお話必要なら申し出てほしい」
重厚さの中に労りを込めた欒書の眼差しを受け、趙武は、感謝の言葉と共に拝礼した。あなたは少々若者に甘い、と士爕が困った顔をし、欒書がくすくすと笑う。そこには気の置けぬものどうしの空気があった。
「正卿のお許しに感謝し、公室の財を使いなさい。だが、その前に、だ。匄、なんだその不祥に満ちた気配は。この宮中の中をそのようなみっともない姿で立ち入っていたとは、父として恥ずかしい限りだ。正卿が指摘せぬは、他家の嗣子として慮ってのことと知れ。早急に巫覡の方に願い出て祓って貰え」
怒鳴り声を抑えたような声音で、士爕が口早に言った。
朝に祓われていたはずの士匄の体中に、重苦しいほどの禍々しい気配が絡みつきまとわりつき、のしかかっていた。
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