青春怪異譚〜傲岸不遜な公族大夫の日常

はに丸

文字の大きさ
10 / 70
因果応報、春の祟り

各々能あり不能あり、得手不得手ひとそれぞれ

しおりを挟む
ゆうより追放されたものが、どこにもいけず、さかいのものとして現れたのですか?」

 士匄しかいの言葉に趙武ちょうぶが驚きの声をあげた。東西古代、『追放』は重い罰である。つまり、文明社会からの締め出しであり、どこかの集落に受け入れられねば人間以下の存在として生きるしかない。趙武の言う境はそういう意味である。だが、士匄は首を振った。その顔に迷いはない。

「あれは、邑そのものだ。理由など知らんが、人が邑を追放し、捨て、場を移したのだ。祀られぬものとされた邑が人を追いかけ、新たな邑を己の地だと叫んだわけだ。捨てられ移られたわけではなく、邑が広がったと主張して、祀れと取り憑いた。地雷女のストーカーだな」

 堂々と断言した士匄を、趙武が唖然とし、ぽかんとし、アホですか? という顔で凝視した。

「いやいやいや、あの、人の贄だったんでしょ、邑て。邑が人間の形をとって歩き回っているってさすがに聞いたことがございませぬが!? 范叔はんしゅく、あれですか、脳みそ焼けちゃいましたか、死んじゃいましたか……」

「誰が脳みそ焼けてるか! お前、時々本当に腹立つからいつか泣かす。まあ、私も間が抜けていた。今思い出そうとしても、あの男の顔も年齢もわからぬ。思い出せぬのではない、わからんのだ。便宜上『邑』と言ったが、厳密に言えば邑で祀られていた山の祭神であろう、祖霊は人々が持ち越したであろうから。山神の本体はもうひとつの邑が祀り続けているであろうが、消えた邑に移された端末のほうは恨みがましいストーカーになったわけだ」

 立ち上がり、やれやれ、というように手を上げ首を振る士匄を、趙武がこちらも立ち上がり、見上げた。

「范叔。しかし、空白の邑が、本当にあったかどうか、が証明できておりません。あなたのお言葉は、私の示した空白に邑があるということが前提。しかし、そのような記録はございませんし、范叔の推論をもってしても、断言できないでしょう」

 趙武の言葉に、士匄はその通り、と素直に返した。結論は正しいと本能がつげるが、理は不確かであると己でもわかっている。

「この書簡の記録以上のことなど、このしんではわかりません。たとえば周都しゅうとにある法制地勢を全て調べるとか、まあそういった、膨大な記録を確かめた方ならご存じかもしれませんが、しかし、そのような人はおりませんし、いたとしても細かいことまで覚えてらっしゃらないでしょう」

 趙武が書庫を見回しながら言った。書庫にある全ての書をひっくり返しても、こんな小さな邑の詳細な記録があるとも思えない。邑の直接の書でもここまでしか分からぬのだ。

「まあ、ウチのじいさんなら知ってるだろうけどなあ。じいさん、周の記録めちゃくちゃ取り寄せて調べて、法制整えたから」

 士匄は己の首を掻きながらため息をついた。士匄の祖父は晋には正しい儀礼が伝わっていないと気づき、正しい情報を精査して法制を作り直した名宰相である。政治、外交、軍事全てに優れ、特に情報の収集力と精査能力は晋どころか春秋時代随一といえる。士匄の自慢の祖父であった。むろん、故人であり、諡号しごう、他者が呼ぶとなれば――。

范武子はんぶしは本当に素晴らしいですね。もし、ご存命であれば伺うこともできたのですが。特に士氏に不吉が起きるかもしれないのです。黄泉こうせんでご心配でしょうね」

「あー……。まあ、うん。聞いたら答えると思うが……。でもじいさん、怒ると怖いからなあ」

 腕を組み、体をゆらしながら目を泳がせる士匄を見て、趙武は少しほほえましさとうらやましさを感じた。幼少のころ、いたずらでもして怒られることもあったのであろう。趙武に父の記憶も祖父の記憶もない。孫の顔をする士匄は少し幼い表情をしていた。

「ふふ、かわいい孫の危機じゃあないですか、范武子もきっと力になりますよ」

「そうかもしれぬが、じいさんは怒るとガチだ。何故わからぬきちんと調べろ考えろ、って絶対に言う。そこから教えてくださいって持っていくまで、考えただけでもめんどくさい」

 稚気めいた士匄の言葉に笑おうとして、趙武の表情が固まった。会話にずれがあることに気づいたのである。ずれ、齟齬、勘違い。士匄の言葉の全ては過去形ではない。

「范叔。ひとつ伺いしますが、范武子はお亡くなりになられてますよね。諡号ございますしね」

「当然だろう。何をアホなことを聞いている」

「…………もうひとつ伺いますが、お亡くなりになられているかたに、今、ご教導賜りたいって言っても意味はございませんよね?」

「呼んで教えを請う話か? 祖の方々のご迷惑でない程度にお呼びすること、意味があるであろう。あまり長居できぬから、きちんと要点を伺うのが肝要だ。趙孟ちょうもうはちまちま考えるのは良いが、話がもたつきやすい。教えを請うときはスパっとせぬと、お答えいただく前にお帰りになられる。では、この騒動が終わればそのあたりの要領を教えてやろうか。たいしたコツでは無いが――」

「私は祖霊をお呼びすることできませぬ。そして他の方々みな、絶対に、祖霊をお呼びしてご教導お願いしますってできませぬ。いや范叔って多才な方だとは思ってましたが、ここまで多才とは思いませんでした」

 趙武の言葉に、士匄は思わず、え、とまぬけな声を出した。

「え? 呼べるだろ」

「呼べないです」

 士匄はさらに、何度も、え、え、え、と呟き、

「あ!」

 と叫んだ。あまりの大きな叫びに、趙武が半歩、飛び退いた。そんな趙武など目に入らず、士匄は頭を抱えて口早に言葉を垂れ流していく。

「子供のころ、父上がなぜか、他言するなと命じてきたのはこれか! いやこれ、あれだ、自慰みたいに一人でするからおおっぴらに言うなとかそういった意味だと思っていたが! あ、そういう、そういうこと」

 士爕ししょうは迷いなどないので呼んでいない、憚るのは祖に直接問うのは恥ずかしいことだから、と士匄は勝手に思い込んでいたのである。まさか、誰もできぬから黙っていろ、の意味とは思わなかったのだ。巫覡ふげきのような祓ったり天や祖の意を聞くものどもがいる。それ以外の者はせいぜい己の祖としか話せぬ。これが今までの士匄の常識であったが、一気に崩れ去った。士匄は己が際立った霊感体質とまでは思っていなかったのである。

 立ったまま燃え尽きた顔をする士匄に趙武が掴みかかる。

「勝手に恥ずかしがって終わってますが、私たちの戦いはこれからなんですよ! 呼べるんですね!? 范武子を呼べるんですね!? 早く呼びましょう、その含蓄深い豊かな知識に感動しながらご教導願い、万事解決しましょう、早く呼んで! 范武子とお話できるなんてナニコレ夢なの私は明日死んでもいい気がしてきました! ああもう早く知ってたら、毎日でもお呼びしていただいたのに! 范叔は問題解決! 私は推しに会う! なんという利害の一致! いいえ、これあれですよねウィン・ウィンていうやつですねっ」

 常の柔和な瞳にきちがいじみた光を宿し、悦楽めいた笑みを浮かべた趙武が、士匄を何度も強く揺さぶった。その様子は狂態じみており、我を忘れているようでもあった。

「あ、はい、呼ぶ、呼ぶから、落ち着け趙孟、ほんと落ち着いてくれ」

 趙武は、一度も会ったことなどない士匄の祖父をとてもとても尊敬しており、はっきりいえば范武子強火担当のファンである。史書にもそのような発言が見受けられる。我の強い士匄であったが、二十数年以上の常識が崩れかけたところに、早口のオタクが強火で迫ってくるのである。我に返るまで三十秒ほど立ち尽くしていた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...