30 / 70
夏は星狩りの季節
斎の言為る斉なり、体を清めるときは、まず心から
しおりを挟む
荷物、と趙武が眉をひそめ、士匄を見る。今、士匄が担ぎ上げているのは荀偃のみである。となれば、この巫覡は人間を荷物などと言い放ったことになる。士匄は戸惑うことなく、
「この方は荀氏の嗣子、中行伯である。本日、宮城にて不祥に合われた。本来は自邸にお戻りいただいてお任せするのが筋であるが、急ぎ払った方が良い、わたしの一存でお連れした次第。と、いうことで診て祓え。お前たちは天の声聞き祖霊の思いを受けるが役目と言うが、不祥を祓い防ぐのも役目のひとつだ」
低くのたまうと、一歩踏み出し、巫覡に襲いかかるようにすごんで士匄は叫んだ。
「何を突っ立っている。わたしはお前の主筋だ、平伏し恭しく頷き、命に従うが道理であろう!」
士匄の剣幕に、みな怯え、後ずさる――巫覡以外は。この巫覡は、士氏を護るために存在している。天の声、祖霊の声を聞くのも、全て士氏のためである。士匄が持っているそれは、極めて不吉、穢れであり、邸内にいれるわけにはいかぬ。門の内に入っているだけでも、呪われそうなしろものであった。護るためにも、引くわけにはいかぬ。
「この巫覡めは、主筋を護るためにおりますれば、ここを通すわけにはいきませぬ。その荷物をはよう門の外へお捨てください」
巫覡の頑なすぎる態度に士匄は歯ぎしりをした。抱えている荀偃の体は、どうも良くない。手足の形は変わってしまっているようである。目もつぶれかかっていた。持っているだけで倒れそうな瘴気が湧いている。
「我が主の子、嗣子に申し上げます。その荷物を捨て、あなたを浄めねばなりません。穢れが移り、おつらいでしょう。あなたはそれを祓うすべを知らぬ。さあ、ご用意いたしますから、疾く、早く」
巫覡が優しく言った。幼少の士匄が不祥にまみれ苦しんでいたときに差し伸べた手と声であった。士匄は、カッと吼えた。
「荷物ではない、我が友だ! わたしの、ともだちだ! それ以上繰り言を言わば、口を引き裂き、体を地に打ち庭に晒す。巫覡ごときが、我が友を愚弄するか、わたしを愚弄するも同じだ。お前たちはおとなしく祈り祓えば良い、早く支度しろ」
それでも巫覡は首を振った。士匄は力づくで押し通してしまいたかった。が、巫覡が妙なことをしてやがる、と勘が働き動けない。この、壮年のお祈り野郎が通さぬと口に出したとたんにこれ以上は無理だ、という念に囚われている。何かしやがった、と睨み付けたが、巫覡は表情を変えなかった。
どちらも譲らず引かず、完全な膠着状態の時、趙武が前へ進み、口を開いた。
「士氏の巫覡としてのお役目、ご苦労さまでございます。あなたがたの守護としての使命、大変重要なことでしょう。しかし、所詮は家のうちがわの者でございます、捨てようとすることが士氏の危機であることにお気づきでない」
そこまで言い、趙武は一拍置いた。演出などではない。言葉が詰まったのである。息を吸い、胸を張ると再び口を開く。その声は、霜降りるほどに冷たい。
「……こちらは荀氏の嗣子、中行伯です。今、不祥に見舞われ惨い目にあっているご様子、范叔が心をいため、お連れしました。もし、士氏が荀氏の嗣子を捨て、見殺しにしたならば、両家の交誼は潰えるでしょう。また、士氏が己かわいさに人を見捨てたとして不義不仁の家と皆は見なすことになる。あなたが黙り、范叔が口をつぐんでも、私という証人がおります。卿の家に連なる方を自儘に捨てる嗣子がいるお家が、この後、どのように国を背負うというのです。いえ、誰もそのような責を負わせず、人は離れ、終わり良くない。范武子の余光ありといえど、いずれ滅びることとなる。士氏の巫覡は目の前の小石を許せぬとして、大きな災いを呼び寄せるおつもりですか。文公を支えた趙成子の裔、趙氏の長としてそのさまを見届けましょう。ところで、卿の血筋を絶えさせようとした先代景公は、祟られ、夢の中で寿命を食われたそうですよ。ええとぉ。たしか、趙の筋を滅ぼそうとは許せぬと我が曾祖父じきじきに――」
巫覡が、息を飲んだ。趙成子は穏やかな人であったと伝えられている。その彼をして、趙氏を粛正した景公の夢に現れ、怒りのあまり踏みつけ呪った、というのも一部で有名であった。それほど、祖霊というものは激しさを持っている。荀偃を見捨てることで、士氏が荀氏に祟られ呪われる、と趙武は指摘したのである。その上で、国から浮き上がり社会的に死ぬ、と。巫覡一人の手に余る話であった。
巫覡は、拝礼し、士匄を通した。嗣子から漂う気配に、泥のような不祥だ、と眉をひそめる。持っている荀偃から怖気が走るような瘴気がダダ漏れであり、霊感体質の士匄がほとんどを吸ってしまっている。せめて、一番守り固く浄い場所に連れて行くしかない。巫覡はため息をついた。
なんというか、もったいない、と常に思う。士匄はこの世において多才らしいが、巫覡からすればこちら側の天才だ、と言いたい。研鑽もなく祖霊を呼び出し、おぼろげなほどの鬼を見る。空に飛ぶ鳥に祖霊を見ることができるのは、なかなかにいない。少し修養すれば、天の声も聞けるであろうし、己の筋でもない祖霊とも会話できるであろう。下手をすれば、天帝の元へ魂を飛ばせるほどの天稟の才を持っている。
が、彼は士氏の嗣子として生まれた。民の子であれば、保護し、後継者としてしまいたいくらいであったが、こればかりはどうしようもない。こんな自儘で我の強いガキが次の主というのも気が重い。結局、ただの境界が危うい青年ができあがっただけである。才能など、磨かねば石ころと同じ、という良い見本であった。
「この方は荀氏の嗣子、中行伯である。本日、宮城にて不祥に合われた。本来は自邸にお戻りいただいてお任せするのが筋であるが、急ぎ払った方が良い、わたしの一存でお連れした次第。と、いうことで診て祓え。お前たちは天の声聞き祖霊の思いを受けるが役目と言うが、不祥を祓い防ぐのも役目のひとつだ」
低くのたまうと、一歩踏み出し、巫覡に襲いかかるようにすごんで士匄は叫んだ。
「何を突っ立っている。わたしはお前の主筋だ、平伏し恭しく頷き、命に従うが道理であろう!」
士匄の剣幕に、みな怯え、後ずさる――巫覡以外は。この巫覡は、士氏を護るために存在している。天の声、祖霊の声を聞くのも、全て士氏のためである。士匄が持っているそれは、極めて不吉、穢れであり、邸内にいれるわけにはいかぬ。門の内に入っているだけでも、呪われそうなしろものであった。護るためにも、引くわけにはいかぬ。
「この巫覡めは、主筋を護るためにおりますれば、ここを通すわけにはいきませぬ。その荷物をはよう門の外へお捨てください」
巫覡の頑なすぎる態度に士匄は歯ぎしりをした。抱えている荀偃の体は、どうも良くない。手足の形は変わってしまっているようである。目もつぶれかかっていた。持っているだけで倒れそうな瘴気が湧いている。
「我が主の子、嗣子に申し上げます。その荷物を捨て、あなたを浄めねばなりません。穢れが移り、おつらいでしょう。あなたはそれを祓うすべを知らぬ。さあ、ご用意いたしますから、疾く、早く」
巫覡が優しく言った。幼少の士匄が不祥にまみれ苦しんでいたときに差し伸べた手と声であった。士匄は、カッと吼えた。
「荷物ではない、我が友だ! わたしの、ともだちだ! それ以上繰り言を言わば、口を引き裂き、体を地に打ち庭に晒す。巫覡ごときが、我が友を愚弄するか、わたしを愚弄するも同じだ。お前たちはおとなしく祈り祓えば良い、早く支度しろ」
それでも巫覡は首を振った。士匄は力づくで押し通してしまいたかった。が、巫覡が妙なことをしてやがる、と勘が働き動けない。この、壮年のお祈り野郎が通さぬと口に出したとたんにこれ以上は無理だ、という念に囚われている。何かしやがった、と睨み付けたが、巫覡は表情を変えなかった。
どちらも譲らず引かず、完全な膠着状態の時、趙武が前へ進み、口を開いた。
「士氏の巫覡としてのお役目、ご苦労さまでございます。あなたがたの守護としての使命、大変重要なことでしょう。しかし、所詮は家のうちがわの者でございます、捨てようとすることが士氏の危機であることにお気づきでない」
そこまで言い、趙武は一拍置いた。演出などではない。言葉が詰まったのである。息を吸い、胸を張ると再び口を開く。その声は、霜降りるほどに冷たい。
「……こちらは荀氏の嗣子、中行伯です。今、不祥に見舞われ惨い目にあっているご様子、范叔が心をいため、お連れしました。もし、士氏が荀氏の嗣子を捨て、見殺しにしたならば、両家の交誼は潰えるでしょう。また、士氏が己かわいさに人を見捨てたとして不義不仁の家と皆は見なすことになる。あなたが黙り、范叔が口をつぐんでも、私という証人がおります。卿の家に連なる方を自儘に捨てる嗣子がいるお家が、この後、どのように国を背負うというのです。いえ、誰もそのような責を負わせず、人は離れ、終わり良くない。范武子の余光ありといえど、いずれ滅びることとなる。士氏の巫覡は目の前の小石を許せぬとして、大きな災いを呼び寄せるおつもりですか。文公を支えた趙成子の裔、趙氏の長としてそのさまを見届けましょう。ところで、卿の血筋を絶えさせようとした先代景公は、祟られ、夢の中で寿命を食われたそうですよ。ええとぉ。たしか、趙の筋を滅ぼそうとは許せぬと我が曾祖父じきじきに――」
巫覡が、息を飲んだ。趙成子は穏やかな人であったと伝えられている。その彼をして、趙氏を粛正した景公の夢に現れ、怒りのあまり踏みつけ呪った、というのも一部で有名であった。それほど、祖霊というものは激しさを持っている。荀偃を見捨てることで、士氏が荀氏に祟られ呪われる、と趙武は指摘したのである。その上で、国から浮き上がり社会的に死ぬ、と。巫覡一人の手に余る話であった。
巫覡は、拝礼し、士匄を通した。嗣子から漂う気配に、泥のような不祥だ、と眉をひそめる。持っている荀偃から怖気が走るような瘴気がダダ漏れであり、霊感体質の士匄がほとんどを吸ってしまっている。せめて、一番守り固く浄い場所に連れて行くしかない。巫覡はため息をついた。
なんというか、もったいない、と常に思う。士匄はこの世において多才らしいが、巫覡からすればこちら側の天才だ、と言いたい。研鑽もなく祖霊を呼び出し、おぼろげなほどの鬼を見る。空に飛ぶ鳥に祖霊を見ることができるのは、なかなかにいない。少し修養すれば、天の声も聞けるであろうし、己の筋でもない祖霊とも会話できるであろう。下手をすれば、天帝の元へ魂を飛ばせるほどの天稟の才を持っている。
が、彼は士氏の嗣子として生まれた。民の子であれば、保護し、後継者としてしまいたいくらいであったが、こればかりはどうしようもない。こんな自儘で我の強いガキが次の主というのも気が重い。結局、ただの境界が危うい青年ができあがっただけである。才能など、磨かねば石ころと同じ、という良い見本であった。
20
あなたにおすすめの小説
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる