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恋は秋菊の香り
肯て来り遊ぶにおよばば中心之を好す。あなたから来てくれるなら好きになるに決まってる。
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「……末席ですが問われましたので申し上げます。私は五人の弟ぎみ、五子が卑しいとは思いません。彼らは狩りの供をすることで家族としての責を果たし、河を渡らず待つことで態度を以て諫めました。それ以上を行うことは私も僭越だと思います。たとえ弟でもそれ以上できません。いえ、弟だからこそできない。心から出せぬ言葉を太康は汲み取ることは無かった。五子にその行いを省み正道を歩んで欲しいという思いはあったでしょうが、きっと言い出せません。太康が戻られなかったとき、五子はそれぞれ、戒めとともに憂いを歌いました。范叔は五人の弟ぎみを無価値で卑しいとおっしゃる。しかし、言わなかったのではなく言えなかった。その悔恨も込め悲しみを歌っておられるのでは無いでしょうか。禹王という父祖を讃え、太康を非難し、己らを羞じ、そして兄を亡くした悲しみを歌っていると、私は思います」
趙武の言葉は、あまりに感情的すぎる、と士匄は思った。少し目を細め、口を開く。
「つまり、趙孟は弟ぎみ五子らは、ご立派で情深いと?」
かなりバカにした声であった。陳腐な家族愛で政治を語るのか、という響きもあった。
言われた趙武は静かに首を横に振った。
「……大いなる国政の前で、人は情を取る。特に血縁というものは、情で全てを覆いおおやけを潰します。この五子之歌がそれを語っているものと、私はさすがに申しません。しかし、この一篇を見るたびに、民の心が離れても弟たちはそれを言うことができなかった。しのびなかったのではないかと私は思ってしまいます。それは、国を弄ぶと同じですが、人はそういったものだと、私は常に思っています。情と血への拘りで動けず、後で後悔する。はっきり言えば愚かです。しかしそれを卑しく価値無しと切り捨てるのは、いかがかと思いました。人は、総じて弱いものです。えっと。范叔は心も体もお強く、ついでに不祥に祟られてもお元気なのでおわかりではないでしょうが、この弟ぎみたちのように口に出せぬかたも多い。民は必ずしも声を上げるわけではないです。それを汲み取るのが我ら卿となる者のお役目ではないでしょうか」
ゆっくりと、言葉を探るようなしぐさをしながら、趙武が言った。士匄のくだりは余計な文言であったが、当てこすったわけではなく、考えているうちに思考がよれたらしい。
士匄は苦々しい顔をしつつも、引き合いに出されたことはつっこまなかった。
ただ、祟られ元気、というあたりで、欒黶が手を打って笑ったため、即座に士匄は肘鉄を食らわせた。欒黶が床に倒れ込んで悶絶し、荀偃が気遣わしげに小さく声をかけていた。
慎ましやかに座し、趙武が士匄を怖じた様子も無くしっかりと見ている。この後輩は士匄の言葉に真っ向から反対していた。
――誰もが思うまま行動できるわけでも、その場で反論できるわけでもない。
――声の大きい人間だけを見て、うつむく弱者を切り捨てるのは為政者として小さい。
まあ、こういったものである。
そこからは、大変白熱したやりとりがあった。
強者が法典を以て弱者を導けば良い、と言い放つのが士匄である。荀偃に対する態度が全てを物語っていよう。
声なきものが弱者とは限らず、一つ一つを丁寧に粗末に扱ってはならない、と反駁するのが趙武である。地道にこつこつ進めようという彼らしい意見である。
こういったものは、結論がつかない。
ただ、士匄は勝ちに拘り、趙武は諦めが悪いため、場は膠着した。実のところ珍しい光景ではない。
韓無忌が、それまで、と二人を止めた。
「范叔の言は五子之歌の第四の歌、趙孟の言は第一の歌に則っており、どちらも間違いではない。つまり、どちらかではなく双方を念頭に置きまつりごとを行うことが肝要。あえて言うなら、平時は趙孟の考えのほうが有用、有事には范叔の行いが効を為すだろう。さて、私も私見を申し上げたい」
常は総論のみを行う韓無忌が、さらに言葉を続けたため、全員で怪訝な顔をした。欒黶でさえ、首をかしげる。
韓無忌はこの場でディベートの議長をしているようなものである。議題を出し、まとめることに徹した彼が、持論を述べるのは極めて珍しい。
「范叔はこの五人の弟が『言わなかった』と評し、趙孟は『言えなかった』と述べた。私は、まず太康が『言わせなかった』と申したい」
「聞く耳もたんから暗君というものでしょう、韓伯とは思えぬ凡庸な私見ですな」
間髪入れず、士匄がせせら笑った。そういうとこ、と趙武は呆れた顔で士匄を見た。うまいことを言った、という顔をしているこの先達は、いつかしょうもないことで刺されるのではないかと、趙武は思っている。
さて、人間がとてもできている韓無忌は怒ることもなく、話を続けた。
「聞く耳持たないと、言わせないは違うものだ、范叔。かつて郤成子は、人の悩みを聞きご助言されること多かったと聞く。つまり人が話をもっていきやすい御仁であったのだろう。我が父は重々しいながらも人がよく相談に来る。人を拒まない態度というものだ。しかし、真逆のものがいる。人を受け付けぬ。つまり、言わせぬ。立場、性格というだけではなく、その時の気分で皆も他者を圧し遠ざけてしまうことがあるであろう」
郤成子とは郤氏の先々代である。
この場にいるもの顔を見たこともないが、話としては聞いている。
それよりは、その真逆という言葉に、全員黙り込んだ。と言っても、欒黶は雰囲気に呑まれただけである。
その発想は無かった。荀偃、趙武だけでなく士匄さえ思った。
「弟ぎみ五子はもちろん、民も、そして私も汝らも、言いたくとも言えぬ、という時がある。それは、相手が拒んでいる時だ。逆に言えば、我らがそうなる可能性もある。卿として立った時、下席の口を閉ざす行いをしていないか。大夫たちの言葉を封じていないか。民の声を小さくするような振る舞いをしていないか。この五子之歌にある五つの歌は、善き訓戒とそれが為せなかった苦しみを我らに教えてくれる。しかし、いくら善き言葉があろうと、民の怨嗟あろうと、耳に入らなければ無いと同じ。言葉を待つだけの為政者など、誰が言祝ぎしようか。ましてや、言わせぬものに、誰が言う。太康が『言わせなかった』は根拠のない私見です。ただ、趙孟も范叔も五子ばかりを見て、太康を見ていないように思えたので、あえて申し上げた。我らは君公や上卿に進言し、時には諫めることもあろう。しかし、それ以上に進言され諫められることの多い立場です。各々かた、心に留め置いて欲しい。――そして、趙孟。特に汝に」
最後、言葉を柔らかくして、韓無忌が趙武に顔をむけた。柔らかい笑みが浮かんでおり、表情の薄い彼には珍しすぎた。
趙武の言葉は、あまりに感情的すぎる、と士匄は思った。少し目を細め、口を開く。
「つまり、趙孟は弟ぎみ五子らは、ご立派で情深いと?」
かなりバカにした声であった。陳腐な家族愛で政治を語るのか、という響きもあった。
言われた趙武は静かに首を横に振った。
「……大いなる国政の前で、人は情を取る。特に血縁というものは、情で全てを覆いおおやけを潰します。この五子之歌がそれを語っているものと、私はさすがに申しません。しかし、この一篇を見るたびに、民の心が離れても弟たちはそれを言うことができなかった。しのびなかったのではないかと私は思ってしまいます。それは、国を弄ぶと同じですが、人はそういったものだと、私は常に思っています。情と血への拘りで動けず、後で後悔する。はっきり言えば愚かです。しかしそれを卑しく価値無しと切り捨てるのは、いかがかと思いました。人は、総じて弱いものです。えっと。范叔は心も体もお強く、ついでに不祥に祟られてもお元気なのでおわかりではないでしょうが、この弟ぎみたちのように口に出せぬかたも多い。民は必ずしも声を上げるわけではないです。それを汲み取るのが我ら卿となる者のお役目ではないでしょうか」
ゆっくりと、言葉を探るようなしぐさをしながら、趙武が言った。士匄のくだりは余計な文言であったが、当てこすったわけではなく、考えているうちに思考がよれたらしい。
士匄は苦々しい顔をしつつも、引き合いに出されたことはつっこまなかった。
ただ、祟られ元気、というあたりで、欒黶が手を打って笑ったため、即座に士匄は肘鉄を食らわせた。欒黶が床に倒れ込んで悶絶し、荀偃が気遣わしげに小さく声をかけていた。
慎ましやかに座し、趙武が士匄を怖じた様子も無くしっかりと見ている。この後輩は士匄の言葉に真っ向から反対していた。
――誰もが思うまま行動できるわけでも、その場で反論できるわけでもない。
――声の大きい人間だけを見て、うつむく弱者を切り捨てるのは為政者として小さい。
まあ、こういったものである。
そこからは、大変白熱したやりとりがあった。
強者が法典を以て弱者を導けば良い、と言い放つのが士匄である。荀偃に対する態度が全てを物語っていよう。
声なきものが弱者とは限らず、一つ一つを丁寧に粗末に扱ってはならない、と反駁するのが趙武である。地道にこつこつ進めようという彼らしい意見である。
こういったものは、結論がつかない。
ただ、士匄は勝ちに拘り、趙武は諦めが悪いため、場は膠着した。実のところ珍しい光景ではない。
韓無忌が、それまで、と二人を止めた。
「范叔の言は五子之歌の第四の歌、趙孟の言は第一の歌に則っており、どちらも間違いではない。つまり、どちらかではなく双方を念頭に置きまつりごとを行うことが肝要。あえて言うなら、平時は趙孟の考えのほうが有用、有事には范叔の行いが効を為すだろう。さて、私も私見を申し上げたい」
常は総論のみを行う韓無忌が、さらに言葉を続けたため、全員で怪訝な顔をした。欒黶でさえ、首をかしげる。
韓無忌はこの場でディベートの議長をしているようなものである。議題を出し、まとめることに徹した彼が、持論を述べるのは極めて珍しい。
「范叔はこの五人の弟が『言わなかった』と評し、趙孟は『言えなかった』と述べた。私は、まず太康が『言わせなかった』と申したい」
「聞く耳もたんから暗君というものでしょう、韓伯とは思えぬ凡庸な私見ですな」
間髪入れず、士匄がせせら笑った。そういうとこ、と趙武は呆れた顔で士匄を見た。うまいことを言った、という顔をしているこの先達は、いつかしょうもないことで刺されるのではないかと、趙武は思っている。
さて、人間がとてもできている韓無忌は怒ることもなく、話を続けた。
「聞く耳持たないと、言わせないは違うものだ、范叔。かつて郤成子は、人の悩みを聞きご助言されること多かったと聞く。つまり人が話をもっていきやすい御仁であったのだろう。我が父は重々しいながらも人がよく相談に来る。人を拒まない態度というものだ。しかし、真逆のものがいる。人を受け付けぬ。つまり、言わせぬ。立場、性格というだけではなく、その時の気分で皆も他者を圧し遠ざけてしまうことがあるであろう」
郤成子とは郤氏の先々代である。
この場にいるもの顔を見たこともないが、話としては聞いている。
それよりは、その真逆という言葉に、全員黙り込んだ。と言っても、欒黶は雰囲気に呑まれただけである。
その発想は無かった。荀偃、趙武だけでなく士匄さえ思った。
「弟ぎみ五子はもちろん、民も、そして私も汝らも、言いたくとも言えぬ、という時がある。それは、相手が拒んでいる時だ。逆に言えば、我らがそうなる可能性もある。卿として立った時、下席の口を閉ざす行いをしていないか。大夫たちの言葉を封じていないか。民の声を小さくするような振る舞いをしていないか。この五子之歌にある五つの歌は、善き訓戒とそれが為せなかった苦しみを我らに教えてくれる。しかし、いくら善き言葉があろうと、民の怨嗟あろうと、耳に入らなければ無いと同じ。言葉を待つだけの為政者など、誰が言祝ぎしようか。ましてや、言わせぬものに、誰が言う。太康が『言わせなかった』は根拠のない私見です。ただ、趙孟も范叔も五子ばかりを見て、太康を見ていないように思えたので、あえて申し上げた。我らは君公や上卿に進言し、時には諫めることもあろう。しかし、それ以上に進言され諫められることの多い立場です。各々かた、心に留め置いて欲しい。――そして、趙孟。特に汝に」
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