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第四話 弱さと強さ
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さて、この場には、光と欒成だけがいるわけではない。隰叔も後ろに控えていた。
彼は、欒成に比べると晋室から遠い存在である。
六十年以上前、周の大夫であった杜伯は意味なく粛正された。この一族は晋へ亡命して帰化した、いわば外様というものである。隰は下賜された邑の名であろう。晋では与えられた邑の名を氏族名にすることが多い。叔は諱ではなく、伯仲叔季という生まれ順からきた字と推測される。長男次男三男末子のうち、三男以下末子ではない、というわけだ。諱は伝わっていない。
この、亡命三代目の男は、立ち位置からもその性格からも、外側から物事を見る人間である。欒成の誠実さが光の胸を打ちつつも、少々圧していることに気づいていた。彼らは近すぎるがために、時折このような濃さが浮き上がる。それを淡くするように、隰叔は静かに言葉を紡いだ。
「率爾ながら申し上げます。邑が抵抗も無く敵へ降ったは、やはり見過ごすことできぬ話。元々通じていたと思われても仕方のない行いです。しかし、欒叔のおっしゃること最も。連なるものの罪を問うのであれば、まず世話行き届かなかった我ら重責の臣に罪を問うべきです。ゆえ、翼に身を寄せるものの罪は問うべきではない。問題の邑へ来年軍を出し、威光を示してはいかがか。我が君の加冠の年です。初陣にそのお姿を彼らにお見せして、再び戻るよう呼びかけるのです」
隰叔の言葉に、光が困惑を隠さず欒成を見た。年が明ければ、加冠し成人となる。ようやく戦に出られるというわけだが、それで曲沃に降ったものを引き戻すことができるのか。
とまどう光をまっすぐに見ながら、欒成は言葉を引き継ぐ。
「罪を問わず温情をお見せになることこそ、肝要。彼らは翼に一言も無く抗いもせず曲沃へ降ったことに負い目がございます。氏を率いるもの、大夫であるもの、民を養うものであれば、必ず恥を知っており、自ずから罪を覚えております。その罪を許すとするのがよろしいでしょう。戻るのであれば不問、戻らぬのであれば、改めて敵として交えるのです。そのためにも我が君の加冠の儀を盛大に執り行い、喧伝せねばなりますまい。そして嫁を迎える儀がございます。加冠、婚姻、初陣。年が明ければ忙しくなります、今は心を落ち着かせ、研鑽することが大切です」
例え、光が出陣しても兵力差が覆るわけではない。しかし、威信を見せることで内部を固めることもでき、曲沃への牽制にもなる。
たった十一才の少年が欒成の言葉全てを理解したかどうか。しかし、君主としての責務と矜持、それを背負う覚悟を光は感じ取った。
「私はそなたたちに支えられるだけの幼い君主であった。しかし、年が明ければ私がそなたらを率い、文侯の名に恥じぬ晋公になろうと思う。……邑の件、動揺するものもおろう。どうすればいい」
言葉ひとつひとつを噛みしめるように紡いだ後、光が二人に問うた。欒成が応える前に、隰叔が
「下席から申し上げることをお許しを」
と素早く言い、
「曲沃は虎狼と同じく、その言葉は虚偽、行いは非道、残忍酷薄そのものです。その言葉を信じぬようみなに強く伝えましょう。降ったものどもも、いつか悔いて戻ることもあるでしょう。君公におかれましては、安心してお休みください。もう、遅いお時間です」
さらりと光に返した。曲沃も虚偽であるが、隰叔の言葉もどこか詐欺くさい、と欒成は少し眉をしかめる。光を納得させるためだけに出した言葉に思えた。
基本的に従順な子供である光は、そんなものか、と頷き退出していった。
「隰叔。今の言葉は、誠実ではないのではないか」
欒成は立ち上がり、強く言った。隰叔が苦笑を見せ、さよう、と返す。
「子供だましの言葉であったと、認めましょう。我ら重責を担う氏族たちが、脅ししめつけ、逃げるなと刃物をちらつかせ、恐怖を以て落ち着かせる。それ以外無いと言うのは、酷でしょう」
いまだ君主に神性を認めていた時代である。隰叔の行いは不敬と言って良い。しかしそれでも隰叔は子供に事実は言えぬ、と首を横に振った。欒成は一度目をつむった後、隰叔を見据える。
「汝は我が君を見くびっておられる。たとえ加冠しておらぬとも、君公としての覚悟はされておられる。その覚悟を信じず偽言を弄するは不実というもの。不実な言葉で安堵することは、一瞬の気休めになるが亡びに向かう。人は誰しも弱い。嘘の安心を求めて不実に縋るようになるものだ」
強すぎる言葉になった、と欒成は気づき、
「言い過ぎた」
と最後に付け加えた。隰叔が、しらけた顔でため息をつく。
「あなたが正しい。しかし、みなあなたのように強いわけではない」
「私は強くない。人は誰しも弱いと言ったのだが……。伝わりにくかったであろうか」
本気で困惑する欒成は、強い武人というより木訥なおじさんそのものである。隰叔が欒成の顔を覗きこみ笑んだ。いたずらめいた、少し意地悪い微笑みである。
「あなたはそういう、田舎くさいことをなされる、ずるい。私が悪者のようではないか」
欒成は、隰叔のふざけた言葉をまともに受け取った。あなたは悪者ではない、と丁寧に伝えた上、
「杜伯は周の大夫、法を尊ぶかただったと伺っております。隰叔はその儀、礼を受け継いだ都の血筋をお持ちです。私はこの晋で生まれ育った田舎ものゆえ、浅学非礼なところもあろう。あなたに習うことも多い。私に礼を外す行いや言葉があれば、遠慮無くおっしゃってほしい」
と、真面目に言った。
「やはり、あなたはずるい」
隰叔が哄笑したあと、帰りましょう、と言った。
彼は、欒成に比べると晋室から遠い存在である。
六十年以上前、周の大夫であった杜伯は意味なく粛正された。この一族は晋へ亡命して帰化した、いわば外様というものである。隰は下賜された邑の名であろう。晋では与えられた邑の名を氏族名にすることが多い。叔は諱ではなく、伯仲叔季という生まれ順からきた字と推測される。長男次男三男末子のうち、三男以下末子ではない、というわけだ。諱は伝わっていない。
この、亡命三代目の男は、立ち位置からもその性格からも、外側から物事を見る人間である。欒成の誠実さが光の胸を打ちつつも、少々圧していることに気づいていた。彼らは近すぎるがために、時折このような濃さが浮き上がる。それを淡くするように、隰叔は静かに言葉を紡いだ。
「率爾ながら申し上げます。邑が抵抗も無く敵へ降ったは、やはり見過ごすことできぬ話。元々通じていたと思われても仕方のない行いです。しかし、欒叔のおっしゃること最も。連なるものの罪を問うのであれば、まず世話行き届かなかった我ら重責の臣に罪を問うべきです。ゆえ、翼に身を寄せるものの罪は問うべきではない。問題の邑へ来年軍を出し、威光を示してはいかがか。我が君の加冠の年です。初陣にそのお姿を彼らにお見せして、再び戻るよう呼びかけるのです」
隰叔の言葉に、光が困惑を隠さず欒成を見た。年が明ければ、加冠し成人となる。ようやく戦に出られるというわけだが、それで曲沃に降ったものを引き戻すことができるのか。
とまどう光をまっすぐに見ながら、欒成は言葉を引き継ぐ。
「罪を問わず温情をお見せになることこそ、肝要。彼らは翼に一言も無く抗いもせず曲沃へ降ったことに負い目がございます。氏を率いるもの、大夫であるもの、民を養うものであれば、必ず恥を知っており、自ずから罪を覚えております。その罪を許すとするのがよろしいでしょう。戻るのであれば不問、戻らぬのであれば、改めて敵として交えるのです。そのためにも我が君の加冠の儀を盛大に執り行い、喧伝せねばなりますまい。そして嫁を迎える儀がございます。加冠、婚姻、初陣。年が明ければ忙しくなります、今は心を落ち着かせ、研鑽することが大切です」
例え、光が出陣しても兵力差が覆るわけではない。しかし、威信を見せることで内部を固めることもでき、曲沃への牽制にもなる。
たった十一才の少年が欒成の言葉全てを理解したかどうか。しかし、君主としての責務と矜持、それを背負う覚悟を光は感じ取った。
「私はそなたたちに支えられるだけの幼い君主であった。しかし、年が明ければ私がそなたらを率い、文侯の名に恥じぬ晋公になろうと思う。……邑の件、動揺するものもおろう。どうすればいい」
言葉ひとつひとつを噛みしめるように紡いだ後、光が二人に問うた。欒成が応える前に、隰叔が
「下席から申し上げることをお許しを」
と素早く言い、
「曲沃は虎狼と同じく、その言葉は虚偽、行いは非道、残忍酷薄そのものです。その言葉を信じぬようみなに強く伝えましょう。降ったものどもも、いつか悔いて戻ることもあるでしょう。君公におかれましては、安心してお休みください。もう、遅いお時間です」
さらりと光に返した。曲沃も虚偽であるが、隰叔の言葉もどこか詐欺くさい、と欒成は少し眉をしかめる。光を納得させるためだけに出した言葉に思えた。
基本的に従順な子供である光は、そんなものか、と頷き退出していった。
「隰叔。今の言葉は、誠実ではないのではないか」
欒成は立ち上がり、強く言った。隰叔が苦笑を見せ、さよう、と返す。
「子供だましの言葉であったと、認めましょう。我ら重責を担う氏族たちが、脅ししめつけ、逃げるなと刃物をちらつかせ、恐怖を以て落ち着かせる。それ以外無いと言うのは、酷でしょう」
いまだ君主に神性を認めていた時代である。隰叔の行いは不敬と言って良い。しかしそれでも隰叔は子供に事実は言えぬ、と首を横に振った。欒成は一度目をつむった後、隰叔を見据える。
「汝は我が君を見くびっておられる。たとえ加冠しておらぬとも、君公としての覚悟はされておられる。その覚悟を信じず偽言を弄するは不実というもの。不実な言葉で安堵することは、一瞬の気休めになるが亡びに向かう。人は誰しも弱い。嘘の安心を求めて不実に縋るようになるものだ」
強すぎる言葉になった、と欒成は気づき、
「言い過ぎた」
と最後に付け加えた。隰叔が、しらけた顔でため息をつく。
「あなたが正しい。しかし、みなあなたのように強いわけではない」
「私は強くない。人は誰しも弱いと言ったのだが……。伝わりにくかったであろうか」
本気で困惑する欒成は、強い武人というより木訥なおじさんそのものである。隰叔が欒成の顔を覗きこみ笑んだ。いたずらめいた、少し意地悪い微笑みである。
「あなたはそういう、田舎くさいことをなされる、ずるい。私が悪者のようではないか」
欒成は、隰叔のふざけた言葉をまともに受け取った。あなたは悪者ではない、と丁寧に伝えた上、
「杜伯は周の大夫、法を尊ぶかただったと伺っております。隰叔はその儀、礼を受け継いだ都の血筋をお持ちです。私はこの晋で生まれ育った田舎ものゆえ、浅学非礼なところもあろう。あなたに習うことも多い。私に礼を外す行いや言葉があれば、遠慮無くおっしゃってほしい」
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