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第十七話 沈む太陽
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日が没しようとしている、夕闇であった。わずかな赤い陽光に照らされ、みな、影のように暗い。
光は焦り、太鼓を叩くのも忘れて、御者を叱咤する。そえ馬一頭の足が折れていた。御者はその馬を放ち、三頭で走らせようと必死に動いた。
君主の太鼓が鳴り止み、状況のわからぬものは、茫然とした。
光に何かがあったのか、と慌てて翻し、射貫かれる大夫もいた。君主の戦死だと勘違いし、哭くものもいた。
欒成は、暗い混戦の中、確かに光を見つけて、駆けつけようとした。光の盾になろうとしていた彼は、少し遠かった。
――遠すぎる、と焦った。
光が立て直す前に、曲沃の兵車たちが押し寄せてきた。
特に、強い兵車があった。御者は巧みに馬を制し混戦も見通しの悪い視界もものともしない。兵車を守る車右は戈で周囲を薙ぎ、御者と指揮官を守っている。そしてその指揮官は、周囲に差配しながら、太鼓を叩いていた。
「お初にお目にかかる。甥ごどの」
称が、光を見下ろしながら、軽く笑い、光の兵車に飛び乗ってきた。光が剣を抜こうとするが、足で叩き落とす。
その間、称の車右が光の車右も御者も片付けていた。それを確認することなく、称は光を担ぎ上げると、己の兵車に放り込み、
「翼主を生け捕った!」
と、叫んだ。なんとか戦っていた翼の兵どもはへたりこみかけた。
「我が君は止まれとは命じておらぬ、走れ!」
吼えるような声が、戦場に響き渡った。欒成であった。
この男は、この時になっても戦意を失っておらぬ。捕縛された光をまっすぐに見据え、向かっていく。
欒氏の手勢は、主に付き従うものと、逃げる兵を支えるものに別れた。道を切り開く欒氏によって、翼の軍は戦線から離れるべく走り続ける。それとすれ違うように、欒成は光、そして称の前に来て、止まった。
「国君を辱めると終わり良くないと申します。我が君をおはなしいただくよう。あなたは晋公を支える弟です。兄を辱める弟がどこにおられますか」
深く静かな声音で紡ぐ欒成の言葉を、称が手で制した。
「かつて禹王に仕えた知者が言った。九族惇く叙すれば、庶、明にして励み翼けん。祖から玄孫卑族まで、おのが九族の秩序を確かとすれば民も導くことができる。しかし、翼主はそれが為せぬ。まあ、我が曲沃のことであるため、詭弁とあなたは言うであろうが、一人も我が曲沃にこうべを垂れさせるような主は出ておらぬ。文侯の余光に縋っているだけだ。この翼主も、我が曲沃を統べる器無く、虜囚と成りはてた。おおよそ、虜囚を受け取るというなら対価が必要だ」
欒成は、称を睨み付けるようなことはしなかった。が、怖じるそぶりも見せない。強く静かな視線を向ける。
もう、夕闇も終わろうとしているのに、勇猛な青年の顔ははっきりと見えた。
威風あり、才気あり、そして器あり。桓叔の面影があるようにも見え、文侯も思い出す。過去にあった、晋の栄光が凝縮したような姿にも思えた。
欒成はその感傷をさっと終わらせ、気迫がみなぎる声音を放つ。
「我が君をお戻しするに、あなた以上の対価はない。では、あなたと戈を交え、我が君を取り戻すのみ、ですな」
五十を過ぎた男とも思えぬ、無謀すぎる言葉に、称が肩をすくめ息をついた。そして、威儀を正し、欒成を見据える。
「私はあなたの父、欒賓にご教示いただいた。あなたのことも戦場で何度も見て、話も聞いている。無駄死にしてはならぬ。私はあなたを連れ、周王さまに謁見し、あなたを上卿に命じていただこうと考えている。晋のまつりごとを執ってもらいたい。夏書にある、人を知るに在り。人を正しく知り任用することこそ重要なことだ。あなたは、節度高く教養深く、情理兼ね備えておられる。曲沃で大きく腕を振るえる人だ。無駄死にせず、私の元に来てほしい」
称の声に威圧はなく、慎ましさと誠実さがあった。
光は焦り、太鼓を叩くのも忘れて、御者を叱咤する。そえ馬一頭の足が折れていた。御者はその馬を放ち、三頭で走らせようと必死に動いた。
君主の太鼓が鳴り止み、状況のわからぬものは、茫然とした。
光に何かがあったのか、と慌てて翻し、射貫かれる大夫もいた。君主の戦死だと勘違いし、哭くものもいた。
欒成は、暗い混戦の中、確かに光を見つけて、駆けつけようとした。光の盾になろうとしていた彼は、少し遠かった。
――遠すぎる、と焦った。
光が立て直す前に、曲沃の兵車たちが押し寄せてきた。
特に、強い兵車があった。御者は巧みに馬を制し混戦も見通しの悪い視界もものともしない。兵車を守る車右は戈で周囲を薙ぎ、御者と指揮官を守っている。そしてその指揮官は、周囲に差配しながら、太鼓を叩いていた。
「お初にお目にかかる。甥ごどの」
称が、光を見下ろしながら、軽く笑い、光の兵車に飛び乗ってきた。光が剣を抜こうとするが、足で叩き落とす。
その間、称の車右が光の車右も御者も片付けていた。それを確認することなく、称は光を担ぎ上げると、己の兵車に放り込み、
「翼主を生け捕った!」
と、叫んだ。なんとか戦っていた翼の兵どもはへたりこみかけた。
「我が君は止まれとは命じておらぬ、走れ!」
吼えるような声が、戦場に響き渡った。欒成であった。
この男は、この時になっても戦意を失っておらぬ。捕縛された光をまっすぐに見据え、向かっていく。
欒氏の手勢は、主に付き従うものと、逃げる兵を支えるものに別れた。道を切り開く欒氏によって、翼の軍は戦線から離れるべく走り続ける。それとすれ違うように、欒成は光、そして称の前に来て、止まった。
「国君を辱めると終わり良くないと申します。我が君をおはなしいただくよう。あなたは晋公を支える弟です。兄を辱める弟がどこにおられますか」
深く静かな声音で紡ぐ欒成の言葉を、称が手で制した。
「かつて禹王に仕えた知者が言った。九族惇く叙すれば、庶、明にして励み翼けん。祖から玄孫卑族まで、おのが九族の秩序を確かとすれば民も導くことができる。しかし、翼主はそれが為せぬ。まあ、我が曲沃のことであるため、詭弁とあなたは言うであろうが、一人も我が曲沃にこうべを垂れさせるような主は出ておらぬ。文侯の余光に縋っているだけだ。この翼主も、我が曲沃を統べる器無く、虜囚と成りはてた。おおよそ、虜囚を受け取るというなら対価が必要だ」
欒成は、称を睨み付けるようなことはしなかった。が、怖じるそぶりも見せない。強く静かな視線を向ける。
もう、夕闇も終わろうとしているのに、勇猛な青年の顔ははっきりと見えた。
威風あり、才気あり、そして器あり。桓叔の面影があるようにも見え、文侯も思い出す。過去にあった、晋の栄光が凝縮したような姿にも思えた。
欒成はその感傷をさっと終わらせ、気迫がみなぎる声音を放つ。
「我が君をお戻しするに、あなた以上の対価はない。では、あなたと戈を交え、我が君を取り戻すのみ、ですな」
五十を過ぎた男とも思えぬ、無謀すぎる言葉に、称が肩をすくめ息をついた。そして、威儀を正し、欒成を見据える。
「私はあなたの父、欒賓にご教示いただいた。あなたのことも戦場で何度も見て、話も聞いている。無駄死にしてはならぬ。私はあなたを連れ、周王さまに謁見し、あなたを上卿に命じていただこうと考えている。晋のまつりごとを執ってもらいたい。夏書にある、人を知るに在り。人を正しく知り任用することこそ重要なことだ。あなたは、節度高く教養深く、情理兼ね備えておられる。曲沃で大きく腕を振るえる人だ。無駄死にせず、私の元に来てほしい」
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