君を知る前の僕には戻れない

にまる いお

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71話 閉ざされたドアの向こうで

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夜。会場からバスでホテルに戻り、三人はそれぞれの部屋へ。
廊下はしんと静まり返っていた。

春菜は自室の前でしばらく立ち止まったまま、スマホを握って動けずにいた。

(……今日の蒼真さん、やっぱりどこか変だった)

仕事ぶりはいつも通り。言葉も乱れない。でも、田中さんと話している時だけ――視線や立ち位置が妙に近かったり、遮るように間に入ったり。

(気のせい……じゃないよね)

考えてもどうにも落ち着かず、枕元の小袋をそっと手に取る。
白と深緑の小さなリボン。クリスマスはもう過ぎたけど――出張の緊張が続き、タイミングを逃したままだった。

(……渡したいだけ。うん。それだけ)

自分に言い訳しながら、部屋出て隣の部屋へ。
蒼真の部屋の前。インターホンの前に立つと胸がやけに騒いだ。

(迷惑……かな。いや、でも…プレゼントが…)

深呼吸ひとつ。小さな声で「失礼します」と誰にも聞こえない言い訳を落としてから、指先でインターホンを押した。

――ピンポーン。

しかしその直後、角の方から足音が近づいてくる。

(……田中さん?)
反射的に壁の陰に隠れる。

反射的にインターホン横の壁の陰に身を隠す。
胸の鼓動が耳の奥で響く。

少しして、静かに扉が開く音。

「……誰か来たかと思ったんだが」

声は低く、少し不思議そう。

蒼真が、扉に手をかけたまま、きょろりと廊下を見渡す。
そして、こちら側の陰にも視線が滑ってきた。

目が――合った。

春菜は心臓が跳ね上がる音を自分で聞いた気がした。蒼真は数秒だけ瞬きを止め、驚きと戸惑いの沈黙。そのあと、ゆっくりと息を洩らす。

「……なにしてるの?」

低く落ち着いた声。

春菜は耳まで熱くなりながら、リボンの袋をぎゅっと握ったまま、そろそろと陰から出る。

「……あの、その……ちょっとだけ、お渡ししたいものがあって……」

蒼真は一拍置いてから、小さく目線を落とす。
袋。
リボン。
そして春菜の震える指。

その瞬間、昼間くすぶり続けた嫉妬の余韻が、胸の奥で静かに色を変えた。

「……入る?」

低く落とされた声は、拒まない。
むしろ、少しだけ掠れていて――春菜の鼓動をさらに速めた。

蒼真は扉を少しだけ広げ、春菜が通れるだけの隙間を作った。

「どうぞ」

落ち着いた声だけど、どこかぎこちない。
春菜は胸の前で袋を抱えたまま、小さく会釈して部屋に足を踏み入れた。

部屋に入ると、静かな灯りの下で、蒼真の影が柔らかく揺れていた。
テーブルには書類とノートPC。
まだ仕事をしていたようだ。

扉が閉まると同時に、春菜の背筋がぴんと張る。

蒼真は靴を脱いだ春菜にスリッパを差し出しながら、いつもより少し視線を合わせにくそうにしている。

「どうした? こんな時間に」
「い、いえ……その……」
視線を逸らし、胸の包みをぎゅっと握る。

言いながら、手に持っていた袋をそっと差し出した。
震えないように意識したけれど、指だけがわずかに強張っている。

「その……遅くなっちゃったんですけど。クリスマスの、プレゼントです……」

蒼真の視線が袋に吸い寄せられる。
リボンを見た瞬間、無表情だった眉がわずかに揺れた。

「……俺に?」

春菜はこくんと頷く。
それから、ほんの一瞬だけ目を伏せて付け足した。

「ちゃんと、渡したくて……」

蒼真は袋を静かに受け取り、指の腹でリボンを確かめるように撫でたあと――春菜に視線を戻す。

「……ありがとう」

深くも長くもない、けれど丁寧すぎるほどの声音。
それなのに春菜の胸は跳ねる。

少しして、蒼真は袋をサイドテーブルに置き、ソファを指で示した。

「立ったままだと落ち着かないから。座ろう」

春菜は促されるまま腰を下ろす。手は膝の上で落ち着かない。

蒼真は鞄から、小さな箱を取り出した。そのまま向かいの一人掛けソファに座るかと思いきや――
迷いを含んだ表情のまま、春菜の隣に腰を下ろす。距離は拳ひとつ分。

(え、近い……!?)

空気が一気に熱を帯びる。

「……俺の方こそ、渡しそびれてた」

春菜が箱を開けると、中には繊細なネックレス。
淡い光が、二人の間でそっと瞬いた。

不意に蒼真が口を開く。
声は落ち着いてるのに、視線だけが揺れていた。

「付けていい?」

春菜の心臓が跳ねる。

「……はい」

春菜が髪をかき上げると、蒼真の指先が首筋をかすめる。
冷たくて、でもすぐに熱を帯びた。

留め具の音が小さく鳴った瞬間――
蒼真の手が頬に触れた。

「……蒼真さん……?」

唇が開くより早く、触れた。

最初は、触れるだけの静かなキス。
けれど、次の瞬間、春菜の肩を引き寄せる腕の力が強くなる。
熱が深く、ゆっくりと流れ込んでいく。

息を奪われるような時間。

唇が離れたあとも、距離は戻らない。
額と額が触れ合い、互いの呼吸が混ざり合う。

蒼真の目が、まっすぐに春菜を捉えていた。

春菜は蒼真の様子が変だった理由を聞こうと、口を開きかけた――
けれど、その瞬間、蒼真が先に、静かに言った。

「……田中さんと話してる君を見た時、なんであんなに胸が苦しかったのか、やっと分かった」

「え……?」

「誰かに君を譲るのが、怖かった」

小さな囁き。
春菜の瞳が揺れ、喉が詰まる。

「……蒼真さん」

その声にまた唇が重なった。
外の世界が遠のく。
二人の時間だけが、静かに、密やかに流れていく。
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